著者
臼井 敬太郎
出版者
一般社団法人 日本デザイン学会
雑誌
日本デザイン学会研究発表大会概要集 日本デザイン学会 第58回研究発表大会
巻号頁・発行日
pp.60, 2011 (Released:2011-06-15)

1950年代後半から1960年代後半にかけて、良好な眺望を誇る日本各地の観光地において床面が旋回する回転展望台が数多く設置された。いずれも、その機能的特徴からシンボリックな形態となり、モダンデザインでまとめられている。山麓から索道あるいは鋼索鉄道で連絡される展望台は、モビリティーの延長線上にある展望装置としてもダイナミックさを演出するモダンなスタイルが適していたといえよう。このような形式の展望台として初の事例である京山八方閣は、運営する岡山電気軌道の設計による回転機構が組み込まれていた。展望室床下には、レールが円形に敷かれ、その上をドーナツ状の展望室床面を支える台車が走行する構造であった。後に開業していく大手鉄道会社運営による回転展望台に先駆けて、地方都市岡山で回転展望台が実現されたのは、路面電車を運行させる軌道敷設技術、限られた経営資源を創意工夫で加工する車両改良技術の集積が最大限生かされたゆえであった。
著者
臼井 敬太郎
出版者
Japanese Society for the Science of Design
雑誌
日本デザイン学会研究発表大会概要集
巻号頁・発行日
pp.30, 2014 (Released:2014-07-04)

科学万博の会場は当初から工業団地への転用が計画され、パビリオン建築も仮設的な位置づけを与えられ、転用や解体を見越した柔軟なデザインのあり方が提案された。それは、はからずとも万博が示した近未来空間の姿であった。その万博開催に先がけて運行されたPR列車「サイエンストレイン エキスポ号」は、日本各地を展示巡回した大規模なプレイベントであった。それは余剰になっていた車両、無用の長物になりつつあった貨物ホーム、操車場などの駅施設を巧みに活用した画期的な試みであった。それは、万博会場で実現されたフレキシブルなデザインを先取った、ある意味で象徴的な姿であった。
著者
臼井 敬太郎
出版者
一般社団法人 日本デザイン学会
雑誌
日本デザイン学会研究発表大会概要集 日本デザイン学会 第57回研究発表大会
巻号頁・発行日
pp.F07, 2010 (Released:2010-06-15)

1930年代のイタリアでは、短期間に同じようなエクステリアとインテリアを有する新形式車両として気動車と電車が全国に大量導入された。流線型の先頭形状、丸みを帯びた車体断面、屋根から床下近くまで平滑に仕上げられた車体、茶色の濃淡で統一された塗装、一室空間による開放的な車内、連続する窓とヴォールトの高い天井、それらは同年代に登場した新形式車両にそれぞれ共通する特徴である。これらのデザイン的特質は、表層的なスタイリングの操作ではなく合理的な構造がダイレクトに形態に反映されたものである。そのため余分な装飾や機能は微塵も認められない。しかも製作メーカーの違い、内燃機関か電動機かという動力形式の違いを越えて、ほぼ一様に単純化されたスタイルが反復されている。一定のコードで統一されたシンプルなデザインは、1930年代の新形式車両デザインの特質といえる。そして形態を極端なまでに単純化させることで全体の調和の図られていたモダンデザインの駅舎と、機能に即して無駄な要素をそぎ落としデザインを先鋭化させていった新形式車両。ミニマルなデザインを実現したという点で、1930年代のイタリアに生み出された両者は相通じている。
著者
臼井 敬太郎
巻号頁・発行日
2019-03-31

