著者
稲葉 継雄
出版者
九州大学
雑誌
大学院教育学研究紀要 (ISSN:13451677)
巻号頁・発行日
pp.185-208, 1998

Minami Jiro, whose term of office (7th; 1936-42) was only the third longest among the eight Governor-Generals of Korea, next to Saito Makoto's (3rd; 1919-27, 5th; 1929-31) and Terauchi Masatake's (1st; 1910-16), is nevertheless evaluated as "the most unforgettably atrocious Governor-General in the history of Japanese colonial rule of Korea. "Minami, who was in office during the time of Sino-Japanese War (1937-1945) and the World War II (1939-1945), gained notoriety for a series of hard-line policies aimed at kominka, or making Imperial Japanese subjects of the Korean race, such as the enforced worship at Shinto shrines, the exaction of the Pledge of Imperial Subjects, the promulgation of the Name Order (so-called soshi kaimei; K. ch'angssi kaemyong), the educational reforms under a new Rescript on Education, and the mass recruitment of young Koreans. It goes without saying that Minami's subordinates played indispensable roles, assisting him and sometimes even taking initiative, in enforcing these policies. This study focuses on Shiobara Tokisaburo, Chief of the Education Bureau, because it is quite effective to trace his words and deeds for clarifying the facts about Minami's policies, especially in education. Although Miyata Setsuko has painstakingly dealt with the general view of kominka policies and the structural relations among them in her numerous works, her approach is not of educational history. It is the goal of this article to further investigate the educational issues of colonial Korea that has been discussed by Miyata and others.
著者
稲葉 継雄
出版者
九州大学
雑誌
大学院教育学研究紀要 (ISSN:13451677)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.35-49, 2004

This article examines the history of the Keijo Imperial University Preparatory Course (Keijo Teikoku Daigaku yoka) with its emphasis on its "Korean factors" and "Japanese factors." The conclusions can be summarized as follows : Overall, Keijo Imperial University, located as it was in Korea, had far more "Japanese factors" than "Korean factors." Two thirds of the students in its preparatory course were Japanese, while around one third were Korean. About half of the Japanese students were graduates of middle schools in Korea, the other half coming from Japan. Thus consideration on the "Japanese factors" should be given respectively in the case of the Japanese students and that of Korean students. The faculty of the Preparatory Course mostly consisted of Japanese and therefore had few "Korean factors" in terms of race. Yet the "Korean factors" cannot be eliminated, because not a few professors were employed in Korea, especially at the time of the foundation of the course. This is a distinctive feature of the Preparatory Course, in contrast to the university program which had the principle of employing only professors from Japan.
著者
山田 達雄 稲葉 継雄 坂野 慎二 一見 真理子 本間 学 白土 悟 池田 充裕 山田 礼子 佐々木 毅 澤野 由紀子 馬将 光場
出版者
中村学園大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
1999

イデオロギー対立の終焉の後の失われた10年と言われる間に、経済開発モデルとしての日本の地位は地に落ちた。代わってグローバリゼーションが風靡し、各国の経済開発を牽引するモデルとしてアメリカの地位が強大になった。国際的な経済競争に勝つか否かは教育システムがボーダーレスになった世界経済に適合しているかどうかが一つの重要な鍵になっているのではないかと考え、平成11年度から平成13年度までの3年間、英、米、独、仏、オランダ、ノールウエー、ヨーロッパ連合、中国、韓国、台湾、タイ、マレーシア、シンガポール、オーストラリアの12カ国2地域を訪問し、これらの国で学校と企業の間のパートナーシップの状況を調査した。調査には団体あるいは個人で25回延べ36人が出かけた。またこの間に、国内学会で3回、国際学会で2回、国際セミナーとワークショップでそれぞれ1回発表し評価を受けた。報告書は第2年度に中間報告書(125頁)と最終年度に最終報告書(232頁)を刊行した。調査の結果、共通に見られる傾向としては、脱イデオロギーと経済競争への対応が教育の最も強力な動因となったことにより、官僚支配が弱まり市場化・民営化がどこの国も起こっており、グローバリゼーションの影響を強く受けていることが分かった。その結果、教育システムと経済システムの調和的あり方がどこの国においても重要な課題とされており、教育改革が模索されている。その対応のあり方に、経済そのものの建て直しがうまくいっていないロシア連邦などと、急成長を遂げつつある中国などとは大きな差が見られた。他方、新経済開発国(NIES)と言われる韓国、台湾及びシンガポールではグローバルな経済に対応した人材育成に成功している。注目すべきことは、これらの国が脱日本の政策をとっているらしいことである。かつて日本を先頭とする国際分業の雁行モデルが語られたことがあったが、今は影を潜めてしまった。逆に、日本は改革のスピードが遅く、日本のまねをしていてはならないという考えが強くなっている。韓国、台湾、シンガポールの国々は、米国を先頭とするグローバリゼーションに柔軟についていく姿勢を見せており、イギリスに倣って学校教育と就職後の職能開発を統合する傾向がある。
著者
稲葉 継雄 松原 孝俊 金 〓実 田中 光晴 新城 道彦 入江 友佳子 小林 玲子 花井 みわ 槻木 瑞生 天野 尚樹 三田 牧 アンドリュー ホール
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

基本的に朝鮮・台湾・南洋など各地域研究の形で進行してきた植民地教育研究の枠組みを変え、研究協力体制を簡便に構築できるネットワークを形成することが目的である。いわゆる「外地」と呼ばれた地域の実地調査を進め、コリアン・ディアスポラを巡る問題を教育史を通して糾明し、さらに、各地域の研究者が一同に会する研究会を開催したり、世界韓国学研究コンソーシアム(UCLA、SOAS、ソウル大学校、北京大学、ハーバード大学、オーストラリア国立大学などで組織)を活用することで研究のネットワーク化を進めた。
著者
松原 孝俊 稲葉 継雄 出水 薫 原 智弘
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

本研究プロジェクトの成果の一つは「『敗戦国』ニッポンに帰りたくなかった日本人」の検討を踏まえて、「在朝内地人」という作業仮説を提出し、「内地」の日本人とは異なるタイプの「外地」型日本人が出現していたと論じた。もう一つは「帝国日本が崩壊した直後の、米軍政庁による統治が始まるまでの『真空』地帯となった時期の朝鮮半島の歴史的考察」において、いかなる政治的メカニズムが作用し、いかなる社会的秩序が崩壊し、いかなる金融システムが機能不全に陥り、いかにして警察権・裁判権が移譲されていったかなどを、引揚者らに対するオールヒストリー調査を活用して、文字資料に顕在化しない事実の解明に努めたことである。