著者
オルトナスト ボルジギン
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.61-80, 2005-09-30

モンゴルの遊牧民はそれぞれの地域において神聖視された山または小高い丘や湖のほとりに石・樹木等を円錐型に積み重ねたオボーという造営物を作って、毎年定期的に祭りを催す。それはオボー祭りと呼ばれ、遊牧共同体の繁栄、家畜の繁殖等を祈願する宗教的行事でもある。オボーは土地の神の依代として信じられ、遊牧民の自然観と世界観とが凝縮されている。現在でもモンゴル遊牧地域における遊牧共同体が各々のオボーを所有しており、オボー祭りは集団的アイデンティティの確認または強化の重要なメカニズムとして表象されている。オボーの形態と祭祀は地域によって多少異なるが、テンゲル(天神)やガジル(地神)を祭る宗教行事として、またより具体的にはノタグ(共同体の所有地)の神の祭祀として認知されている点で共通している。オボー祭りにはブフ(モンゴル相撲)、競馬などの伝統技が奉納され、伝統文化の伝承母体ともなっており、現代化が進む今日において注目に値する祭祀文化であろう。本稿はオボーの造営、つまり構造を現地調査に基づいて分析するものである。
著者
廣木 華代
出版者
千葉大学大学院社会文化科学研究科
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
no.12, pp.176-190, 2006-03

連邦税リーエンは、支払不能法における連邦債権の優先を起源とし、納税者に対しては、なんらの公示を要することなく有効なものとなるが(IRC6321-6322条)、競合債権者に対しては、通知の登録という「公示」を要件として、その優先が制限される(6323条)。最高裁は、連邦税リーエンとの競合に関し、支払不能法の場合と同様、競合する権利の「完全性」をその優劣の判断基準として採用している。6323条が、競合する第三者の利益保護を目的としたものであることに鑑みれば、登録の先後を基準とした「早い者勝ち」の原則についても、一定の配慮が必要であることはいうまでもない。最高裁は、「成立」ではなく、「完全性」を基準として、その優劣を決するという形で、「早い者勝ち」の原則との調和を図ろうとしているが、判例の状況を見る限り、この試みは、成功したものとはいえず、むしろ「完全性」という「ハードル」をわかりにくいものとしている。しかしながら、このようなハードルの存在自体は、連邦税リーエンという優先権の性質や連邦税リーエンの制度趣旨からは肯定されうるものである。決して「完全」なものとはいえないながらも、連邦税債権という特殊な債権に関し、その特殊性を十分に認識した上で、可能な限り一般原則との調和を図っていこうとした最高裁の試みは、債権競合における利益調整のための基本的な原則として、今なお、その意義を失ってはいないといえるだろう。
著者
新垣 公弥子
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.33-43, 2001-02-01

論考では沖縄県石垣市白保(しらほ)方言の動詞と形容詞について記述する。当地は明和8年(1771)の大津波で村が半壊したため琉球政府により波照間島からの入植政策が取られた。そのため現在でも石垣島市内の方言とは違いが見られると指摘されている。調査資料は宮良松氏(1903年生まれ)を話者とし1998年から1999年にかけて行なったものである。
著者
中村 隆文
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
no.17, pp.1-17, 2008-09

現代哲学思想において「ヒューム主義(Humeanism)」というものは、反実在論(anti-realism)、あるいはそれに准ずるような、性質に関する「非.認知主義(non-cognitivism) 」として、一般的には主観主義に近い形で理解される傾向にある1。そのような傾向のもと、或る種の反実在主義者(そして、そのほとんどが非-認知主義者であり、たとえば、A.J. エアーのような表出論者やS. ブラックバーンのような投影論者たち)はヒュームの主張を好意的に取り上げる一方、或る種の実在論者たち(たとえば、J. マクダウェルのような認知主義者)はヒュームの主張それ自体を批判しながら反ヒューム主義を提唱するという対立の図式が出来上がっている。しかし、そもそもそうした反実在論vs. 実在論の対立が、あたかもヒューム思想を認めるかどうかであるように図式化されていることについて、私はそこに違和感を感じる。もちろん、その対立図式のもとで生み出された各種議論はそれぞれ重要な意味をもっているのであるが、そもそもヒューム思想がそのような二分法によって理解されるべきものであるかどうかについて、本論考全体を通じて考えてゆきたい。 本論考で紹介するヒューム主義的思考法とは、簡単にいってしまえば、通常は当たり前とされるような関係(いわゆる「分かっている」)を分析し、それが必然的なものではないこと(しかし、同時にそれが不可欠な形で採用されてしまっていること)を論じる手法である。そうした手法を通じて、我々が通常当たり前のように用いている「私」「われわれ」の概念を分析しながら、ヒューム主義というものが奥深く、かつ非常に哲学的な態度であることを論
著者
光延 忠彦
出版者
千葉大学大学院社会文化科学研究科
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
no.12, pp.24-37, 2006-03

