著者
山内 友三郎
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 人文社会科学・自然科学 = Memoirs of Osaka Kyoiku University (ISSN:24329622)
巻号頁・発行日
vol.67, pp.261-275, 2019-02

日本人は伝統的には、他の東アジア諸国と同じように、大がかりな環境破壊を知らない社会に住んでいた。しかし現代では、アジア諸国にも消費化社会や工業化や資本主義などの波が押し寄せてきて、これが次第に環境を劣化させるようになった。自由・平等・人権と云った現代社会に必要不可欠のイデオロギーは、伝統的な社会の持つ人間に対する不自由で抑圧の多い社会から人々を開放して、より幸福にしてきたことは確かである。しかしその反面、西洋近代主義特有の人間中心主義は自然環境に対して負担をかけることになって、環境劣化を促す結果になった。現代社会のこの政治倫理最大の問題を解決する哲学はまだ存在しないような状態である。キリスト教の文明圏では、比類のないキリスト教文明と平和と秩序を謳歌することができたが、それはキリスト教の文明圏の内部のことであって、一歩国際社会に足を踏み出すや、そこにあったのは、キリスト教の暗黒面、すなわち異教国に対する侵略と自然征服と非西欧の植民地化であった。伝統的には儒教研究が盛んだった日本も、敗戦後は、キリスト教以外の宗教を敵視した連合軍の占領政策のために、儒教は貶められて衰退してしまった。儒教の代わりに、西洋近代主義の思想が主流を占めるようになった。戦後の日本哲学では、西洋哲学の歴史研究が盛んになり、日本哲学の主流は西洋近代哲学の亜流となってしまった。ところが、人類は1960年代から露呈してきた地球環境危機に直面して、西洋先進国では、環境保護運動が始まり、それに伴って心ある哲学者、思想家、宗教家などが環境倫理、環境哲学をスタートさせることになった。彼らは東洋の伝統思想に目を向けて、東洋思想の持つエコロジー的な世界観、自然観を見直すようになった。ここで、儒教を主とする東洋の伝統思想である、仏教・神道・道教と、西洋の伝統思想である一神教のキリスト教・ユダヤ教・イスラム教とを比べてみると、日本の伝統思想である神・儒・仏の三教は、三教一致と云われるように、互いに共存してきた歴史がある。他方、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教は三教不一致で、いつでも対立・衝突することが多く、幾多の戦争の原因となってきたように見える。何故そうなるのだろうか。本稿はこれらの問題に対する一つの解決の試みにすぎない。叙述は次の順序に従って行われる。序 西洋近代主義と日本の伝統思想の闘争、I 梅原猛の挑戦:人類哲学の提唱、II 森の思想と「草木国土悉皆成仏」、III 加瀬英明の「史実を世界に発信する会」 IV 地球を救うヒューマニズム。
著者
北川 純子
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 人文社会科学・自然科学 (ISSN:24329622)
巻号頁・発行日
no.67, pp.93-112, 2019-02-28

東家楽浦(1898-1978)は,1920年代から70年代にかけて活動した浪曲師である。彼のキャリアについては,とりわけ三点の事柄が評価されている。一点目に,初代ならびに二代東家浦太郎の師匠であること,二点目に,浅草の木馬亭を浪曲定席の場としたこと,三点目に,野口甫堂のペンネームで多くの浪曲台本を執筆したことである。本稿は,浪曲台本作家としての楽浦に焦点を定め,〈良弁杉〉を素材として,楽浦が講談を土台にしつつ,どのように浪曲版をつくりあげていったかを分析する作業を通して,講談と浪曲の性格の違いの一端を明らかにする試みである。
著者
瀧 一郎
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 人文社会科学・自然科学 = Memoirs of Osaka Kyoiku University (ISSN:24329622)
巻号頁・発行日
vol.67, pp.167-171, 2019-02

