著者
金子 和哉 伊與 田英輝 沙川 貴大
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.73, no.6, pp.361-369, 2018-06-05 (Released:2019-02-05)
参考文献数
41

ミクロな運動を記述するニュートンの運動方程式やシュレーディンガー方程式は,時間反転に関して対称である.一方,マクロな現象を記述する熱力学は,熱平衡状態への緩和や熱力学第二法則に代表される不可逆性をもつ.一見すると,可逆なミクロの力学と不可逆な熱力学は矛盾している.このミクロとマクロの整合性の問題は,19世紀にはボルツマンが議論し,20世紀初頭にはフォン・ノイマンが量子力学に基づき研究をしたが,解決には至らなかった難問である.近年,冷却原子などの実験系で理想的な孤立量子系が実現されるようになり,不可逆性の起源をめぐる問題が再び注目を集めている.理論と実験の両面から,シュレーディンガー方程式に従った時間発展で,量子純粋状態でさえも,熱平衡状態へ緩和(熱平衡化)することが明らかになってきた.理論的にも,従来の統計力学を使わず,量子力学だけから熱平衡化を理解する試みがなされている.とくに,「量子多体系において,全てのエネルギー固有状態が熱平衡状態を表す」という固有状態熱化仮説(Eigenstate Thermalization Hypothesis, ETH)が,熱平衡化を説明する機構として有力視されている.ETHは,数値計算で多くの非可積分系において確認されているが,数学的な証明はない.一方で我々は,一般の並進対称な局所相互作用する量子多体系において,「(全てとは限らない)ほとんどのエネルギー固有状態が熱平衡状態を表す」という弱い形のETHを証明した.また,以上とは異なる研究の流れの中で,第二法則の基礎についても大きな進展があった.とくに重要なのは,「ゆらぎの定理」の発見である.ゆらぎの定理は,エントロピー生成のゆらぎを考慮することで,第二法則を不等式ではなく等式の形で表現したものだ.第二法則は,ゆらぎの定理から自然に導かれる.しかし,孤立量子系の熱平衡化の研究とは異なり,ゆらぎの定理は統計力学を基にしている.とくに熱浴の初期状態として,通常のカノニカル分布を仮定しているため,冷却原子などの緩和過程には適用できない.というのも,熱浴の初期状態は一般にカノニカル分布とは限らないからだ.では,これら二つの研究の流れを統合し,熱浴の初期状態が量子純粋状態のときにも,第二法則とゆらぎの定理を示すことができるだろうか.我々はこの問題に取り組み,熱浴の初期状態がエネルギー固有状態の場合にも,第二法則とゆらぎの定理が短い時間の間では成り立つことを数学的に証明した.証明の鍵となるのは,ETHに加えて,量子多体系の相互作用の局所性である.相互作用が局所的な量子多体系では,情報の伝搬速度に上限が存在することが,リープ・ロビンソン限界(Lieb-Robinson bound)として厳密に示されている.これを利用して,我々は熱浴がカノニカル分布ではないことの影響を厳密に評価した.我々の結果は量子力学と熱力学第二法則を直接的に結び付けるシナリオを明らかにしたと言え,量子多体系の非平衡ダイナミクスのより深い理解につながることが期待される.
著者
沙川 貴大 伊藤 創祐
出版者
東京大学
雑誌
新学術領域研究(研究領域提案型)
巻号頁・発行日
2019-06-28

本研究では、情報と熱力学を融合させた理論、すなわち情報熱力学に基づいて、生体情報処理の理論的研究を行う。とくに、生体情報処理は本当に熱力学効率が高いのか、といった基本的な問いに答えることを目指す。また、情報理論の分野で注目を集めている「リソース理論」の考え方、さらにはトポロジーの概念を応用することで、狭義の情報熱力学にとどまらない多角的な理論研究を行う。さらに、情報幾何の手法と熱力学を組み合わせることにより、熱力学的な不確定性関係の新しい理論を発展させ、生体情報処理への応用を行う。
著者
松本 拓巳 沙川 貴大
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会講演概要集 72.1 (ISSN:21890803)
巻号頁・発行日
pp.2919, 2017 (Released:2018-04-19)

大腸菌は周りの化学物質の濃度勾配を読み取り、それに応じて方向性を持った運動を行う「化学走性」と呼ばれる能力をもつ。その機構は二変数の線形ランジュバン系で有効に記述されることが明らかになっている。我々はまず、情報熱力学の観点からメモリーに対して定義されるセンサー容量(sensory capacity)と情報熱力学効率の間に存在するトレードオフを導出した。そして実際の大腸菌においては情報熱力学効率は低い一方で、センサー容量は高いことを明らかにした。
著者
沙川 貴大 上田 正仁
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.66, no.11, pp.828-831, 2011-11-05 (Released:2019-10-22)
参考文献数
11

