著者
森田 俊吾
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.193-210, 2015-03-01

La poésie d’Henri Meschonnic est inséparable de la théorie qu'il a construite. Les recherches qui précèdent mettent donc en évidence certains concepts de la théorie de Meschonnic, par exemple, l’« identification de soi et des autres » ou la « poétique de la vie », dans son dernier recueil de poèmes L’obscur travaille (2012). Nous abordons pour notre part d’autres aspects dans ces poèmes. Tout d’abord nous analysons la relation entre l’obscurité et la lumière, car Meschonnic y emploie maintes fois le mot « lumière ». Le concept de « lumière » qui vient de l’essai sur Pierre Soulages est analogue à celui du « rythme » meschonicien. Meschonnic tente-t-il par là de décrire la lumière comme rythme par l’intermédiaire de la pensée héraclitéenne ? Ou développe-t-il cette pensée en passant par celle de Émile Benveniste, pour conclure que la relation entre « lumière » et « obscur » est réversible, en citant les termes de Victor Hugo ? Dans cet article, en analysant le flux dans l’identification entre soi et l'autre, nous montrons que c’est la mort qui l’immobilise, et que ce qui suggère cette mort n’est que la date ou le fait biographique.
著者
西尾 悠子
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.273-287, 2012-03-01

„[D]ie Suche nach Heimat, der verlorenen und wünschenswerten“, spielt in Johnsons Hauptwerk Jahrestage. Aus dem Leben von Gesine Cresspahl eine zentrale Rolle. Gesine Cresspahl, gebürtige Mecklenburgerin, die aufgrund ihrer politisch-moralischen Unstimmigkeit mit der DDR ihr Land verließ und zum Zeitpunkt des Romans in New York lebt, ist stets auf der Suche nach einem Ort, in dem sie, ohne schuldig zu werden, leben kann. Die Tetralogie umfasst jedoch nicht nur das Leben der Protagonistin. In ihrem Großstadtleben pflegt sie Umgang mit Personen unterschiedlicher Hintergründe: Die einen wurden von ihrer Heimat vertrieben, die anderen haben nicht die Möglichkeit, eine andere Heimat zu wählen, oder fühlen sich nirgendwo auf der Welt heimisch. Durch das gesamte Werk wird gefragt, was überhaupt eine Heimat ist oder sein kann. Das Ziel dieser Arbeit ist, anhand des Beispiels D. E., der als die „Gegenfigur“ zu Gesine gilt, die Komplexität und Differenziertheit des Heimatbegriffs in den Jahrestagen zu veranschaulichen.
著者
佐原 怜
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
no.10, pp.221-236, 2012

L'objectif de cet article est de mettre en lumière le principe de l'intelligence chez Alfred Jarry en s'appuyant sur les discours de psychologues de l'époque et sur ceux de philosophes épistémologiques. Dès les premiers écrits de Jarry, le concept d'atomisme s'impose sous la figure du sable, qui symbolise chez lui les mots, la mémoire et les idées. La psychologie empiriste, qui se propageait largement à l'époque en France, se base sur le concept d'atomisme, et l'associationnisme en fait partie. Selon cette théorie, tous les éléments mentaux s'associent de façon immanente, sans travail sélectif de l'intelligence. L'association des atomes, selon Jarry, tient du hasard. Dans son roman postérieur, la figure d'atome réapparaît, cette fois-ci soumise aux lois physiques. Le héros du roman sort de l'espace-temps afin d'en reconstruire l'unité. Cette action peut s'expliquer au regard de la pensée de Kant, selon laquelle le libre arbitre est rendu possible lorsque le moi transcende le temps et le monde phénoménal. Ainsi c'est dans cette même dimension que l'intelligence selon Jarry peut sélectionner les phénomènes accidentels pour les intégrer à sa création.
著者
Terasawa Takunori
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.109-124, 2012-03-01

