著者
鷲谷 花
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.5-26, 2016-07-25 (Released:2016-08-19)
参考文献数
39

【要旨】日本炭鉱労働組合(炭労)は、1950 年代を中心とする労働組合による幻灯の自主製作・自主上映運動において、主導的な役割を担ってきた。炭労は傘下の組合による労働争議を記録・宣伝する一連の幻灯のほか、炭鉱労働者の文化サークル運動の中で創作された上野英信文・千田梅二画の「えばなし」2 作を幻灯化している。本稿は、炭労が製作した上野・千田の「えばなし」を原作とする幻灯のうち、1956 年の『せんぷりせんじが笑った!』に注目し、炭労の機関紙『炭労新聞』の調査及び、幻灯の撮影を担当した菊池利夫、美術を担当した勢満雄のそれぞれの遺族に対する聞き取り調査を通じて、従来ほとんど知られてこなかった本作の成立プロセスを解明する。菊池、勢は、いずれも満洲映画協会(満映)から東北電影公司・東北電影製片廠(東影)に至るキャリアを経て、1953 年に中国大陸から日本に引き揚げ、その後日本映画界に迎え入れられることのなかった元映画技術者だった。幻灯版『せんぷりせんじが笑った!』は、精巧に造型されたミニチュアセットと人形を撮影することで、原作の苛酷な坑内労働の情景をリアルに映像化しつつ、当時の炭労が求めた「大衆闘争」への能動的参加を観客に促すナラティヴを、原作とはまた異なる形で実現している。そうしたイメージとナラティヴは、作り手たちの中国大陸における創作及び生活体験を通じて形成されたものでもあり、本作は1950 年代の中国-日本の映像文化交流の知られざる重要な成果といえる。
著者
紙屋 牧子
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.110, pp.59-82, 2023-08-25 (Released:2023-09-25)
参考文献数
65

本論は1915年の映画『五郎正宗孝子伝』をめぐるテクストとコンテクストを起点として、明治末期から大正期初期の大衆文化におけるサディズム/マゾヒズムの表象について考察するものである。まず1節では、現存フィルムと関連資料を手がかりにして『五郎正宗孝子伝』の封切当時と再上映時の上映空間の実態を歴史化することを試みた。そのうえで2節・3節では、『五郎正宗孝子伝』における「継子いじめ」の場面を考察し、それが日清・日露戦争前後の大衆文化におけるサディズム/マゾヒズムの表象の流行を反映したものであることを間テクスト的に明らかにした。また、サディズム/マゾヒズムの表象にある植民地主義的な発想やミソジニーを指摘し、そのうえで『五郎正宗孝子伝』における五郎正宗の姿を国民国家形成期の帝国日本のイメージとして読み解いた。更に、サディズム/マゾヒズムの表象において行使される暴力の矛先となる女性が、その暴力を観賞する側になった場合の問題を、近年のジェンダー・ポリティクスの観点から検討し直し、女性観客にとってそれらの暴力的な表象が(男性観客同様に)娯楽としても享受し得ることを指摘した。結論ではサディズム/マゾヒズムの表象を「メロドラマ」の概念を導入して再検討することを今後の課題として提起した。
著者
田中 晋平
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.104, pp.158-178, 2020-07-25 (Released:2020-08-25)

