著者
関谷 由美子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.42, no.9, pp.22-33, 1993-09-10

田川と須永が友達であることの作品における意味は、田川を須永一族に接触させ、それによって田川の日常に波瀾が生じ、かつ田川系の物語から須永系の物語へと移行してゆくための仕掛け以上のものではない。田川と須永の無関係性は、それぞれが中心となる世界の無関係性へと敷衍される。小稿の目的は、田川系と須永系、二系列の物語が背理の関係にあることを明らかにし、それを通して諸短編の連鎖に有機的統一性を見出すことにある。
著者
薦田 治子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.7, pp.33-43, 2007-07-10

日本の中世芸能のなかで大きな役割を果たした盲人音楽家には、「琵琶法師(座頭)」と「盲僧」の二種があったと考えられているようである。「盲僧」という用語は近世になって突然文献資料にあらわれる。現時点の研究が、中世の盲僧像を、盲人音楽家としてはやや特殊な状況にあった近世以降の盲僧の実態を手掛かりに、イメージしているのではないか、中世の盲僧とは何だったのか、という点を考察する。
著者
呉 哲男
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.5, pp.2-9, 2011

<p>日本の古代王権は、律令国家の形成を支えるイデオロギーとして神の系譜に連なる王の物語を持ったが、これはいわば自己言及的なものであって、併せて外部に照らして自己確証できるものを必要とした。そこで導入されたものが中華帝国の採用する華夷秩序であった。その要請に従って、周縁的なものとして創出された「異言語・異文化」であったが、それは実は「王権」のもう一つの自画像に他ならないことを、否応なく突きつけられたのであった。</p>
著者
田近 洵一
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.61, no.8, pp.2-15, 2012

<p>教育において、文学を教材とすることの意義は、それを通して人間如何に生きるべきかの道徳を身につけさせることにあるのではない。それを読むという行為自体に、言語の教育としての価値があるからだ。その文学を読むという行為の本質は、言語的資材である文章(第一次テキスト)に対する主体の意味作用(signification)によって、読者の内に第二次テキストとしての意味世界を生成し、さらにその意味について考察を深め、主体にとって「未見の他者」を追究していくことにある。すなわち、〈読み〉は、読者にとって意味世界の生成による自己創造の行為なのだ。では、その自己創造としての文学の〈読み〉は、如何にして成立するのだろうか。本稿は、そのような自己創造の〈読み〉原理について考察したものである。</p>
著者
楜沢 健
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.68, no.4, pp.23-33, 2019-04-10 (Released:2024-05-11)

細井和喜蔵『女工哀史』(一九二五年)の巻末には、細井が各地の工場で出会い、蒐集した「女工小唄」が収録されている。数え歌、俗謡形式の小唄は、口承で歌い継がれる即興の替え歌=労働唄である。そこには近代の「書き言葉」「標準語」が切り捨ててきた言語の多様性、集団性が豊かに息づいている。花田清輝は「柳田国男について」(一九五九年)で、プロレタリア文学運動の限界は、「活字文化」にその視野が限られ、「口承文化」に息づく言語の問題に無関心でありつづけた点にある、と指摘した。ここでは、花田の問題提起を手がかりに、プロレタリア文学に息づく「小唄」集団性、その諸相に光をあてた。
著者
松岡 智之
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.2-11, 2008-04-10 (Released:2017-08-01)

この論文で私は、森谷明子氏の推理小説『千年の黙 異本源氏物語』(二〇〇三年)が二〇世紀前半までの古典学の成果を再生させたことについて考察した。『千年の黙』は、『源氏物語』研究の成立論で生まれた仮説-「かかやく日の宮」という現存しない巻が元来あった-を素材とする。現在の研究ではこの仮説はあまり注目されないものの、森谷氏は大野晋氏の研究書(一九八四年)によって成立論を知り、その後風巻景次郎氏の説(一九五一年)に感銘して小説の素材にした。風巻説の論証過程と推理小説の型の類似性が森谷氏の感銘の原因とみなせる。『源氏物語』の成立論は、和辻哲郎が一九二〇年代にドイツ文献学のホメロス研究の方法を導入して始まったが、後にその方法は確実性を欠いてしまった。しかし、その不安定性こそが創作を導いたのであり、新たな研究の可能性を拓くとも考えられる。
著者
小関 和弘
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.43, no.11, pp.1-14, 1994-11-10 (Released:2017-08-01)

このエッセイで、私は一九三一年から四五年までの戦時中の新聞広告および国策宣伝の表現を素材として、それらと、いわゆる「文学」の表現とがどのような関わり方を持ったかを考えようとした。具体例に、口内清涼剤の広告表現が戦略として「文学」の表現を取り込んだ事実、国策宣伝の標語を詩人たちが無批判に自分の作品に吸収して行った事実を挙げ、「文学」表現および広告の表現が自立性を失う場面に焦点をあて、「文学」表現の自立の条件を裏側から照らし出そうと試みた。
著者
甘露 純規
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.48, no.11, pp.1-9, 1999-11-10 (Released:2017-08-01)

明治八年、永峯秀樹『支那事情』と仮名垣魯文『現今支那事情』との間に「盗作」事件が起こった。この事件は、誰が、どのような論理により、無断借用による出版物を告発するのかという問題をめぐり、出版物についての江戸期以来の考え方と新たに登場した版権思想が激しく争った事件であった。本稿では、永峯と魯文双方の言い分を等しく分析することで、この事件の実態と文化史上に持つ意味を明らかにした。
著者
松本 和也
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.55, no.11, pp.24-34, 2006-11-10 (Released:2017-08-01)

本稿は、抽象化された普遍性において読まれてきた受容史に抗い、武田泰淳「ひかりごけ」の精読を通してその歴史性・今日性を論じる試みである。「ひかりごけ」をメタフィクションと捉え直して紀行文における「私」の身振りから"境界(線)の物語"を読み解いた上で、「人肉事件」というモチーフに対する複数の表象を分析し、"脱境界(線)の物語"としての「ひかりごけ」の相貌を取り戻し、その歴史的位置までを論じた。
著者
高村 圭子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.53, no.5, pp.60-67, 2004-05-10 (Released:2017-08-01)

古典作品中における「罪(罪業)」と「悪(悪行)」という概念には明確な区別がなされないことが多いが、厳密に見ると「悪」は他者に明確な損害を与えるもの、「罪」は他人ではなくむしろ自分を傷つけ悩ませるもの、という傾向がある。小稿では、人間の「罪」と「悪」の両相を描く軍記物語である「平家物語」を中心に、二つの思想が重なり合って作品世界を形成していく様相を、他の古典作品との比較を交えて分析していく。