本研究は、日本社会における「英語格差」(English divide)の実態を、経験的な研究の知見を整理することで明らかにし、「英語教育と平等」という議論への示唆とするものである。まず、多様な用いられ方をしている「英語格差」という用語を5つに類型化し、このうち「教育と平等」という論点に関連が深い「英語教育機会」論(既存の富の差→英語力の差)および「資本としての英語力」論(英語力の差→新たな富の差)に分析対象を限定する。これらを統合すると、一種の再生産論と見なすことができるが(既存の富→英語力→新たな富)、この再生産過程を「英語格差」と定義し、これを先行研究の整理によって検証する。その結果、前者(既存の富の差→英語力の差)の存在は明らかになったが、後者(英語力の差→新たな富の差)は、英語力の賃金への効果を取り扱った研究を見るかぎり、かなり限定的なものであることがわかった。以上から、経済的な再生産としての「英語格差」論は否定されたわけだが、格差は経済的な面に限定されないこと、また、分析に用いたデータが過去のものであり現在の政策決定に直接的な回答を与えるものではないため、慎重な教育政策論議が必要である。
著者
新井 保裕
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.1-17, 2011-03-01

일본과 한국에서 중요한 커뮤니케이션 도구로 사용되어지는 휴대폰 문자에서는, 규범에서 벗어난 표기가 많이 사용되고 있지만, 이에 대한 대조 연구는 거의 이루어지지 않고 있다. 본고에서는 그러한 휴대폰 문자 언어에 대한 일한대조연구를 고찰하고자 한다. 또한 선행연구에서와 달리 계량적 분석을 사용함으로써, 사용자의 언어 사용 의식 및 전략을 규명하고자 하였다. 분석 결과, 첫째, 일본에서는 일본어화자의 비쥬얼 커뮤니케이션 지향성이 반영되어, 다양한 문자를 사용하는 경향이 있음이 나타났다. 둘째, 한국에서는 일본보다 탈규범적인 표기가 많이 사용되며, 본 조사의 대상인 대학생들 사이에서는 휴대폰 문자 언어 정착도가 높음을 시사되었다. 셋째, 남성은 여성에 비해 그러한 표기를 많이 사용하지 않는다는 경향이 일한 공통으로 나타나, 남성의 수용도가 낮다는 것을 알 수 있었다. 마지막으로, 그러한 남성도 수신자가 여성인 경우에는 표기의 사용 수를 증가시켜, 여성의 커뮤니케이션 사타일로의 시프트가 일어날 가능성이 있다.
著者
栗田 岳
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.17-31, 2010-03-01

『紫式部日記』の「才さかし出ではべらむよ」という一文(「当該箇所」と称する)について、「さかし出づ」と「むよ」の実例を調査し、以下の結論を得た。まず、当該箇所に見られる「さかす」は、「【才】を盛んな状態にする」意である。さらに、それが「出づ」と複合した結果、「【才】を【さかす】ことによって、【才】が表に【出づ】」という構造を成す。したがって、「才さかし出づ」とは、「才知を盛んな状態にすることによって、その才知が表に現れる」の如く解釈するのが適当である。一方、述語にムヨを持つ文には、言語主体の、「自身の当然とするところから外れた事態が、未来時において避けがたく生じてしまう」という判断を表す例があり、当該箇所も、その一つと見られる。以上を総合するに、当該箇所とは、「宮中で才知を働かせて、それが人の知るところになる」という事態は、謙抑を当然とする自分本来の姿からは外れているけれど、その事態がこの先に生じてしまうことは避けがたい、と嘆息する文である。そして、この解釈は、当該箇所に続く『紫式部日記』全体の文脈と調和している。
著者
ギュヴェン デヴリム C
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.101-116, 2008-03-01

1994 Nobel laureate Kenzaburo Oe's short novel Kakoseikatsusha (1960) (Falling Man) portrays at first a deliberate, then an unavoidable, "fall" of a prestigious assistant professor at a government university in Tokyo. Betraying his rural origins including his family members, as a result of a rapid and successful ascent, he experiences an identity crisis which forces him to suspend this ascent. Such a "fall" accompanied by a homo-social solidarity and collision which constitutes the main theme of this novel reflects remarkably contemporary socio-political developments of the era which the novelist was a part of. As is the case of Oe's other works, the theme of sexuality is used as a metaphor for socio-political and international power relations ; with a difference though in this short novel, being the adoption of the theme of homo-social, solidarity and rivalry between men throughout the struggle for power in a hierarchical social and/or international system.
著者
文 彰鶴
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.31-47, 2011-03-01

