著者
永岡 崇
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.127-169, 2013-03-29

本稿は、異なる立場の人びとが「知の協働制作者」(Johannes Fabian)として直接的に接触・交渉しあいながら宗教の歴史を描いていく営みを協働表象と名づけ、具体的な事例を検討しながらその意義を明らかにしようとするものである。その事例は、一九六〇年代に行われた『大本七十年史』編纂事業である。近代日本の代表的な新宗教として知られる大本が、歴史学者・宗教学者らとともに作りあげた『七十年史』は、協働表象の困難さと可能性を際立った形で提示している。
著者
永岡 崇
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.127-169, 2013-03

本稿は、異なる立場の人びとが「知の協働制作者」(Johannes Fabian)として直接的に接触・交渉しあいながら宗教の歴史を描いていく営みを協働表象と名づけ、具体的な事例を検討しながらその意義を明らかにしようとするものである。その事例は、一九六〇年代に行われた『大本七十年史』編纂事業である。近代日本の代表的な新宗教として知られる大本が、歴史学者・宗教学者らとともに作りあげた『七十年史』は、協働表象の困難さと可能性を際立った形で提示している。 大本という宗教団体の七〇年にわたる歴史を描くというこの事業は、大本に集った人びとの過去だけでなく、現在と未来のありように密接にかかわるものであった。新宗教の矛盾や葛藤に満ちた歴史のなかに研究者が介入し、多様な信仰、多様な経験に秩序を与え、そのざわめきを鎮めていくことは、来るべき信仰や実践のありように規範を提示していくことでもある。大本内部で平和運動を推進する出口栄二や事業に参加した歴史学者は、近代日本の支配体制に対抗する異端として、また一貫した平和主義的宗教としての大本の「本質」を創造していた。 彼らによって構築される「本質」は、そこに回収されきらない多様な歴史的経験を排除するか、副次的なものとして劣位に置くことになる。だが、古参の信徒が抱えるそうした歴史的経験や、史料の読解よりも「本質」を優先させる物語の過剰にたいする若手研究者の反発は、首尾一貫した滑らかな歴史が内包する暴力性を浮き彫りにするのである。 協働表現の意義は、おそらく成果として出来上がった歴史叙述そのもののなかにではなく、その過程で生起する自己変容の経験、越えがたい差異の経験、そして他者を前にして自分の行使する暴力に気付かされる経験のなかにこそある。もっともこうした経験は、当事者によってはうまく分節化できないこともある。協働の場に介入する分析者の役割は、そこに沈殿した経験の意味を開示し、さらにそれを公共的議論へと接続することなのだ。
著者
永岡 崇
出版者
大阪大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2006

アジア・太平洋戦争において、天理教の信徒たちが行ったひのきしんがもつ意義を、帝国日本というより大きな文脈に位置づけなおすため、1940年代前半の代表的ひのきしん論である諸井慶徳『ひのきしん叙説』と、帝国日本による「聖戦」の教義を端的に示すと思われ、天理教のひのきしん隊も多数参加した橿原神宮神域拡張事業において語られた言説との比較を試みた。天理教信徒にとって、「聖戦」の教義はひのきしんの教義と深いところで響きあっており、前者を後者に手繰り寄せる形で総力戦の遂行を主体的に担っていったと思われる。また、「聖戦」の教義がひのきしんのような宗教思想・信仰と親縁性を有し、それへの読み替えを通じて実践されたことを明らかにし、アジア・太平洋戦争の宗教戦争としての性格を改めて見直し、その宗教性の受け皿となった宗教教団や社会集団の思想・実践との比較を行うとともに、それらとの接触の様相を分析していく必要性を提起した。これまで遂行してきた作業によって、戦後の宗教教団にとって非本来的で否定的なものとしてのみとらえられがちであったアジア・太平洋戦争期の経験を、現代の教団、またその教義や信仰のあり方を構成する重要な要素として位置づけ、負の側面へと深化していく宗教性のありようを積極的にとらえる歴史-宗教学的考察の領域を切り開くことができた。
著者
永岡 崇
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.108, pp.143-158, 2015-12-30

特集 : 日本宗教史像の再構築 --トランスナショナルヒストリーを中心として-- ≪第III部 :神の声を聴く --カオダイ教, 道院, 大本教の神託比較研究--≫
著者
永岡 崇
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文学報 = Journal of humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.108, pp.143-158, 2015

