著者
稲本 守 Mamoru Inamoto
出版者
東京海洋大学
雑誌
東京海洋大学研究報告 (ISSN:21890951)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.45-54, 2009-03-27

国連海洋法条約101条は海賊行為を、私有の船舶の乗組員が、私的目的のために行う略奪行為と定義している。しかし歴史上の多くの海賊が、実際には国家によって認可され、植民地の防衛や戦時における海商破壊等の公的目的を果たしていた「私掠船」であったことを考えるなら、「私有の船舶」及び「私的目的」の意味を明確にすることは難しい。そこで本論はまず私掠行為の発生と歴史的展開を考察し、国家が私掠船を奨励、もしくは黙認した歴史的背景と動機の解明につとめることにより、私掠行為の一貫した特長として、一定の国家戦略の存在を指摘した。更に本論は、19 世紀半ばに私掠行為が廃止された経緯を、主に国家による軍事力独占の過程から説明した。言い換えれば国家は、海上における軍事力を独占し、海賊を「万民の敵」とすることによって初めて海上における主権を確立したのである。
著者
長島 裕二 永井 慎 小林 武志 桐明 絢 太田 晶 岡山 桜子
出版者
東京海洋大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2014-04-01

フグ毒テトロドトキシン(TTX)は水圏環境に広く分布しているが、TTXの分解に関する知見はほとんどない。そこで本研究では、製造工程中にフグ毒の毒性減少が知られているフグ卵巣糠漬けに着目し、TTXを分解する微生物と酵素をスクリーニングして、自然界におけるTTX分解メカニズムの解明に資することを目的とした。しかしながら、結論として、フグ卵巣糠漬けの毒性減少に微生物はほとんど関与しないことがわかった。一方、フグ卵巣糠漬け製造にかかわる微生物叢を次世代シーケンサーで調べたところ、極限環境微生物が検出され、これら微生物が干渉現象で有機物の分解、抑制を行っていることがメタゲノム解析により明らかとなった。
著者
趙 潔
出版者
東京海洋大学
巻号頁・発行日
2015

東京海洋大学博士学位論文 平成27年度(2015) 応用環境システム学 課程博士 甲第376号
著者
富樫 修一
出版者
東京海洋大学
巻号頁・発行日
2008

東京海洋大学修士学位論文 平成20年度(2008) 海運ロジスティクス専攻 第610号
著者
三木 陽太
出版者
東京海洋大学
巻号頁・発行日
2012

東京海洋大学修士学位論文 平成24年度(2012) 食機能保全科学 第1612号
著者
柿原 泰 藤岡 毅 山内 知也 高橋 博子 林 衛 中原 聖乃 中尾 麻伊香 市川 浩 布川 弘
出版者
東京海洋大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2016-04-01

本研究は、放射線影響をめぐる科学的な調査研究について、その形成と展開を歴史的に解明するとともに、それらが国際機関等の場でどのように評価され、防護基準の策定にいかにいかされたのかの経緯を解明することを目的とし、広島・長崎の原爆被害者に対する調査研究からチェルノブイリや福島の原発事故による影響まで、科学史を軸に据えつつ、歴史と現状の両面から、学際的に研究を進めてきた。他のグループとの共催のものも含め、学会等でのシンポジウムや公開の国際ワークショップを含めた複数の研究会合等を企画・開催し、研究成果の発表を行なうことができた。
著者
白 亜寧
出版者
東京海洋大学
巻号頁・発行日
2019

東京海洋大学博士学位論文 2019年度(2020年3月) 応用環境システム学 課程博士 甲第553号
著者
小山 尚之 コヤマ ナオユキ
出版者
東京海洋大学
雑誌
東京海洋大学研究報告 (ISSN:18800912)
巻号頁・発行日
no.4, pp.11-25, 2008-03

