著者
遠藤 織枝 桜井 隆 陳 力衛 劉 頴 CHEN Liwei LIU Ying
出版者
文教大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2003

中国女文字の保存を考える2004年の現地調査での女文字の実情を報告する。調査に訪れた2週間後に伝承者陽換宜が死去して、この文字を伝統的方法で習得し、娘時代に実際にこの文字をコミュニケーション手段として用いた人はいなくなった。緊急によりよい保存の方法を講じなければいけないときにきている。調査の結果、伝統的な文字とは変形した文字が盛んに書かれていること、そのような書き手を現地政府が重用していること、昔の女性の文字に最も近い文字を書く何艶新が生活に追われて文字から離れてきていることがわかった。女文字の保存にとって望ましい状況ではないことが憂慮される。この文字の歴史や規模について、3000年以上の歴史がある、2000字以上の文字があるというような誇張された大げさな言説がインターネット、新聞などに流布している。この文字を、昔の女性たちが使い・伝えた、本来の姿に近い姿で保存することが望ましいが、以上のような根拠のない無責任な言説は、本来の女文字の姿を歪めかねない。こうした事態を軌道修正し、合理的・科学的に考究し合って共通理解を得ることが肝要と考えて、中国と日本との研究者の共同主催でシンポジウムを開いた。両国研究者が一堂に会して、同じ対象についてそれぞれの研究を発表し合い、真摯に討論する機会が得られた。女文字の研究方法や歴史に対する考え方にも共通の理解が得られたことは大きな成果であった。
著者
陳 力衛
雑誌
成城大學經濟研究 = Seijo University economic papers
巻号頁・発行日
no.194, pp.9-35, 2011-11

近代の西洋においてdemocracyとrepublicはもともと区別のつきにくい概念であった。その二つのことばに対して、19世紀半ばころまでは中国では「民主」、日本では「共和」と、各々異なった漢語訳語を当てていた。いわば中日言語の没交渉の時代があっての産物だった。19世紀後半になると、漢訳洋書や英華字典の日本への流入によって、中国語の「民主」は日本語に入って、まずrepublicの意味において「共和」と類義関係をなすようになった。一方、19世紀末期に来日していた中国人は日本語の「共和」を持ち帰っていって中日両国語にともに「民主」「共和」が使われるようになった。こうしてrepublic=「共和」の対訳が固まるにつれてdemocracyと「民主」との意味結合も徐々に多くなってきた。さらに明治後期の日本においてdemocracyを「民主主義」やカタカナ語の「デモクラシー」へと訳され、政体を表す「民主」との意味区別を図るようになった。20世紀の初めころ、「民主主義」の言い方も中国へ伝わり、democracyとrepublicは最終的に「民主」と「共和」に対訳するように、意味の棲み分けをするようになった。
著者
陳 力衛
出版者
成城大学
雑誌
成城大學經濟研究 (ISSN:03874753)
巻号頁・発行日
no.194, pp.9-35, 2011-11

近代の西洋においてdemocracyとrepublicはもともと区別のつきにくい概念であった。その二つのことばに対して、19世紀半ばころまでは中国では「民主」、日本では「共和」と、各々異なった漢語訳語を当てていた。いわば中日言語の没交渉の時代があっての産物だった。19世紀後半になると、漢訳洋書や英華字典の日本への流入によって、中国語の「民主」は日本語に入って、まずrepublicの意味において「共和」と類義関係をなすようになった。一方、19世紀末期に来日していた中国人は日本語の「共和」を持ち帰っていって中日両国語にともに「民主」「共和」が使われるようになった。こうしてrepublic=「共和」の対訳が固まるにつれてdemocracyと「民主」との意味結合も徐々に多くなってきた。さらに明治後期の日本においてdemocracyを「民主主義」やカタカナ語の「デモクラシー」へと訳され、政体を表す「民主」との意味区別を図るようになった。20世紀の初めころ、「民主主義」の言い方も中国へ伝わり、democracyとrepublicは最終的に「民主」と「共和」に対訳するように、意味の棲み分けをするようになった。
著者
陳 力衛 Chen Liwei
出版者
名古屋大学大学院文学研究科附属日本近現代文化研究センター
雑誌
JunCture : 超域的日本文化研究 (ISSN:18844766)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.78-98, 2012-03-06

In the nineteenth century, many Chinese translations of English terms, such as "bank, insurance, love, and medicine. "were adopted as Japanese translations of the same terms. It is well known that this process contributed to the establishment of modern Japanese. However, during the twentieth century, Japanese translations of English terms became more readily available, and the process reversed itself. Now English to Chinese dictionaries were using the Japanese translations as a reference. This resulted in the absorption of terms such as "philosophy, society, and communism" into the Chinese language. The sharing of translated terms resulted in the creation of many similar words within Chinese and Japanese, which benefitted communication between the two languages. This paper will take a look at how Chinese and Japanese exchanged vocabularies through the translation of English terms during four separate historical periods.
著者
陳 力衛
出版者
日本語学会
雑誌
国語学 (ISSN:04913337)
巻号頁・発行日
vol.54, no.3, pp.30-43, 2003-07

本稿は,熟字訓形成の要因を,まず漢籍の伝来に伴う概念の対訳の必要性から捉え,一体性としての熟字に対して和訓が語訳の性格を帯びていることを確認する。そして,この種の熟字訓は時代とともに産出され,つねに中国語から新語・類義語・新表記を日本語に取り入れるための手段として用いられたため,一過性や流行性といった特徴が指摘できる。また逆に,伝承性の強い本草学関係の熟字訓にも注目し,日中間の交渉による意味概念の同定とそのずれを指摘する。一方,視覚による書記表現としての効果性への追求から,日本人が独自に創出した熟字訓もある。本稿はそれを取上げ,中国語由来のものとの異同を比較し,最後に,熟字訓の問題点を指摘する。
著者
中村 圭爾 陳 力 佐川 英治 小尾 孝夫 永田 拓治 室山 留美子 王 小蒙 胡 阿祥 魏 斌 高 大倫 毛 陽光
出版者
相愛大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2012-04-01

魏晋南北朝時代、長安、洛陽、建康等の主要な首都の周辺地域では、「都城圏」社会と呼ぶことが可能な、独特の社会が出現した。この地域では、首都の政治体制を機能させ、大量の人口を維持するため、各地と首都を連絡する交通網が整備され、生産と流通が発展した。また、首都の先進的な意識、文化や好尚が伝わり、他の地域とは異なる独特の地域性が生まれた。この「都城圏」社会の存在は、魏晋南北朝時代の都市が歴史上に果たした役割を考える上で、非常に重要な意味を持っている。