著者
宮家 準
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.1124-1117, 2012-03-20
著者
堀 伸一郎
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.1322-1328, 2015-03-25

識語に15世紀の日付を明記する古ベンガル文字仏教写本が複数存在する.本稿では,ケンブリッジ大学図書館所蔵Kalacakratantra貝葉写本(Add. 1364)の識語について,実見調査に基づく解読結果を提示した上で日付・地名・人名・肩書等を検討する.同写本は1870年代に外科医Daniel Wrightがカトマンドゥ盆地で収集したものである.Kalacakratantra校訂本(Raghu Vira and Lokesh Chandra 1966およびBanerjee 1985)では本写本が使用された.2枚の夾板の両面に細密画が描かれているため,Pratapaditya Palをはじめ多くの美術史研究者の注目を集めた.従来の研究では写本の年代を1446年とするが,識語の日付に曜日が含まれているため,インドの暦法に基づいて日付を西暦に換算し確定することが可能である.「ヴィクラマ暦1503年Bhadrapada月黒分13日水曜日」という日付が,満年数・Karttika月始まり・満月終わりで記述されているものとすれば,Suryasiddhantaに基づくソフトウェアpancangaによって,西暦1447年8月9日水曜日に確定する.寄進者は,sakyabhiksuの肩書を持つJnanasriである.筆写者はJayaramadattaであり,sasanikakaranakayastha(行政書士)という肩書を持っていた.筆写者の居住地と考えられるKerakiという村名は,データベースIndia Place Finderで検索すると,ビハール州ガヤー県Kerki村,ジャールカンド州パラームー県Kerki村という二つの比定候補が見出される.識語の最後に書かれる1詩節は,Ratnavadanatattvaの最終詩節と一致する.Kalacakratantra写本の他,コルカタ・アジア協会所蔵Bodhicaryavatara写本(G. 8067)の識語に記される日付は,西暦1436年2月21日火曜日に確定し,ムンバイ・個人所蔵Karandavyuha写本の日付は,西暦1456年10月27日水曜日に確定する.東インドでは,ヴィクラマシーラ等の大規模仏教寺院が13世紀初頭までにテュルク系ムスリム軍の軍事攻撃で破壊された後,仏教が滅亡したというのが従来の通説であった.しかし本稿で扱う写本識語は,15世紀中葉の東インド村落地域にサンスクリット仏教文献を伝承する仏教徒が存在したことを明確に示しており,通説に再考を促すものとなろう.
著者
真鍋 俊照
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.258-266, 2014-12-20
著者
山崎 一穂
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.1276-1281, 2015-03-25

Ksemendraの仏教説話集Bodhisattvavadanakalpalata (Av-klp)第59, 69-74章はアショーカ王に関する伝説の叙述にあてられている.うち第73章はアショーカ王による龍調伏伝説を主題とする.この伝説を伝える並行資料はチベット大蔵経テンギュル書翰部所収Asokamukhanagavinayapariccheda (AsM),漢訳『天尊説阿育王譬喩経』(T no. 2044, vol. 50),『雑譬喩経』(T no. 205, vol. 4)及び17世紀のチベット僧ターラナータが著した史書に存する.これらのうちターラナータの史書はAv-klpとAsMに依拠したことを第六章末で明らかにしている.本論はターラナータの史書を除く四伝本とAv-klp所収話が伝える内容を比較し,Av-klp所収話の材源を明らかにすることを目的とする.Av-klpは漢訳二本に欠損,もしくは両者と食い違う物語要素をAsMと共有しており,両者の間には複数の字句の一致が確認され得る.従ってKsemendraが材源とした「龍への伝令物語」がAsMのそれに最も近いものであったことが推定される.しかしAv-klpにはAsMに対応部分を持たない物語要素が二箇所存在する.うち「アショーカ王による仏陀への帰依文」(第16-17詩節)はその文体的特徴から判断してKsemendra独自の創作と考えられる.これに対し「ウパグプタの招来」(第25-27詩節)は文脈,文体上彼の創作とは見倣し難い.この物語要素については(1)Ksemendraが何らかの材源からこれを知り得て自らの「龍への伝令物語」に挿入した,或いは(2)彼が自身の材源とした「龍への伝令物語」に既に挿入されていたという二つの可能性が考えられる.
著者
静 春樹
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.1315-1321, 2015-03-25

