著者
稲本 守 Mamoru Inamoto
出版者
東京海洋大学
雑誌
東京海洋大学研究報告 (ISSN:21890951)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.45-54, 2009-03-27

国連海洋法条約101条は海賊行為を、私有の船舶の乗組員が、私的目的のために行う略奪行為と定義している。しかし歴史上の多くの海賊が、実際には国家によって認可され、植民地の防衛や戦時における海商破壊等の公的目的を果たしていた「私掠船」であったことを考えるなら、「私有の船舶」及び「私的目的」の意味を明確にすることは難しい。そこで本論はまず私掠行為の発生と歴史的展開を考察し、国家が私掠船を奨励、もしくは黙認した歴史的背景と動機の解明につとめることにより、私掠行為の一貫した特長として、一定の国家戦略の存在を指摘した。更に本論は、19 世紀半ばに私掠行為が廃止された経緯を、主に国家による軍事力独占の過程から説明した。言い換えれば国家は、海上における軍事力を独占し、海賊を「万民の敵」とすることによって初めて海上における主権を確立したのである。
著者
小暮 修三
出版者
東京海洋大学
雑誌
東京海洋大学研究報告 = Journal of the Tokyo University of Marine Science and Technology (ISSN:21890951)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.23-37, 2018-02-28

本稿は、昭和 30 年代前後を中心とした戦後昭和期の銀幕に映る〈海女〉の姿、並びに、その置かれた社会状況の分析を通して、戦前期の「文化映画」から昭和50 年代の「日活ロマンポルノ」に至る過程で創造/想像された海女とポルノグラフィという恣意的な結びつきを追ってゆく。先ずは、昭和20 年代の浪漫主義的あるいは古典主義的な〈海女〉の表象の分析を通して、戦前期からの継続性、並びに、そこから階級性の取り除かれた民族/俗学的な健康美・野生美の前景化について、特に、映画『潮騒』及びその原作を巡る言説を中心に考察してゆく。続いて、〈海女〉が最も銀幕に現れた昭和30 年代、その健康美・野生美からエロティシズムと暴力性が恣意的に抽出され、殊更に強調されてゆく過程について、松竹「禁男の砂」シリーズ及び新東宝「海女」シリーズという一連の〈海女映画〉を中心に見てゆく。そして最後に、昭和40 年代、その後の「日活ロマンポルノ」につながるピンク映画の更なるエロティシズムの前景化、並びに、創られた懐古趣味的な〈海女〉の姿を見ることで、本稿を締めることとする。This article examines the social and cultural transition of "gaze" to Japanese woman divers, or Ama, on the screen in the post-WWII Period, especially from 1945 to 1974, by analyzing their representations in the "Ama Films," on which they were described as main characters. At first, focusing on their healthy beauty and wildness, I would like to show how Ama were represented through the ideas of romanticism or classicism in the films from 1945 to 1954, especially in the discourses around The Sound of Waves (Shio-sai). Then, I would like to trace the processes that their erotic and violent figures were arbitrarily extracted from their healthy beauty and wildness and were emphasized on the films from 1955 to 1964, especially on the Kindan-no Suna series by Shochiku Co., Ltd. and "Ama" series by Shin-Toho Co., Ltd. Finally, through analyzing the films from 1965 to 1974, I would like to indicate the invention of the images of "Ama" as nostalgia and as pornography in "Pink films", which eventually leaded the Ama series of Nikkatsu Roman Porno in the next decade.東京海洋大学学術研究院海洋政策文化学部門
著者
稲本 守
出版者
東京海洋大学
雑誌
東京海洋大学研究報告 (ISSN:21890951)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.45-54, 2009-03-27