1930 年にアンドレ・ブルトンとジョルジュ・バタイユの間に激しい論争があったことはよく知られている。それは、ヘーゲルの弁証法を土台にしたシュルレアリストたちの採択するマテリアリスムに対して、バタイユが、みずからの低・マテリアリスムの立場から、それはイデアリスムの一形態にすぎない、と批判したことから始まった。これに対しブルトンは、バタイユは精神的に病んでいると応じたが、これによって彼にはシュルレアリスムの法王というイメージが貼られてしまった。ブルトンとバタイユはその後和解し、ファシズムに抗してわずかの間だが共に闘った。だが、彼らの死後、テル・ケル派の首領フィリップ・ソレルスが、1960 年代末に、ブルトンとバタイユのあいだにあった敵対関係を再燃させた。ソレルスの判断ではその当時、ブルトンに比べてバタイユは閑却され、孤立し、検閲の対象となっていた。そのような状況を打破するためにソレルスはブルトンを批判し、バタイユを顕揚した。しかしソレルスはブルトン批判をその30 年後に撤回し、修正する。ブルトンとバタイユのあいだには対立や矛盾があるというより、ともに並べて思考すべきなにか共通のものがある、と訂正した。実際、ブルトンとバタイユはある共通の倫理的パトスを分かち合っていたと思われる。その倫理的パトスは、全般的転覆と自由への賭けというものに根をおろしており、シュルレアリスム運動全体に伏流している。バタイユはシュルレアリストではなかったが、シュルレアリスムの傍らにあってこのようなパトスを受け留め、それをラディカルに深化させたのである。It is well known that in 1930, Andr? Breton and Georges Bataille were emroiled in a vehement controversy triggered by Bataille's criticism, from the standpoint of low materialism, of dialectic materialism of Surrealism based on the theory of Hegel. In his criticism, Bataille regarded the materialistic vision of surrealists as a kind of idealism. In response to this criticism, Breton diagnosed that Bataille suffered from a mental abnormality. Despite this, the two men were to struggle together against Fascism five years later. After the second World War, they became reconciled to each other, admitting that their disputes in the past were rather excessive. However, at the end of 1960's, Philippe Sollers, head of the group Tel Quel, revisited the old quarrel between Breton and Bataille, and concluded that Bataille had been, in comparison with Breton at that time, isolated and neglected and that it was the works of Bataille that were more important. Then, thirty years later, Sollers withdrew his criticism and corrected his attacks on Breton, maintaining that there was no contradiction between Breton and Bataille, and that it is better to treat them together than to separate them. Indeed, Breton and Bataille seemed to share a common ethical pathos, founded on the total subversion and the bet for liberty. It is this pathos, which runs right through Surrealism and that Bataille inherited from the surrealist movement and radicalized in his own manner.
著者
前田 太郎
出版者
東京海洋大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2009

嚢舌目ウミウシは、餌海藻の葉緑体を細胞内に取り込み光合成を行わせる(機能的盗葉緑体現象)。今までは嚢舌目Volvatellidae科が、盗葉緑体現象が獲得される前の祖先的な形質状態を残すグループと考えられてきたが、今回、嚢舌目内の分子系統解析により、嚢舌目の分化と同時に盗葉緑体現象が獲得され、その後Volvatellidae科内で失われたことを示した。これにより、盗葉緑体を獲得する以前の祖先種の生活史や形態の見直しを行い、盗葉緑体というユニークな現象の進化を、信頼できる系統関係から考察することができるようになった。さらに、嚢舌目ウミウシの内、盗葉緑体の光合成能保持期間が最も長い(約10ヶ月)チドリミドリガイ(Plakobranchus ocellatus)について、葉緑体DNA上にコードされるrbcL遺伝子を標的としたクローンシーケンシング解析とt-RFLP解析により、1,単一のチドリミドリガイ個体が、8種の藻類(嚢舌目ウミウシの中では最も多い)に由来する葉緑体を保持すること、2,8ヶ月間に渡り、経時的に、野外個体内の葉緑体組成を計測したところ、組成が月ごとに大きく変化することが示された、今まで、チドリミドリガイは機能的盗葉緑体に強く依存し、幼体期に摂食をして葉緑体を得た後は、摂食を行わないと考えられてきたが、もし野外で摂食が希ならば、葉緑体組成は変化せず、月間で同じような組成を示すはずなので、この結果は、野外でチドリミドリガイが頻繁に摂食を行い、葉緑体を補充していることを示している。このことから、野外の個体は、光合成のみに依存せず、海藻の摂食からも栄養を得ていることが示唆された。これは、機能的盗葉緑体を行う種の、野外での栄養取得状況を初めて確度高く推定したものである。
著者
賞雅 寛而 石丸 隆 元田 慎一 波津久 達也 古谷 正裕
出版者
東京海洋大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2005