本稿では日韓両言語の文末形式を取り上げ、その対応関係を考察する。・日本語の終助詞と韓国語の終結語尾の間には有意義な対応関係が見られず、日本語の平叙文の断定形の意味分類(「知覚表明」と「知識表明」)と韓国語の終結語尾が担う意味の間において、より密接な対応関係が見出された。・日本語では 断定形で「知覚表明」と「知識表明」の違いを表すことができるが、韓国語では終結語尾の選択によって両者を区別している。・ 驚き・戸惑いを表す感動詞、また断定や不確かな記憶の想起を表す叙法副詞との共起関係において、日本語の断定形の意味分類と韓国語の終結語尾が平行していることから両者の対応関係が検証される。
著者
小野 絵里華
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.161-176, 2012-03-01

本稿では2004年に発表された多和田葉子『旅をする裸の眼』のテクスト分析を行なう。その際、ベトナムからヨーロッパにやってきた主人公が見ているカトリーヌ・ドヌーヴ主演映画との関連を分析する。特に、フランス領インドシナを描いた映画『インドシナ』(1992年)を見ながら、植民地主義を批判しているはずの主人公が幼児的に退行し、映画のなかのドヌーヴという西洋植民者側の<母>に積極的に従属しようとする在り方は、映画鑑賞におけるマゾヒスティックな欲望と相まって見逃してはならない点である。そこには、映画『インドシナ』の批評にあるように、植民地の記憶を「集合的ファンタジー」として記憶させる植民者側の戦略があったかもしれず、主人公はそれにはまってしまったことになる。ホーチミンを崇拝している主人公は、パリで不法滞在しながら、一方では資本主義を批判し、一方ではドヌーヴに表象される西洋的身体に魅了されるという矛盾のなかを生きている。ベルリンの壁崩壊後の世界で、もはやどこにも居場所がない主人公は、最後には「時計の針」で映画狂の自分自身の目を突いてしまおうとする。それは「共産主義/資本主義」「西洋/東洋」といった二項対立に抵抗し、異空間へと越境するための残された唯一の手段であった。
著者
寺沢 拓敬
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.91-107, 2014-03-01

本稿の目的は、英語以外の異言語に対する「日本人」の態度を計量的に明らかにすることで、日本社会の多言語化に関する議論の基礎資料とすることである。主たる分析対象は、「日本版総合的社会調査」2006年版の「関心のある英語以外の言語」設問である。同調査の標本は、無作為抽出で採られているため、結果を「日本人」全体に一般化することが可能である。分析の結果、明らかになった点は、(1)調査時点で、「日本人」の約8割が英語以外の異言語の学習に何らかの関心を示したが、その関心は、日本社会の多言語化状況を必ずしも反映していない、(2)ジェンダー・年齢・教育レベルによって関心のある異言語が大きく異なった、(3)生活場面における外国人との接触機会は、異言語への関心を生んだが、頻繁な接触はむしろ異言語への関心を低めた、(4)英語力を持っていること自体は、英語以外の異言語学習に対する関心にはつながらないが、英語の使用・学習意欲は関心を高めた、という点である。以上の結果をもとに、「日本人」の異言語に対する態度の特徴について議論した。
著者
瀬崎 圭二
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.175-190, 2003-03-01

