著者
金子 秋斗
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.46, pp.91-107, 2018-03-01

本稿では、院政期・鎌倉初期の摂関である九条兼実と、その弟である慈円に共通して見られる院近臣批判について、特に兼実による近臣批判の変容と、それが慈円の『愚管抄』の政治理念へと展開していく事実に着目し、当該期の摂関家の現状との関連で如何なるものとして位置づけられるかを検討する。兼実の立場の変化に伴う院近臣批判の変容は、批判が単なる不満から、内乱期以降、近臣の言動を天下の乱れの原因として認識する姿勢となって表れるようになる。この認識は兼実の実践と失脚を経て弟である慈円の『愚管抄』において、世を直すための重要な政治理念として表れることとなる。九条家を取り巻く社会的・政治的現実が変化しているにも関わらず、慈円が兼実と同様に近臣を敵視し、乱れた世を直すための重要な鍵とみなしたことは、兼実亡き後、九条家の補佐の臣としての正統性の面で近臣の存在が重大な問題であると認識されていたことを意味する。九条兼実『玉葉』慈円『愚管抄』院近臣
著者
水谷 憲二
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.40, pp.19-36, 2012-03

地方の戦国史研究では、比較的古い時期に編纂された地方自治体史の多くが、近世に著された軍記・地誌の信憑性について懐疑なく、無差別に引用されている。しかし、地方自治体史のように、狭域的な歴史を編纂しなければならない場合、一次史料によって確認できない事象に直面すれば、同軍記・地誌の影響を完全に払拭できないジレンマがある。本稿は、一次史料が不足する地域の戦国史研究に活路を見いだすため、三重県の桑名市域に着目し、同軍記・地誌の豊富な情報量の活用を試みた。第1章では、比較的高い信憑性が評価されている太田牛一著の『信長公記』より、伊勢長島一向一揆の記事を再検証し、その有効性を実証した。第2章では、前章の結果をもとに、同書が記す天正元年の織田信長出陣において、一向一揆に加担して信長に抵抗したと言われる小領主層に着目し、それらに関する情報を、同軍記・地誌で確認した(第3章は次年度に続く)。伊勢長島一向一揆北勢四十八家信長公記軍記地誌
著者
Andassova Maral
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.38, pp.43-58, 2010-03-01

国譲り神話の末尾における「天の御饗」の記述をとりあげる。「天の御饗」を献る対象は天つ神であるのかオホクニヌシであるのかということは国譲り神話と古事記におけるオホクニヌシの性格に深く関わっている。この論文において「シャーマニズム」の視点からの「天の御饗」の考察を通して、古事記におけるオホクニヌシの位置づけを試みたい。オホクニヌシ国譲り文体一体化「天の御饗」
著者
二橋 依里子
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.45, pp.119-134, 2017-03-01

和歌山藩では慶応二年から明治四年にかけて西洋式軍隊導入を目標とした兵制改革が行われた。特に明治二〜四年には、ドイツからお雇い外国人を複数人雇用し、実際に徴兵制が施行されるなど他藩が行った兵制改革と比べると特異性が目立つ。軍隊はプロイセン式に統一され、弾丸や軍服の製造が行われていた。このような和歌山藩の兵制改革は、後の明治陸軍に影響を与えたとされる。本稿では、特に最初のお雇い外国人カール・ケッペン(CarlJosephWilhelmKoppen一八三三〜一九〇七)と、和歌山藩において施行された徴兵制を中心に考察する。その中でも当事者や目撃者である、ケッペンの日記やドイツのヘルタ号乗員の見聞録、村方の記録などを用い、和歌山藩の兵制改革の実態を考察する。和歌山藩兵制改革徴兵制カール・ケッペン
著者
浅子 里絵
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.49, pp.73-88, 2021-03-31

本研究は大正14(1925)年に発生した北但馬震災について、「田結村文書」から兵庫県港村田結の震災被害の状況と救護活動を読み解いたものである。震災は震源地に近い田結の住家を倒潰させ、甚大な被害をもたらした。田結では震災直後に全戸におよぶ被害調査を実施し、詳細な記録を残している。その調査をもとにして罹災民への支援品や御救恤金・義捐金の分配といった救護活動が行われたとみられる。「田結村文書」の記録からは田結の集落の規模に合わせた震災対応の手法がみえてくる。またこの文書の存在により、こうしたミクロ単位での調査が同時代の災害において他の町村でも行われていた可能性が示唆される。ミクロ単位の調査を基として地域全体の被害状況を把握したと考えられよう。北但馬震災田結村文書震災被害救護活動
著者
清田 政秋
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.46, pp.37-54, 2018-03-01