国連海洋法条約101条は海賊行為を、私有の船舶の乗組員が、私的目的のために行う略奪行為と定義している。しかし歴史上の多くの海賊が、実際には国家によって認可され、植民地の防衛や戦時における海商破壊等の公的目的を果たしていた「私掠船」であったことを考えるなら、「私有の船舶」及び「私的目的」の意味を明確にすることは難しい。そこで本論はまず私掠行為の発生と歴史的展開を考察し、国家が私掠船を奨励、もしくは黙認した歴史的背景と動機の解明につとめることにより、私掠行為の一貫した特長として、一定の国家戦略の存在を指摘した。更に本論は、19 世紀半ばに私掠行為が廃止された経緯を、主に国家による軍事力独占の過程から説明した。言い換えれば国家は、海上における軍事力を独占し、海賊を「万民の敵」とすることによって初めて海上における主権を確立したのである。The article 101 of the United Nations Law of the Sea defines "piracy" as "any act of depredation, committed for private ends by the crew …of a private ship". But it is still hard to make clear what "a private ship" and "private ends" mean, taking into consideration especially the fact that many historical pirates were legally "privateers", authorized by the state, serving the public ends such as the protection of the overseas colonies or commerce raiding in times of war. The following article tries to recognize the presence of a certain national strategy as a consistent feature of privateering, by describing its emergence and development and then examining its historical background and the strategic motives of the state to promote or condone it. The article then explains the process toward the abolition of privateering in the mid-19th century, mainly indicating the monopolization process of the means of violence by the state. In other words the state could finally establish its sovereignty at sea by abolishing privateering and declaring the pirates of any kind as "enemy of mankind".東京海洋大学海洋科学部海洋政策文化学科
著者
小暮 修三
出版者
東京海洋大学
雑誌
東京海洋大学研究報告 (ISSN:21890951)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.6-19, 2014-02-28

戦前期の写真絵葉書は、現在のような地方の土産物に収まることなく、当時の新聞や雑誌以上に優れた視覚メディアとして機能していた。事実、その解像度は極めて高く、他の如何なる紙媒体よりも高画質の写真を人々に提供していたのである。それはすなわち、絵葉書が、そこに写し込まれた風景や風俗、被写体に対する見る者の意識のあり方を固定化していったことを意味している。このようなメディアの被写体として、海女は頻繁に写され続けていた。絵葉書の〈海女〉は、それを見る者の視覚的経験に対して、どのような影響をもたらしたのか?そして、そのような影響は、時代によって、どのように変遷していったのか?本稿では、公的機関では最多種/数と思われる『甦る戦前の〈海女〉:戦前海女絵葉書集』の分析に基づき、海女の写し出された時代状況や社会状況を踏まえつつ、見る者に対する影響について考察を行ってゆきたい。それは取りも直さず、明治期以降の国民国家化の過程における〈郷土=地方〉の創出から、資本主義の拡大に伴う〈地方〉の観光商品化、そして軍靴の響きを伴う国家主義化に至る時代的・社会的変遷について、海女への〈眼差し〉を通して追ってゆくことでもある。This article examines the social and cultural transition of "gaze" to Japanese woman divers, or Ama, photographed on pre-WWII postcards, by analyzing "Ama Postcard Collection" at Tokyo University of Marine Science and Technology Library, which houses one of the largest number of Ama postcards in Japanese public institutions. In general, postcards in the pre-WWII period functioned not merely as local souvenirs but as far superior visual media to newspapers or magazines in the same period. In fact, they offered people higher-definition images than any other printed media. This means that the postcards solidified and naturalized how people viewed local landscapes, cultures, and people in the pictures. As a photographic subject, Ama continuously made an appearance on the postcards and was exposed to the gaze of people, especially males living in urban areas. How did Ama postcards affect the visual experiences of people who saw them? And, how did such visual impacts vary according to times? Through answering these questions, this article eventually traces the invention of "local" in the formation processes of Japanese nationalism and capitalism since the Meiji Restoration, the period of Japanese modernization.東京海洋大学大学院海洋科学系海洋政策文化学部門
著者
木宮 直仁 平川 博 Naohito Kimiya Hiroshi Hirakawa
出版者
東京海洋大学
雑誌
東京海洋大学研究報告 (ISSN:21890951)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.21-37, 2013-02-28

