著者
ミア ティッロネン
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.95, no.1, pp.175-198, 2021

<p>近年、日本の寺社仏閣の観光地化がますます活発になっている。宗教と観光を主に表象化論として論じてきた既往研究に対し、本研究では物質的側面に注目する。京都市の晴明神社は、映画『陰陽師』の影響で、二〇〇〇年代以降急速に参拝客数を増加させ、それにともない境内の整備や安倍晴明伝説を具現化する銅像の設置などを行ってきた。多様な理由で同社を訪れる人々は、これらのモノに対して常識に基づく「正しい」行動だけでなく、様々な実践を行う。こうしたパフォーマンスにおいて、モノは単に実践の客体ではなく、むしろ、そうした行動を導くアクターとして捉え返せるのである。本稿では、パフォーマンス論と物質的宗教論の観点を導入しながら、神社観光における人、モノ、環境の相互作用に光をあててゆく。</p>
著者
山下 明子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.77, no.2, pp.317-343, 2003-09-30 (Released:2017-07-14)

キリスト教の土着化をめぐる従来の論議にはジェンダーの視点が欠けている。女性キリスト教徒の入信理由や信仰実践から、それぞれの土地の教会の「土着化」の現実を問い返すのが本稿の目的である。対象としては、筆者が長年のフィールドワークで出会ってきたインドのヒンドゥ・カースト社会に生きるダリットのクリスチャン女性たちと非カースト社会である山岳部族のミゾの教会女性、およびイエ制度が残る日本の教会女性と沖縄の祖先崇拝の社会のクリスチャン女性の中から典型的な層を選んで紹介し、信仰の特徴を比較考察する。教会を含めて父権的、性差別的な文化と共同体規範のなかで、それぞれの女性信徒たちがどのような葛藤によって苦悩し、これらと信仰的に折り合いをつけているのか、あるいはよりラディカルな解放・救済を求めて、いかに自立を達成しているのか。女性たちのスピリチュアリティは各自の信仰生活の内容や性的な自立の位相によって当然異なっているが、本稿では、キリスト教的な特徴として他者に対する友愛的な霊性が感じられる女性たちに焦点をあてて調べている。
著者
野崎 晃市
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.79, no.1, pp.73-96, 2005-06

平井金三(一八五九-一九一六)は明治における仏教教育運動の先駆的な役割を果たしながらも、後にユニテリアンや松村介石の「道会」などへ加わった思想遍歴の故に日本の仏教研究においてほとんど注目されてこなかった。しかし近年になって、一八九三年万国宗教会議での平井の講演が海外の研究者より注目され、アメリカにおける仏教の紹介者として再評価が進んでいる。一八九三年にシカゴで開催されたコロンビア万国博覧会では並行して万国宗教会議が開催された。この世界で最初に開かれた万国宗教会議は比較宗教学の成立と、それまでキリスト教中心であったアメリカにおける東洋宗教の導入の契機となったという意味において宗教史上画期的な位置を占めている。万国宗教会議において平井金三は「ナショナリズム」からキリスト教批判を行って注目を浴びた。一方、フェノロサ(Ernest Francisco Fenollosa一八五三-一九〇八)はコロンビア万国博において「ジャポニズム」から日本美術の紹介を行った。両者の言説はコロンビア万国博という場において共鳴し合い、その触れ合いのなかから「オリエンタリズム」の一端を形成したのである。
著者
村上 寛
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.94, no.1, pp.27-48, 2020 (Released:2020-09-30)

カタリ派による著作『二原理の書』(Liber de duobus principiis)では、二元論及びその帰結としての自由意志の否定が主張されるが、天使の堕落を例証とするその論証は、無時間的な領域においてのみ成立する論証であって、時間的存在である人間に直ちに適用することが出来ないという意味で、そもそも論証に失敗している。その上で、カタリ派による意志理解を浮き彫りにするために、このような論理を時間的世界の人間に適用するなら、何らかの結果としての行為は善悪いずれかの原理によって与えられていた傾向性の実現であると理解することが出来る。すなわち、欲求やその抑制に関わる意志もいずれかの原理に由来するものであって自分自身に由来するものとは見做されず、善悪いずれかの傾向性の実現と見做されるのである。このことは、行為の原因となるのは外的な原理であり、意志とは関係なしに行為としての結果においてのみ善悪が判断されるというカタリ派的倫理観を示すものであると言えるだろう。
著者
久保 隆司
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.93, no.1, pp.1-24, 2019

<p>本論は、近世初期の神道家・朱子学者の山崎闇斎が探究した「闇斎神学」を、闇斎が「神書」として重視した『日本書紀』(特に神代巻)の構造と解釈の観点から捉える試みである。井筒俊彦の「神秘哲学」概念を主な補助線として導入し、闇斎の構築した「天人唯一」の神学は普遍性を持つ神秘哲学の日本的展開であることを明らかにしたい。闇斎は普遍的真理の探究過程において、朱子学的「合理主義」の限界と葛藤し、超克することでその神学を形成したと考えられるが、具体的には、中世以来の神聖な行為としての『日本書紀』の体認的読解を、神秘哲学の構造上に取り込むことで、実践と哲学との統合を図ったとの解釈が可能となる。この観点から、闇斎神学の本質は、合理性を獲得した上で、神道的な学び・実践を通じて、その限界を超える意識の高みを目指すところにあることがわかってくる。本論では、闇斎神学とは、垂直段階的に構築された「神儒兼学」の統合体系であり、近世・近代における日本では稀有な神秘哲学体系であることの一端を考察する。</p>
著者
芦名 定道
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.82, no.2, pp.449-471, 2008-09-30

