著者
研谷 紀夫
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.108, pp.78-100, 2022-08-25 (Released:2022-09-25)
参考文献数
30

明治期に原田庄左衛門によって経営された出版社の博文堂は、東海散士の『佳人之奇遇』などを発刊したことで知られるが、明治20年代には業績が下降して1901(明治34)年に一旦廃業届を提出する。しかし、1908(明治41)年頃より庄左衛門の次男である油谷達が、大阪においてコロタイプなどを用いて高品質な古書画や古美術を出版する会社として再興し、中国の代表的な文化財の複製にも携わり、全国的にも再び知られるようになる。しかし、廃業から再興をまでの時期にあたる1902(明治35)年から1908年までの間においても写真や絵葉書に関する出版に携わっていたことは断片的に知られているものの、その活動の概要や、経営者が油谷達に交代し大阪に拠点を移転した時期などは詳らかではない。それに対して、近年原田家の子孫宅から発見された同社の控簿や発行された写真によって博文堂の1902年から1908年の活動の内容が明らかになりつつある。さらに控簿からは、博文堂が庄左衛門の弟で写真師でもある小川一眞の写真館の近隣に拠点を設け、小川と関連する写真を多数出版していることが判明し、小川が博文堂の再興に大きく関わっていることが明らかになった。本論では博文堂の1902年から1908年までの活動の経緯を、写真師小川一眞との関わりの中で詳らかにすることで、明治後期における写真出版事業の一端を明らかにする。
著者
辰已 知広
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.106, pp.98-119, 2021-07-25 (Released:2021-08-25)
参考文献数
34

森英恵は1954年より日活を筆頭に、複数の映画会社のために衣裳デザイン並びに製作を行い、映画産業に大きく貢献した。衣裳は照明や音楽と同様、製作において高い技術が求められるとともに、映画の印象を決定付ける重要な要素である。本稿は森の仕事に注目し、『憎いあンちくしょう』(蔵原惟繕監督、1962年)において浅丘ルリ子が着用した、森による衣裳を中心に作品分析を行う。その際、アーウィン・ゴッフマンが提唱した「行為と演技」の概念を手掛かりに、浅丘による登場人物の生成において、「演技」と衣裳が如何に密接に関わっているかを指摘する。1960年代前半における女性表象を概観すると、衣裳は女性性を強く打ち出すスタイルが中心であり、男女二項対立を前提とした物語世界に奉仕する役割を担っていた。一方『憎いあンちくしょう』では、男性も女性も「演技」を通じて自己の望むものへと向かって「行為」をしており、その意味が衣裳に込められた点において、アクション一辺倒であった日活の新基軸として評価できる。また、男性登場人物の分析に偏った先行研究とは異なり、自ら行動する浅丘が役を通じて規範からのずれを垣間見せる姿について、衣裳に加えてカメラワークからも把握することを試み、男性主人公に引けを取らない重層的な女性像を明らかにする。さらには浅丘のキャリアを振り返り、日活における女性表象の変遷と日本映画史との関わりを考察する。
著者
中村 紀彦
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.105, pp.27-45, 2021-01-25 (Released:2021-02-25)
参考文献数
33

タイの映画館では、作品上映前にタイ国王のプロパガンダ映像が上映される。それは国王がイメージの投影を通じて、国民国家を統御する構図に他ならない。映像作家アピチャッポン・ウィーラセタクンの長編映画作品『光りの墓』(Cemetery of Splendor, 2015)は、こうしたイメージの投影と国王および国家との親密な関係を暴露し、タイ映画史とそれを取り巻く政治を再構築するよう要請する。本論文の目的は、アピチャッポンの投影像を用いた実践やタイにおけるイメージの投影史を通じて、タイ映画と国王および国家の関係性を浮かび上がらせることにある。第一節では、タイ映画史におけるイメージの投影が「国家」や「国王」と緊密に結びつくことを確認する。この節の意義は、従来のタイ映画史を国王と映画の関係性から再構築する試みにある。第二節では、タイの地域学者トンチャイ・ウィニッチャクンの先行研究を参照しながら、タイ国家と国王による投影の統御をさらに歴史化する。地図とは国王のスクリーンである。国王はこのスクリーン上に実体のない仮想的な国土を投影するのである。第三節では、仮想的な王国を地図に描き出す国家統治の方策と、映画の投影が政治的に用いられた実例とを『光りの墓』に重ね合わせて分析する。最終的に、アピチャッポンがタイ映画史および投影の政治的関係性に批判的眼差しを投げかけていること、自らの投影像による諸実践を更新する過程が明らかとなる。
著者
森田 のり子
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.104, pp.198-218, 2020-07-25 (Released:2020-08-25)