本論文は本居宣長と悉曇学との関連を考察する。宣長は『古事記』の基は稗田阿礼の誦習の声であるとして音声を重視する。言語は音声であるとする言語観を江戸期音韻論の議論から獲得した宣長は、音声の持つ特質に注目した。音声の問題を考察して来たのは仏教、特に密教と不可分の悉曇学である。宣長は契沖と安然の悉曇学から音声の力、音楽性、真言を学んだ。真言という思想は、語り伝えは上代の実だとする『古事記伝』の考え方に繫がった。更に仏教は心と世界と言葉は相応するという。宣長はこれを契沖を介して学び「意と事と言とは皆相称へる物」という『古事記伝』の基礎にある重要な言語観を確立した。宣長契沖安然悉曇学心と世界と言葉の相応
著者
二橋 依里子
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.45, pp.119-134, 2017-03-01

和歌山藩では慶応二年から明治四年にかけて西洋式軍隊導入を目標とした兵制改革が行われた。特に明治二〜四年には、ドイツからお雇い外国人を複数人雇用し、実際に徴兵制が施行されるなど他藩が行った兵制改革と比べると特異性が目立つ。軍隊はプロイセン式に統一され、弾丸や軍服の製造が行われていた。このような和歌山藩の兵制改革は、後の明治陸軍に影響を与えたとされる。本稿では、特に最初のお雇い外国人カール・ケッペン(CarlJosephWilhelmKoppen一八三三〜一九〇七)と、和歌山藩において施行された徴兵制を中心に考察する。その中でも当事者や目撃者である、ケッペンの日記やドイツのヘルタ号乗員の見聞録、村方の記録などを用い、和歌山藩の兵制改革の実態を考察する。和歌山藩兵制改革徴兵制カール・ケッペン
著者
伊佐 迪子
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.183-199, 2011-03-01

二条院讃岐は正確な実人生がこれまで解明されておらず、従って正確な年表も作成されてはいない。先行研究で提示されている二条院讃岐の生涯は、実人生からは程遠いものである。先稿では二条院讃岐の実人生前半期を解明したので、本稿とこれ以後は二条院讃岐の後半生の実人生を解明する。本妻として兼実家に入った三十三歳以後の人生は、詳細に解読した『玉葉』をもとに、当時の社会事情も考慮して実人生の解明を図り、二条院讃岐の正確な年表作成を意図している。解明された二条院讃岐の実人生には、流産により兼実の子を失った傷心の讃岐像が見えており、また病弱な兼実の傍で介護に明け暮れる日々を過ごしている姿も見えている。その一方で当時の歌人達との繋がりなども見出され、二条院讃岐の知られざる人生が明らかになるだろう。
著者
伊佐 迪子
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.145-156, 2010-03-01

二条院讃岐の先行研究では、藤原重頼の系図に讃岐の名が見えるという理由で、その系図に讃岐を当てはめて讃岐の人生を推測し、更には讃岐の人生をも創出してきたようである。本稿では讃岐の前半生を系図以外の一次資料を出来る限り精査して、解明しようとするものである。既発表二編の拙稿で解明した讃岐の実人生に深く係っている藤原兼実に加えて、皇嘉門院も讃岐の実人生に大きな係わりを持っていたことが本稿で明らかになった。讃岐の前半生は高貴な人々の中にあって、二条天皇との宿縁を思わずにはいられない。本稿では兼実の青年期の動静を軸に、社会状況も十分考慮して考察を進めたので、讃岐の動静がより明確に把握出来たと思う。先行研究では讃岐の年表作成が出来ていなかったが、本稿により前半生の年表が可能な限り作成できたので、後半生を合わせたより完全な年表の作成を目指そうと思っている。
著者
石橋 丈史
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.45, pp.1-18, 2017-03-01

本稿では、『ヨーガ・スートラ』、『ヨーガ・バーシュヤ』と時代的に近く、共通する語も多い『楞伽経』との関係に注目して、その影響関係について、他の瑜伽行派の文献も視野に入れつつ、cittaの定義を中心に考察する。その結果、『ヨーガ・スートラ』と『ヨーガ・バーシュヤ』、『楞伽経』におけるcittaの定義には、共通する部分が多いことを確認でき、三者の間に密接な影響関係があっただろうということが分かった。そうした『ヨーガ・スートラ』との共通部分は、『楞伽経』の原型であり同経の素材集ともされる「偈頌品」中に比較的近い形で見られ、本文中ではそれをさらに発展させていることも分かった。以上から、『楞伽経』を作成した人物は、瑜伽行派の正統派というよりも、むしろヨーガ学派と親密な関係を持った人物であり、『ヨーガ・スートラ』と共有する部分を、唯心思想としてさらに発展させていったのではないかと推測されることが分かった。ヨーガ・スートラヨーガ・バーシュヤ楞伽経
著者
飯田 隆夫
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.44, pp.35-52, 2016-03-01