特集 : 日本宗教史像の再構築 --トランスナショナルヒストリーを中心として-- ≪第III部 :神の声を聴く --カオダイ教, 道院, 大本教の神託比較研究--≫本稿は, 近代日本において「神の声を聴く」という営みがどのような宗教史的・思想史的可能性をもちえたのかを, 大本を事例として検討するものである。大正期大本の思想・実践は, 異端的な神話的世界を語り出しながら, 近代国家が排除した霊魂との直接的交流の道を開くものであった。しかしそれは, 霊魂を統御するという志向性を, 近代天皇制ないし靖国神社などと共有していた部分もあったのではないだろうか。鎮魂帰神法は, 霊魂を発動させて, 鎮静させ, 序列化する試みといえるのだが, それは逆にいえば, 鎮静化させ, 序列化するための発動であり, 高級霊/低級霊, 立替立直/病気治しのヒエラルキーを確認・創出するものでもあったのだ。ただし, 実践のレベルではそのプロセスには不確定領域が広がり, 統御を逃れ出る霊魂の運動を可能にすることになる。出口王仁三郎や浅野和三郎の意図する秩序は越境する霊魂と過剰な欲望によって裏切られてしまうのだ。国家主義的神道の秩序世界を掘り崩す可能性を内包していたのは, じつは王仁三郎の思想・実践そのものではなく, 人びとの野放図な欲望の法‐外さではなかったか。そして, その欲望を賦活する仕掛けとして, 鎮魂帰神法システムは再評価しうるのではないだろうか。近代日本に生きた多くの人びとは, おそらく天皇制国家を下支えする心性と, そこから逸脱しようとする欲望の双方を抱えていたのであり, 鎮魂帰神法の思想と実践は, その両義的なありようを浮かび上がらせ, そこにはらまれる緊張関係を開示してみせるものだったということができる。こうして, 鎮魂帰神法が霊魂をとらえ損ねる営みであったというところにこそ, 近代天皇制国家の論理へと還元されえない民衆宗教としての大正期大本の可能性を読み取ることができるのではないだろうか。This essay reevaluates the significance of the technique of listening to divine speech in the history of religion in modern Japan, examining in particular the case of the Ōmoto sect. The thought and practice of Ōmoto in the Taishō period opened the way to direct communication with the spirits, and their mythical worldview was considered to be heterodox by the modern nation. Yet their practice shared with the modern emperor system and Yasukuni shrine an orientation towards controlling and organizing the spirits. The Ōmoto spirit-listening technique chinkon-kishin invoked, appeased, and assigned a hierarchical ranking to the spirits ; it invoked them in order to appease and assign the ranks of higher/lower and reconstructive/healing. In actual practice, however, indeterminate factors limited this control and let the spirits escape. The order established by Deguchi Onisaburō and Asano Wasaburō was betrayed by uncontrollable spirits and surplus desire. It was the excessive desire of the believers, not Onisaburō's system, that had the potential to undermine the premise of the State Shinto. Chinkon-kishin should be reappraised as a system that activated the desire of the people against the desire of the nation. This practice and theory illuminated the ambiguity of a popular desire that supported the emperor system and deviated from it at the same time, and thereby disclosed the unmitigated tension within the disposition of the people. This failure to capture the spirits illustrates the potential of Taishō period Ōmoto as a popular religion that could not be reduced to the logic of the emperor system.
著者
永岡 崇
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.82, no.1, pp.143-166, 2008-06-30 (Released:2017-07-14)

天理教をめぐる従来の歴史的研究では、一八八七年に教祖の中山みきが"現身を隠す″と、親神への信仰によって結びつけられた共同体は合法的な宗教活動の道を探り、その過程で、国家権力への妥協・迎合が露骨に行われるようになったといわれてきた。こうした見方は一面では正しいが、国家協力の事例が強調される一方で、そうしたものの基盤となる、日常的な信仰の営みが見過ごされてきたのではないだろうか。本稿は、みきに代わって親神のことば=「おさしづ」を語り、信徒たちを指導した本席・飯降伊蔵を取り上げ、彼が「おさしづ」を語るにいたるプロセスを跡づけるとともに、信徒たちに注視される彼の心身や語りがどのように共同体を再構築し、信仰を再生産していったのかを明らかにする。伊蔵の「おさしづ」は、親神の意思として観念的に認められただけではなく伊蔵の身ぶりや声、病、語りのことば遣いなどが絶えずみきの記憶を喚起し、さらにそれらを変化させながら信徒たちの信仰を獲得していったのである。
著者
永岡 崇
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文学報 = Journal of humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.107, pp.103-129, 2015

