著者
角岡 賢一
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.169-189, 2008-01

この小論では、仏教語彙が本来の教義を離れて意味が一般化した過程を語彙誌的に跡付ける試みを行う。まず直近20年間の新聞記事をデータベースによって検索し、共時的視点から分析を行う。次に時代を遡り、本来の意味から逸脱し始めたのがどの時代であったかを探る。検証の対象としたのは、次の八語彙である。他力本願、お題目、一蓮托生、億劫、極楽浄土、唯我独尊、後生大事、〓啄同時各語彙が新聞記事でどのように用いられているかによって、仏教語彙本来の意味であるか一般化した意味かに分類した。その比率の比較は、語彙項目毎に大きな偏りがあった。「極楽浄土、〓啄同時」の二語は九割以上という高率で本来意味での記事が見られた。それ以外の六語はいずれも、この比率が一割未満であるという極端な偏りが見られた。
著者
西山 龍吉
出版者
龍谷大学龍谷紀要編集会
雑誌
竜谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.31, no.1, pp.79-121, 2009-09
著者
市村 卓彦
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.27, no.2, pp.79-89, 2006-01-31

ナチドイツに占領併合されたドイツ国境のフランス・アルザス地方の劇作家ジェルマン・ジャン=ピエール・ミュレールはアルザスの現代文学史に名をとどめるだろう。ナチドイツから解放された直後のアルザスで劇団『バラブリ』を創設し,以後40年間演劇シーズンを送り,観客動員数4万人以上を数えている。彼の活動の歴史はアルザス人にとってきわめて意義深い。戦後のアルザス人のコンプレクスの抑圧を解放し,そのアイデンティティーを再発見させたからである。本稿はこの劇作家・俳優としてアルザス文学史に名を止めたジェルマン・ミュレールについて取り上げたい。1933年1月30日,政権を掌握したヒトラーはナチドイツの一党独裁を確立し,兵役義務制の復活と再軍備を宣言し,軍備を拡充するとともに,自給自足の「生活圏」を建設しようと,猛烈な侵略政策に出た。1939年6月15日,ナチドイツは宣戦布告なくポーランドに侵攻した。これに対してフランスとイギリスはドイツに宣戦を布告,ここに第二次世界大戦が始まった。ドイツ軍はポーランドを3週間で圧倒した。さらに1940年5月10日,西部戦線で大攻勢に成功し,北フランスからパリに殺到,6月14日,早くもパリは陥落した。フランス政府は休戦派が17日,ヴェルダンの英雄フィリップ・ペタンを首相とする内閣を組閣,6月22日,ペタン政府はドイツと休戦協定を結んだ。このほぼ同時期の1940年6月15日朝,ドイツ軍はアルザスに侵攻を開始,特に大きな反撃を受けることもなく6月19日午前,ストラスブールに無血入城した。その後ドイツ軍は撤退せず,事実上,アルザスを第三帝国の地方行政組織であるバーデン=アルザス大管区に併合した。こうしてアルザスはナチドイツの占領支配のもとに置かれ自由を剥奪され魂の死を強要された。1942年8月25日はアルザス人にとって第二次世界大戦下で最悪の悲劇の日となった。この日ナチドイツは,占領下の他国民を占領軍に強制徴募することを禁じたハーグ条約を公然とふみにじってアルザスに国防軍兵役義務制を導入したからである。開戦時フランス軍の軍服を着用して前線に向かったアルザス人将兵は,今度は強制的にドイツ国防軍に徴兵されることになったのである。アルザスは1945年3月19日,連合国軍によって完全に解放され,フランスに復帰したが,ミュレールはアルザス解放後の1946年12月14日,劇団『バラブリ』を結成した。この劇団はアルザス人の戦時下のコンプレクスから解放させ,アルザス人のアイデンティティーを再発見させるのに大いに寄与したのである。ミュレールの作品はアルザス語で書かれたことによって,アルザス人の鏡の役割を果たしたといわれる。アルザス語とアルザス文化を顕揚する独自な活動を行なった。ミュレールの作品は歴史に翻弄されるアルザス人の欝屈した状況をユーモアをこめ,共感をもって描いた。バラブリは以後1988年まで40年間にわたって芸術的喜びを提供したのである。
著者
岡田 典之
出版者
龍谷大学龍谷紀要編集会
雑誌
龍谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.34, no.2, pp.1-20, 2013-03

