- 著者
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藤井 賢一
- 出版者
- 一般社団法人 日本物理学会
- 雑誌
- 日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
- 巻号頁・発行日
- vol.74, no.10, pp.700-708, 2019-10-05 (Released:2020-03-10)
- 参考文献数
- 51
- 被引用文献数
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信頼性の高い物理量の計測は科学技術発展の基礎である.その基準として用いられているのが国際単位系(SI)における7つのSI基本単位の定義である.それらのなかで,質量の単位であるキログラムだけは,1889年にメートル条約にもとづいて開催された第1回国際度量衡総会において国際キログラム原器によって定義されて以来,原器による定義が使われ続けてきた.例えば,長さの単位であるメートルは,1960年に国際メートル原器から光の波長による定義へ,さらに1983年に光の速さにもとづく定義へと移行した.これによって,光周波数の測定から長さの単位を実現することが可能になった.秒も以前は地球の自転周期や公転周期によって定義されていたが,1967年からはセシウム原子時計によって実現されるマイクロ波の周波数(約9.2 GHz)が秒の基準として用いられるようになり,さらに光周波数コムや光格子時計などによって光周波数領域(約500 THz)における新たな秒の定義に関する研究も行われている.電圧と電気抵抗についても1990年からはそれぞれジョセフソン効果と量子ホール効果にもとづく計測が実用化され,再現性の高い電気量の計測が可能になった.このように,科学技術の発展とともに多くの単位の定義は変遷を重ね,より普遍的で再現性の高い定義へと移行してきたが,キログラムだけは19世紀末に定義されて以来,人工物による定義が使われ続けてきた.しかし,表面汚染などの影響があるため,その安定性は50 µg(相対的に1億分の5)程度が限界である.このため,物理定数によってキログラムを定義するための研究が行われるようになり,21世紀に入ってからようやく原器の安定性を超える精度でプランク定数hを測定することが可能になった.このような経緯から,2018年11月にメートル条約にもとづいて開催された第26回国際度量衡総会において,キログラム,ケルビン,アンペア,モルの定義にそれぞれ不確かさのない定数として定義されたプランク定数h,電気素量e,ボルツマン定数k,アボガドロ定数NAを用いることが採択され,新しい定義が2019年5月20日の世界計量記念日から施行された.特にキログラムについては130年ぶりにその定義が改定され,歴史上初めて人工物に頼らない単位系が誕生した.これを可能にしたのがキッブルバランス法と呼ばれる電気的にhを測る方法と,X線結晶密度法と呼ばれる結晶中の原子の数を測ることによってNAを求める方法である.基礎物理定数の関係式を用いればhをNAからも高精度に導くことが可能であり,この2つの独立した測定原理から得られたプランク定数が高い精度で一致したことも,今回の定義改定を後押しした.科学技術データ委員会(CODATA)では,SI基本単位の定義改定のために2017年10月にh,e,k,NAについての特別調整を実施し,2017年7月1日までに受理された論文に報告されているデータの重み付け平均からこれらの基礎物理定数を決定した.特にプランク定数の決定においては,半数である4つのデータに産業技術総合研究所の計量標準総合センター(NMIJ)が貢献した.欧米以外の研究機関がSIの定義において決定的な役割を果たすのは歴史的にも今回が最初である.SIの新しい定義では,磁気定数μ0や炭素12Cのモル質量M(12C)などのように,これまで不確かさゼロの定数として扱われてきたものが不確かさをもつ変数に変わるものもあるが,多くの基礎物理定数の不確かさは小さくなる.SIの新しい定義では,hの不確かさがゼロになるので,原子や素粒子などの質量の不確かさも大幅に小さくなる.これまでは測定することが困難だった微小質量などをトレーサブルに計測することも可能になる.