本稿は,漫画家・エッセイスト辛酸なめ子の諸作品を読み解くことを通じて,現代日本におけ る象徴天皇制やスピリチュアリティ文化と批判的に対峙する作法について思考するものである。 現在,天皇は非政治性を建前とした「象徴」として,またスピリチュアリティ文化は過酷な競 争社会を生きる現代人につかの間の「癒し」を提供するものとして,柔和で無害な相貌で存在しているようにみえる。だが,これらの文化/制度は,それを中心にして形成される「空気」のなかで,ときとして暴力性や抑圧性を露わにすることがある。このような暴力性・抑圧性に対 する批判は多いが,外部的な視点に立ったイデオロギー批判に代表される従来の批評的言語は, ポストモダンな天皇制やスピリチュアリティ文化を前に,有効性を喪失してしまっているように思われる。そのようななか,興味深い批評の言葉を創出しているのが,辛酸なめ子の作品である。なめ子は,作品のなかで,皇室やスピリチュアリティ文化を題材として積極的に取り上げ,それらを戯画化することでユーモラスな世界を創造する。彼女の手法として重要なのは, 第一に,皇室ファン,またスピリチュアリティ文化の愛好者として,つまり作品の題材となる 文化のインサイダーとして自己規定しながら,同時にアウトサイダーとしての視点をも導入す る姿勢であり,第二に,さまざまなジャンル(皇室,スピリチュアリティ,女子校文化,芸能 ゴシップなど) の間の境界線を混線させて笑いを生みだすスタイルである。そのことにより,なめ子の作品は天皇制やスピリチュアリティに内包される権威性や差別性を機能不全に陥らせることに成功している。それは,外部者の立場から"本当のこと"を突きつけるという批判のスタイルが通用しない領域が広がっているなか,天皇制やスピリチュアリティ文化を構成する「空気」に亀裂を入れる批評の言語の可能性を示すものといえるのではないだろうか。
著者
永岡 崇
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.107, pp.103-129, 2015-09-30

本稿は,漫画家・エッセイスト辛酸なめ子の諸作品を読み解くことを通じて,現代日本におけ る象徴天皇制やスピリチュアリティ文化と批判的に対峙する作法について思考するものである。 現在,天皇は非政治性を建前とした「象徴」として,またスピリチュアリティ文化は過酷な競 争社会を生きる現代人につかの間の「癒し」を提供するものとして,柔和で無害な相貌で存在しているようにみえる。だが,これらの文化/制度は,それを中心にして形成される「空気」のなかで,ときとして暴力性や抑圧性を露わにすることがある。このような暴力性・抑圧性に対 する批判は多いが,外部的な視点に立ったイデオロギー批判に代表される従来の批評的言語は, ポストモダンな天皇制やスピリチュアリティ文化を前に,有効性を喪失してしまっているように思われる。そのようななか,興味深い批評の言葉を創出しているのが,辛酸なめ子の作品である。なめ子は,作品のなかで,皇室やスピリチュアリティ文化を題材として積極的に取り上げ,それらを戯画化することでユーモラスな世界を創造する。彼女の手法として重要なのは, 第一に,皇室ファン,またスピリチュアリティ文化の愛好者として,つまり作品の題材となる 文化のインサイダーとして自己規定しながら,同時にアウトサイダーとしての視点をも導入す る姿勢であり,第二に,さまざまなジャンル(皇室,スピリチュアリティ,女子校文化,芸能 ゴシップなど) の間の境界線を混線させて笑いを生みだすスタイルである。そのことにより,なめ子の作品は天皇制やスピリチュアリティに内包される権威性や差別性を機能不全に陥らせることに成功している。それは,外部者の立場から“本当のこと”を突きつけるという批判のスタイルが通用しない領域が広がっているなか,天皇制やスピリチュアリティ文化を構成する「空気」に亀裂を入れる批評の言語の可能性を示すものといえるのではないだろうか。