著者
麻生 博之 浅見 克彦 荒谷 大輔 冠木 敦子 川本 隆史 城戸 淳 熊野 純彦 中 真生 馬渕 浩二
出版者
東京経済大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

本研究は、「エコノミー」という事柄を、その概念史をふまえながら、倫理をめぐる原理的問題として考察し、諸々の研究領域を横断する新たな倫理学的視座を模索することを課題として、研究会等での多様な議論を通じて実施された。その結果、従来十分に明らかにされてこなかった「エコノミー」の概念史に関する包括的な視座を獲得し、その概念的実質について一定の知見を得た。また、そのような知見に依拠しながら、「エコノミー」と倫理をめぐる原理的な諸問題の所在を、いくつかの現代的事象や現代思想等に関わる個々の論点にそくして明らかにした。
著者
浅見 克彦
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
no.14, pp.9-26, 2013

時間SFは、しばしば型破りな言説構成をとりながら、特異な時間世界を描き出す。この時間世界のありようは、時代的な隔たりを越えて、現在の文化に瀰漫する意識と、いくつかの点で通じあっている。例えば、「反復ループもの」は、社会の歯車として同じようなことを繰り返す現代人の情況に重なる。また、「枝分かれする世界」の物語は、不確定な時の流れに翻弄され、意志と自由を骨抜きにされた私たちの実情を映し出す。さらには、「因果ループ」を焦点とした作品は、物事の真正さと価値の根拠を空洞化させてゆく、ニヒルな文化意識と共鳴しあっている。本稿は、こうした現代の時代意識との照応を確認することを通じて、時を隔てて現代と共振しあう、時間 S Fの不思議な魅力を詳らかにしようとするものである。
著者
浅見 克彦
出版者
北海道大学
雑誌
經濟學研究 (ISSN:04516265)
巻号頁・発行日
vol.53, no.3, pp.299-313, 2003-12-16

マクルーハンは、晩年の著作、Laws of Media とGlobal Village で、彼のメディア理解をシフトさせた。第一に、72年前後から彼が採用した「図-地」の分析枠組の顕著化により、メディアとその社会的環境との相互作用、とりわけ「図」としてのメディアが、「地」である社会的環境に左右されつつ形成される関係が明確化された。メディアが人々の認識様式や文化環境を左右することを強調する それまでの理論的構図に、社会的環境がメディアのあり方に作用するという「裏の」関係が付加されたのである。第二に、誤解の余地なく技術決定論を否定する説明の図式が築き上げられた。とりわけ、人間のあり方を規定するメディアの作用を強調し、人間をテクノロジーの下僕と見なす理解が事実上否定され、メディアが「使用者の精神性」の所産であることが明確化された。第三に、右脳と左脳の共働という脳神経学の知見に触発されながら、聴覚的なニューメディアが視覚的な活字文化を駆逐してゆくという将来予測が、ニューメディアと活字文化の共存、並立を強調する理解へとシフトしていった。晩年の両著作は、マクルーハン理論への多くの誤解をとき、新たな理論的探求を可能にする刺激的な記述に満ちている。
著者
浅見 克彦
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.11-28, 2018-03-11

ポストヒューマニティとは、超越的な人工知性や人類の生物的な新種が喚起する問題群だけをさす概念ではない。思想史的に言えば、それは何よりも、ルネッサンス以来の人間性に深刻な懐疑が向けられ、人々が自身の新たな存在価値を模索していく情況をさすものだ。本稿はこの情況を整理すべく、おもに自律性の理念が掘り崩される事態に注目し、生命科学の新展開にともなう知のシステムの権力作用、神経科学の発展を背景とした意識の自存性の否定、さらにはサイボーグ技術を典型とするテクノロジーとの連続性の受容、などを検討する。そこから浮かび上がるポストヒューマンな実情は、意外にもすでに近代の初めから、あるいはそれ以前から伏在していた現実である。私たちは、ヒューマニズムの理念にしがみつき、そこから目を逸らしてきたのだ。ポストヒューマニズムとは、人間の実情を隠蔽し糊塗してきた、このイデオロギー的な枠組みを脱却する思考の営みにほかならない。
著者
浅見 克彦
出版者
北海道大学大学院経済学研究科
雑誌
經濟學研究 (ISSN:04516265)
巻号頁・発行日
vol.53, no.3, pp.299-314, 2003-12-16