本基盤研究では、船舶及び海洋構造物を対象とした防食、特にSUS304ステンレス材料のすきま腐食の防止に必要な放射線誘起表面活性(RISA)のメカニズムの解明、すきま腐食に対する適切な皮膜の基礎開発及び、人工海水中のRISAの効果の確認を行い、以下の結果を得た。1)試験片に小型密封放射線源^<60>Coを密着させ、その裏面から照射されるγ線を利用した実験により、ステンレス鋼の不動態皮膜をより強固にすることで局部腐食の発生を抑制し、RISA防食法が放射線照射施設外においても応用できることがわかった。2)放射化試験片自らが発するγ線を利用した実験により、中・強放射化試験片では安定した不動態皮膜を保ち、厳しい腐食環境下でも耐食性が維持できることがわかった。3)腐食電位の卑化は密封放射線源の有無に対応しており、微弱放射線環境においてもRISA効果によりすきま腐食の抑制効果が得られる。4)SUS304鋼の腐食電位をカソード防食電位まで卑化させずとも、不動態皮膜を保持し、すきま腐食を防止することを確認した。5)放射化試験片自らが発する放射線を利用した実験により、66μGy/h以上の照射積算線量で安定した不動態皮膜を保ち、厳しい腐食環境下でも耐食性が維持できることを確認した。6)試験片の照射積算線量を変化させた場合、その積算線量の増加により防食効果が増大することを確認した。これまで防食亜鉛や防食塗料などの鉄鋼構造物腐食防止法の多くはいずれも海外先進国によって開発されており、船舶・海洋構造物の腐食制御技術は国外技術に依存しているが、この新しい船舶・海洋構造物の腐食制御方法は、エネルギー環境技術として、我が国の技術水準を向上させ世界に貢献する重要な手段になると期待される。
著者
小熊 進之介 丸山 啓太 澤井 伶 中野 航平 河野 博
出版者
東京海洋大学
雑誌
東京海洋大学研究報告 = Journal of the Tokyo University of Marine Science and Technology
巻号頁・発行日
vol.18, pp.1-19, 2022-02-28

2018年4月から2019年11月に千葉県新浜湖において小型地曳網と張網を用いて採集したニクハゼの出現様式,機能発育,および食性を調査し,干潟域におけるニクハゼの初期生活史を明らかにした.本研究では853個体のニクハゼが採集された.発育段階は,遊泳関連形質に基づくと4段階,摂餌関連形質に基づくと3段階に分けられた.消化管内容物調査の結果,体長13 mm未満の個体は浮遊性カイアシ類,体長13.0–23.9 mmでは浮遊性カイアシ類と多毛類,体長24.0 mm以上では様々な動物プランクトンやチチブ属の仔魚を主に摂餌することが明らかになった.また,岸側と沖側で採集されたニクハゼの個体数の違いから,新浜湖の干潟域では仔魚は岸側で成育し,成長に伴って岸側に加えて沖側も利用することが明らかになった.さらに,本種は東京湾内湾の干潟域の中では高塩分環境を好むと考えられた
著者
小暮 修三
出版者
東京海洋大学
雑誌
東京海洋大学研究報告 = Journal of the Tokyo University of Marine Science and Technology (ISSN:21890951)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.23-37, 2018-02-28