本稿では、これまで編著した「あ~し」の続編として、「す~」で始まる用語について、対訳語が複数あるものを取り上げ、類義語との異同に関する注釈を付け、用例は実例を調査して、できるだけ多く提示することを試みた。法律用語の中には、請求金額のように、ビジネス用語や日常語と法律用語とが異なるものがあり、このような場合は訳語の使い分けができるように工夫することを心掛けた。また、あらぬ誤訳が生じることが懸念される場合は、特殊な法律専門用語よりも、対訳語として一般的に用いられる表現を優先的に取り上げるように配慮した。 著者らは商事法和英辞典の作成途上にあり、本稿には不十分なところも多々あると考えている。お気づきの点があれはご教示願いたい。
著者
小山 尚之
出版者
東京海洋大学
雑誌
東京海洋大学研究報告 = Journal of the Tokyo University of Marine Science and Technology (ISSN:21890951)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.76-104, 2018-02-28

本稿は二〇一四年四月二日と三日にガリマール社内のソレルスのオフィスにおいて行われたフィリップ・ソレルスとディディエ・モランとの対談を翻訳したものである。彼らはソレルスの生まれたボルドーおよびジロンド地方のことや、ソレルスが出演している映像作品について語っている。ソレルスによれば、ジロンド地方とジロンド派は革命期の国民国家成立の過程で抑圧されたものである。なぜソレルスが親ジロンド派的であり、現在のフランスという国民国家にも批判的であるのかといえば、ジロンド地方の歴史的・政治的な背景があるからだと思われる。また彼は、J.-D.ポレ、J.-P.ファルジエ、L.ラリネック、G.K.ガラボフ、S.チャンなどとともに、いくつかの映像作品を制作している。ソレルスにとって映像の中で重要なのは、声と、テクスト、音楽、場の選択である。歴史的な背景を持つ場での口頭のパフォーマンスを映像に撮ることにより、彼は、テクスト、声の肉体性、そして歴史の肉体性を取り戻そうと試みているように思われる。This article is a translation into Japanese of the dialogue between Philippe Sollers and Didier Morin, which took place at Sollers’ office in Gallimard on the 2th and 3th April 2014. Their discussion concerns Bordeau where Sollers was born, the girondin region and films in which Sollers appeared. According to Sollers, the girondin region and Girondists have been oppressed during French Revolution by forming French Nation-State. The reason why Sollers seems to be a Girondist and critical of French Nation-State might lie in the historical and political background of the girondin region. He also makes several films with J.-D. Pollet, J.-P. Fargier, L. L’Allinec, G.K. Galabov and S. Zhang. For Sollers, the important things in films are voice, text, music and choice of place. By filming oral performances in the place having its historical past, he seems to try to refind the body of the voice and of the history.
著者
木宮 直仁 平川 博 Naohito Kimiya Hiroshi Hirakawa
出版者
東京海洋大学
雑誌
東京海洋大学研究報告 (ISSN:21890951)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.48-69, 2015-02-28

本稿では、これまで編著した「あ~と」の続編として、「な~」で始まる用語について、対訳語が複数あるものを取り上げ、類義語との異同に関する注釈を付け、用例は実例を調査して、できるだけ多く提示することを試みた。法律用語の中には「内水」のように、国際法と国内法とで定義が異なるものがあり、このような場合は対訳語の使い分けができるように工夫することを心掛けた。また、あらぬ誤訳が生じることが懸念される場合は、特殊な法律専門用語よりも、対訳語として一般的に用いられる表現を優先的に取り上げるように配慮した。著者らは商事法和英辞典の作成途上にあり、本稿には不十分なところも多々あると考えている。お気づきの点があれはご教示願いたい。
著者
大森 信 Makoto Omori
出版者
東京海洋大学
雑誌
東京海洋大学研究報告 (ISSN:21890951)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.40-86, 2014-02-28

