著者
白石 愛 吉村 芳弘 鄭 丞媛 辻 友里 嶋津 さゆり 若林 秀隆
出版者
一般社団法人 日本静脈経腸栄養学会
雑誌
日本静脈経腸栄養学会雑誌 (ISSN:21890161)
巻号頁・発行日
vol.31, no.2, pp.711-717, 2016 (Released:2016-04-26)
参考文献数
35
被引用文献数
1

【目的】高齢入院患者の口腔機能障害の実態ならびに、口腔機能障害とサルコペニア、低栄養との関連性を明らかにする。【方法】2013年6月より10月までに連続入院した65歳以上の患者108名(男性55名、女性53名、平均年齢80.5±6.8才)を対象とした横断研究。改定口腔アセスメントガイド(ROAG)を用いて口腔機能状態を評価し、サルコペニアや栄養状態との関連性を解析した。【結果】軽度の口腔機能障害を59人(54.6%)、中?重度の口腔機能障害を34人(31.5%)に認めた。ROAGスコアに関連する因子として、年齢、サルコペニアの有無、MNA-SFスコア、経口摂取の有無、FIM運動項目などが抽出された。【結論】多くの高齢入院患者に口腔機能障害を認め、口腔機能障害とサルコペニア、低栄養との関連が示唆された。ROAGは入院時口腔機能スクリーニングとして有用性があると考えられた。
著者
長野 文彦 吉村 芳弘 嶋津 小百合 工藤 舞 備瀬 隆広 濵田 雄仁 白石 愛
出版者
一般社団法人 日本臨床栄養代謝学会
雑誌
学会誌JSPEN (ISSN:24344966)
巻号頁・発行日
vol.1, no.2, pp.70-79, 2019 (Released:2019-10-30)
参考文献数
40
被引用文献数
1

【目的】脳卒中患者の骨格筋量と歩行獲得との関連について調査する.【対象及び方法】2015-2016年に連続入院した脳卒中回復期患者204人を対象とした後ろ向きコホート研究.体組成分析を用いて入院時の骨格筋指数・下肢骨格筋指数を評価し,多変量解析により退院時の歩行獲得との関連を解析した.【結果】対象者は204人(平均年齢74歳,男性109人).歩行獲得に有意に関連する因子として,骨格筋指数(P<0.01)・下肢骨格筋指数(P<0.01)がそれぞれ抽出された.【結論】脳卒中患者の骨格筋量は歩行獲得の独立した予測因子であることが示唆された.脳卒中患者の骨格筋量は歩行能力の予後予測に有用であり,全症例に骨格筋量の評価が必要である.
著者
嶋津 さゆり 吉村 芳弘 上野 いずみ 工藤 舞 白石 愛 備瀬 隆広 長野 文彦 濱田 雄仁
出版者
一般社団法人 日本臨床栄養代謝学会
雑誌
学会誌JSPEN (ISSN:24344966)
巻号頁・発行日
vol.1, no.3, pp.149-156, 2019 (Released:2020-02-05)
参考文献数
27
被引用文献数
6

【目的】脳卒中回復期における熊リハパワーライス®の臨床効果の検討.【対象と方法】2015年から2016年に連続入院した脳卒中回復期患者204人を対象とした後向きコホート研究.物性や分量,味や匂いを損なわず,軟飯に中鎖脂肪酸とたんぱく質を混ぜ込んだ熊リハパワーライス®を用い食事管理を行った患者群と,通常の食事管理を行った患者群の単変量解析,意識状態,嚥下レベル,栄養状態,日常生活自立度(FIM運動)等,12項目の傾向スコアでマッチングした2群間の検討と退院時FIM運動を従属変数とした多変量解析を行った.【結果】対象者は204人(平均年齢73.6歳,男性109人,女性95人),脳梗塞127人,脳出血62人,くも膜下出血15人.マッチング後(両群とも38人)では,熊リハパワーライス®摂取群は非摂取群と比較して多くのエネルギーを摂取し,体重と骨格筋量が増加,退院時の常食摂取の割合が高く,FIM運動が高かった(全てp<0.05).多重回帰分析では,熊リハパワーライス®摂取は退院時FIM運動に独立して関連していた(β=.169, p=0.02).【考察】熊リハパワーライス®は脳卒中回復期における栄養改善,身体機能改善に有効である.
著者
村田 一朗 小栗 優貴 白石 愛
出版者
日本教科教育学会
雑誌
日本教科教育学会誌 (ISSN:02880334)
巻号頁・発行日
vol.44, no.2, pp.15-27, 2021-09-28 (Released:2022-07-02)
参考文献数
34