本稿は、昭和 30 年代前後を中心とした戦後昭和期の銀幕に映る〈海女〉の姿、並びに、その置かれた社会状況の分析を通して、戦前期の「文化映画」から昭和50 年代の「日活ロマンポルノ」に至る過程で創造/想像された海女とポルノグラフィという恣意的な結びつきを追ってゆく。先ずは、昭和20 年代の浪漫主義的あるいは古典主義的な〈海女〉の表象の分析を通して、戦前期からの継続性、並びに、そこから階級性の取り除かれた民族/俗学的な健康美・野生美の前景化について、特に、映画『潮騒』及びその原作を巡る言説を中心に考察してゆく。続いて、〈海女〉が最も銀幕に現れた昭和30 年代、その健康美・野生美からエロティシズムと暴力性が恣意的に抽出され、殊更に強調されてゆく過程について、松竹「禁男の砂」シリーズ及び新東宝「海女」シリーズという一連の〈海女映画〉を中心に見てゆく。そして最後に、昭和40 年代、その後の「日活ロマンポルノ」につながるピンク映画の更なるエロティシズムの前景化、並びに、創られた懐古趣味的な〈海女〉の姿を見ることで、本稿を締めることとする。This article examines the social and cultural transition of "gaze" to Japanese woman divers, or Ama, on the screen in the post-WWII Period, especially from 1945 to 1974, by analyzing their representations in the "Ama Films," on which they were described as main characters. At first, focusing on their healthy beauty and wildness, I would like to show how Ama were represented through the ideas of romanticism or classicism in the films from 1945 to 1954, especially in the discourses around The Sound of Waves (Shio-sai). Then, I would like to trace the processes that their erotic and violent figures were arbitrarily extracted from their healthy beauty and wildness and were emphasized on the films from 1955 to 1964, especially on the Kindan-no Suna series by Shochiku Co., Ltd. and "Ama" series by Shin-Toho Co., Ltd. Finally, through analyzing the films from 1965 to 1974, I would like to indicate the invention of the images of "Ama" as nostalgia and as pornography in "Pink films", which eventually leaded the Ama series of Nikkatsu Roman Porno in the next decade.東京海洋大学学術研究院海洋政策文化学部門
著者
稲本 守
出版者
東京海洋大学
雑誌
東京海洋大学研究報告 (ISSN:21890951)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.45-54, 2009-03-27

国連海洋法条約101条は海賊行為を、私有の船舶の乗組員が、私的目的のために行う略奪行為と定義している。しかし歴史上の多くの海賊が、実際には国家によって認可され、植民地の防衛や戦時における海商破壊等の公的目的を果たしていた「私掠船」であったことを考えるなら、「私有の船舶」及び「私的目的」の意味を明確にすることは難しい。そこで本論はまず私掠行為の発生と歴史的展開を考察し、国家が私掠船を奨励、もしくは黙認した歴史的背景と動機の解明につとめることにより、私掠行為の一貫した特長として、一定の国家戦略の存在を指摘した。更に本論は、19 世紀半ばに私掠行為が廃止された経緯を、主に国家による軍事力独占の過程から説明した。言い換えれば国家は、海上における軍事力を独占し、海賊を「万民の敵」とすることによって初めて海上における主権を確立したのである。The article 101 of the United Nations Law of the Sea defines "piracy" as "any act of depredation, committed for private ends by the crew …of a private ship". But it is still hard to make clear what "a private ship" and "private ends" mean, taking into consideration especially the fact that many historical pirates were legally "privateers", authorized by the state, serving the public ends such as the protection of the overseas colonies or commerce raiding in times of war. The following article tries to recognize the presence of a certain national strategy as a consistent feature of privateering, by describing its emergence and development and then examining its historical background and the strategic motives of the state to promote or condone it. The article then explains the process toward the abolition of privateering in the mid-19th century, mainly indicating the monopolization process of the means of violence by the state. In other words the state could finally establish its sovereignty at sea by abolishing privateering and declaring the pirates of any kind as "enemy of mankind".東京海洋大学海洋科学部海洋政策文化学科
著者
竹内 萌
出版者
東京海洋大学
巻号頁・発行日
2016

東京海洋大学博士学位論文 平成28年度(2016) 応用生命科学 課程博士 甲第409号
著者
松田 寛子
出版者
東京海洋大学
巻号頁・発行日
2009

東京海洋大学修士学位論文 平成21年度(2009) 食機能保全科学 第931号
著者
小暮 修三
出版者
東京海洋大学
雑誌
東京海洋大学研究報告 (ISSN:21890951)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.6-19, 2014-02-28

