著者
小山 真人 鵜川 元雄
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2018年大会
巻号頁・発行日
2018-03-14

1987(昭和62)年8月20日の早朝、富士山頂で震度3の地震が発生し、その後も同月27日まで震度1~2の地震が3回続いた。これらの地震は山頂だけが有感であり、八合目付近の山小屋でも気づいた人はいなかった。遠方の高感度地震計の記録が不明瞭だったことから、山頂直下のごく浅い部分で発生したと考えられている。この地震を契機として山頂に初めて地震計が設置されたが、今日まで同様な地震は観測されていない。日誌などを遡っても例がなく、1933年以降で初めての事件であった(中禮ほか1987火山学会予稿集;神定ほか1988験震時報;鵜川ほか1989防災センター研報)。この地震は同年8月26日の各社の報道で大きく取り上げられ、火山活動との関係が取り沙汰されたが、噴火に結びつきそうな他の現象は起きなかったとされている。 現在の知識に照らすと、この地震の原因としてもっとも考えやすいのは山頂火口の陥没未遂である。過去たびたび噴火を起こした山頂火口下の火道内には空洞があって、重力的に不安定であろう。こうした火口の「栓」をなす岩石の一部が、時おり地下の空洞に崩落し、その際に小地震や火口底の陥没、場合によっては小さな噴火を伴うことが、他の火山で知られている。 裾野市立富士山資料館に展示されている山頂火口の古いジオラマに、「昭和62年8月頃 直径50m 深さ30m 陥没した」との丸い赤紙に書かれたメモが、陥没位置と思われる火口内壁に付されている。この真偽を調べるために、富士山資料館の元学芸員とジオラマを作成した職員(故人)の家族、当時の富士山測候所員、地震を受けて臨時観測に出かけた気象庁職員たちへの聞き取り調査、臨時観測の報告書ならびに測候所の気象観測日誌の確認を、富士山資料館と気象庁火山課の協力を得て実施した。また、地震前後に撮影された写真(気象庁職員、国土地理院、静岡新聞社、筆者撮影)とも照合した。それらの結果を以下に記す。(1)富士山資料館のジオラマ上のメモは、当時の富士山測候所の職員(名前不明)からの伝聞によって資料館職員が付したものらしい。(2)山頂火口内壁の同規模の円形の陥没が、地震後の写真(1988年3月と12月、1990年代)で確認できるが、地震前の写真(1986年9月と11月、1987年4月)にも認められる(1970年代の写真には確認できず)。また、その陥没位置は、ジオラマに表示された場所の近傍ではあるが若干異なる。なお、当時の観測項目中に地変がないため、観測日誌に陥没の記述はない(有感地震のみ欄外に記載)。2001年以降の写真に陥没は認められず、崩落で埋まったらしい。(3)上記陥没の存在は当時の複数の測候所員が認識しており、1982~84年頃の台風による大雨後に陥没したと記憶する職員もいるが、本当に大雨が原因かは不明とのこと。また、1987年地震後は火口内を注視していたが、際立った変化は確認できなかったとの談話もある。なお、地震当時の8月26日に山頂火口内の温度測定を実施した臨時観測の報告書には「特に高温な場所は発見できず、噴気等も全くなかった。また、大きな落石の跡も見当たらなかった」と記され、それに携わった職員の記憶にもない。以上のことから、山頂火口内壁の陥没は、1987年の山頂地震より前の1980年代なかばに発生したと判断できる。しかし、両者の発生時期が近いことから、原因が同一の疑いが残る。また、原因の如何にかかわらず、陥没の発生自体は山頂火口内壁ならびに火口底の不安定さの象徴とみなすべきであろう。現行の富士山の噴火警戒レベルは、レベル上げの際に2を使用せず、1から3に上げることになっている。気象庁によれば、レベル2は火口が特定できる場合に限っており、富士山では事前に火口が特定できないためと理由づけされている。かつて演者の1人は、住民に比べて対策の遅れがちな登山者のためにレベル2の使用を提案したが(小山2014科学)、その後の富士山火山広域避難計画対策編(2015年)ではレベル1を「レベル1(活火山に留意)」と「レベル1(情報収集体制)」の2つに分け、後者を登山者対策に使用することとなった。しかし、具体的な対策としては山小屋組合等への周知や入山規制実施の準備などとされ、登山者の避難や入山規制を義務づけてはいない。しかしながら、レベル2は本当に不要だろうか? 噴火前に火口が特定できる場合は本当にないのか? 地下からマグマが上昇して噴火に至るモデルにとらわれ過ぎていないか? 陥没や噴気の急激な復活など、噴火以外の現象の危険箇所が事前に特定できた場合はどうするのか? 上記の対策では事態の展開が速い場合に登山者の安全が十分確保できないのでは? などの疑問があり、レベル2問題は上記協議会での継続審議事項となっている。
著者
鵜川 元雄 藤田 英輔 熊谷 貞治
出版者
Tokyo Geographical Society
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.111, no.2, pp.277-286, 2002-04-25 (Released:2009-11-12)
参考文献数
13
被引用文献数
6 12

Continuous seismic observations at Iwo-jima, an active volcanic island belonging to the Izu-Ogasawara island arc, have detected remote triggering of microearthquakes in and around the island. The remote triggering at Iwo-jima is a phenomenon of an abrupt increase of microearthquake activity at the time of a passage of seismic waves from a distant large earthquake. We examined seismograms of a total of 21 earthquakes with magnitude larger than 7 and within an epicenter distance of 3000 km from Iwo-jima. Remote triggering phenomena were found at four events during the period from 1980 to 1993 : the 1983 west off Tohoku earthquake, the 1984 southeast off Kyushu earthquake, the 1993 southeast off Hokkaido earthquake, and the 1993 Mariana Island earthquake. The largest epicenter distance among them was 2009 km. The initial times of triggering coincide with the theoretical arrival times of surface waves and successive occurrences of earthquakes continued for 6 to 15 min, suggesting that dynamic stress or strain caused the remote triggering phenomena at Iwo-jima. As a well-developed hydrothermal system is suggested in shallow depths beneath Iwo-jima, volcanic fluids presumably play an important role in remote triggering.