On the occasion of a donation of postage stamps collected by the author to the Museum of Fishery Sciences, Tokyo University of Marine Science and Technology, a checklist of all postage stamps depicting crustaceans from 1871 through 2002 has been completed. In all, 1407 postage stamps with crustaceans have been issued from 217 countries, regions, and organizations excluding local stamps from Russia and others. The number of taxa (species or genus) that were identified in the stamps is 354. The present collection to be donated at the Museum for future reference contains 1313 original stamps including 25 old local stamps from Vessiegonsk, Russia and 114 copies of those that were unavailable to the author.
著者
小暮 修三
出版者
東京海洋大学
雑誌
東京海洋大学研究報告 = Journal of the Tokyo University of Marine Science and Technology (ISSN:21890951)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.20-37, 2022-02-28

大正・昭和戦前期の国内博覧会では、その余興として「海女の実演」が行われ、非常な人気を博したという。現在確認し得る限り、1920年から1940年代初頭までの間に、すなわち、大正・昭和戦前期に、博覧会で行われた「海女の実演」が41件確認されている。ところで、そのような海女は、どのような視線に晒され、どのように消費されていったのか? そして、なぜ、大衆の人気を博していたのか? 本稿では、時系列に則って、博覧会の意味、そこにおける海女館の位置付け、並びに、それを宣伝する新聞メディア(特に、博覧会開催地の地方新聞)の言説を通して、海女に対する性的視線の形成過程について考察を行った。同時期における国内博覧会の海女館では、大衆の海女に対する性的視線が、博覧会の集客を望む主催者、ランカイ屋(イベント業者)、新聞メディア、それぞれの利害が絡み合う形で形成されていった。そこでの海女は、「奇妙」や「エロ」といった形容詞を伴って商品化されていくことになる。このことは、海女という生身の人間を「他者」として展示し、それを金銭と代替に鑑賞するという、大衆が圧倒的な優位的立場に置かれた非対称的な関係の構築過程を表している。
著者
小山 尚之
出版者
東京海洋大学
雑誌
東京海洋大学研究報告 = Journal of the Tokyo University of Marine Science and Technology (ISSN:21890951)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.52-60, 2022-02-28

本稿はフィリップ・ソレルスとアリオシャ・ヴァルト・ラゾースキーとの対談「夜の恐怖に直面する啓蒙の精神」の日本語への翻訳と解説である。この対談でソレルスはニヒリズムの最初の公式の宣言をゲーテの『ファウスト』の中に認めている。ソレルスはニヒリズムの特徴――生殖への医学的操作、無への意志、時間の消滅、真理を知ろうとしない意志、ポエジの貧困――に覆われた現代社会をアポカリプス的と形容する。他方、時間の旅人であるソレルスは、その音楽的、律動的なエクリチュールを通して、さまざまな世紀、さまざまな単独的存在、さまざまな言語と愛をもって交わり、われわれに束の間の晴れ間を垣間見せる。彼にとっては「ひとつの身体とひとつの魂の中に真理を所有すること」がもっとも重要な文学的実践なのである。
著者
小暮 修三
出版者
東京海洋大学
雑誌
東京海洋大学研究報告 = Journal of the Tokyo University of Marine Science and Technology (ISSN:21890951)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.23-37, 2018-02-28

