著者
長谷 正人
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.615-633, 2006-12-31 (Released:2010-04-23)
参考文献数
67
被引用文献数
1 1
著者
長谷 正人
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.124-138,150-51, 1994-11-25 (Released:2019-07-25)
参考文献数
17

In 1917 the Metropolitan Police Board enforced "Regulations of the Moving Picture Exhibitions" in Tokyo. But these regulations are very strange in our point of view. Because they didn't attach importance to the censorship which is usually a means of repression by the police. Why didn't they so?  First because the exhibition of moving pictures still retained the quality of a live preformance. For example, it was accompanied by a lecturer (benshi)'s performance and a live music performnce. This fact made it nonsense for the police to censor films. For a film changed its meaning at every projection. So the police disciplined lecturers and inhibited the chained play (which is a special form of exhibition combining play with movies) instead of censoring films.  Second because spectators in that era made an indecent atmosphere in a movie theater. So they didn't devote themselves to a film. They also entertained an indecent atomospher. This made it nonsence for the police to censor films, too. For spectators received an excessive meaning from this atomosphere.  So the censorship can have an effect only after modernizing the communication in movie theaters. This was impossible in that era.
著者
長谷 正人
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.124-138,150-51, 1994

<p>  In 1917 the Metropolitan Police Board enforced "Regulations of the Moving Picture Exhibitions" in Tokyo. But these regulations are very strange in our point of view. Because they didn't attach importance to the censorship which is usually a means of repression by the police. Why didn't they so?</p><p>  First because the exhibition of moving pictures still retained the quality of a live preformance. For example, it was accompanied by a lecturer (benshi)'s performance and a live music performnce. This fact made it nonsense for the police to censor films. For a film changed its meaning at every projection. So the police disciplined lecturers and inhibited the chained play (which is a special form of exhibition combining play with movies) instead of censoring films.</p><p>  Second because spectators in that era made an indecent atmosphere in a movie theater. So they didn't devote themselves to a film. They also entertained an indecent atomospher. This made it nonsence for the police to censor films, too. For spectators received an excessive meaning from this atomosphere.</p><p>  So the censorship can have an effect only after modernizing the communication in movie theaters. This was impossible in that era.</p>
著者
長谷 正人
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.40, no.3, pp.310-324, 1989-12-31 (Released:2010-05-07)
参考文献数
38
被引用文献数
1 1

ダブル・バインドは、日常的コミュニヶーションに現れる論理的パラドックスの問題として哲学的に考察されてきた、しかし、ダブル・バインドは同時に関係性とシステムについての問題でもある。このパースペクティヴからみたとき、ダプル・バインドは社会学的問題となる。システム論からみたダブル・バインド状況は次のようなものである。システムのあるレベルでポジティヴ・フィードバックが起こり、システムに変化の可能性が生じている。それにもかかわらず、もう一つ上のレベルでネガティヴ・フィードバックが起こり変化への動きを内に孕んだままシステムは安定してしまうのである。このようなダブル・バインド状況からの解放は、ポジティヴ・フィードバックに対する抑制を解き、システム全体にポジティヴ・フィードバックを引き起こすことになる。ダプル・バインドへのこのようなアプローチは、社会システムが硬直化した秩序状態にあるとき、これをどう変化させればよいか、という問題にも示唆を与えるだろう。
著者
長谷 正人
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2002

近年流行のドキュメンタリーバラエティ番組(アメリカでいうリアリティTV)は、「出演者」という問題を前景化したテレビ番組である。これが本研究のとりあえずの結論である。70年代までのテレビ番組は、「製作者」のものであった。いかに優れた番組が作られるかが人々にとって論じるべきことであり、出演者や視聴者は二次的な問題にすぎなかった。それに対して80年代に前景化されたのが「視聴者」の問題だった。「スチュワーデス物語」に代表されるように、製作者の意図とは距離を置いたところで、「視聴者」が解釈することによって番組のありようが決定される。そのような製作者と視聴者の微妙なずれでゲームが行われたのが80年代のテレビバラエティだった。これらに対して、『未来日記』や『あいのり』に代表される近年のドキュメンタリーバラエティ番組は、製作者の意図とも、視聴者の解釈とも違うところで、出演者がどのような役割を果たしているかが実験的に探求されたのである。メッセージの透明な伝達者ではなく、製作者の意図とも視聴者の欲望ともずれた不透明な身体を持った出演者。それはスターともアイドルともまったくちがう様態で私たちの社会に現れただろう。たとえば80年代のアイドルから90年代以降の女子アナへとテレビの主役が変わったことは、その典型的な徴候である。その出演者の不透明な身体からメディア社会の自閉性の向こう側を見通そうとしたのが、これらの番組だろう。しかしその自閉性は崩されないまま、テレビのシステムが出演者さえも飲み込んでしまったのが現代の状況である。
著者
多木 浩二 田中 日佐夫 川端 香男里 長谷 正人 佐藤 和夫 若桑 みどり 大室 幹雄
出版者
千葉大学
雑誌
総合研究(A)
巻号頁・発行日
1992