本稿では、十七世紀中頃に著作活動を行った錬金術師トマス・ヴォーンの主要な著作を概観し、錬金術思想が当時依然として有力であったアリストテレス的・スコラ的自然学や、急速に支持されはじめていた機械論的自然学にどのように対峙しうるものであったかを考察する。ヴォーンは、スコラ哲学的・思弁的な自然学に対しては実験・経験の重要性を強調し、また大学という制度内で確立している学問に対しては、自然の教えを対置した。さらにアリストテレス自然学を異教徒の学問であり、キリスト教徒にとっては有害であると断罪し、自らの錬金術を単に金属変成(黄金の獲得)だけを目指した現世的な技から区別し、魂の救済に関わるものとした。ヴォーンはまた、宇宙の構造や自然の究極の要素についても思索し、伝統的な四元素の名称を用いつつも、霊的な原理と物質的な原質が様々な仲介物を通して緊密に結びつく、有機的、生気論的でダイナミックな宇宙論を構想した。それは機械論的自然観と真正面から対抗するものであったと言えるだろう。
著者
桂 文子
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.65-76, 2006-09

ロバート・ブラウニングの『赤い木綿のナイトキャップの国、あるいは、土と塔』はフランスのノルマンディー地方のサン・トーバンで、1870年4月に実際にあった事件を扱っている。この作品に限ってはブラウニング特有の文学形式である劇的独白ではなく、作者ブラウニング自身が語り手となっている。事実しか語らない、と断りつつ、事件に対する自分の解釈を率直に織り込んでいる。彼の関心は事実の虚構化にあるというよりも、この事件の持つ意味を考察し、このような事件を招来した社会的、文化的背景に向けられていた、と考えられる。彼はこの事件をどう解釈し、この作品によって何を表現しようとしたのか、を検討する。
著者
松倉 文比古
出版者
龍谷大学龍谷紀要編集会
雑誌
竜谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.28, no.2, pp.1-31, 2007-03

『日本書紀』景行天皇紀にみる熊襲・九州親征記事は、景行朝の事績についての冒頭部分に置かれ、『古事記』景行天皇段にはない独自のものである。そして、これを承けてヤマトタケルの熊襲征討が配置されている。それは、『古事記』序による限り「旧辞」には本来無かったと理解できる。従って『古事記・日本書紀』の編纂時に構想された歴史のなかでそのことの意味を検討することが、本稿の趣旨である。またそれを通して、七世紀後半から八世紀初頭、版図(歴史的世界)に関して如何なる理解を有していたのかを併せて論じた。
著者
松倉 文比古
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.27, no.2, pp.A1-A27, 2006-01-31

『日本書紀』巻第一一は、所謂「民の竃の賑わい」の説話に代表されるように、崇神・垂仁と並んで徳治を実践した天皇として仁徳(大鷦鷯)天皇を描出している。菟道稚郎子との皇位互譲を通じて、その即位に至る経緯を述べる即位前紀は、とりわけその特徴が顕著である。また、元年条以下に於いては「一に曰く」・「一書に曰く」等の異伝を僅かに一条みるのみで、他の諸天皇紀と比して極めて整然とした印象を強く受ける。そのような特徴を持った仁徳天皇紀に於いて、皇位互譲を主たるテーマとする即位前紀を中心に、それに連関すると考えられる元年紀以下の后妃(磐之媛・八田皇女)・氷室起源・易名・鷹甘部設置伝承等を採り上げ、仁徳紀の構成上の特色を検討した。その結果、仁徳紀の構成上の編纂意図の一つとして、徳治を実践する天皇の支配領域が奈辺にあるのかを明示することにあったことを指摘した。それは、崇神・垂仁がそうであったように、令制下に於ける理想的天皇像を語る意図に基づくに他ならない。また、前後の天皇に比して特殊であると指摘される、即ち、日本国内に自生する最小の鳥であると考えられるミソサザイを意味する鷦鷯(さざき)を和風諡号とする理由を、その天皇の支配領域に関連することも指摘した。と同時に、仁徳記・紀を通じてその実在性を含め、仁徳朝としての歴史的事実を導き出すことが、困難であることも併せて指摘した。
著者
小長谷 大介
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.27, no.2, pp.1-16, 2006-01-31
被引用文献数
1

19-20世紀転換期における科学的諸成果は、当時の社会的状況を背景としながら、理論・実験両者からの地道なアプローチによってもたらされたのである。エネルギー量子発見に絡む熱輻射研究もその例外ではないが、従来の熱輻射研究に関する科学史研究は、「量子論の起原」を探ることを主な目的として理論的文脈に偏る傾向をもっていた。そのためか、熱輻射研究史において、理論的成果と動的に結びつかないように映る実験家の研究内容は、陰の部分に属しがちであった。だが、改めて当時の実験科学的文脈を見直すならば、実験家の仕事の異なる側面が見えてくるのである。ここでは、実験科学者フリードリヒ・パッシェンの熱輻射研究に対して諸評価があるなかで、天野清のパッシェン評を取り上げて、それに対する十分な考察とパッシェン評の再考を行った。その結果、天野によるパッシェン評の3点、空洞による熱輻射の理解不足、ヴィーン法則の「常数」αに関する「不正確な」認識、固体熱輻射源への「重要な材料」の提供というのはいずれも相応な評価と判断できた。また、当時の熱輻射研究の文脈を詳察するならば、さらに異なるパッシェン評を加える必要があった。新たなパッシェン評は、彼が1890年代後半の固体ないし固体-空洞折衷型の熱輻射実験から得た成果についてである。ルンマーらの空洞熱輻射源の実験には長い開発期間が必要だった一方、パッシェンの固体熱輻射源を利用・応用する実験は、当時としては最先端の測定データを短い時間で提供できるものだった。1899年までの熱輻射研究において、パッシェンのデータは大きな存在感をもち、それは当該分野の他の実験家、理論家にとっても重要な価値をもっていた。
著者
泉 文明
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.203-212, 2008-01

