著者
松本 和也
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.61, no.9, pp.33-44, 2012-09-10 (Released:2017-11-22)

本稿では、昭和一〇年代後半(昭和一五~一七年)の私小説言説を検討対象として、それらが陰に陽に意識していたと思しき歴史小説(や客観小説)を主題とした言表との相関関係において分析・記述する。昭和一六年までに歴史小説言説と私小説言説とが、〝私〟を基(起)点とする作家としての態度を重視するという点で近接していたことを明らかにした上で、対米英戦開戦の一二月八日をへて一挙に合一される様相までを論じた。
著者
赤井 紀美
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.11, pp.13-25, 2011-11-10 (Released:2017-05-19)

昭和一〇年前後、新派・新劇のジャンルでいわゆる「純文学」脚色が流行するなど、文学と演劇の関係はそれまでと異なった様相を見せるようになる。本稿では昭和一〇年の「春琴抄」劇化を取り上げ、久保田万太郎、川口松太郎による脚色の相違を通じ、当時の劇界また観客が「春琴抄」のどこに着目したかを考察する。また、右の考察を通じて当時の劇界と文学界また映画界の関係についても言及していきたい。
著者
坪井 秀人
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.21-31, 2000

時代錯誤的な天皇在位十周年「国民祭典」が挙行される現在、<日本国民>の空疎な主体化は空疎な象徴システムによって末期的に進行している。こうした空疎な象徴性と、現在の大学改革における名と実との記号的関係の空疎さは奇妙に呼応してしまう。ちょうど二十世紀のスパンと重なる<国文学>を批判的に総括しておくべき時は、今を措いてないだろう。文献学/文芸学/歴史社会学派に通底する国民文学的な志向と、敗戦の日を挟んだその連続と断続の諸相について考察することで、その総括への通路を拓いてみたい。
著者
佐藤 深雪
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.29, no.4, pp.50-61, 1980-04-10 (Released:2017-08-01)

These are the notes on one of the strange tales in Hanabusa Soshi by Teisho Tsuga. We could see his idea of novels in his way of adaptation which was a peculiar form of literature at that time. Defferences between Japanese folklore and Chinese one would be found through some evidences here.
著者
宋 仁善
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.55, no.9, pp.54-63, 2006-09-10

「生け贄男は必要か」は、ベトナム戦争をめぐる同時代の状況に密接に関わる作品である。作中、玩具爆弾の寓意的な仕掛け、狂気じみた「善」という人物の両義的な設定には、当時日本の兵器輸出の黒幕を暴こうとする作者の戦略が作用している。人肉食と生け贄の神話的なモチーフは、反復される戦争と復興の惨めなシステムへの諷刺である。日本帝国に取って代わったアメリカ帝国のあべこべな状況、反戦と特需が共存する同時代の自家撞着など、判然としないこの時期の全体像を提示するために、大江はこの作品でメニッポス的諷刺の方法論を援用している。
著者
山本 淳子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.55, no.9, pp.35-43, 2006-09-10

『権記』は一条院が出家後死の床で詠んだ歌を記し、後に「其の御志は皇后に寄するに在り」とする。近年この「皇后」を時の中宮彰子ではなく故定子だとする新釈が提出された。検証のため『権記』中の定子と彰子の呼称を全て調査すると、「皇后」は彰子立后当初は彰子専用だったが、定子崩御後は定子専用の語となったと判明、当該「皇后」は定子との結論に達した。これを受け、行成がそう考えた要因を考察、彼の見方に従う本歌通釈を試みた。
著者
日置 俊次
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.47, no.6, pp.49-59, 1998-06-10

村上春樹の作品には「井戸」や「闇」のイメージが頻出する。その原点には、村上が若いころに入り浸った映画館の闇の体験がある。「闇」は、まず「歴史性」を拒絶するものとして、作品に描かれる。『ねじまき鳥クロニクル』にも、「井戸」や「闇」は重要なイメージとして登場する。しかしこの作品では、村上は「歴史性」に接近しようとしている。こうした村上の転換には、映画『羊たちの沈黙』の影響を指摘することができる。
著者
寺島 恒世
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.43, no.7, pp.10-19, 1994-07-10

院政期の後、宮廷和歌はいかなる達成を目指したか。生成の<場>に根差して和楽に資する役目を担いつつ、歌はいかに創作詩でありえたのか。その課題を、後鳥羽院と左大臣良経の酬和に発した『仙洞句題五十首』を例に、成立に関わった定家の、作品の<場>に試みた方法を検証することを通して考察した。併せて、その試行が『新古今集』完成に向かう時代に果たした役割を、後の建保期における回顧をも踏まえて検討した。
著者
家永 三郎
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.28, no.12, pp.74-75, 1979-12-10
著者
永井 善久
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.48, no.12, pp.39-48, 1999-12-10