本論は、小川プロダクションによる映画『どっこい!人間節 寿・自由労働者の街』(1975年)の上映活動がどのように展開されたのかを検討する。1960年代末から成田空港建設反対闘争の現場となった三里塚を記録してきた小川プロが、次に映画撮影に選んだ空間が東京の山谷、大阪の釜ヶ崎と並ぶ日本三大寄せ場と呼ばれた横浜・寿町だった。小川プロのスタッフは、寿町に住み込み、日雇労働者らのインタビューを行い、失業者たちが無事に冬を越すため、寝る場所や炊き出しを確保する「越冬」の様子などを記録した。『どっこい!人間節』の上映の詳細については、公開当時に小川プロが発行していた『小川プロニュース』などの資料に基づき、調査を進めた。本作は、その上映を介して、不況下の寿町における厳しい現実を各地域に伝え、野宿者への新たな支援運動を生むなど、メディアとしての役割を担ったといえる。また会場は祝祭空間のように演出され、上映だけでなく、寿町の住人を撮影した写真の展示、映画に登場するミュージシャンの演奏も行われた。ただ、公開時における上映の方向性も要因となり、『どっこい!人間節』が記録した寿町の住人たちの生の形式に、これまで議論が及ぼされてこなかったのではないかという問題提起も本論では行う。
著者
舘 かほる
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.106, pp.78-97, 2021-07-25 (Released:2021-08-25)
参考文献数
28

本稿の目的は、日本の人類学において最初期に写真を使用した人類学者、鳥居龍蔵によるアイヌの写真表象の特性を明らかにすることである。本稿で扱う対象は、鳥居が1899年に行った調査で撮影した千島アイヌの写真である。これまでの、鳥居の写真によるアイヌ表象に対する解釈は、帝国主義を示すものであるとする批判的解釈と、被写体に対する配慮を強調する肯定的解釈に二極化していた。そこで筆者は、鳥居の写真の詳細な意味を明らかにするために、資料の分析を行った。鳥居による人類学の成果物を調査すると、1903年に出版された書籍『千島アイヌ』の写真図版で、特徴的な掲載方法が見つかった。人類学調査のために撮影された写真が、肖像写真に使用される様式に縁取られて掲載されていたのである。肖像写真には抑圧と称賛というふたつの機能があることは、写真研究者のアラン・セクーラが「身体とアーカイヴ」で明らかにした通りである。セクーラの理論を参照するならば、この写真図版は、抑圧的機能を備えた写真が、称賛的機能を持つ縁に囲まれている状態なのである。この写真図版で示される、被写体への両義的な態度は、社会学者の小熊英二が「有色の帝国」と表した、日本の帝国主義における植民地支配のあり方を強く反映している。本稿の結論は、この写真資料が表す抑圧と称賛の両義性こそが、鳥居の写真におけるアイヌ表象のひとつの側面であるということである。
著者
田口 仁
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.109, pp.5-26, 2023-02-25 (Released:2023-03-25)
参考文献数
34

足立正生を中心に製作された映画『略称・連続射殺魔』(1969年)は、連続射殺事件の犯人として逮捕された少年永山則夫のドキュメンタリー映画である。『略称・連続射殺魔』は一般に松田政男を主唱者とする「風景論」と一対のものとして考えられ、同作を扱うほぼ全ての論考において、映画は「風景論」の絵解きとして解釈されてきた。だが、「風景論」は映画の製作について手法を指示するものではなく、映画にその理念が実現されていたとすれば、同作が製作から5年もの間封印されたことの理由にも疑問が残る。本稿では、この映画について作品の実態に即したカット分析と同時代の文化史的な文脈を参照した分析を行うことでその特質を明らかにし、60年代の制度批判的芸術表現総体との関連において位置づけ直すことを試みる。まず第一節では議論の前提となる「風景論」の左派運動的制度批判と永山則夫の人生物語との関係を整理し、次いで第二節では「風景論」を映画に反映的に読みこむ既存の解釈と対照してショット分析を示すことで、映画が実際には永山の個人性に寄り添うナラティヴを展開していたことを明らかにする。最後に第三節では、足立の実験映画作家としてのキャリアと赤瀬川原平を中心とした人的交流から、『略称・連続射殺魔』の封印の理由を分析し、同作をエクスパンデッド・シネマとして解釈することで、むしろこの封印の行為こそが「風景論」の左派芸術運動的な側面の表現であったことを示す。
著者
小倉 健太郎
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.105, pp.5-26, 2021-01-25 (Released:2021-02-25)
参考文献数
19