戦前期の写真絵葉書は、現在のような地方の土産物に収まることなく、当時の新聞や雑誌以上に優れた視覚メディアとして機能していた。事実、その解像度は極めて高く、他の如何なる紙媒体よりも高画質の写真を人々に提供していたのである。それはすなわち、絵葉書が、そこに写し込まれた風景や風俗、被写体に対する見る者の意識のあり方を固定化していったことを意味している。このようなメディアの被写体として、海女は頻繁に写され続けていた。絵葉書の〈海女〉は、それを見る者の視覚的経験に対して、どのような影響をもたらしたのか?そして、そのような影響は、時代によって、どのように変遷していったのか?本稿では、公的機関では最多種/数と思われる『甦る戦前の〈海女〉:戦前海女絵葉書集』の分析に基づき、海女の写し出された時代状況や社会状況を踏まえつつ、見る者に対する影響について考察を行ってゆきたい。それは取りも直さず、明治期以降の国民国家化の過程における〈郷土=地方〉の創出から、資本主義の拡大に伴う〈地方〉の観光商品化、そして軍靴の響きを伴う国家主義化に至る時代的・社会的変遷について、海女への〈眼差し〉を通して追ってゆくことでもある。This article examines the social and cultural transition of "gaze" to Japanese woman divers, or Ama, photographed on pre-WWII postcards, by analyzing "Ama Postcard Collection" at Tokyo University of Marine Science and Technology Library, which houses one of the largest number of Ama postcards in Japanese public institutions. In general, postcards in the pre-WWII period functioned not merely as local souvenirs but as far superior visual media to newspapers or magazines in the same period. In fact, they offered people higher-definition images than any other printed media. This means that the postcards solidified and naturalized how people viewed local landscapes, cultures, and people in the pictures. As a photographic subject, Ama continuously made an appearance on the postcards and was exposed to the gaze of people, especially males living in urban areas. How did Ama postcards affect the visual experiences of people who saw them? And, how did such visual impacts vary according to times? Through answering these questions, this article eventually traces the invention of "local" in the formation processes of Japanese nationalism and capitalism since the Meiji Restoration, the period of Japanese modernization.東京海洋大学大学院海洋科学系海洋政策文化学部門
著者
木宮 直仁 平川 博 Naohito Kimiya Hiroshi Hirakawa
出版者
東京海洋大学
雑誌
東京海洋大学研究報告 (ISSN:21890951)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.21-37, 2013-02-28

本稿では、これまで編著した「あ~し」の続編として、「す~」で始まる用語について、対訳語が複数あるものを取り上げ、類義語との異同に関する注釈を付け、用例は実例を調査して、できるだけ多く提示することを試みた。法律用語の中には、請求金額のように、ビジネス用語や日常語と法律用語とが異なるものがあり、このような場合は訳語の使い分けができるように工夫することを心掛けた。また、あらぬ誤訳が生じることが懸念される場合は、特殊な法律専門用語よりも、対訳語として一般的に用いられる表現を優先的に取り上げるように配慮した。 著者らは商事法和英辞典の作成途上にあり、本稿には不十分なところも多々あると考えている。お気づきの点があれはご教示願いたい。
著者
小山 尚之
出版者
東京海洋大学
雑誌
東京海洋大学研究報告 = Journal of the Tokyo University of Marine Science and Technology (ISSN:21890951)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.76-104, 2018-02-28

本稿は二〇一四年四月二日と三日にガリマール社内のソレルスのオフィスにおいて行われたフィリップ・ソレルスとディディエ・モランとの対談を翻訳したものである。彼らはソレルスの生まれたボルドーおよびジロンド地方のことや、ソレルスが出演している映像作品について語っている。ソレルスによれば、ジロンド地方とジロンド派は革命期の国民国家成立の過程で抑圧されたものである。なぜソレルスが親ジロンド派的であり、現在のフランスという国民国家にも批判的であるのかといえば、ジロンド地方の歴史的・政治的な背景があるからだと思われる。また彼は、J.-D.ポレ、J.-P.ファルジエ、L.ラリネック、G.K.ガラボフ、S.チャンなどとともに、いくつかの映像作品を制作している。ソレルスにとって映像の中で重要なのは、声と、テクスト、音楽、場の選択である。歴史的な背景を持つ場での口頭のパフォーマンスを映像に撮ることにより、彼は、テクスト、声の肉体性、そして歴史の肉体性を取り戻そうと試みているように思われる。This article is a translation into Japanese of the dialogue between Philippe Sollers and Didier Morin, which took place at Sollers’ office in Gallimard on the 2th and 3th April 2014. Their discussion concerns Bordeau where Sollers was born, the girondin region and films in which Sollers appeared. According to Sollers, the girondin region and Girondists have been oppressed during French Revolution by forming French Nation-State. The reason why Sollers seems to be a Girondist and critical of French Nation-State might lie in the historical and political background of the girondin region. He also makes several films with J.-D. Pollet, J.-P. Fargier, L. L’Allinec, G.K. Galabov and S. Zhang. For Sollers, the important things in films are voice, text, music and choice of place. By filming oral performances in the place having its historical past, he seems to try to refind the body of the voice and of the history.