著者
飛田 範夫
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.52, no.5, pp.7-12, 1989-03-31
被引用文献数
1 1

日本の伝統的スポーツの1種である蹴鞠は,中国から7世紀頃に日本に伝来したものと考えられる。当初邸内の庭で鞠を蹴り合うだけであったが,次第に本格化して「鞠の庭」が定められ,4隅に懸(かかり)と呼ばれる桜柳楓松などの樹木を植えるに至つている。造園的に見ると,懸の仕立には庭園の剪定技法が応用され,鞠の庭の舗装に関しては,土と砂あるいは塩を含ませたものをつき固めるなどの工夫がなされていることがわかる。

14 0 0 0 OA 庭園植栽の禁忌

著者
飛田 範夫
出版者
公益社団法人 日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.60, no.5, pp.391-394, 1996-03-28 (Released:2011-07-19)
参考文献数
8

禁忌は信仰・俗信上で禁止されている行為だが, 「もし… すると, … になる」という言い方で, 人々の日常生活の行動を束縛している。鈴木巣三編『日本俗信辞典』は最もよく禁忌事例を集めていて, 100種類ほどの悪いとされる庭園用植物が挙げられている。この事例を分析してみると, 禁忌を犯した場合は病気や死, 家の没落を招くとするものが多い。その根拠は, 植物の名称との語呂合わせ, 植物の形状からの連想, 信仰や家相との関連, 山野の植物の拒否, 偶然からのもの, 利用面の嫌悪などである。将来起こりうる災難を可能な限り逃れようとして, 身の回りの事物に気を配っていたことが, 庭園植栽の禁忌にも現れているといえる。
著者
飛田 範夫
出版者
京都大学学術出版会
巻号頁・発行日
2002-12

平成15年度日本造園学会賞 受賞
著者
飛田 範夫
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.63, no.5, pp.357-360, 2000-03-30
被引用文献数
1

江戸時代の大坂の植木屋の中で,高津の吉助は江戸の植木屋と並ぶほど大規模なもので,天満天神と下寺町と北野寺町は社寺の参拝客を対象にしたものだった。新町は遊廓の中で季節的に店を出し,道頓堀や難波新地の植木屋は遊興の客を相手にしていた。人か集まる場所であることと植木を仮植できる土地があることが,植木屋が店を設ける条件になっていたと言える。せり市を開催して全国各地に出荷したり,株仲間を形成したことも繁栄した理由だろう。供花や生け花用の草花は,南御堂前や天満天神周辺などのような人が多く集まる場所で販売されていた。玉造が草花の生産地になっていたのは,鮮度を保つ上で大坂近郊であることが必要だったからだろう。
著者
飛田 範夫
出版者
公益社団法人 日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.61, no.5, pp.385-388, 1997-03-30 (Released:2011-07-19)
参考文献数
17

平安時代前期に前庭に畝をつくり, キクを植えている例が見られるが, 土を盛って壇を築いて排水をよくして植物を育成させようとしたことが, 花壇を生みだしたように思われる。庭園施設として花壇を観賞に耐えるものにすることは, 二義的に重要なことであった。花壇という言葉は10世紀中頃の中国の詩にあり, 日本では『看聞御記』の応永25年 (1418) 2月28日の条に「東庭築花壇栽草花」とあるのが初見である。最も古い花壇遺構は, 朝倉館跡で室町時代のものが検出されている。江戸時代の花壇としては, 流行の植物専用, 回遊式庭園では重要な施設, 植木屋ではキクの栽培場所民家では草花を植える所, 寺院では草花・樹木の苗畑としての事例がみられる。
著者
飛田 範夫
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.52, no.5, pp.7-12, 1988-03-31 (Released:2011-07-19)
参考文献数
10
被引用文献数
1 1

日本の伝統的スポーッの1種である蹴鞠は, 中国から7世紀頃に日本に伝来したものと考えられる。当初邸内の庭で鞠を蹴り合うだけであったが, 次第に本格化して「鞠の庭」が定められ, 4隅に懸と呼ばれる桜柳楓松などの樹木を植えるに至っている。造園的に見ると, 懸の仕立には庭園の勇定技法が応用され, 鞠の庭の舗装に関しては, 土と砂あるいは塩を含ませたものをっき固めるなどの工夫がなされていることがわかる。
著者
飛田 範夫
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.53, no.5, pp.43-48, 1990-03-30

京都市の青蓮院は,火災や移転などによって大きく変化している。しかし,青蓮院の記録をまとめた『門葉記』と『華頂要略』によって,その変遷をたどることができる。13世紀前半頃の「三条房指図」を見ると建物も庭園も寝殿造の形態になっている。14世紀前半の「十楽院差図」の時代には,園池は建物に近接するなど書院造の邸宅の影響が見られる。19世紀中頃の「御本坊総図」からは,書院造の建築に付随した庭園の状態がうかがえる。
著者
飛田 範夫
出版者
長岡造形大学
雑誌
長岡造形大学研究紀要 (ISSN:13499033)
巻号頁・発行日
no.9, pp.69-76, 2011