論考の目的本稿は、相模国の山岳寺院大山寺の支配にあった御師が、神仏分離直前、国学平田家および神祇伯白川家の関東執役古川将作とどのような関係をもち、行動を選択していたのかを安政六(一八六九)年から慶應三(一八六七)年を対象に考察することをねらいとする。研究の方法分析ツールとして、白川家「門人帳」・平田家「門人帳」と大山寺宮大工、大山寺、平田家等に残された日記類を使用する。分析の結果相模国大山寺は幕府の庇護を受け、文化・文政期、大山信仰は最盛期を迎えた。その信仰を牽引した大山御師は大山寺の強い支配下にあったが、幕末期これら御師の中に不満が蓄積され、慶応三年にはその力関係を逆転させた。本論は、以下のキーワードをもとにその検証を試みるものである。白川家教線拡大復古派国学の波及白川家・平田家重複入門相模大山の安政大火御師の身分的転換
著者
安藤 淑子
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.46, pp.1-18, 2018-03-01

古代バラモン思想においてkamaは「欲する」という心の働きを意味し、これが人間の行為の根本的動因と見なされていた。一方、原始仏教におけるkamaはこれとは異なる語義・用法を有していた。すなわち、原始仏教では最古層の経典よりすでにkamaは単なる心の働きではなく、認識と感受によって変貌した外的事物それ自体をも意味していた。言うなれば、「対象」と「心の働き」が一体となった具体的な諸現象を、kamaという語によって指し示していたのである。このような語義の特徴を反映して、原始仏教経典におけるkamaはほとんどの場合複数形で用いられている。原始仏教心の働き対象複数形
著者
山本 博昭
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.71-87, 2012-03-01

朝鮮総督府は、韓国「併合」以来、三次にわたる教育令改正により学校教育制度上の「国語」普及・常用政策を推進した。そして日中全面戦争以後、志願兵制実施及び徴兵制施行による朝鮮人青年を総動員する時期に至り、それまでの「忠良なる国民」から「天皇の神兵」「銃後の臣民」である「皇国臣民」となるための「国語」習得を推進するため、国民精神総動員朝鮮連盟・国民総力朝鮮連盟等との官民合同の「国語」普及・常用運動を展開した。1933年2月11日結成の在朝日本人民間団体緑旗連盟は、この官民合同の「国語」普及・常用政策推進をその事業方針に掲げ、運動を展開し、朝鮮植民地支配の一翼を担い支えた。その活動相を主として連盟発行の『緑旗』及び『大和塾日記』を対象に考察する。
著者
濱田 時実
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.55-71, 2015-03-01

大阪府富田林市にある美具久留御魂神社の秋季例大祭はだんじりが出る特徴がある。同地域は、「都市」や「農村」ではなく「郊外」と呼べる地域である。南河内においてだんじりが出る祭りは太子町にある科長神社の夏祭りで始まり、美具久留御魂神社の秋季例大祭で終わると言われている。したがって、だんじりが地域の祭礼における象徴ともなっている。本稿ではだんじりに関係する行事を主として取り扱う。これまでの地域研究において、民俗学が扱ってきたフィールドは大きく分けると「都市」「農村」「山村」「海村」に分類することが可能だが、現代におけるフィールドの概況は必ずしもそれらだけでは十分と言えない。祭礼研究においてもフィールドがそれらの分類に属していることを前提として論が進められているのが現状であり、祭礼研究の大きな課題である。本稿では、「都市」「農村」などに属さず、これまで民俗学が取り扱うことのなかった「郊外」という立場に注目し神社祭祀の現状を取り上げる。そして都市祭礼とも村落祭祀とも呼べない、郊外における神社祭祀の事例から、祭礼研究における課題を主張したい。
著者
■田 幸子
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.57-71, 2010-03-01