20世紀の政治的歴史のなかで最も特筆すべき経験は、それが人類にもたらしたはかり知れない災いから言っても、「全体主義」であると言えよう。全体主義は、近代化の進展による共同体的統合の喪失のなかでクリティカルな問題として現れた、政治的形態(国家)と社会形態(大衆の生活意識)の不一致を解決しようとする企てであった。つまり全体主義は「国家と社会の完全な同一性」と定義される。われわれは、この全体主義をこれまでの研究のように政治体制として扱うのではなく、政治文化として扱うことを試みた。言わばそれは、全体主義を支配体制(国家)の側からではなく、その支配体制に組み込まれた大衆の意識、無意識の側から究明することである。われわれはそれを、思弁的に探究するというより、個々の状況(ナチズム、ファシズム、スターリニズム、天皇制)における個々の芸術やイメージ文化(建築、大衆雑誌、映画等)の分析を通じて検討する方法を選んだ。つまり全体主義のなかで、いかなる芸術形式が可能であったか、いかなる排除や、強制、いかなる迎合や利用が行われたかを細部に渡って眺めてみたのである。その結果は、個々に多様であるので、全体としての結論をここに書くことはできないが、しかし次のような共通の認識を得ることができた。つまり、全体主義文化の問題は、両大戦間期に発生したいくつかの政治体制にのみ当てはまる問題ではなく、近代の政治体制と文化との間につねに横たわっている問題だということである。例えば、ニューディール体制下の芸術家救済政策(WPA/FAP)を見ればわかるように、民主主義国家においてもある状況のなかでは芸術に社会性が要求され、おのずとイデオロギーを共有することが起きたのである。こうしてわれわれの研究は、近代社会の歴史をイメージ文化の側から探究するような、裾野の広い政治文化史の問題へと展開していくことを予感させることになった。
著者
長谷 正人
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

山田太一のさまざまな作品を映像作品として見直し、さらに山田太一氏本人や関係者へのインタビューも行って、70年代から80年代にかけての日本のテレビドラマがどのようにしてポストモダン的なイメージ社会を準備し、そしていかにそれを「後衛」の視点から批判したかを明らかにした。
著者
小川 博司 石田 佐恵子 長谷 正人 川崎 賢一 河原 和枝 遠藤 知巳 岡田 朋之
出版者
関西大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1998

近年、現代メディアを取り巻く文化は、世界的な広がりを見せ、急速に変化している。だが、日本においては、その文化の具体的なありようや展開、日常生活に及ぼす影響などは十分に明らかになってはいない。本研究は、「クイズ形式の文化とその歴史的な変化から見る現代生活の諸相」に焦点を当て、メディア社会における文化のありようを明らかにしようとしたものである。本研究の目的は大きく分けて3つある。第1に、歴史社会学的観点からクイズ形式の文化が社会の中にどのように出現し、広がっていったかを明らかにすることである。第2に、歴史的な観点から描き出されたクイズ番組の変遷、クイズ文化の浸透に並行して、人々の日常生活における知識や情報のあり方の変化を明らかにすることである。第3に、アメリカ文化の強い影響を受けて導入されたクイズ形式の文化が、当初の輸入物の文化のありようを越えて、日本文化の一部として定着する際に、どのような形で加工され、「日本文化」化されたのか、明らかにすることである。具体的な作業としては、ラジオ時代のクイズ番組、テレビ時代のクイズ番組のデータを収集しデータベース化するとともに、クイズ番組関係者からのヒヤリングを行った。それらと並行して、アメリカ合衆国における「クイズショー・スキャンダル」についての検討、日本のクイズ文化について専門家からのヒヤリングなど、クイズ文化の歴史をどのように見るかの検討を積み重ねた。ここから、「高度情報社会」と呼ばれる現代の日常生活における知識や情報のおかれた意味について明らかにする、さまざまな知見が得られた。