1990年代初頭、国政上の利害から都政を擁護するという点で、鈴木都政は、有権者に支持され、それが現状の継続に帰結した。しかし、80年代の政策志向を変更する世論は都政内外に強く、そうした声に促され、鈴木都政は臨海計画の見直しと住宅政策の充実に90年代前半期には踏み出す。こうした政策変更は、都議会公明党の主張でもあったため、90年代前半期には、同会派の政治態度を変更させる要因となった。背景には、多党化と多数党の欠如という政党配置の構造が、政策形成に際しては少数会派の主張を過大代表するという点があったのである。しかし、以上の政策決定は、議会内多数派の主張には沿っても、政党の党派的動員力の限定性がゆえ、多くの有権者には理解されなかった。その結果、有権者は、むしろ新しい勢力に都政の転換を託した。都政における構造性に党派的動員の低下という政治的条件が加わって都政の政党政治は弱化していたのである。
著者
光延 忠彦
出版者
千葉大学大学院社会文化科学研究科
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
no.11, pp.1-15, 2005

今日、政党政治は支配的な統治理念として広範に流通しているにも拘わらず、「勝利」したはずの政党政治は、都政において諸問題に直面し、閉塞感に覆われている。都知事選挙は1947年の選挙以来、政党候補が勝利して政権を担うという状態の継続にも拘わらず、こうした状態は90年代に入って変容した。91年選挙では主要政党の候補が無所属候補に敗退し、95年選挙では無党派候補が勝利して、政党候補の勝利は80年代で終焉した。また、都議会議員選挙でも投票率の低下、政党支持なし層の増大、政党による絶対得票率の減少等々、いくつかの指標において政党支持は流動化し、政党政治は魅力に欠けた存在になりつつある。これらは政党機能の衰退すら印象付ける現象である。本稿は、政策形成を通して80年代中期以降90年代前半期にかけての都政に接近し、政党配置における構造に政治的条件が加算されて、以上の事情がもたらされるという興味深い結論を導く。
著者
服部 龍二
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.3-25, 1999-02-28

かつて筆者は、在華権益拡張策と新4国借款団の関連性を論じた際、原内閣が対米英協調に終始することなく独自に国益を拡充せんとしていたことを明らかにした。加えて原内閣は、時としてウィルソン政権(Woodrow Wilson)の新外交に強い違和感を示し、国益拡充のためには対英協調を基本方針とした。原内閣期最大の国際会議である パリ講和会議への対応は、まさにそのことを示している。このパリ会議に関する研究は少なからず存在するものの、日英協調や日米摩擦を原外交の中に位置づける視点は十分に確立されてこなかったように思われる。この点に加えて本稿では、中国外交文書を交えて中国側が調印拒否に至る過程を跡づけるとともに、米英の動向が後のワシントン体制成立との関係でいかに位置づけられるのかを探っていきたい。
著者
服部 龍二
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.7-32, 1998-02-28