本論はアジア・太平洋戦争期の日本において、それまで左翼思想を背景とした記録映画の表現方法に取り組んできた作り手らが、戦時国策プロパガンダの要請に対して自らの議論と製作実践をどのように変容させていったのかという問題を、「主観」的表現という論点に着目して考察するものである。具体的な対象として、当時国内最大のドキュメンタリー映像分野の国策映画製作会社であった、日本映画社の撮影技師・坂斎小一郎と演出家・桑野茂の両活動に照準する。まず、1940年代初頭までに記録映画の表現における「主観」「客観」の関係性をめぐる議論と実践が充実していたことを確認した上で、アジア・太平洋戦争期になると国民としての「主観」を持つ「戦記映画」が求められていったことを論じる。こうした状況のなかで、『陸軍航空戦記 ビルマ篇』(1943)の撮影を担った坂斎は戦地の現実に向き合うこと自体に積極的意義を見いだしたものの、完成作品はその認識とギャップを呈していた。一方、『基地の建設』(1943)の演出を担った桑野は、戦争当事者の立場で想定したような現実に対面できなかったことで、結果的に自らの認識を生かした作品を手がけることとなった。それぞれの条件の下で異なる展開をたどりながら、両者とも表現する主体としての「作家」であろうとする問題意識に基づき、自らの左翼思想によって培った「主観」と戦時国家に要請される「主観」とを接続しようと試みたことを明らかにする。
著者
長谷 憲一郎
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.104, pp.51-72, 2020-07-25 (Released:2020-08-25)

近代日本における染色業および紡績業の発展に尽力した稲畑勝太郎が、リュミエール兄弟と日本での独占契約を締結し、実施したシネマトグラフ事業とは、いったい何だったのだろうか。本稿は2017年に筆者が発掘した新資料稲畑勝太郎のリュミエール兄弟宛て書簡4通(1897年)によって新たに判明した五項目にフォーカスし分析した。事業の背景には映画装置の渡来直前の明治後期、古都京都において第四回内国勧業博覧会が開催され、博覧会やパノラマ館、幻燈興行といったスペクタクルが消費され、受容されていた環境があった。実業家の稲畑は、野村芳国と横田永之助のスクリーン・プラクティスに基づく視覚的実践の経験に着目し、映画興行および映画撮影を成功させるべく二人に協力を要請して彼らの経験を有効に活用した。リュミエール兄弟のサポートはもちろんのこと、彼らのような興行者の協力を得ることで、稲畑のシネマトグラフ事業は、映画が単なる映写機でも撮影機でもなく、現実世界を自動的に再創造し、イリュージョンを生み、時空間をも越えさせる装置であることを見事に示したのだ。本稿は、日本における映画前史と映画史を接続させたという点において、稲畑は日本映画史に極めて重要な役割を果たしたと結論づけた。
著者
Elise VOYAU
出版者
Japan Society of Image Arts and Sciences
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.104, pp.219-241, 2020-07-25 (Released:2020-08-25)

In the 1970s, Japanese photography underwent crucial changes, which allowed it to grow into a significant field in today’s global art scene. By comparing a major photographic series of the time——Fukase Masahisa’s “Ravens” (1976-1982)——and the activities of the Workshop School of Photography (1974-1976), this article suggests that these changes materialized around the concept of the original print, and the passage from the printed medium to the exhibition medium. From here this article particularly seeks to understand the theoretical context of the debates that these changes sparked in post 1968 Japan.
著者
金子 隆一
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.24-33, 1986-11-25 (Released:2017-06-30)
参考文献数
5