<大正十年代>、成長を欠いた作家というイメージが定着しても志賀直哉の威信が維持されたのは、作品が持つとされる<芸術性>がフェティシスティックに称揚されたからである。しかもその際、志賀の恵まれた創作環境に作品の<芸術性>を由来させる評言が少なくない。志賀の作品が醸し出す<芸術性>とは、志賀自身が生み出したものではなく、「文学の職業化・商品化」というリアルな<現実>に巻き込まれた文壇作家たちが反照的に惹起したイリュージョンであったことを、同時代言説の分析を通して検証し、<芸術性>という価値産出のメカニズムを解明する一助とする。
著者
伊藤 伸江
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.49, no.12, pp.12-21, 2000-12-10

伏見院は、持明院統の治天の君として、二度政を執っているが、京極為兼を撰者に加えた勅撰集編纂の試み(永仁勅撰の儀)がついえた苦い経験を持っている。為兼配流、自らの退位、後継の後伏見天皇の退位と続く政治的な挫折と、勅撰集編纂計画の頓挫を経験する第一次院政期において、伏見院はどう詠歌を試みたか。『歌合』(正安元年〜嘉元二年)を題材に、後鳥羽院を意識し継承しようとする伏見院の帝王たらんとする心情を論じた。
著者
田中 実
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.35, no.2, pp.91-101, 1986-02-10

『舞姫』の主人公は独白し、手記を書いたが、鴎外によって『舞姫』というテクストが成立した時、主人公は多層的意識構造に絡みとられている。母・法の精神・天方伯など彼が認識の光を当てず対象化しなかったことは鴎外終生の近代化批判のかたちに尾を引く問題でもある。それは太田が自己回復のための認識の光を当てるという手記のモチーフから逸脱し、<歌>を歌ってしまったことにも関わろう。そうした『舞姫』の弱点を等閑に付すことはできぬとともに、『舞姫』にはエリスという他者の言葉、あるいは成熟が表出し、それは異国人同志の男女の自我の深刻なすれ違いによる悲劇を齎した要因にもなり、太田は日本の近代化にアンビバレンツを起こさせていった。
著者
三田村 雅子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.52-59, 2007-03-10

源氏物語は教育システムとして、婦女子教育の教訓書として読まれてきた長い享受の歴史を持っている。女性たちの生き方それ自体が、どう生きるべきかの見本であり、反面教師であった。明治以後の教育現場における源氏教育も、まさにその点に配慮した良妻賢母紫式部像を構築し、そのもとで、「正しい」源氏物語教育が推し進められてきたのである。しかし、源氏物語が一面では女性のための教訓書的な側面があることは否定できないにしても、禁断の恋とその結果の子供出生、その子の即位、あるいは栄達というテーマがそうした教訓性を裏切る論理を提示していることは間違いなく、扱いようによっては爆弾となりかねない危険なテーマを抱えつつ、その教育という側面を延ばして、源氏物語教育が行われてきたのであった。しかし、実際に源氏物語を学び、源氏物語を再現することに特別の興味・関心を寄せたのは、女性ではなく男性の権力者たちであった。男性たちは源氏物語をどのように学び、どのように役立てたか。女性たちはそれをどう受け止めたか、源氏絵に描かれた世界と雛の源氏の側面から、教育としての源氏物語の問題を考えてみたい。
著者
島村 輝
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.50, no.5, pp.66-70, 2001-05-10
著者
伊藤 禎子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.12, pp.1-10, 2007

『うつほ物語』は、琴の一族の音楽物語を語る一方で、「蔵開」巻からは学問について語り始める。従来の研究では、<蔵開き>の行為は仲忠に「学問の後継者」という意識を覚醒させ、仲忠は琴から学問へ移行するというように、いわば二項対立的に音楽と学問を論じていた。本稿では、「学問」といえど、ひたすら仲忠の「声」が描かれていく点を取り上げ、音楽と学問の越境を語ろうとする『うつほ物語』の世界を提示する。
著者
天野 知幸
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.55, no.11, pp.11-23, 2006-11-10

本論は、引揚・復員を<戦中>と<戦後>、トランスナショナルな経験とナショナルな経験とが交錯する場として捉え、それらが文学表象、雑誌メディアの言説により歴史化される始めの姿を、西條八十「ああ父帰る夫帰る」と『主婦之友』の引揚・復員記事をもとに考察した。そこに家族の再会という情緒的な<物語>が充満していること、また、<日本>の再建という欲望だけでなく、朝鮮戦争を翌年に控えた国内、国外の複雑な政治状況、危機感が反映されていることを論じた。
著者
伊藤 佐枝
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.49, no.12, pp.22-30, 2000-12-10

絶えず自作を書き替え続ける作家として志賀直哉を捉えた時、『豊年虫』は『城の崎にて』の書き替えとして読むことができる。十二年間を隔てた両作品は一人旅する作家、秋の温泉地、小動物の死など具体的な風景を共有しながら微妙に視野をずらす。本稿は『范の犯罪』『邦子』という志賀の他作品との関連にも注目しながら、<個>の発見、<書くこと>と<生きること>の関係という二点からこの書き替えを考察した。