In treating the Hara cabinet's railroad policy in China, this paper analyzes Japanese economic expansion in China during the immediate post World War I era and reexamines Japanese foreign policy toward the New Consortium which has been regarded in general as a typical case of cooperative diplomacy with America and Britain. The Hara cabinet inherited from the former Terauchi cabinet the policy to extend the Nanchang-Jiujiang railway line in northern Kiangsi. Supported by the Hara cabinet, Toa Kogyo Company took the initiative in the negotiations with China and finalized a loan contract with Nanchang-Jiujiang Railway Company to extend the Nanchang-Jiujiang railway line. This Sino-Japanese loan contract was intended for the building of the Nanchang-Pingxiang railway line. However, this line was part of the larger Nanjing-Hunan railway line whose loan contract had already been offered to the New Consortium by British bankers. Japan, in other words, reached an agreement on the loan contract to extend the Nanchang-Jiujiang railway line without notifying the New Consortium, which had already been granted the rights to build the Nanjing-Hunan railway line. Trying to expand its economic concessions in China, Japan slighted cooperation with America, Britain, and France. The Hara cabinet, in addition, tried to extend the Siping-Zhengjiatun railway line in Manchuria and concluded the Siping-Taonan Railway loan contract, supporting the negotiations between the South Manchurian Railway Company and the Chinese government. Japan promised to offer funds to a faction in the Chinese government during the negotiations, which contradicted the basic foreign policy of the Hara cabinet that Japan, in line with America and Britain, would never offer funds to China until China was united. While knowing that the New Consortium did not permit any country to build the Zhengjiatun-Tongliao railway line, which was a branch line of the Siping-Taonan railway line, Japan went ahead and built that railway. We can therefore see that the Hara cabine
著者
光延 忠彦 ミツノブ タダヒコ MITSUNOBU Tadahiko
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
no.14, pp.1-16, 2007-03

1990 年代の都知事選挙においては、95 年に青島候補が、また99 年には石原候補が勝利して東京都政を担ったが、両者はともに政党から距離を置く候補の点では共通しながらも、青島都政は一期で退場したのに対し、石原都政は二期目を続行中である。興味深いことに、こうした差異の説明では、ジャーナリズムに見られる政治家のリーダーシップ論が典型的である。しかしながら、ここでの議論では政治家個人の資質に関わるものが中心で、分析を通じて何らかの理論的課題が提出されるという点では必ずしも十分ではない。そこで本稿は、青島都政では挫折した政治的リーダーシップが、なぜ石原都政では達成し得たのか、この点に一定の解答を付すべく知事と議会の関係から接近し、政治的リーダーシップを制度的要因から考える。
著者
吉永 明弘
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.139-145, 2003-02-01

本稿の主題は、環境問題を、人間の「経験」を媒介にして考えることである。そのために、まず最初に、本稿における「環境」の範域を、人間が実感をもって経験できる「ローカル」な範域にしぼりこむ。次に、これまでの環境思想の中から、ローカルな環境について論じたものとして、「バイオリージョナリズム」という思想を取りあげ、その意義と問題点を明らかにする。そして、その間題点を乗り越えるために、「人間主義的地理学」と呼ばれる一連の論考にそって、人間の経験を媒介とした環境論を展開していく。
著者
望月 由紀
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.114-119, 2002-02-01

本論分の目的は人格概念から意識主体的意味合いの排除を目的としており、トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』における人格概念をその手がかりとする。
著者
朱 武平 シュ ブヘイ ZHU WUPING
出版者
千葉大学大学院社会文化科学研究科
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
no.12, pp.142-156, 2006-03

日本語のとりたて表現には主に2種類の形式があるとされている。一つは「特に、もっぱら」などのような副詞1によるとりたてで、もう一つは「だけ、ばかり、こそ、さえ」などの助辞によるものである。本稿では、後者のとりたて助辞2を対象とし、「も」をとりあげて考察をおこなう。「も」について、とくに従来あきらかにされてこなかった他の助辞との相互承接の面に重点を置き、実例から確認することができるすべてのパターンと、その出現の傾向について考察する。手元にある資料には限りがあり、充分な結果が示されるとは言えないが、「も」による格助辞、副助辞、係助辞(「も」を除き)のとりたて形式を示し、その文法的特徴をあきらかにするという目的は果たせているだろう。
著者
侯 越
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.A1-A16, 1999-02-28

本文の目的は、戦後の歴史を辿りながら、わらび座の活動の特徴、わらび座の理念における変化と一貫性を見出すものである。つまり、わらび座を取り巻く社会状況を背景に据え、わらび座の芸能創造の理念とその実現方法に焦点を当て、わらび座と白本社会との間に、どのような相互交渉の関係が存在するのかを考察することである。異なる時代において、わらび座の社会運動への関わり方と芸能創作の方法が大きく変化したため、本論文は、わらび座の歴史を大きく四段階に分け、考察を進めることにする。