日本のアニメを論じる際に、しばしば強調されてきたのが平面性だ。アニメの平面性を強調する議論は枚挙にいとまがない。こうした議論では、アニメの平面性はときに日本の伝統美術と結び付けられ、日本固有の性質とされる。日本文化研究者のトーマス・ラマールはこうした議論と距離を置きながらも、やはりアニメの平面性に着目している。彼はセル・アニメーション制作に用いられる撮影台に特有の多平面を層状に合成する構造を「アニメ・マシーン」とし、アニメ・マシーンによって生み出される運動を「アニメティズム」としている。アニメティズムという概念は、とりわけ美学的にアニメを分析する際にはしばしば言及される概念となっている。しかし、彼がアニメティズムの例として挙げる大友克洋監督の『スチームボーイ』(2004)は、じつのところアニメ・マシーンとは異なる構造によって生み出されている。こうした構造の先行例としてはフライシャー・スタジオが用いた回転式撮影台を挙げることができる。本論は、回転式撮影台の構造が作り出す独自の映像をフライシャー的空間と定義し、それが日本のアニメにも現れていると主張する。フライシャー的空間は、アニメ・マシーンという議論に欠けているものを浮き彫りにする。平面性に囚われないアニメの可能性がそこには表れているのだ。
著者
福島 可奈子
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.134-154, 2019-01-25 (Released:2019-06-25)
参考文献数
40

【要旨】 玩具映画産業の実態とその多様性について、大正末から昭和15年頃までの玩具映画全盛期の業界大手6 社の業態とその傾向性の差異を、玩具映写機やフィルムなどの史料分析により実証的に論じる。 玩具映画とは、戦前を中心に存在した子供用35㎜フィルムと家庭用映写機のことである。玩具映画ブランドには「ライオン」「ハグルマ」「孔雀」「キング」「朝日活動」「大毎キノグラフ」などがあるが、先行研究でブランド名などは知られていてもその業態は未解明であった。また玩具映画はフィルムの二次利用で映画産業の派生的領域をなしたが、従来各社の具体的相違についても未知であった。本稿は、系統学的方法から逸脱する短命メディアを「分散状態の空間」として「アルシーヴ化」するメディア考古学の視座から、東西玩具映画各社の流通・販売戦略を対比的に分析し、日本の映画産業の知られざる多様性の一端を明らかにする。なぜなら玩具映画は、劇場用映画を解体的に二次利用することで、映画の専門家ではなく、玩具会社や享受した子供までが映像を脱構築して無数のヴァリエーションを生み、他に例をみない拡がりをみせたからである。従来の映画史からすればそれは「断片」であり消滅した「雑多なもの」ではあるが、映像文化全体からみれば、日本の玩具映画とその産業形態のヴァリエーションはきわめて重要な存在であるといえる。
著者
雑賀 広海
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.49-68, 2019-01-25 (Released:2019-06-25)
参考文献数
21

【要旨】 本論文は、ジャッキー・チェンの落下に注目する。先行研究では、危険なスタントを自ら実演することによって、身体の肉体的真正性が強調されるという側面が論じられてきた。しかし、『プロジェクトA』(1983)や『ポリス・ストーリー/香港国際警察』(1985)における落下スタントの反復は、むしろ真正な身体を記号的な身体に変換しようとしている。なぜなら、反復は身体が受ける苦痛を帳消しにする効果があるからだ。加えて、反復は物語の展開にとっては障害でしかない。こうしたことから、ジャッキー作品の反復は、スラップスティック・コメディのギャグと同様の機能を持ち、スタントをおこなう彼の身体は初期アニメーションの形象的演技へと接近していく。本論文は、ジャッキーと比較するために、ハロルド・ロイドやバスター・キートン、ディズニーの1920年代末から1940年代までの作品までを扱う。そして、アニメーションの身体性と空間についての議論や、スラップスティック・コメディにおけるギャグ論などを参照し、映像理論的に落下の表象を論じる。こうした作品分析をおこなうことで、ジャッキー・チェンの身体を肉体性から引きはがす。さらに、彼の映画では、身体だけではなく、まわりの空間までも非肉体的な形象に置き換えられていることを明らかにする。結論では、肉体性と形象性の境界を反復運動することが彼のスターイメージの特色であることを主張する。
著者
原田 麻衣
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.108, pp.164-182, 2022-08-25 (Released:2022-09-25)
参考文献数
25