明治40年代に本格化するデパートメントストア的な販売法は、実際的行為のレベルにおける<万引>の可能性を広げることとなった。急増する<万引>を前にした目本精神医学の泰斗呉秀三は、「万引(窃盗の一種)の精神状態」(明治42・1)の中で、欧米の精神医学が呈する<窃盗癖=kleptomania>なる概念を導入し、<万引>の原因を女性の<ヒステリー>から生じる<虚栄心>へと帰着させる。この呉の医学的見解こそが、呉服店/百貨店における女性の<万引>に対する認識のパラダイムを形象することになるが、言うまでもなくそれは性的な偏差を伴った欧米の精神医学を反復するものでしかなく、<万引>する女性達に対して<病>の認識を付与していくことになった。このような認識のパラダイムに亀裂を入れるのが寺田寅彦の「丸善と三越」(大正9・6)であり、寅彦の言説は、医学的認識の中で保持されている<虚栄心>という読解コード自体を疑問に付すと同時に、消費システムの虚構性を暴露する可能性を持った行為として<万引>を捉えている。こうした試みは、物理学という内部に自足することのない寅彦の言説における<エッセイ的思考>によって支えられていたと言えよう。
著者
津村 敏雄
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.137-148, 2010-03-01

The purpose of this study is intended as a part of a comparison of English education in Japan with that in South Korea. In both countries, the entrance examination which is the nation's most widely used as admissions test among colleges and universities has been conducted for a long time. In Japan, the entrance examination is called 'National Center Test for University Admissions'; in South Korea, it is called 'College Scholastic Ability Test.'It assesses not only students'knowledge of English skills but also the critical thinking abilities which students need for academic success in college and university. The author chronically analyzed both English examinations which had been conducted from 1994 to 2009 especially focused on vocabulary with special reference to token, type, readability, and distribution of the vocabulary control list. The findings of this analysis show that the number of vocabulary in the entrance examination of both countries has been increasing gradually since 1994, and that the entrance examination of South Korea has a tendency to use wider range of vocabulary in the vocabulary control list as well as larger vocabulary in number than that of Japan.
著者
寺沢 拓敬
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.159-175, 2013-03-01 (Released:2013-05-27)

本研究の目的は、戦後日本社会における英語の位置づけを、世論調査の分析によって、客観的に明らかにすることである。このテーマは、従来から注目を集めてきたもので、先行研究も多数あるが、日本社会全体を考慮に入れた客観的な検討は乏しい。こうした問題に対処するため、過去に行われた世論調査を収集し、それらの分析・経年比較を行った。収集の結果、英語に関する設問を含む、多数の世論調査が見つかったが、紙幅の関係上、本研究では、英語志向の一指標となる2設問 ―すなわち「現在の英語学習」「英語学習意欲」― に焦点化し、とくにその歴史的変化とジェンダーとの関係性を主たる検討対象とした。分析の結果、日本社会「全体」を覆うかのように言われてきた「英語ブーム」や、「女性は本質的に英語志向」のような一枚岩的なジェンダー観・英語観には、根拠が薄いことがわかった。その上で、日本社会の英語志向には、従来言われてきたものよりも、いっそう複雑な歴史的推移・ジェンダー差が見出せることを明らかにした。
著者
鴻野 知暁
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
no.10, pp.19-35, 2012

本稿は連体形や体言に後接し、そこで文が終止するというコソの文末用法について考察する。この用法は10C末頃から認められる。本稿では、平安初期から中期の作品を調査し、異文を併せて考えることによって、当該用法の発生を探った。上代で文の中間に現れていたコソは、中古には文末の述語内部にも生起するようになる。それに伴い、~ニコソアレという形式が頻繁に使われるようになる。当該用法は、これを下地として、~ニコソアレから(1)アレの省略、(2)ニの脱落という二つの変化によって生じたものであると結論される。係助詞の述語位置への進出は中世でさらに進行し、ヤランやゴサンナレ、ゴサンメレといった形式がこの背景の元で成立したと見られる。
著者
小野 絵里華
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.233-249, 2010-03-01

本稿では、「第三の新人」作家、安岡章太郎(1920-)の文壇デビュー作「ガラスの靴」(1951年)の作品分析をおこなう。「第三の新人」という呼称が、先の「戦後派」たちの作家に比べ、難解さ・思想性・政治性がないということをさして使われたように、通常、本作品は、占領下という時代状況にも関わらず、私的世界が描かれた、どこか童話的な透明な物語として読まれてきた。しかし、本稿の分析で分かるように、そこには、確固とした、敗戦という現実へのまなざしがあるのであり、主人公は、新しいアメリカという<権威>=「第二の父」のもとで、敗戦国民という屈辱感を全面的に抱いていることが分かる。そこには、江藤淳が1970年の論考で、対米依存型の日本社会を「「ごっこ」の世界」として捉えた事態が、まさに<私>のレベルで演じられているといえる。
著者
寺沢 拓敬
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
no.11, pp.159-175, 2013