The problem at the heart of photographic expression through 1970s was essentiality of photography. “Mirrors and Windows” directed by John Szarkowski at MOMA in 1978 had a historical aspect on this problem. Two conceptions of photography – a mirror reflecting a portrait of the artist who made it and a window through which one might better know the world – show the principle of photography. There have been attempts of approach to contemporary photographic expression, one of which is “NEW PHOTOGRAPHICS” directed by William Jenkins at IMP/GHT in 1974. The photography of NEW TOPOGRAPHICS has something in common with neutral and objective attitude to the world. It must not be understood as a new trend of expression but as a tradition of American Landscape from the painters of Hudson River-school. Modern American landscape photography typified by Ansel Adams was deprived of entity in photographic description. But NEW TOPOGRAPHICS acquired new entity to return to classical landscape photography typified by Frontier Photographers like Timothy O’Sullivan. William Jenkins says, in the introduction of catalogue, that if “New Topographics” has a central purpose it is simply to postulate, at least for the time being, what it means to make a documentary photograph. NEW TOPOGRAPHICS presented an aspect of Landscape as Document.
著者
福島 可奈子
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.134-154, 2019

【要旨】<br> 玩具映画産業の実態とその多様性について、大正末から昭和15年頃までの玩具映画全盛期の業界大手6 社の業態とその傾向性の差異を、玩具映写機やフィルムなどの史料分析により実証的に論じる。<br> 玩具映画とは、戦前を中心に存在した子供用35㎜フィルムと家庭用映写機のことである。玩具映画ブランドには「ライオン」「ハグルマ」「孔雀」「キング」「朝日活動」「大毎キノグラフ」などがあるが、先行研究でブランド名などは知られていてもその業態は未解明であった。また玩具映画はフィルムの二次利用で映画産業の派生的領域をなしたが、従来各社の具体的相違についても未知であった。本稿は、系統学的方法から逸脱する短命メディアを「分散状態の空間」として「アルシーヴ化」するメディア考古学の視座から、東西玩具映画各社の流通・販売戦略を対比的に分析し、日本の映画産業の知られざる多様性の一端を明らかにする。なぜなら玩具映画は、劇場用映画を解体的に二次利用することで、映画の専門家ではなく、玩具会社や享受した子供までが映像を脱構築して無数のヴァリエーションを生み、他に例をみない拡がりをみせたからである。従来の映画史からすればそれは「断片」であり消滅した「雑多なもの」ではあるが、映像文化全体からみれば、日本の玩具映画とその産業形態のヴァリエーションはきわめて重要な存在であるといえる。
著者
田中 晋平
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.91, pp.44-62,86-87, 2013-11-25 (Released:2023-03-31)

This study, as part of examining the important legacy that director Shinji Somai (1948-2001) left to film history, considers the theme of community and individual which he developed in his films of the 1980s. As pointed out in previous studies, many of Somai’s films feature helpless characters such as “orphans,” who have no protectors nor place to go. What this study focuses on is their making various gestures repeatedly, such as singing or dancing, to establish a place for themselves. In Somai’s films, those helpless characters are frequently found singing or dancing, especially in adverse circumstances. These actions also help them form a temporary community with others in the same circumstances. In Typhoon Club (1985), junior high school boys and girls happen to be shut up in their school building during a typhoon, which leads to a temporary group of boys and girls. The legacy that Somai has left to us is explored by examining these groups or communities in his films, that is, the “communities of orphans.”
著者
森田 塁
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.106, pp.56-77, 2021-07-25 (Released:2021-08-25)
参考文献数
23