本研究の目的は,性的マイノリティの包摂を目指した教科横断単元の構成原理を明らかにすることである。本研究の背景には,性的マイノリティの包摂にあたってはマジョリティ側への教育も必要であり,特に社会と個人の両面から性規範を問い直していく必要があるという公教育としての課題がある。そこで,社会科と保健体育科の研究者・実践者が協働し,教科教育学の抱える開発研究の方法論的課題を乗り越えながら,教科横断単元の開発・実践・検証を行った。本研究の成果は,以下2つである。1つ目は,クィア・ペタゴジーに基づいた「目標原理:社会と自己の2つの視点からの包摂」「内容選択原理:マジョリティが作り出す性規範」「学習過程原理:相対化・構築・脱構築の螺旋的過程」といった単元構成原理を提起できたことである。2つ目は,教科を横断した開発研究の手続きとその実際を事例として示したことで,教科教育学の新たな可能性を見出したことである。
著者
白石 愛子
出版者
京都大学東南アジア地域研究研究所
雑誌
東南アジア研究 (ISSN:05638682)
巻号頁・発行日
vol.13, no.4, pp.535-558, 1976 (Released:2018-06-02)

PETA (Tentara Pembela Tanah Air) was an Indonesian volunteer army organized under Japanese auspices in 1943 during the Japanese Occupation. In February 1945, one of the Battalions of the PETA Army, located at Blitar City, Kediri Residency, in East Java, rose in armed rebellion against Japanese rule. With Soeprijadi Shoodan-cho (Platoon Commander) as leader, several young officers of this Battalion began to plot an anti-Japanese revolt in September 1944. Their hatred and anger against Japan were caused primarily by the cruelty of the Japanese toward the Indonesian population, the pitiful condition of the Roomusha (forced laborers) in particular aroused bitter hatred in the hearts of PETA officers who had once worked with those Roomushas. The arrogant attitude of the Japanese Instructors appointed to each Battalion also irritated the Indonesian officers. Furthermore they felt that Indonesia should be totally liberated from Japanese rule. Taking all these factors into consideration, we can interpret this revolt as the prelude to the Indonesian Revolution, which began in August 1945.  The Revolt, involving three-fourths of the soldiers of the Battalion, began at dawn on February 14. 4 Japanese civilians and 7 Chinese who were considered to be pro-Japanese, were killed, but the revolt was easily supressed because of lack of coordination with other Battalions combined with the fact that they had begun the revolt before their plans were complete. 55 of the revolutionaries were tried and sentenced. Six were sentenced to death and executed before the surrender of Japan. The leader of this revolt, Soeprijadi Shoodan-cho disappeared during the rebellion and has not been found to this day. Nonetheless, he was appointed the first Defense Minister and Supreme Commander of the Indonesian National Army, although he never actually assumed these posts. This demonstrates the extent of the influence of the Blitar Rebellion on the development of nationalism and the revolution in Indonesia.
著者
白石 愛子
出版者
京都大学東南アジア研究センター
雑誌
東南アジア研究 (ISSN:05638682)
巻号頁・発行日
vol.13, no.4, pp.535-558, 1976-03

この論文は国立情報学研究所の学術雑誌公開支援事業により電子化されました。