著者
斎藤 英喜
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.51, no.5, pp.10-21, 2002-05-10 (Released:2017-08-01)

サブカルチャーにおける陰陽師ブームは、陰陽道研究の最新の成果が省みられないものと批判があるが、そのブームのなかで「進化」している岡野玲子『陰陽師』のロゴス=スピリチュアルな世界はきちんと評価される必要がある。その作品世界の解読を起点に。「温明殿」をトポスとした『源氏物語』や新たなアマテラス神話の生成、霊剣をめぐる晴明伝承の展開について考察し、「古代文学」の新たな可能性を探った。
著者
三宅 宏幸
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.59, no.2, pp.9-19, 2010

書翰に「挾客伝は得意の作」と書いた馬琴は、読本『開巻驚奇侠客伝(かいかんきょうききょうかくでん)』第一集自序に、書名にもなる「侠」を「身を殺して仁を成す者」と定めた。本稿では、馬琴が「仁」を持つ「侠客」を表現するため、「仁徳」を大義とする周王朝が殷王朝を伐つ殷周革命に取材した、中国白話小説『封神演義(ほうしんえんぎ)』及び通俗軍談『通俗武王軍談(つうぞくぶおうぐんだん)』を利用したことを指摘する。さらにこの殷周説話が、『侠客伝』の世界や構想に関わることを明らかにする。
著者
倉住 薫
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.62, no.6, pp.54-57, 2013 (Released:2018-06-14)
著者
丸山 義昭
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.61, no.8, pp.54-64, 2012-08-10 (Released:2017-11-22)

「羅生門」「山月記」、それぞれの〈語り方・語られ方〉を読むことで、物語内容をどう対象化していけるか。どのような問いかけによって、生徒の読みを揺さぶることができるか、「羅生門」では生徒の読みを検討しながら、授業を進めた。「山月記」では李徴の語りと、作品全体の語りの双方を相対化する授業を行った。語り手の、登場人物に対する見方、人物との距離を明らかにすることで、何が浮かび上がってくるのか。授業の概要と、考えていることの報告である。
著者
茂木 謙之介
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.63, no.9, pp.13-24, 2014-09-10 (Released:2019-09-30)

関東大震災周辺の泉鏡花テクストをめぐっては、従来鏡花テクスト群における変化の有無が問われてきた。本稿では「二三羽ー十二三羽」を中心に〈怪異〉に注目して考察し、震災が鏡花テクストにおける〈怪異〉の場としての東京を喪失させていることと共に、同テクストが震災による喪失をミクロに語り出すことで回復を試みるものであったこと、そしてその達成の為に小品という脱ジャンル的領域が選ばれた可能性を指摘した。
著者
中沢 弥
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.50, no.11, pp.11-19, 2001-11-10 (Released:2017-08-01)

小山内薫・山田耕筰・石井漠の三人が中心となって結成された実験的な劇団<新劇場>は、演劇の改革を標榜するとともに「舞踊詩」という新しいジャンルを提唱した。この舞踊詩のたどった過程は、大劇場と小劇場、高級な劇と民衆のための劇といった区分やそれらの間の争闘をも無力化する。また、震災後に始まるラジオ放送は、集団としての観客ではなくて、多数の個人としての聴取者を生み出すことになる。こうした芸術ジャンルの変容や受容形態の多様化を考えるための原点の一つとして、<新劇場>の活動をとらえ直す必要がある。
著者
斎藤 英喜
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.57, no.5, pp.2-11, 2008

宣長の「物のあはれ」説は、近代の<源氏的なもの>を作り出した重要な言説である。しかし、その源氏注釈は、『古事記伝』における「ムスヒ神学」と密接に繋がっていた。そのとき「物のあはれ」説は、中世以来の神道言説と源氏注釈の相関関係の系譜のなかに位置づけなおすことが必要となる。<源氏的なもの>に内在する<非源氏的なもの>の系譜を明らかにした。
著者
佐藤 泉
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.11, pp.35-44, 2007