福原信三の写真論「写真の新使命」は、彼が創刊した雑誌『写真芸術』において、1922年の4月から9回に渡って掲載されたエッセイである。これはのちに多くの写真論を書くことになる福原が、初めて明確な目的のもとに書いた文章である。従来福原の写真論は、「光と其階調」という理念を提唱したことによって知られており、写真に写す対象を光の調子に還元する彼の写真作品の様式を説明する理論として理解されてきた。こうした先行研究に基づきながらも、本稿では福原の写真論を、写真を撮影する者が撮影行為における知覚のはたらきを記述したテクストとして解釈することを提示したい。そのために「写真の新使命」の精読を行う。第1節では、福原が「写真」と「芸術」をどのように関係づけたのかを明らかにする。第2節では、彼が自身の写真芸術にとって理想と考えた撮影行為を、「写真的知覚」の形成として考察する。第3節では、カメラを手にする者が到達すべきだと考えられた「主客合一境」という概念の意味を、西田幾多郎の哲学との関係において検討する。さらに以上の考察を踏まえて、福原の撮影行為における「即興」の必然性を明らかにする。結論として、この福原の写真論が、撮影行為における知覚の重要性という普遍的な問題を探究するテクストであることを論じる。
著者
趙 瑞
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.107, pp.5-17, 2022-02-25 (Released:2022-03-31)
参考文献数
3

映像表現におけるリアリティの問題は、古くて新しい問題である。1895年にリュミエール兄弟によって『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1895年)が上映された際、観客は驚いて映画館から逃げたという有名な逸話がある。これは写実性が現実の列車と結びつき、観客に映像のリアリティが伝達された結果であるといえる。しかし今日のリアリティの問題は、コンピュータグラフィックス技術により現実世界を再構築することから、非現実的な「虚構の写実」、「作家によって作られた写実」を追及することへとその軸が移っており、そこから先端映像技術や作家の創作意識を含めた、さまざまな検討すべき課題が新たに生まれている。本論文では、アニメーションにおけるリアリズムのアプローチについて、ダイナミクスアニメーション技術の応用とその表現力の視点から考察し、さらにアンドレ・バザンの映画理論を確認することで検討を行う。具体的には、アニメーションにおけるリアリズムの考え方について、ディズニーが1994年と2019年にそれぞれ制作した『ライオン・キング』を比較し、その問題を分析する。さらに、実験アニメーション作品『Ugly』(2017年)を取り上げ、作家の創作活動を確認していく。本論文の目的は、アニメーションにおけるコンピュータグラフィックス技術とその表現を考察することによって、アニメーション表現の変容を明らかにし、今後の創作活動の方向性を示すことである。
著者
雑賀 広海
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.49-68, 2019

【要旨】<br> 本論文は、ジャッキー・チェンの落下に注目する。先行研究では、危険なスタントを自ら実演することによって、身体の肉体的真正性が強調されるという側面が論じられてきた。しかし、『プロジェクトA』(1983)や『ポリス・ストーリー/香港国際警察』(1985)における落下スタントの反復は、むしろ真正な身体を記号的な身体に変換しようとしている。なぜなら、反復は身体が受ける苦痛を帳消しにする効果があるからだ。加えて、反復は物語の展開にとっては障害でしかない。こうしたことから、ジャッキー作品の反復は、スラップスティック・コメディのギャグと同様の機能を持ち、スタントをおこなう彼の身体は初期アニメーションの形象的演技へと接近していく。本論文は、ジャッキーと比較するために、ハロルド・ロイドやバスター・キートン、ディズニーの1920年代末から1940年代までの作品までを扱う。そして、アニメーションの身体性と空間についての議論や、スラップスティック・コメディにおけるギャグ論などを参照し、映像理論的に落下の表象を論じる。こうした作品分析をおこなうことで、ジャッキー・チェンの身体を肉体性から引きはがす。さらに、彼の映画では、身体だけではなく、まわりの空間までも非肉体的な形象に置き換えられていることを明らかにする。結論では、肉体性と形象性の境界を反復運動することが彼のスターイメージの特色であることを主張する。
著者
藤城 孝輔
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.108, pp.101-121, 2022-08-25 (Released:2022-09-25)
参考文献数
42