本稿はマイトリパのヴィクラマシーラ僧院追放とアティシャの関与の問題を検討し,僧院における声聞乗の律と金剛乗の三昧耶の対立を述べる.マイトリパ(別名アドヴァヤヴァジラ)は有名な学匠でありタントラの実践者でもあった.マイトリパの生涯とその事績について論じた羽田野伯猷は,アティシャに十九年間師事したナクツォ訳経師からの口承に基づくとされる『アティシャ伝』に大きな信頼を置いてマイトリパの追放事件に言及している.Mark Tatzはこの問題を再検討しチベット人歴史家の方法論自体に疑問を挟み,羽田野論文に批判的な見解を提出している.本稿では最初にチベット人の歴史書を引用する.つぎにTatz論文の要点を紹介する.そこで筆者は,僧院規律に違犯して追放された出家者が,僧院の外部に何らかの活動拠点をつくり,それが金剛乗の信解者たちの交流の場となる可能性を指摘する.玄奘を始めとする中国人巡礼僧の報告によれば,インドの仏教僧院は「大小共住」であった.こうした状況下で,タントラ行の目的で酒を備えもち瑜伽女と目される女性と飲むことが僧院追放となるのであれば,ガナチャクラや「行の誓戒」「明の誓戒」などの金剛乗の信解者に義務づけられている行の実践はおよそ不可能となる.それらのタントラ的実践は単なる創作だったのであろうか.もし実際になされていたとすれば,問題はどこで実行されていたかである.ひとつ明確なことは,誰が僧院から追放されたとしても,その金剛乗の比丘は「ヴァーギーシュヴァラ準則」(bhiksum vajradharam kuryat)によって持金剛者のアイデンティティをもっていることである.僧院に属する金剛乗の比丘と僧院外部の在俗瑜伽行者が金剛乗の仲間内にだけ開かれた何らかの宗教施設でタントラ的行を実践することは可能だったはずである.金剛乗の世界が僧院以外の施設を建立し運営していたことは典籍に窺える.金剛乗の比丘たちはそのような施設を訪れタントラ的実践を行っていたと筆者は問題提起する.
著者
師 茂樹
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.1126-1132, 2015-03-25

雲英晃耀(きら・こうよう,1831-1910)は,幕末から明治時代にかけて活躍した浄土真宗大谷派の僧侶で,キリスト教を批判した『護法総論』(1869)の著者として,また因明の研究者・教育者として知られる.特にその因明学については,『因明入正理論疏方隅録』のような註釈書だけでなく,『因明初歩』『因明大意』などの入門書が知られているが,その内容についてはこれまでほとんど研究されてこなかった.雲英晃耀の因明学については,いくつかの特徴が見られる.一つは実践的,応用的な面である.雲英は国会開設の詔(1881)以来,因明の入門書等を多数出版しているが,そのなかで共和制(反天皇制)批判などの例をあげながら因明を解説している.また,議会や裁判所などで因明が活用できるという信念から因明学協会を設立し,政治家や法曹関係者への普及活動を積極的に行った.もう一つは,西洋の論理学(当時はJ. S. ミルの『論理学体系』)をふまえた因明の再解釈である.雲英は,演繹法・帰納法と因明とを比較しながら,西洋論理学には悟他がないこと,演繹法・帰納法は因明の一部にすぎないことなどを論じ,西洋論理学に比して因明がいかに勝れているかを繰り返し主張していた.そして,三段論法に合わせる形で三支作法の順序を変えるなどの提案(新々因明)を行った.この提案は西洋論理学の研究者である大西祝や,弟子の村上専精から批判されることになる.雲英による因明の普及は失敗したものの,因明を仏教から独立させようとした点,演繹法・帰納法との比較など,後の因明学・仏教論理学研究に大きな影響を与える部分もあったと考えられる.
著者
麥 文彪
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.1101-1105, 2014-03-25

『ヤヴァナジャータカ』(ギリシャ人の出生占星術)は紀元後のギリシャとインドの二つの文明の交流の証拠となる重要な文献である.このテキストは19世紀末から文献学者に知られていたが,校訂本は1978年にピングリーによってはじめて出版された.その後,シュクラ(1989)とファルク(2001)がピングリーの校訂及びその解釈の様々な誤りを指摘したが,全体的にテキストについての研究は進んでいなかった.2012年に新しいネパール写本が発見されたのをきっかけとして筆者は『ヤヴァナジャータカ』が紀元後149/150年にアレクサンドリアでヤヴァネーシュヴァラという人物がギリシャ語で創作した作品を,紀元後269/270年にギリシャ人のスプジドヴァジャが韻文化したという「ピングリー説」を批判した.本稿は今までの様々な発見をまとめ,ピングリー版の誤読を訂正し,脱文を埋め,『ヤヴァナジャータカ』の歴史的な位置を再考する試みである.
著者
手嶋 英貴
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.1072-1080, 2014-03-25