一九五〇年代末、九州の炭鉱地帯で展開された「サークル村」の文化運動は、それ以前の自然発生的な民衆文化運動を自覚的に思想化した点で重要である。本稿は、この運動をリードした詩人・谷川雁のサークル論をとりあげて、共同体としてのサークルと集団的な創作主体がどのように論理化されたかを考察する。日本の戦後思想の布置において、「村」「共同体」は個人の自由を拘束する悪しき結束であり、克服すべき前近代のシンボルとして語られてきた。しかし、五〇年代後半になって、個人の確立を掲げる戦後思想の有効性は薄れていた。経済および社会の構造再編が進むなかで、社会運動と労働運動が急速に力を失っていったためである。個人の確立に変えて、共同体の再構築が必要だと判断した谷川は、新たな連帯の思想を実践する場として文化サークルの運動に注目していた。民衆は潜在的なエネルギーを秘めている。しかし革新政党や労働組合は、民衆の力や欲望を適切に代表していない。そのため、しばしば民衆の力は、ファシズム的な表象によって奪われる。民衆の力を誰がどのように表象するかが重要な問題である。そこで、谷川は、民衆が自らを表象し、それによって自己を再想像する場として文化運動を活性化する必要があると考えた。谷川は、文化運動の場を「村」と呼び、創作の主体を個人ではなく集団としたが、そのためには戦後思想としての近代主義、個人主義の言説と対決する必要があった。この時期の谷川の言語活動によって語り変えられた「共同体」は、伝統的な共同体の権威主義、閉鎖性を克服することに成功しており、そのため、コミュニティの再構築が課題となった現在、多くの手がかりを与えるものとなっている。
著者
竹村 信治
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.48, no.4, pp.12-26, 1999

「文学は教えられるのか」の問いかけに対し、学習者が「生命と生き方への根源的な問い」、したがって世界と自己存在の意味づけへの問いを知的欲求としてかかえていることを指摘し、その知的要求に応ずる場としての<文学>の教室の創造を提案した。その際、教室における<文学>テキストの特権化の回避、学習者とテキストとの対話の保障、その対話が言説研究における"読解"の構えをもつこと、などの必要があることを強調した。
著者
伊藤 聡
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.44, no.7, pp.67-77, 1995-07-10 (Released:2017-08-01)

第六天魔王と天照大神との契約説を語る最初期のテキストである『中臣祓訓解』は、同説が神宮の仏教忌避の由来を中心的主題とするのではなく、寧ろ魔王より大日=大神への国譲りが主題となっていることを浮き彫りにする。そしてその魔王たる伊舎那天は仏教の障碍神としてばかりではなく、伊弉諾尊と習合し、更には日本が大日の本国であることの根拠ともなる。この魔王の複雑な性格は神国思想と末代辺土観とに引き裂かれた中世の自国意識の反映であり、第六天魔王説とはこの両者を止揚する契機として構想された創世神話であると考えられる。

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著者
石上 敏
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.8, pp.62-63, 2011-08-10 (Released:2017-05-19)
著者
神田 龍身
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.39, no.12, pp.29-46, 1990

物語の主人公の世代交替を円滑にするシステムとしての「男色」の持つ意味について考えてみた。一言でいえば、「暴力」排除のための「男色」ということになる訳だが、物語個々において微妙な差があり、それを分明にすることに論のポイントを置いてみた。また、物語文学史総体の中で、かかる鎌倉物語がいかなる位置を占めるのか、一応それをも測定してみた。
著者
大谷 哲
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.58, no.8, pp.55-65, 2009

「物語」の力とは、自分で始まり自分で終わることを許さない。いまなお今日の読者が、夏目漱石『夢十夜』「第三夜」に解釈行為の足止めをくわされるばかりでなく、様々な解釈への誘惑を断ち切れずにいるとするならば、われわれは未だその<ことば>の際立ちが発揮する意味作用、この物語の既視感の真の所以を対象化しえていないためである。『夢十夜』発表同時代、文壇を席捲していたのは自然主義的な素朴実在論の潮流。奇しくも、われわれは物語世界内の「自分」からしておよそ「百年後」-「私語り」の蔓延する-「いま」にある。本論は、「第三夜」の構造論理の析出に歴史的・時代的な文脈を加味した上で、「物語」の近代性を証する試みである。