村上春樹作品への日本映画の影響はこれまで十分に論じられてこなかった。実際、両者の関係は決して明白とはいえない。先行研究が指摘するとおり、小説内での明示的な言及は『1Q84』(2009-10年)に黒澤明の『蜘蛛巣城』(1957年)と『隠し砦の三悪人』(1958年)が登場する程度である。エッセイや数少ない映画評で邦画が話題に上ることはあるものの、映画をテーマとするほぼ唯一の書籍といえる『映画をめぐる冒険』(川本三郎との共著、1985年)の中で日本映画が論じられることはない。本論文は村上が1980年から1981年にかけて雑誌『太陽』に連載していた映画評を手がかりに村上の小説『騎士団長殺し』(2017年)と鈴木清順のポスト日活時代の映画との間テクスト性を検討する。特に村上が「実像と幻影、真実と虚構、過去と現代を一体化させたその映像は息を呑むばかりに素晴らしい」と評したテレビ映画『木乃伊の恋』(1973年)が村上による「二世の縁」(1808年)の換骨奪胎に影響を与えたと本論文では推察する。村上が批評家として向き合った清順の映画が後年、思わぬかたちで村上のテクストに表出するまでの過程を『木乃伊の恋』およびその延長線上にある大正浪漫三部作(特に1991年の『夢二』)との比較を通して明らかにしたい。
著者
小倉 健太郎
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.105, pp.5-26, 2021

<p>日本のアニメを論じる際に、しばしば強調されてきたのが平面性だ。アニメの平面性を強調する議論は枚挙にいとまがない。こうした議論では、アニメの平面性はときに日本の伝統美術と結び付けられ、日本固有の性質とされる。日本文化研究者のトーマス・ラマールはこうした議論と距離を置きながらも、やはりアニメの平面性に着目している。彼はセル・アニメーション制作に用いられる撮影台に特有の多平面を層状に合成する構造を「アニメ・マシーン」とし、アニメ・マシーンによって生み出される運動を「アニメティズム」としている。アニメティズムという概念は、とりわけ美学的にアニメを分析する際にはしばしば言及される概念となっている。</p><p>しかし、彼がアニメティズムの例として挙げる大友克洋監督の『スチームボーイ』(2004)は、じつのところアニメ・マシーンとは異なる構造によって生み出されている。こうした構造の先行例としてはフライシャー・スタジオが用いた回転式撮影台を挙げることができる。本論は、回転式撮影台の構造が作り出す独自の映像をフライシャー的空間と定義し、それが日本のアニメにも現れていると主張する。フライシャー的空間は、アニメ・マシーンという議論に欠けているものを浮き彫りにする。平面性に囚われないアニメの可能性がそこには表れているのだ。</p>
著者
吉村 いづみ
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.103, pp.54-72, 2020-01-25 (Released:2020-02-25)

第一次世界大戦時、戦争の長期化と国内の士気の低下を危惧した戦時内閣は、国内のプロパガンダを担う新たな組織である戦争目的国家委員会を1917年8月に設立した。この組織が行った映画に関与する活動は二つあり、一つは、組織内の部局である集会部と情報庁が協力して行った屋外での巡回上映活動、もう一つは、他の行政機関や民間の映画会社と連携した宣伝映画の製作であった。戦時貯蓄国家委員会と連携し、キンセラ&モーガン社と製作したKincartoonsシリーズは、娯楽性の高いアニメーション映画で、国民に戦時貯蓄証書の購入方法や、それがもたらす未来をわかりやすく説明した。本稿の目的は、戦争目的国家委員会が演説などで用いた宣伝方針とKincartoonsシリーズがどのように対応しているかを考察することである。キンセラ&モーガン社についての資料は殆ど残っていないが、Kincartoonsシリーズに共通する物語形式やキャラクターを注意深く分析した結果、そのメッセージは委員会が発行した印刷物やスピーチで用いられた宣伝方針に則していることがわかった。印刷物やスピーチで用いられた愛国心のレトリックは、物語形式やキャラクター、アニメーションや童謡の混合といった表現方法によって言語からイメージに変換されている。Kincartoonsシリーズは、わかりやすいメッセージによって、あらゆる世代の観客に受け入れられたと推察できる。