本稿は、昭和 30 年代前後を中心とした戦後昭和期の銀幕に映る〈海女〉の姿、並びに、その置かれた社会状況の分析を通して、戦前期の「文化映画」から昭和50 年代の「日活ロマンポルノ」に至る過程で創造/想像された海女とポルノグラフィという恣意的な結びつきを追ってゆく。先ずは、昭和20 年代の浪漫主義的あるいは古典主義的な〈海女〉の表象の分析を通して、戦前期からの継続性、並びに、そこから階級性の取り除かれた民族/俗学的な健康美・野生美の前景化について、特に、映画『潮騒』及びその原作を巡る言説を中心に考察してゆく。続いて、〈海女〉が最も銀幕に現れた昭和30 年代、その健康美・野生美からエロティシズムと暴力性が恣意的に抽出され、殊更に強調されてゆく過程について、松竹「禁男の砂」シリーズ及び新東宝「海女」シリーズという一連の〈海女映画〉を中心に見てゆく。そして最後に、昭和40 年代、その後の「日活ロマンポルノ」につながるピンク映画の更なるエロティシズムの前景化、並びに、創られた懐古趣味的な〈海女〉の姿を見ることで、本稿を締めることとする。This article examines the social and cultural transition of “gaze” to Japanese woman divers, or Ama, on the screen in the post-WWII Period, especially from 1945 to 1974, by analyzing their representations in the “Ama Films,” on which they were described as main characters. At first, focusing on their healthy beauty and wildness, I would like to show how Ama were represented through the ideas of romanticism or classicism in the films from 1945 to 1954, especially in the discourses around The Sound of Waves (Shio-sai). Then, I would like to trace the processes that their erotic and violent figures were arbitrarily extracted from their healthy beauty and wildness and were emphasized on the films from 1955 to 1964, especially on the Kindan-no Suna series by Shochiku Co., Ltd. and “Ama” series by Shin-Toho Co., Ltd. Finally, through analyzing the films from 1965 to 1974, I would like to indicate the invention of the images of “Ama” as nostalgia and as pornography in “Pink films”, which eventually leaded the Ama series of Nikkatsu Roman Porno in the next decade.
著者
小山 尚之 Naoyuki Koyama
出版者
東京海洋大学
雑誌
東京海洋大学研究報告 = Journal of the Tokyo University of Marine Science and Technology (ISSN:21890951)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.75-92, 2020-02-28

本稿は二〇一九年春号の『ランフィニ』誌第一四四号に掲載された「前衛の死:メディ・ベラージ・カセムとフィリップ・ソレルスとの対談」を翻訳しそれにコメントを付したものである。この対談でソレルスは『テル・ケル』の前衛性、他の前衛との違い、ギー・ドゥボールと『アンテルナショナル・シチュアシオニスト』との関係、『テル・ケル』から『ランフィニ』への移行などについて証言している。
著者
稲本 守 Mamoru Inamoto
出版者
東京海洋大学
雑誌
東京海洋大学研究報告 = Journal of the Tokyo University of Marine Science and Technology (ISSN:21890951)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.65-75, 2017-02-28

On July 12, 2016, the Arbitral Tribunal issued an arbitration award on the South China Sea Dispute between China and the Philippines. It concluded that China’s historic rights to resources in the maritime areas within the so-called “Nine-dash Line” are incompatible with the International Convention of the Law of the Sea (UNCLOS) and have no legal effect. At the same time, the Tribunal acknowledged that all high-tide features in the Spratly Islands are not entitled to an exclusive economic zone and continental shelf and that no overlapping entitlements exist in the maritime zones claimed by the Philippines. After giving the background and general outline of the Award, this paper examines the reasoning of the judgment, in particular the strict standards set by the Court when applying the article 121( 3) of UNCLOS about the status of maritime features. 2016年7月12日に、仲裁裁判所は中国とフィリピンとの間における南シナ海紛争についての仲裁裁定を下した。その中で法廷は、中国のいわゆる九断線内の海域における資源に対する歴史的権利が国連海洋法条約とは両立せず、中国が主張する権利には法的根拠がないと結論付けた。更に法廷は、スプラトリー諸島における高潮線上の島嶼のすべてが排他的経済水域及び大陸棚に対する権限を有せず、フィリピンが主張する海域には権原の重複が存在しないことを認めた。 本稿は本裁定の背景と概要について紹介すると共に、今回の裁定における論拠、とりわけ島嶼の地位に関する国連海洋法条約121条3項を適用する際に設定された厳格な基準について考察した。
著者
小暮 修三 Shuzo Kogure
出版者
東京海洋大学
雑誌
東京海洋大学研究報告 (ISSN:21890951)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.6-19, 2014-02-28

