著者
坂出 祥伸 鄭 正浩 大形 徹 山里 純一 松本 丁俊 内田 慶市 頼富 本宏
出版者
関西大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2000

本課題について平成12年度から平成14年度までの期間中、7回の海外調査、1回の沖縄調査、2回の調査報告会を行った。海外調査では、台湾、福建南部、香港、タイ、マレーシア、マニラ、シンガポールの道教的密教的辟邪呪物の調査を行った。ここには、特徴的な事象について説明する。(1)台湾南部では住宅整備と道路改修などの近代化・都市化に伴い、辟邪物が漸次減少化傾向にある。(2)金門島では台湾本島でも対岸の大陸でも見られない種々に珍しい鎮宅符が残っていて、ここは辟邪物の宝庫といえる。(3)厦門、泉州などの市街区では都市・道路整備のために辟邪物・呪符はほとんど消滅していたが、少し奥地の〓州では古い建築物が残っていて正一派道教の出す色々な呪符が見られた。(4)香港は市街区には呪符・辟邪物はほとんど見られないが、北部九龍地区の全真教系道観がいくらか呪符を出していた。(5)タイ、マレーシアにはともに福建南部出身の移住民が多いので、出身地の正一派や民間信仰の道観が出す呪符があったが、タイでは現地仏教との融合した辟邪呪物・呪符が見られ、本頭公という土地神がり、またマレーシアでは、マレーシア原住民の土地信仰・拿督公と融合した大伯公信仰が盛んであった。(6)マニラでは福建南部・晋江の道教との結びつきが強く、道観が種々の呪符を出していたのと、カソリック信仰との融合したサントニーニョが辟邪物として信仰されていた。(7)シンガポールの華人は近代には都市整備が進んでいるために辟邪呪物・呪符もほとんど見ることができなかったが、ここでも現地マレーシア人の拿督公と融合した大伯公信仰が見られた。全体としては、本課題の調査は非常に大きな有益な成果があったという感想である。
著者
頼富 本宏
出版者
大正大学
雑誌
密教学研究 (ISSN:09113487)
巻号頁・発行日
no.27, pp.43-60, 1995-03
著者
千田 稔 笠谷 和比古 頼富 本宏 池田 温 大庭 脩 上垣外 憲一 葛 剣勇 石井 紫郎 河合 隼雄
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
1998

本調査研究によって解明された主要な点を上げるならば、次のとおりである。1.明治維新後の日本において、中国人蒐書家によって系統的な典籍の蒐集がなされ、中国本土に移送されていた。ことに清国総領事黎庶昌や清国領事館駐在員であった楊守敬らによって系統的に蒐集されて、中国大陸に移送され、その後、各地を転々とするとともに、日中戦争から国共内線の時期における散逸、焼亡の危機をくぐりぬけて今日に伝来するにいたった各種図書・文献について、その所在を跡づけることができた。2.京都高山寺の寺院文書が、中国武漢の湖北省博物館において所蔵されていることをつきとめた。今回の発見成果の重要なものの一つが、この湖北省博物館所蔵の高山寺文書であった。これも楊守敬蒐集図書の一部をなしている。明治初年の日本社会では廃仏毀釈の嵐が吹き荒れており、寺院の什器や経巻の類が流出して古物市場にあふれていた。高山寺文書の流出も多岐にわたっているが、その一部が楊守敬の購入するところとなり、中国に伝存することとなったのである。3.今回の調査で、日本の仏典が中国各地の所蔵機関に少なからず伝存することを確認し得た。そして同時に次の点が問題であることが判明した。すなわちこれら日本から請来された仏書、写経の類は、中国人の目からは敦煌伝来の仏典と見なされる傾向があるという点である。明白に日本で書写された経巻であるにもかかわらず、それらがしばしば敦煌伝来の写経と混同して所蔵され、また目録上にもそのような配列記載がなされているという問題である。これは日本人研究者の考えの及ばなかった問題でもあり、日中双方の研究者・関係者の協議に基づいて、問題が早急に改善されることが望まれる。
著者
頼富 本宏 森 雅秀 野口 圭也 立川 武蔵 山田 奨治 内藤 榮
出版者
種智院大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2001

本研究は、研究代表者が平成9年に北京市の首都博物館を訪れた際、隋・唐代から清代に至る膨大な数量の金銅仏像が未整理のままに保管されている実態を確認したことから、国際学術研究として出発した。初年度では、比較的良質の数十点の作例を調査・撮影し、かつ妙応寺・意珠心境殿に整理・展示されている六千余点の金銅仏像群の報告を行なった。しかし、同年末に展示館新築が始まり、首都博物館蔵の他の資料についての調査続行が困難となった。そこで、当館所蔵の資料とも関わりを持つ中国金銅仏を多数保管する機関として、河北省の避暑山荘博物院・外八廟、遼寧省の遼寧省博物館の助力を得て、主に清朝金銅仏像を調査・撮影し、法量・尊格名などの文字データと画像データを収集して、データベースの構築に着手した。第二年次の平成14年には、当初の調査対象であった首都博物館所蔵品の調査研究が引き続き困難であるため、中国内外の個人収蔵家の協力も得て、百点を超える中国金銅仏の調査・撮影を行ない、比較研究資料の蓄積に努めた。そこで、従来の明・清代のチベット仏教系の鋳造仏だけではなく、北魏・隋・唐代のより古い時代の多数の鋳造仏の資料が得られることになり、それらを体系的に配列することで、仮説的ではあるものの、様式的展開を概観できるようになった。第三年次の平成15年には、SARSの流行によって現地調査の機会が阻まれたが、終息後に雲南省へ渡航し、雲南省博物館と大理市博物館の協力もあって、中国金銅仏でも特異な様式と内容を持つ金銅仏群の調査資料を採取することができた。さらに、静岡県三島市の佐野美術館の中国金銅仏像を調査・撮影した。三年間の研究期間中、海外現地調査と副次的な国内調査を重ねることによって、579点の資料(うち参考資料268点)を収集し、データを集積した。また、故宮から流出したと推測される「宝相楼仏像群」についても、簡略ながら復元を試みることができた。以上の諸資料の画像と採取データのうち、掲載許可を得た資料を収録した成果報告書を最終年度に刊行し、研究者に情報提供を行なっている。