フランソワ・トリュフォーのキャリアは映画と文学の横断について思考するところから始まった。批評家として論考「フランス映画のある種の傾向」を発表し、当時のアダプテーション作品を批判したトリュフォーは、その3年後に初監督作『あこがれ』でモーリス・ポンスによる『悪童たち』の翻案に挑戦する。そしてその1年後、論考「映画における文学の翻案」でレーモン・ラディゲの同名小説を原作としたクロード・オータン=ララ『肉体の悪魔』を取り上げ、改めてアダプテーションの問題にアプローチしている。これら二つの翻案論と『あこがれ』からわかるのは、トリュフォーが一人称回想小説の翻案に関心を持っていたということである。本稿では、『あこがれ』における奇妙な語り手——「一人称の特定できない語り手」——について、一人称回想形式の翻案という観点から考察する。まずは二つの翻案論を参照しながらトリュフォーの主張した「正当なアダプテーション」の内実を明らかにする(第1節)。次に文学と映画における回想する一人称の語り手について整理し、『あこがれ』での語り手の位置を確認する(第2節)。最後に、『あこがれ』では、特定できない語り手を置くことによって、小説に備わる「私たち」語りを可能にしていると論じる(第3節)。『あこがれ』でなされた文学作品の映画的変換を「語り」に注目して明らかにすることが本稿の目的である。
著者
河野 真理江
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.104, pp.73-94, 2020

<p>本論文は、日本における「メロドラマ」の概念を探求する。「メロドラマ」は、"melodrama"の旧来からの翻訳語であるが、フィルム・スタディーズにおけるメロドラマ概念の浸透によって、現在その意味は曖昧になっている。そもそも"melodrama"がいつ日本語文脈に受容されたのかは明らかになっていない。メロドラマ映画にかんする先行研究を踏まえつつ、この「メロドラマ」の実態を明らかにすることが本論文の目的である。</p><p>"melodrama"の日本語文脈への導入は、1870年代の翻訳辞典に始まり、当初はしばしば「歌舞伎」と訳されていた。1880年代には洋行者たちが「メロドラマ」の観劇体験を報告するようになり、1910年代にその知識は演劇関連の学術書に応用された。1920年代、メロドラマの言説は、映画にかんするものに集中していき、この言葉の意味は地域言語的なものへと変容していく。1930年代には、「メロドラマ」は通俗的、感傷的な劇を指す言葉となり、女性映画を含む日本映画のジャンルの一つとしても理解されていった。</p><p>主な論点は以下の二点である。</p><p>1. メロドラマと日本文化との出会いは、19世紀後半に位置する。</p><p>2. 日本における「メロドラマ」はその固有性ばかりでなく、メロドラマ概念の普遍性を実証する。</p>
著者
木原 圭翔
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.97, pp.24-43, 2017-01-25 (Released:2017-03-03)
参考文献数
36