筆者は,前橋中心商店街協同組合の依頼を受け,地域\n活性化研究事業「中心市街地におけるアートプロジェク\nトによる空き家,空き店舗の利活用研究」として,街な\nかでデッドスペースとなった空き店舗について展示会場\nとして活用する展覧会(「つまずく石の縁 ? 地域に生ま\nれるアートの現場 ? 」 主催:アートによる文化交流推\n進実行委員会,前橋中心商店街協同組合,共催:アーツ\n前橋,2018 年10 月?11 月の土休日計12 日間開催)の\n企画に協力した.街なかを舞台にした展覧会の計画には\n次のような問題意識がある.前橋市の中心市街地におけ\nる通行量は1994 年をピークに減少の一途を辿っている.\n複数の県立高校の郊外への移転や郊外への大型商業施設\nの進出にその要因が求められるが,中心商店街店主の高\n齢化や後継者不足などを背景に,廃業や一時休業に陥る\n店舗が徐々に発生してきている現実もある.前橋中心商\n店街協同組合はアーツ前橋と協同でアートプロジェクト\nとして空き店舗を作品の展示空間として活用し,街なか\nの交流拠点を増やし,にぎわい創出に向けた可能性を見\n出そうとしていた.\nそこで,これまでに筆者が研究室主体となって前橋市\n中心市街地で行ってきた建築見学会や街歩きの経験を生\nかし,中心市街地の魅力を引き出すための周知活動を中\n心とした展覧会の企画に協力した.具体的には,中心市\n街地のリサーチを通して,空き店舗を活用した展示計画\nと運営に協力し,鑑賞者の回遊性をより高めるため街歩\nきを促すマップやサイン制作など展覧会周知ツール(グ\nラフィックデザインは寺澤由樹氏が担当)の提案を行っ\nた.会期中には,筆者が講師を務める街歩きツアーを開\n催するなど,展覧会を切り口にした人々のコミュニケー\nションのきっかけを作ることで地域活性化の端緒を作る\nことを目指した.ちなみに展覧会タイトル「つまずく石\nの縁」は,ことわざ「躓く石も縁の端 = 道でつまずい\nた石さえも,その人といくらかの因縁があるということ.\nどんなにつまらないことや関係でも大事にしなければな\nらないというたとえ」から命名されたもので,展覧会を\n通した小さな気づきから人や街,地域再発見の期待が込\nめられている.
著者
臼井 敬太郎
出版者
日本デザイン学会
雑誌
日本デザイン学会研究発表大会概要集
巻号頁・発行日
vol.58, pp.60-60, 2011

1950年代後半から1960年代後半にかけて、良好な眺望を誇る日本各地の観光地において床面が旋回する回転展望台が数多く設置された。いずれも、その機能的特徴からシンボリックな形態となり、モダンデザインでまとめられている。山麓から索道あるいは鋼索鉄道で連絡される展望台は、モビリティーの延長線上にある展望装置としてもダイナミックさを演出するモダンなスタイルが適していたといえよう。このような形式の展望台として初の事例である京山八方閣は、運営する岡山電気軌道の設計による回転機構が組み込まれていた。展望室床下には、レールが円形に敷かれ、その上をドーナツ状の展望室床面を支える台車が走行する構造であった。後に開業していく大手鉄道会社運営による回転展望台に先駆けて、地方都市岡山で回転展望台が実現されたのは、路面電車を運行させる軌道敷設技術、限られた経営資源を創意工夫で加工する車両改良技術の集積が最大限生かされたゆえであった。
著者
臼井 敬太郎
出版者
一般社団法人 日本デザイン学会
雑誌
日本デザイン学会研究発表大会概要集 日本デザイン学会 第56回研究発表大会
巻号頁・発行日
pp.E18, 2009 (Released:2009-06-16)

イタリア人の官吏・建築家アンジョロ・マッツォーニは、2大戦間期にイタリア全土にわたってモダンデザインの駅舎を多数実現した。1935年以降に竣工した駅舎については、彼は建築のみならずベンチやカウンターなど造付け家具、椅子や机、棚など据置家具、そしてコーヒーメーカーなどプロダクト、駅名板などグラフィック、さらには鋏立てなどステーショナリーまで、ありとあらゆるものを設計している。駅舎の建築と家具のデザイン的特徴について通覧すると、各駅でほぼ同じスタイルが繰り返されている。そして、建築と家具の形態を極端なまでに単純化させることでトータルなデザインとしての全体的な統一感が図られている。マッツォーニは一貫してこのようなトータルデザインを追求し、結果的にモダンデザインの駅舎を全国的に普及させた。イタリア国鉄の一つの駅舎スタイルを実現した建築家として、マッツォーニを改めて評価する。
著者
臼井 敬太郎
出版者
日本建築学会
雑誌
日本建築学会計画系論文集 (ISSN:13404210)
巻号頁・発行日
vol.72, no.621, pp.223-228, 2007

Angiolo Mazzoni's Reggio Calabria Station Building, constructed in 1938, is one of the latest works of a series of railway station buildings that Mazzoni had designed in Italy. One explanation for Reggio Calabria Station Building characteristic would be that it achieved the total design by systematic rule in each level from architecture to furniture. It was based on "The principle of architecture" that Mazzoni suggested in the magazine Architettura e Arti Decorative, in 1927. The rules adopt the following logic. First, a grid system is set for fixing the ground plan and the elevation of the architecture. Next, the same grid is divided equally as a layout of stones to finish the surface inside and outside of architecture; the built-in furniture also follows the layout of stones as a part of the architecture. In addition, shelves are also designed by the systematic way, determination of the proportion by the combination of contents inside and the division of the front of shelves.