著者
王 海
出版者
Institute for Cultural Interaction Studies, Kansai University
雑誌
近代世界の「言説」と「意象」 : 越境的文化交渉学の視点から
巻号頁・発行日
pp.161-178, 2012-01-31

It is widely believed that Shiba Ryōtarō made his first decision to learn Mongolian at Osaka Foreign School as major, because he was so interested at literature about the Nomads. In fact, Shiba was failed in the previous entrance exams for Osaka High School 大阪高等学校 and Hirosaki High School 弘前高等学校. After the 9.18 Incident and the establishment of Manchuria, more Japanesegraduates were sent to work at Manchurian and Mongolian area, especially the Mongolian major students. After the frustration of the exams, it was possible for Shiba too, to dream to open a new life there. From those above, it is necessary to explore Shiba's motivation from the perspective of imperial Japan. Osaka Foreign Scholl was founded to enhance the economic communication withAsian continent at the beginning. However, with the proceedings of Japan imperialism, the school started to change its position to meet the needs for "North Expansion". Students and teachers actively participated in politics. They organized speeches, donations to support the war. Although Shiba didn't like the life in the camp, he wished to work at the secret service in Mongolia. We can see the obedience and resistance in the time from Shiba. Mongolian department published a magazine called "sakuhu". "sakuhu" was believed to inherited Oriental Studies. It demonstrates Asia history as the offense and defense between the cultivation and nomadism. Shiba was influenced by this view of history.
著者
小峯 秀雄 王 海龍 龍原 毅 園田 真帆 村田 航大
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集 (ISSN:24366021)
巻号頁・発行日
vol.79, no.7, pp.23-00059, 2023 (Released:2023-07-20)
参考文献数
4

高レベル放射性廃棄物地層処分事業(以下,HLW処分事業)の社会的認知は低く,事業推進に対する国民の理解が得られにくい.HLW処分事業は,巨大な地下施設建設が主体であり,土木工学が寄与できる国家的プロジェクトである.そこで本研究は,土木工学の観点から,学生を対象としたブレインストーミングを実施し,HLW処分事業に関して若者が知的興味を持つ事項や疑問点を抽出した.そして,それらを参照しながらHLW処分事業の認知と地層処分の技術的成立性の理解に資する教育教材の作成を行った.また,市民や次世代へ伝承するための科学コミュニケーターの育成と対話方法の在り方を探求した.これらの成果を高校生を対象に試行的に実践し,HLW処分事業に対する認知の効果が認められた.
著者
王 海波
出版者
日本北方言語学会
雑誌
北方言語研究 (ISSN:21857121)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.135-156, 2020-03-20

満洲語は満洲・ツングース系の言語であり、元々清国(1616-1912)を建てた満洲族の言語である。満洲語の古典語1(以下「 満洲古典語」または「古典語」)は17世紀から18世紀末にかけて清国で使用された満洲語を指す。本稿で扱う満洲語三家子方言と黒河方言2は、現在中国黒龍江省チチハル市富裕県三家子屯と同省黒河市で話される満洲語の方言である。また、本稿で扱う満洲語シベ方言3は、現在中国新疆ウイグル自治区のチャプチャルシベ自治県で話される満洲語の方言である。
著者
王 海冬 宮崎 清 植田 憲
出版者
一般社団法人 日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.45-54, 2008-09-30 (Released:2017-07-19)
参考文献数
9
被引用文献数
1

中国の少数民族のひとつであるオロチョン族は、狩猟を生業とした移住生活のなかで、きわめて特徴的な生活文化を形成してきた。なかでも、白樺の樹皮である「樺皮」を材料としたさまざまな生活用具には、彼らが長い歴史のなかで培ってきた生活の知恵が豊かに内包されている。本稿では、伝統的な樺皮活用品に関する資料の収集に基づき、機能による分類を行い、形状、材料、作り方、内容物の相互関係から、伝統的な「樺皮」を用いたものづくりの意匠特質を考察し、以下の特質を導出した。(1)白樺を不必要に伐採しないことや枯らさないための掟が遵守されており、樺皮活用品にはオロチョン族の自然と人間の「共存」「共生」を願う生活哲学・生活文化が表出している。(2)日常生活用の樺皮活用品は使い方と機能により「住」「行」「遊」「食」「衣」「業(狩猟)」「業(採集)」「神」の8つに分類される。共通する特徴は、「変形しない」「割れない」「防湿性が高い」「軽量である」「耐久性が高い」などである。(3)樺皮活用品は単に日常生活に必要で欠かせないものであるのみならず、それにはオロチョン族の人びとの審美意織や生活理念、信仰などの諸側面における象徴的意味が包含されている。
著者
田中 史生 葛 継勇 李 鎔賢 王 海燕
出版者
関東学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

9世紀に日唐を頻繁に往来し、日中の宗教・文化史に多大な影響を与えた日本僧慧萼について、日中に分散して伝わる関連史料を収集し、これに注釈を付した史料集を作成した。また、中国現地踏査と収集した資料に基づき、慧萼の入唐活動の全体像を復元する研究論文を作成した。さらにこうした成果を収録した報告書『入唐僧恵蕚の求法活動に関する基礎的研究』を刊行し、関係機関・研究者に配布し、広く共有できる東アジア史の貴重な研究素材を活用しやすい形で提供した。
著者
王 海藍
巻号頁・発行日
2011

筑波大学博士 (学術) 学位論文・平成23年4月30日授与 (甲第5884号)
著者
鈴木 靖民 佐藤 長門 酒寄 雅志 石見 清裕 田中 史生 酒寄 雅志 石見 清裕 佐藤 長門 田中 史生 馬 一虹 王 海燕 葛 継勇
出版者
国学院大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2005

『入唐求法巡礼行記』を中心として古代の東アジア世界における交流・交通の諸相を研究することを目的として、第一に『入唐求法巡礼行記』自体の詳細かつ丹念な検討を進め、諸本の校訂を経て、データベースを作成した。また、『入唐求法巡礼行記』の記載と円仁の行程を追跡し、具体的な交通路を復原することを目的に現地調査を行った。それらの成果は研究会やシンポジウムで広く社会に公開し、その一端を『円仁とその時代』として一書にまとめた