【要旨】 リンダ・ウィリアムズが2000年に発表した「規律訓練と楽しみ――『サイコ』とポストモダン映画(“Discipline and Fun: Psycho and Postmodern Cinema”)」は、ミシェル・フーコーによる「規律訓練(discipline)」の概念を援用しながら『サイコ』(Psycho, 1960)における観客の身体反応の意義を考察した画期的な論考であり、同作品の研究に新たな一石を投じた。ウィリアムズによれば、公開当時の観客はヒッチコックが定めた「途中入場禁止」という独自のルールに自発的に従うことで物語に対する期待を高め、結果的にこの映画がもたらす恐怖を「楽しみ(fun)」として享受していた。 しかし、『サイコ』の要である「シャワーシーン」に対しては、怒りや拒絶などといった否定的な反応も数多く証言されているように、その衝撃の度合いや効果の実態については、さらに綿密な検証を行っていく必要がある。本稿はこうした前提の下、シャワーシーンの衝撃を生み出した複数の要因のうち、従来そうした観点からは着目されてこなかったヒッチコックのテレビ番組『ヒッチコック劇場』(Alfred Hitchcock Presents, 1955-62)が果たした役割について論じていく。これにより、先行研究においては漠然と結びつけられていた『サイコ』と『ヒッチコック劇場』の関係を、視聴者/観客の視点からより厳密に捉え直すとともに、シャワーシーンの衝撃に大きく貢献した『サイコ』の宣伝手法(予告編、新聞広告)の意義をあらためて明確にすることが本稿の目的である。
著者
入倉 友紀
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.108, pp.144-163, 2022-08-25 (Released:2022-09-25)
参考文献数
37

1925年に女優として松竹に入社した松井千枝子は、同社のスターとして人気を博す一方で、自身の二つの主演作で原作脚色を務め、脚本家としても活動した。本論考では、松井のこのような異例の活躍が、なぜ初期の松竹蒲田において可能であったのか、またその中で彼女はどのように女優としてのペルソナを獲得し、そのイメージを活用しながら脚本家としてのキャリアを形成したかを論じる。第1節では、松井が在籍した松竹蒲田撮影所の体制に着目する。1924年に同撮影所の所長に就任した城戸四郎は、脚本部の充実を図ることで、若手が積極的に議論する場を作り上げた。また、松竹では新たな現代劇の製作を模索する一方で、従来の新派悲劇的題材も脈々と受け継がれ、松井はここに女優そして脚本家としての活躍の場を見出していく。第2節では、スター女優としての松井千枝子に着目する。彼女は「第二の栗島すみ子」として人気を確立し、運命に翻弄される可憐なヒロインを得意とした。同時に、高等女学校卒で様々な芸術に通じているという当時の映画女優としては珍しい教養の高さも注目され、独自のペルソナを形成していく。第3節では、脚本家としての松井の活動を追う。松井の死後編纂された遺稿集に収録された「シナリオ」の分析を通して、彼女の描いた物語は、新派悲劇的な題材が強く引き継がれたことを示すと同時に、松井独自の世界観が表現されていることを明らかにする。
著者
小倉 健太郎
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.5-26, 2019-01-25 (Released:2019-06-25)
参考文献数
39

【要旨】 1943年に公開された『桃太郎の海鷲』は、海軍省が後援となり真珠湾攻撃をモチーフとして制作された国策アニメーションである。演出は、当時代表的なアニメーターのひとりと見なされていた瀬尾光世が務めた。同じ瀬尾による1945年公開の『桃太郎 海の神兵』は長らく幻の作品とされていたが、1984年に倉庫から発見され話題を呼んだ。近年、この作品の研究が進み、アニメの「ルーツ」として重要な作品と見なされるようになっている。一方、『桃太郎の海鷲』については比較的に研究が進んでいない。しかしながら、『桃太郎 海の神兵』は明らかに『桃太郎の海鷲』の延長線上に作られた作品である。日本アニメーション史において『桃太郎の海鷲』はどう位置づけられるだろうか。 本稿では、瀬尾の「桃太郎」作品が当時の「漫画映画」という概念を拡張しようとする一貫した試みであったと主張する。まず『桃太郎の海鷲』では、「文化映画」の要素が取り入れられた。報道写真やニュース映像などが参考にされ、兵士たちの日常に焦点が合わされ、映画的手法も用いられている。このことは、漫画映画がどのようなものであるべきかという評者それぞれの意見の相違を顕在化させた。さらに『海の神兵』では、漫画の滑稽さとは相反する暴力描写や悲劇が導入されている。瀬尾は、それまでの漫画映画ではほとんど用いられなかった非漫画的な要素を取り入れることで、漫画映画という概念を拡張しようとしたのだ。