小論は、平成17年度文部科学省科学研究費基盤研究C[東アジアにおける1945年以降の日本語教育の自律と変容に関する調査研究](代表:杏林大学本田弘之教授)に関わる研究の報告である。本プロジェクトは、朝鮮半島と同様に過去に日本によって植民地化され、当地の人々に日本語を国語として強要されてきた台湾と中国の旧満州地域を調査対象地域として、それぞれに共通した要素と、個々の独自性を探ろうとするものである。小生は、その中で、朝鮮半島における日本語教育の史的側面を分担してきたのであるが、過去の継続的な業績としては、(1)日本語を強要された世代から、当時の言語教育とその周辺の実態をインタビューの再録をてがかりとして、その実像に迫ろうとした「戦時下の日本語教育一韓国の場合(1)-」(『龍谷大学国際センター研究年報』、第15号、2006.3)と、(2)1980年代当時に採用された高等学校日本語教科書、全5社(上・下)の計10冊を資料として、その中に現出している語彙リストから文化\習慣などの非言語事項を抜き出し、〈日本的なるもの〉〈韓国的なるもの〉〈その他の国・地域的な要素〉の3種に分類して、当時の日本語教育と日本文化の受容状況を探った「戦後の日本語教育-韓国の1980年代の高校日本語教科書を手がかりに-」(『龍谷大学国際センター研究年報』、第16号、2007.3)とがある。小論は、これらの調査で得た資料を活用しながら、継続発展させようとするものである。1965年に日韓基本条約が締結されるに伴って、韓国では日本語教育が復活した。具体的には高等学校では1973年に第2外国語の選択科目に加えられた。またそれに伴って大学における日本語の教員養成課程の設置が急がれてきた。また、放送通信大学でも、テレビやラジオでも日本語講座は、盛況で韓国の日本語教育は戦中戦後の45年間に及ぶ国語・母語としての姿から、戦後28年間に及ぶ空白期を経て、今日隆盛を見るに至っている。1970年代後半には日本語ブームが起こり、大学の入学試験科目に加えられたりしている。

1 0 0 0 IR 凝然と東大寺

著者
藤丸 要
出版者
龍谷大学龍谷紀要編集会
雑誌
竜谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.103-115, 2006-09

示観国師凝然(1240〜1321)は、鎌倉期に東大寺教学復興にあたった学僧として、また『八宗綱要』をはじめとする膨大な著述を遺したことで知られる。さらに、戒壇院長老として多方面の著述を為し、国師の称号まで承けている。このような凝然であるが、彼の東大寺における立場は非常に特殊なものであった。当時、僧侶として出世し、学僧として名を上げようとするならば、数多くの論義に参加することが最低条件であった。にも拘わらず、凝然は論義にまったく参加していないのである。論義に参加するには、仏教教学を専門に学ぶ学侶になる必要があるが、凝然はこの学侶ですらない。つまり、凝然が東大寺随一の学僧という名声を博しているのは、きわめて特異なことであることが分かる。凝然のような特殊な立場は、何に起因するのであろうか。おそらくは、源平争乱の煽りで壊滅的な打撃を被った東大寺の復興という一大目標のために、東大寺が凝然のような博学多才な人材を必要としていたことが大きな要因あろう。そのために、凝然は学僧ではあるが、学侶ではないという独自な道を歩むことになるのである。

1 0 0 0 IR 金属的な声

著者
今村 潔
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.31, no.2, pp.31-38, 2010-03-15
著者
角岡 賢一
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.32, no.1, pp.55-75, 2010-09-30
著者
岩田 貢
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.34, no.1, pp.97-112, 2012-09-28
著者
上垣 豊
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.36, no.1, pp.45-62, 2014-09-30

20世紀初頭のフランスで、師範学校廃止の是非を巡って論争が行われた。廃止論は、民主的な単線型教育体制をめざす議論と一体となっていたが、同時に、初等教育に対する中等、高等教育のヘゲモニーを確保し、国民統合の強化によって階級対立を抑え込もうとする意図があった。だが、それは教養の水準の向上などによって自信を深め、共同生活を通じて団体精神を強め、さらに階級意識を持つにいたった初等師範学校出身者を先頭にした初等教員から激しい反発を招くことになる。