「デーモンのパラドックス」がマクスウェルにより提起されて以来,情報処理を含む物理過程に熱力学第二法則をそのままの形では適用できないことが知られてきた.我々は,情報処理を含む形に一般化された熱力学第二法則や非平衡関係式を導き,それらは実験で検証された.我々の結果は,熱力学量と情報量を対等に扱う「情報熱力学」の基本原理を提供する.
著者
岡田 康志 松岡 里実 石島 秋彦 伊藤 創祐 川口 喬吾 池崎 圭吾 澤井 哲 佐々 真一 神原 丈敏 榎 佐和子 竹内 一将 猪股 秀彦 沙川 貴大 青木 一洋 小林 徹也 中島 昭彦 福岡 創
出版者
東京大学
雑誌
新学術領域研究(研究領域提案型)
巻号頁・発行日
2019-06-28

本領域は、生命現象を分子レベルから定量的に計測する技術の発展と、非平衡系の統計力学・情報熱力学理論の深化を背景とした、両者の融合領域である。生命現象の理解という具体的な課題に対して「情報を力、エネルギーと同列に物理的対象として議論する新しい物理学」を構築することで、生物学と物理学の間の新たな学際領域を開拓する。この目的を達成するために、本総括班は、領域内での生物系の実験研究と物理系の理論研究の学際融合研究を推進する
著者
沙川 貴大
出版者
物性研究・電子版 編集委員会
雑誌
物性研究・電子版
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.1-16, 2015-02

情報理論と熱力学を融合した理論, 情報熱力学について入門的な解説を行う. とくに, 測定やフィードバックなどの情報処理過程への, 熱力学第二法則や非平衡関係式の一般化について議論する. また, 情報熱力学の一つの帰結として, いわゆるマクスウェルのデーモンのパラドックスがどう解決されるかも議論する
著者
伊藤 創祐 沙川 貴大
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.72, no.9, pp.658-662, 2017-09-05 (Released:2018-07-25)
参考文献数
11

情報は生物にとって欠かせないものである.生物たる我々は日々情報を取得し,様々な状況でそれを利用している.その意味で情報は身近なものである一方,情報が科学的に広く研究され始めるのは物理学の歴史と比較すると最近のことであり,C. E. Shannonの1948年の論文に端を発する情報理論の成立まで待たなければならない.しかしながら,Shannonが情報理論を創始する20年以上前,物理学の文脈で情報について考え,Shannonにも影響を与えた研究があった.熱力学におけるMaxwellのデーモンのパラドックスの本質を描き出したL. Szilardによる1922年の研究である.そして1960年代以降,R. Landauerらによって,情報と熱力学の関係は本格的に研究されるようになった.現在では情報理論と物理学の融合は熱力学に留まらず様々な分野で盛んに行われており,「情報は物理的な実在である(Information is a physical entity)」というLandauerの主張に深く広い意味づけがなされるようになってきている.とくに情報理論と熱力学の融合分野である「情報熱力学」は,この10年で理論実験ともに急速に発展した.その背景の一つは,1990年代後半から盛んに研究が行われてきた「ゆらぎの熱力学(stochastic thermodynamics)」である.Szilardがその萌芽を見出しShannonが創始した情報理論は,ゆらぎの熱力学と深い関係があることが明らかになってきた.また近年の実験技術の進歩により,単一分子のような微小な系の熱ゆらぎを精密に測定できるようになり,実際にMaxwellのデーモンが実現されるようになってきた.たとえば単一コロイド粒子系の電場制御によって,定量的なMaxwellのデーモンが2010年に世界で初めて実現された.その後デーモンは単一電子箱や核磁気共鳴(NMR)など多彩な系で実現されるようになっている.我々は生体システムへの応用を目標の一つとし,情報熱力学の理論を発展させてきた.複雑な確率過程を記述可能なベイジアンネットワークという概念を活用し,ゆらぎの熱力学を拡張することで,情報熱力学の適用範囲を広げることに成功した.その結果として,生体内部における化学反応の熱力学と,生体システムが受容体などのセンサーで感じる「情報」の関係を,定量的に議論することが可能になった.たとえば大腸菌(E. coli)が餌を探すための仕組みである走化性は,生体情報処理の代表例の一つとしてよく研究されている.我々は,この大腸菌の化学反応ネットワークに情報熱力学を適用した.その結果として,生体系の情報伝達のロバストさ(頑健性)を熱力学の観点から定量化し,それと移動エントロピー(transfer entropy)と呼ばれる情報量の関係を明らかにすることに成功した.さらに大腸菌においては,通常の熱力学的な効率は低いが,情報熱力学的な効率は高いことが,現実的な実験パラメータを用いたシミュレーションによって明らかになった.
著者
沙川 貴大
出版者
物性研究刊行会
雑誌
物性研究 (ISSN:07272997)
巻号頁・発行日
vol.96, no.1, pp.7-10, 2011-04-05

この論文は国立情報学研究所の電子図書館事業により電子化されました。