近代以降、キリスト教思想は近代合理主義との関わりの中で展開されてきた。キリスト教思想にとって大問題であったのは、啓蒙的理性によって提起された宗教批判であり、その批判の主なる担い手となったのは、実証主義的な近代科学であった。とくに、ダーウィンの進化論は、一九世紀における「科学と宗教の対立図式」-一方における無神論的自然主義と他方における創造科学論との間に典型的に見られる対立状況-の成立を促すことによって、現代の「科学と宗教の関係論」の主要な規定要因となっている。本論文では、リチャード・ドーキンスの宗教批判を手掛かりに、科学と宗教の対立図式において前提とされる合理性概念(狭い合理性概念=証拠主義的合理性)の解明が試みられる。対立図式の克服は、この狭い合理性概念を拡張することによって可能になるのであり、ここに現代キリスト教の思想的課題が見いだされるのである。
著者
鈴木 祐丞
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.88, no.3, pp.647-671, 2014-12-30 (Released:2017-07-14)

本稿では、ウィトゲンシュタインの『哲学宗教日記』における、彼のキェルケゴールへの関係を考察する。同書から知られるのは、要約すれば、キェルケゴールが『キリスト教の修練』を通じて描き出した宗教哲学を、ウィトゲンシュタインが、実際にキェルケゴールのその著作を手引きとして、一歩一歩辿ったということである。キェルケゴールは、『修練』において、人間は、「キリストとの同時性」という状況に身を置き、「躓き」の可能性に直面し、それを実存的に乗り越えることによってこそ、信仰を得ることができると考える。また、彼は、そのような理想的な信仰の要求を前に、自らの不完全さを認識することで、人間は罪の赦しを体感できると考えている。自らに根深く巣食う虚栄心や臆病さを罪として認識するようになったウィトゲンシュタィンは、救いをキリスト教に求め、キェルケゴールの『修練』に手を伸ばす。彼は、そこで、まさにキェルケゴールが『修練』において意図した仕方で、罪の赦しにリアリティを見出したものと考えられるのである。
著者
中西 裕二
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.82, no.2, pp.571-592, 2008

本論は、民間信仰における信仰の問題を、その民俗的枠組みではなくその外部との関係性、言い換えれば権力という枠組みに再配置し理解する方法を探るものである。日本民俗学においては、民間信仰は民俗社会という閉じた共同体の中で、祭祀対象とその担い手の間で形成されるとみる傾向がある。そこには、その宗教的枠組みと外部との関係性、その権力関係が看過されている。本論では、北部九州の粥占という儀礼と願の概念を再検討し、この正統性を保証する外部性を考慮せずこれらを理解することが困難である点を示す。この種の外部性の排除の根底には、近代という制度に組み込まれ自明視された民俗/宗教の区分が存在しており、その脱構築こそが今後の民俗文化研究に必要であると思われる。
著者
沖田 瑞穂
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.77, no.3, pp.655-678, 2003-12-30

レヴィ=ストロースによれば、世界のあらゆる神話体系には、それぞれの神話体系を構成する神話や伝承の間に、「反復と変形の構造」が認められる。話の全体は同じ構造の繰り返しによって構成されているが、話の細部は一方が他方の正反対の形に変形されているという構造である。この構造はインド神話の領域にも見られると思われる。本稿ではこのことについて、叙事詩『マハーバーラタ』の以下の三つの神話伝承を主な題材として分析を試みた。(1)主筋の伝承における、ガーンダーリーとクンティーがそれぞれ百人と五人の息子を得る話、(2)第一巻の長大な挿話部分において、カドルーとヴィナターという二人の女神がそれぞれ蛇族と鳥王ガルダを生む神話、(3)第三巻の挿話における、サガラ王の二人の妻とその息子たちの伝承。その結果、これらの主筋と挿話の神話伝承は同一構造の反復と変形によって構成されており、物語上は関連性を持たないが、構造の点では密接な関係にあるという特徴が見られた。
著者
大澤 広嗣
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.493-516, 2004

本論は、宗教研究史の視点から、トルコ学者の大久保幸次が所長を務めた回教圏研究所について、昭和前期のイスラーム研究史における意義と位置付けを試みたい。日本のイスラーム研究は、一九三七年の日中戦争勃発を機に組織化され、「大東亜共栄圏」建設を目的として、複数の機関で調査研究された。一九三八年に大久保は、小林元や松田壽男と共に回教圏攷究所を創設した。一九四〇年回教圏研究所と改称後、一九四五年の敗戦で解散した。しかし戦後以降、昭和前期のイスラーム研究は、国策や時局と結び付いて研究された側面だけが語られ、その全般的な研究史が軽視されてきた傾向があった。だが回教圏研究所の活動を検証すると、大久保は大正期よりトルコやイスラームを研究し、研究所からは戦後も活躍する中東研究者を輩出したなど、研究史上において重要な意味を持つ研究機関であることがわかるのである。