本研究の目的は、戦後日本社会における英語の位置づけを、世論調査の分析によって、客観的に明らかにすることである。このテーマは、従来から注目を集めてきたもので、先行研究も多数あるが、日本社会全体を考慮に入れた客観的な検討は乏しい。こうした問題に対処するため、過去に行われた世論調査を収集し、それらの分析・経年比較を行った。収集の結果、英語に関する設問を含む、多数の世論調査が見つかったが、紙幅の関係上、本研究では、英語志向の一指標となる2設問 ―すなわち「現在の英語学習」「英語学習意欲」― に焦点化し、とくにその歴史的変化とジェンダーとの関係性を主たる検討対象とした。分析の結果、日本社会「全体」を覆うかのように言われてきた「英語ブーム」や、「女性は本質的に英語志向」のような一枚岩的なジェンダー観・英語観には、根拠が薄いことがわかった。その上で、日本社会の英語志向には、従来言われてきたものよりも、いっそう複雑な歴史的推移・ジェンダー差が見出せることを明らかにした。
著者
大野 晃由
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.201-217, 2010-03-01

Comme Paul Bénichou l'a mentionné, Hugo a souligné plusieurs fois la tâche sociale du «Poète» de rendre un «écho sonore» au monde par ses oeuvres dès la première pièce des Feuilles d'automne. Plus tard, il a étendu ce rôle au domaine politique. Il a demandé au dirigeant idéal de l'État d'assumer un rôle de «porte-parole» du peuple ; le hero de Ruy Blas et l'empereur des Burgraves incarnent ce rôle. Hugo s'est cru un «génie» privilégié qui interprète la volonté générale du peuple quand il a commencé la carrière politique en 1846. L'analyse de son discours parlementaire révèle, cependant, qu'il a abandonné graduellement cette conscience de soi en tant que «Poète» et cherché un autre moyen de persuasion. Nous examinons le développement de sa pensée sur la politique sociale et sur le suffrage universel. Nous allons essayer de démontrer que Hugo s'est transformé d'un utopiste humanitaire en un penseur politique réaliste vers 1850.
著者
小嶋 美由紀
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.33-48, 2010-03-01

本文试图阐明上海话与广东话的处置句、话题句里出现的续指代词"伊"及"佢"的功能。以往的研究既已指出, 包含续指代词的处置式句子只能表达非现实(irrealis)事件, 但却没有解释其制约原因。笔者认为设置续指代词的主要目的是表达说话人或动作者对某一个未实现的事件要实现的强烈意志。本文讨论处置意义与主语具有意志性的关系, 并明确说话人选择续指代词的动因。
著者
大野 晃由
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
no.8, pp.201-217, 2010

Comme Paul Bénichou l'a mentionné, Hugo a souligné plusieurs fois la tâche sociale du «Poète» de rendre un «écho sonore» au monde par ses oeuvres dès la première pièce des Feuilles d'automne. Plus tard, il a étendu ce rôle au domaine politique. Il a demandé au dirigeant idéal de l'État d'assumer un rôle de «porte-parole» du peuple ; le hero de Ruy Blas et l'empereur des Burgraves incarnent ce rôle. Hugo s'est cru un «génie» privilégié qui interprète la volonté générale du peuple quand il a commencé la carrière politique en 1846. L'analyse de son discours parlementaire révèle, cependant, qu'il a abandonné graduellement cette conscience de soi en tant que «Poète» et cherché un autre moyen de persuasion. Nous examinons le développement de sa pensée sur la politique sociale et sur le suffrage universel. Nous allons essayer de démontrer que Hugo s'est transformé d'un utopiste humanitaire en un penseur politique réaliste vers 1850.