戦前期の写真絵葉書は、現在のような地方の土産物に収まることなく、当時の新聞や雑誌以上に優れた視覚メディアとして機能していた。事実、その解像度は極めて高く、他の如何なる紙媒体よりも高画質の写真を人々に提供していたのである。それはすなわち、絵葉書が、そこに写し込まれた風景や風俗、被写体に対する見る者の意識のあり方を固定化していったことを意味している。このようなメディアの被写体として、海女は頻繁に写され続けていた。絵葉書の〈海女〉は、それを見る者の視覚的経験に対して、どのような影響をもたらしたのか?そして、そのような影響は、時代によって、どのように変遷していったのか?本稿では、公的機関では最多種/数と思われる『甦る戦前の〈海女〉:戦前海女絵葉書集』の分析に基づき、海女の写し出された時代状況や社会状況を踏まえつつ、見る者に対する影響について考察を行ってゆきたい。それは取りも直さず、明治期以降の国民国家化の過程における〈郷土=地方〉の創出から、資本主義の拡大に伴う〈地方〉の観光商品化、そして軍靴の響きを伴う国家主義化に至る時代的・社会的変遷について、海女への〈眼差し〉を通して追ってゆくことでもある。

1 0 0 0 OA 明治丸要目考

著者
庄司 和民 Kazutami Shoji
雑誌
東京海洋大学研究報告 (ISSN:21890951)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.1, 2007-03-30

東京商船大学名誉教授
著者
雨宮 民雄 Tamio Amemiya
出版者
東京海洋大学
雑誌
東京海洋大学研究報告 (ISSN:21890951)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.67-74, 2010-02-26

誰も時間を見ることはできない。誰も時間を聞くことはできない。誰も時間に触れることはできない。だが、時間は確実に人間を支配している。時間は人間にとって不気味な力である。そのような時間を人間は一定の形をもつものとして表象し、それを時計によって測定することによって生活の中に取り込んでいる。しかし、時間に押し流されているという不安は消えない。そのため、人間は時間を空間と同じように自由に移動できる場にしようと試みる。それがタイムトラベルの夢である。物理学の発達によって、タイムトラベルは現実に可能と考えられるようになってきた。私は、物理学的に可能とされているさまざまなタイムトラベルの方法を分析するとともに、理論を立てるという人間の行為との関係においてタイムトラベルがどのような哲学的意味を持つかを考察した。
著者
小山 尚之 Naoyuki Koyama
出版者
東京海洋大学
雑誌
東京海洋大学研究報告 (ISSN:21890951)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.7-19, 2015-02-28

本稿はフィリップ・ソレルスの小説『「時間」の旅人たち』における「時間」の様態について明らかにすることをめざしている。ソレルスによれば、「社会」における「時間」は瞬間的な今の連続であり、線状的に流れるものである。それは過去にも未来にも拡張しない。「社会」をあたかも神のごとく信じているひとびとは徐々に「時間」の感覚を失う。これに反してこの小説の話者は様々なテクストを読むことによって過去・現在・未来を自由に行き来する。彼はグノーシスによる「時間」の概念を受け入れ、天地創造や最後の審判に何の関係もない光の楽園の永遠の「時間」を見出す。ソレルスはこのような「時間」の様態を四次元的な「時間」と呼ぶ。彼にとってヘルダーリン、ランボーあるいはカフカといった「時間」の旅人たちは、「社会」における今ここで楽園とメシアを啓示するものたちである。過去・現在・未来を通して彼らのテクストは楽園の恍惚的な「時間」の存在を呼びかける。そして話者自身もこの四次元的な「時間」を旅している。

1 0 0 0 IR 明治丸要目考

著者
庄司 和民 Kazutami Shoji
雑誌
東京海洋大学研究報告 (ISSN:21890951)
巻号頁・発行日
no.3, pp.1, 2007-03-30

東京商船大学名誉教授