『マハーバーラタ』(Mahabharata)第14巻(MBh14巻)は「アシュヴァメーダの巻」(Asvamedhika-Parvan)と名付けられており,ユディシュティラ王による大掛かりなアシュヴァメーダ挙行の経緯を描いている.そこでは,大戦争を通じて多くの同族を殺した王が,その罪からの解放を願い,効験あらたかな滅罪儀礼であるアシュヴァメーダを行う.その上で,本祭に先だち十ヶ月間放浪する馬をアルジュナが守護し,各地で戦争の残敵を撃破する英雄譚が展開される.他方,MBh 14巻には,断片的ではあるが,アシュヴァメーダの祭式描写が数多く含まれており,そこからこの巻の編纂者がどのような祭式学的知見を有していたかを推知しうる.そのうち特に注目されるのは,MBh 14.91.7-19で描かれているダクシナー(祭官への報酬)の描写である.そこには,Satapatha-Brahmana=(SB)など,一部のヴェーダ祭式文献が示す規定と共通する要素が認められるからである.本稿では,これら祭式文献のにおけるダクシナー規定と,MBh 14巻におけるダクシナー描写とを比較し,同巻編纂者がどのような祭式学的知識をもち,またそれを物語の劇的展開にどう活用したかを考察した.その主な検討結果は以下のとおりである.(1)MBh 14巻におけるダクシナー描写には,祭式学の視点から次の三つの特徴が指摘できる:[A]アシュヴァメーダのダクシナーを「大地」とする(MBh 14.91.11a-b);[B]祭式終了後,祭主は森林生活に入る(MBh 14.91.12a);[C]大地(国土)は四等分されて四大祭官に分与される(MBh 14.91.12b-d).(2)祭式文献の規定を照合すると,上記[A]〜[C]の三特徴は,アシュヴァメーダのほかプルシャメーダ,サルヴァメーダを含む都合三祭式のダクシナー規定に散在している.つまり,MBh 14巻のダクシナー描写は,三つの異なった祭式規定の複合からなる.(3)祭式文献のうち,上記の三特徴を全て示すのはSBのほか,Sankhayana-およびApastamba-Srauta-Sutraだけである.このことから,MBh 14のダクシナー描写は,これら三文献に共通して伝えられている伝承に起源を持っていたと推測される.
著者
関戸 堯海
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.1300-1307, 2014-03-25

文永九年(1272)二月,寒風が吹きつける佐渡の塚原三味堂で,日蓮は『開目抄』を書き上げた.「日蓮のかたみ」として門下に法門を伝えるための論述である.日蓮は『開目抄』において,諸経にすぐれる『法華経』が末法の衆生を救う教えであることを力説する.まず,あらゆる精神文化と仏教を比較して,その頂点に『法華経』があることを論述する.一切衆生が尊敬すべきは主徳・師徳・親徳であり,学ぶべき精神文化は儒教・仏教以外の宗教思想・仏教であるとして,それぞれの思想的特徴を精査して,仏教が最もすぐれるとし,なかでも『法華経』が釈尊の真実の教えであることを「五重相対」の仏教観によって証明する.続いて,『法華経』のすぐれた思想的特色として,一念三千および二乗作仏・久遠実成を挙げて詳細に論じている.そして,『法華経』迹門の中心をなす方便品は一念三千・二乗作仏を説いて,爾前諸経の二つの失点のうち一つをまぬがれることができたが,いまだ迹門を開いて本門の趣旨を顕らかにしていないので,真実の一念三千は明らかにされず,二乗作仏も根底が明らかにされていないと述べ,本門を中心とした法華経観を提示する.また,末世の『法華経』布教者に数多くの迫害が待ち受けていることを『法華経』みずからが予言している(未来記).その経文を列挙して,数々の迫害の体験は予言の実践(色読)にほかならないとして,日蓮は末世の弘経を付嘱された上行菩薩の応現としての自覚に立ち,不惜身命の弘経活動を行なった.ことに龍口法難(佐渡流罪)を体験した日蓮は法華経の行者であることを確信した.そして,『開目抄』には「我れ日本の柱とならむ,我れ日本の眼目とならむ,我れ日本の大船とならむ」の三大誓願によって,人々を幸福な世界へと導くという大目的が表明されている.
著者
吉水 清孝
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.867-860, 2012-03-20
著者
桂 紹隆
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
巻号頁・発行日
vol.61, no.2, pp.902-894, 2013-03-20