As Taihu stones(deformed limestones)were considered one of the symbols of China, so those were painted in Japanese paintings. Classifying by the way of placing the Taihu stones in old Japanese paintings, we can find the way to use the Taihu stones in Chinese garden as following. 1)Shinu -tu(仕女図) painted in the Tang-dynasty, 8th Century, shows they placed small stones in a garden, but we can see that the Taihu stones took place of the small stones from Japanese painting Torige-ritsujo-no-byobu(鳥毛立女屏風). I assume that they use bigger Taihu stones in their garden to enjoy watching from Qixian-tu(七賢図) painted in Chinese Tang-dynasty, 9th Century. 2)In the Bada-chunyun-tu(八達春遊図) painted in 10th Century, they place one huge Taihu stone in their garden. From the Japanese painting E-inga-kyo(絵因果経) in 8th Century, I guess they put a Taihu stone, which is as tall as a human, in the main place of the garden. 3)In Longchi-jingdu-tu(龍池競渡図) painted in the Yuan–dynasty, 14th Century, we can see big Taihu stones both left and right side of the palace. But it was imaged from the old palace of old paintings. From the Japanese paintings Kegon-shuso-eden(華厳宗祖師絵伝) and Toseiden-emaki(東征伝絵巻) painted in the 13th Century, we can see they placed a Taihu stone in front of the palace in Song Dynasty(960-279). I assume that they placed Taifu stones in their garden first and then they started to place the Taihu stones in front of their palace. 4)From Qianlongdi-ji-fei-guzhuang-xiang(乾隆帝及妃古装像) painted in Qing Dynasty,18th Century, we can see that they put Taihu stones in a pond of their garden. Sancai-tangwu(三彩堂屋), a miniature made in 8th Century, shows that they built a pond at the front of the building and placed big stones at the front of the mountain. In Genjo-sanzo-e(玄奘三蔵絵) painted in 13th Century in Japan, there is a big Taihu stone beside the pond built next to Xuanzang's father's house. It means it stared form Song - Dynasty to place the Taihu stones beside a pond.
著者
飛田 範夫
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.56-66, 1998-08-31
被引用文献数
1 1

庭園植栽は日本に庭園が誕生する以前の,人間と植物との長い歴史が存在していたから可能になったといえる。旧石器時代から樹木の幹・枝は薪,果実は食料となり,縄文時代には樹木の管理栽培が開始され,弥生時代には稲作・畑作や果樹栽培がなされている。古墳時代には薬草栽培・植林も行われていたであろう。こうした植物に対しての長い間の知識が,庭園植栽に応用されたわけである。飛鳥・奈良時代の海洋風景式庭園にはマツが多く植えられ,シダレヤナギ・ウメ・モモなどが愛好されている背景には,中国文化の影響がある。また,中国本草学の影響を受けて薬草栽培が盛んに行われ,薬用植物が次第に庭園に利用されるようになったことも見逃せない。
著者
飛田 範夫
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.62, no.5, pp.413-416, 1999-03-30
被引用文献数
2 4

『万葉集』によると奈良時代頃からウツギの生垣が作られ,絵巻物を見る限りでは平安・鎌倉時代には,下枝を切り落とした生きた樹木を植え並べた生垣が主流になっている。この生垣は枯れ枝や割り板を立てた垣根の代わりに,腐らない垣として作られたものと思われる。鎌倉時代頃から防犯のためにカラタチ・クコ・ウコギなどの刺がある樹木を使った生垣が現れ始め,室町時代から江戸時代前期にかけて流行している。北村援琴著『築山庭造伝』(1735年)の図に生垣的な刈り込みが描かれていることからすると,今日見られる刈り込み生垣は江戸中期頃から始まったものらしく,両手で使う刈込み鋏が出現したこととの関連性が考えられる。
著者
飛田 範夫
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.47, no.5, pp.49-54, 1984-05-31

摘要:作庭に関する江戸時代までの造園古書の書名,著者,成立年代及び内容等について調べた結果,少なくとも30種類程あることが判明した。最古のものはやはり『作庭記』だが,『山水並野形図』に続く『嵯峨流庭古法秘伝之書』には多くの異本があり,江戸時代の作庭書にも強い影響を与えているようである。江戸時代に於いては,それに対抗する説を唱えた『築山根元書』も重要であろう。『築山庭造伝(前 後)』のユ二ークさも見逃せないものである。
著者
飛田 範夫
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.64, no.5, pp.427-430, 2001-03-30

江戸時代の庭園に使われている庭石の販売経路,燈籠・蹲踞などの石造品の製作と販売経路については,不明な点が多い。大坂について史料を調べてみると,石材の運搬に便利なように西横堀と長堀,東横堀(松屋町筋)の堀割り沿いに,多くの石屋が分布していたことがわかる。庭石は各地の名石,石材としては御影石・竜山石・和泉石などが搬入され,原石あるいは加工品が再び各地に販売されている。高野山などに残存する石造品の刻銘からも,大坂の石屋の活動を知ることができる。賃金・労働時間・販売などについても問題は多かったが,既得の権利を守るために明和7年(1770)には,石問屋株仲間と切石屋株仲間が形成されている。