『道徳と宗教の二源泉』(1932)においてベルクソンは,「想像」と「宗教」という語の二つの意味を区別している。一方は「想話的機能」から出てくる「静態的宗教」,他方は「創造的情動」によって広がる「力動的宗教」である。知性の回りに残る潜在的な本能として「想話的機能」は,閉じられた社会において神話的表象を出現させるのに対して,開かれた社会において「創造的情動」は,知性の直中で現働化される神秘的直観から生まれ,観念や形象を産出するばかりでなく,純粋な魂として自らに体を与える。「想話的機能」は,想像力の論理による諸々の観念や形象の水平的連合の研究である『笑い』(1900)を想起させるのに対して,「創造的情動」は,心的努力の機構が図式と形象との垂直的遊戯に還元される「知的努力」(1902)を想起させる。こうしてベルクソン哲学には,〈生に内在する社会的想像〉と〈超越的,創造的な個人的想像〉という二種類の想像が見出される。一方は形象の此岸に働く知性以下の想像で,他方は形象の彼岸に高揚する知性以上の想像である。両者を相補的に媒介しうるものは,創像界における「形象の類比」(アンリ・コルバン)の論理である。Dans Les Deux sources de la morale et de la religion(1932), Bergson distingue deux sens des mots « imagination » et « religion » : « la religion statique » issue de « la fonction fabulatrice » et « la religion dynamique » répandue par « l'émotion créatrice ». Instinct virtuel resté autour de l'intelligence, « la fonction fabulatrice » fait surgir les représentations mythiques dans la société close, tandis que dans la société ouverte « l'émotion créatrice », née de l'intuition mystique actualisée au sein de l'intelligence, non seulement engendre des idées ou des images mais aussi se donne un corps en tant qu'âme toute pure. La première nous renvoie au Rire(1900), étude sur l'association horizontale des idées ou des images par une logique de l'imagination, alors que la seconde nous rappelle « le schéma dynamique » de L'Effort intellectuel (1902) où le mécanisme de l'effort mental se réduit à un jeu vertical entre schémas et images. Il se trouve donc deux types d'imagination dans la philosophie de Bergson : l'imagination sociale, immanente à la vie et l'imagination personnelle, transcendante et créatrice. L'une est infra-intellectuelle, travaillant en-deçà des images, l'autre est supra-intellectuelle, s'exaltant au-delà des images. Or, quelle est la relation entre les deux imaginations ? Comment sont-elles complémentaires ? Nous trouvons qu'une logique de « l'analogie imaginale » dans le mundus imaginalis(Henry Corbin)peut servir d'intermédiaire.
著者
亀井 一
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 人文社会科学・自然科学 = Memoirs of Osaka Kyoiku University (ISSN:24329622)
巻号頁・発行日
vol.66, pp.21-32, 2018-02

本論文は,ドッペルゲンガー形象という観点から,クライストの喜劇『アンフィトリオン』をジャン・パウル『ジーベンケース』第一版とホフマン『悪魔の霊液』の間に位置づける試みである。主人公アンフィトリオンとアルクメーネは,アンフィトリオンの姿をした神の出現によって,「わたし」と「あなた」の間にある孤独を意識するようになる。ジャン・パウルのテーマとの接点がここにある。アルクメーネとユピターの対話(第2幕5場)では,神の訪問,つまり,アンフィトリオンの二重化が,アルクメーネの意識されない情動と連動していることが暗示されている。アルクメーネの錯覚は,ホフマンのドッペルゲンガーの妄想から遠くない。Im vorliegenden Aufsatz versuche ich im Hinblick auf Doppelgänger-Figuren Kleists „Amphitryon" zwischen Jean Pauls „Siebenkäs" und E.T.A. Hoffmanns „Elixiere des Teufels" zu platzieren. Durch die Erscheinung des Gottes in einem anderen Amphitryon lernen Amphitryon und Alkmene gewisse Einsamkeit im ich-du-Verhältnis kennen. Hier schließt sich Kleists Doppelgänger-Thematik an Jean Pauls an. In Alkmenes Gespräch mit Jupiter(II. 5)wird angedeutet, dass der Besuch des Gottes, d. h. Amphitryons Verdoppelung an ihren unterschwelligen Gemütsbewegungen mitwirkt. Ihre Täuschungen sind nicht so entfernt vom Wahn der Hoffmannschen Doppelgänger.
著者
中島 千英子 永井 由美子
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 人文社会科学・自然科学 = Memoirs of Osaka Kyoiku University (ISSN:24329622)
巻号頁・発行日
vol.68, pp.41-49, 2020-02

晩婚化や晩産化,育児の孤立化等,子育てを取り巻く状況は大きく変化しており,十分な育児支援を受けられる母親は少なくなっていることが予測され,育児情報源も多様化している。本研究では,近年普及の著しいSNS について着目し,育児中の母親の育児情報源について質問紙調査を行った。育児情報源としてインターネットを利用していた母親は,92.7%であった。また,Instagram,LINE等SNSのいずれかを利用している母親は75.1%であった。さらに,情報リテラシーの認知度が35歳以下の母親と比べて,35歳以上の母親では21%と有意に低く(P<0.05),母親の情報リテラシー教育の必要性が見出された。
著者
城地 茂
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 人文社会科学・自然科学 = Memoirs of Osaka Kyoiku University. Humanities and social science, natural science (ISSN:24329622)
巻号頁・発行日
vol.69, pp.41-51, 2021-02

『楊輝算法』(楊輝、1275年)は、内容の発達性からみると、「近世」とも呼べる算法書である。スピーディーな計算から、商業数学に重宝され、朝鮮の李王朝でも採用された。日本に伝来すると、『楊輝算法』は、魔法陣、中国剰余定理、さらには天元術の名称はなかったものの高次方程式の解き方を学ぶたすけとなった。関孝和(1645?-1708)は、1661年に木活字版を研究し、その乱丁部分を訂正した。しかし、これまでに木活字版は8部しかなく、17世紀の修正であることはこれまでも考えられてきたが、それが本研究により、より正確に1661年であることが分かり、関が16歳ぐらいのときであった。
著者
森中 敏行 乾 まどか 木内 葉子 吉田 晴世
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 人文社会科学・自然科学 = Memoirs of Osaka Kyoiku University. Humanities and social science, natural science (ISSN:24329622)
巻号頁・発行日
vol.69, pp.257-276, 2021-02

