- 著者
-
浜田 明範
- 出版者
- 日本文化人類学会
- 雑誌
- 文化人類学 (ISSN:13490648)
- 巻号頁・発行日
- vol.81, no.4, pp.632-650, 2017 (Released:2018-02-23)
- 参考文献数
- 37
2015年のノーベル医学生理学賞はアルテミシニンとイベルメクチンの開発に授与された。ノーベル財団がグローバルヘルスへの貢献を表彰したことは評価すべきことであるが、同時に、この受賞は、魔法の弾丸という薬剤観を強化する可能性も持っている。しかし、薬剤を開発すれば自動的に感染症が根絶されるわけではない。そこで本論では、イベルメクチンの集団投与と乳幼児に対するワクチン接種に焦点を当てながら、グローバルヘルスにおいて薬剤がどのように時空間に配置されているのかを化学的環境という概念を用いながら明らかにしていく。
薬剤の配置について分析する際には、空間的な広がりだけでなく、時間的な位置づけに着目する必要がある。ガーナ南部のカカオ農村地帯で活動している地域保健看護師たちは、イベルメクチンの集団投与の際には、科学研究に基づく薬剤と病原体の関係についての時間性と民族誌的知識に基づく人々の生活の時間性という2つの時間性を調整することによって化学的環境を改編している。彼女たちはまた、ワクチン接種の際に、自らを一定のリズムを刻む存在、つまり、化学的環境の一部として提示することにも成功している。このように地域保健看護師たちは、当該地域の環境に適応することと、自らを化学的環境の一部とすることという2つの方法を用いながら、化学的環境のリズムを作り出している。このようにして達成される環境への薬剤の配置は、環境についての認識に依拠しているだけでなく、環境を露わにするものでもあり、それを改編していくものでもある。
これらの議論を通じて、魔法の弾丸という薬剤観からの脱却を推し進めるとともに、時間性に注目することでこれまで空間的な配置にのみ焦点を当ててきた薬剤の人類学をアップデートし、薬剤について検討する際に化学的環境という概念が拓く可能性の所在を示すことが本論の目的である。