2018年10月にLenovo社および本学の支援を受けて、G Suite for Educationの実証研究がスタートした。まず始めに、SSH(スーパーサイエンスハイスクール)の選択者を対象に課題研究で、運用を始めた。さらに2019年4月からは、全校的な運用段階に移行したが、英語や理科の特定の教科での活用に留まっていた。しかし活用事例を蓄積することで、徐々に広がり、COVID-19による休校措置により、全校的運用に至っている。この間に、蓄積された活用事例を紹介するとともに、生じた課題についても報告する。
著者
林 洋輔
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 人文社会科学・自然科学 = Memoirs of Osaka Kyoiku University (ISSN:24329622)
巻号頁・発行日
vol.68, pp.71-79, 2020-02

本論文においては,20世紀フランスの哲学者・哲学史家であるピエール・アド(1922-2010)が中心となって提唱された「生き方としての哲学Philosophy as a Way of Life」--その実質は「精神の修練Spiritual Exercise」--が教育思想として捉え直されることの可能性が明らかにされた。アドにおいて,哲学とは「生き方」およびその実現である。彼によれば,哲学を学ぶことは生き方を選ぶことと同義である。というのもアドが論じた古代哲学において,任意の生き方を選ぶことは同時に任意の「学派」に入門することを意味しており,その学派で学ばれるのが「精神の修練」と呼ばれるエクササイズだからである。各学派によってその実質は異なるものの,「精神の修練」では自らの生を変容させる知恵の獲得が目指されている。それゆえ「哲学の生を歩むこと」とは自らの完全な変容を期して知恵を求める営みである。アドの議論を精査していくことにより,ある生き方を決意した者が入門した学派において哲学者より「精神の修練」を通じて自らの生き方を創る,との過程を確認できる。それゆえ,学習者が哲学者となる過程は「精神の進歩」の方法とも捉えうるものであって,その進歩において学習者は自らを「精神の修練」によって教育する。「精神の修練」とは学習者が任意の学派において哲学者により手解きを受け,獲得された知恵の内面化によって変容を期するものである。この観点において「精神の修練」とは,学習者がそれによって哲学に拠る生き方を創る点において,教育思想と密接なつながりを有することが明らかとなる。
著者
瀧 一郎
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 人文社会科学・自然科学 = Memoirs of Osaka Kyoiku University (ISSN:24329622)
巻号頁・発行日
vol.68, pp.157-169, 2020-02

ここに掲げる資料は,1892〜93年にベルクソン(Henri Bergson, 1859-1941)がパリのアンリ4世校で行った美学講義で,これを聴講したアルフレッド・ジャリ(Alfred Jarry, 1873-1907)が筆録したノートから本文を校定し,それに註と和訳とを付したものである。オリジナルのノート(1891〜93年の哲学講義に関する6冊のカイエ(α239, A188, B131, C135, D172, E37 頁)のうち,カイエBの78-86頁が美学講義に相当する)は,パリ大学附属ジャック・ドゥーセ文学図書館に整理番号:Ms 21129 - Ms 21134 ; B' I 13のもとに,その6束(α236, A188, B131, C134, D172, E37 葉)からなるコピーは,整理番号 : V BGN 2, IX BGN III 29のもとに保管されている。Ce document présenté ici est le cours d'esthétique de Bergson professé au lycée Henri IV à Paris en 1892-93, dont le texte est restitué par des manuscrits autographes rédigées par Alfred Jarry qui l'a suivi, avec nos annotations et notre traduction japonaise. Les notes originales, 6 cahiers relatives des cours de philosophie en 1891-1893 (α239, A188, B131, C135, D172, E37 pages) dont pp. 78-86 du cahier B correspondant au cours d'esthétique, sont conservés dans la Bibliothèque Littéraire Jacques Doucet de l'Université de Paris sous la cote : Ms 21129 - Ms 21134 ; B' I 13, et ses photocopies en 6 liasses (α236, A188, B131, C134, D172, E37 feuillets) sous la cote : V BGN 2, IX BGN III 29.
著者
橋本 恒
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 人文社会科学・自然科学 = Memoirs of Osaka Kyoiku University (ISSN:24329622)
巻号頁・発行日
vol.67, pp.221-228, 2019-02

筋力に頼るのではなく素早い身体動作に関する報告がある。それが抜重動作である。そこで本研究では抜重動作を獲得するトレーニングを行いその効果を明らかにすることを目的とした。野球部員12名に抜重トレーニング2種類を3週間行わせトレーニング前後に5mスプリントと垂直跳びの測定を行った。トレーニング前のスプリント平均値が1.90±0.27秒,トレーニング後の平均値が1.50±0.19秒でありトレーニング前より後の記録は約0.4秒短縮した。またトレーニング後の垂直跳びの平均値が50.41±3.31cm,トレーニング前が46.83±3.63cmでありトレーニング前より後の記録は約3.58cm向上した。以上のことから,抜重動作獲得が盗塁スタートを早くする効果的役割を果たすと考えられる。