16世紀後半、キリスト教布教・伝道を目的に来日した宣教師によって伝えられ、日本語に翻訳された『イソップ寓話集』は、ローマ字口語体で書かれた『イソポのハブラス』と国字文語体で書かれた『伊曾保物語』の二種である。『イソポのハブラス』は、文禄2(1593)年天草学林で出版されたが、鎖国時代の発禁措置もあり、一般には流布せず、現在世界中に唯一冊、大英博物館の所蔵本があるのみである。一方『伊曾保物語』は、一般に広く普及し、芸の道の教えや子弟の教育のための教訓書として受容された。キリスト教の宣教師によって伝えられた書物であるにもかかわらず、鎖国後も『伊曾保物語』が出版され読み続けられたのは、物語の寓意が、その時代にふさわしい教訓として受け入れられたからであろう。『伊曾保物語』の本文と書物に引用された本文及び寓意に着目することで、日本の近世における『伊曾保物語』の受容のあり方を考察した。
著者
堀岡 喜美子
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.153-169, 2017-03-01

中世祇園社片羽屋神子については脇田晴子氏により一定明らかにされている。すなわち宮籠、片羽屋(座・衆)とも称され祇園社に下級の役人として神楽や夫役に奉じた男女混合の組織であった。しかしながら、なぜ宮籠組織が片羽屋や片羽屋神子と称されるのかは判然とせず、男神子の職掌についても不明な点が多い。また、丹生谷哲一氏は職掌より宮籠・片羽屋神子は散所非人と位置付けている。本稿はこうした片羽屋神子に関する研究の到達と課題を踏まえ、祇園社関係文書を再考することにより神子組織編制の過程、および職掌について検証した。この結果、「神子」号は宮籠組織が自ら獲得したと思われ、また宮籠・片羽屋神子は散所非人ではないが、下級の呪術的芸能者集団(1)と位置付けられることが明らかになった。祇園社宮籠片羽屋神子散所非人呪術的芸能者
著者
坂本 卓也
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.55-71, 2018-03-01

幕末期以降日本に導入された蒸気船について、その心臓部である蒸気機関の運転と修理・建造技術の国内化過程の検討を行った。分析の時期は幕末から明治期とし、国内における技術導入の牽引役となった幕府海軍と日本海軍を主な分析対象とした。幕末期の運転技術について、長崎海軍伝習所や軍艦操練所などで技術伝習が行われるが、実地訓練の不足などにより、その技術には大きな不安を抱えたままであった。また修理・建造技術についても、長崎と横浜の両製鉄所において外国人の技術伝習が行われるが、彼らの指導下から脱することはできなかった。明治期以降には、イギリス海軍機関士の体系的な教育や遠洋航海により運転技術の向上が見られ、明治二〇年(一八八七)には国内化を達成している。修理・建造技術についても横須賀造船所におけるフランス人技術者による指導や、留学生の派遣による技術向上により、明治四〇年頃までには国内化を達成している。幕末明治蒸気船蒸気機関運用
著者
伊佐 迪子
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.87-103, 2016-03-01

兼実家の姫君は入内し中宮へと上った。兼実家では中宮を支える為に、父親の兼実と母親役の讃岐が中宮御方へ常に候して扶持する。母儀は雑用や病気の世話などには携わらない。中宮の毎日は順調に推移する事である。中宮は里心を起しては大炊亭へ退居を望むので、その間は狭小では居住者側が身を竦めての毎日なのである。従って兼実家の様相は一変した。良經は後鳥羽天皇の文人上首に認められ、能保卿女を娶り、一条亭に居所を構え幸先のよい出立であった。兼実は所労に悩み、灸冶に頼り、内裏から助けを求め、讃岐に頼り切っている。中宮良經文人御不豫法皇
著者
松田 昌子
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.101-117, 2017-03-01

針祭りまたは針供養とは、古い針や折れた針を二月あるいは十二月八日に豆腐や蒟蒻に刺して感謝の気持ちをささげ、あるいは供養を行う行事をいう。先行研究により、針供養の行事全体についてはある程度の考察が重ねられてきたが、年中行事として針が特別視されることや、蒟蒻や豆腐に針を刺して地中に埋める習俗についての研究は十分ではない。そこで針供養と関連する事象についての関係を資料から考究し、針供養の事象について明らかにすることを試みた。すると、まず日本海側の特徴的な気候から、針と河豚が関連して嘘と針に関する伝承が生まれ、誓文払と結びつき文学作品に反映されるほどに民間に広まっていたことが分かった。次に針の形状から想起される一つ目の山の神や、疱瘡神の喩えと考えられる豆腐小僧との関連も推察された。最後は、行事の主役となる針について、針塚に埋めることと修験道の呪術との関わりを検討した。針供養蒟蒻誓文払豆腐疱瘡神
著者
北野 元生
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.207-222, 2017-03-01

俳人西東三鬼(以下、三鬼)のほぼ五千五百字からなる短編時代推理小説であり、湯治場の盲人の按摩の一人語りから成り立っている「《まげものスリラー》鼠小僧神がくし―按摩徳の市の話―(以下、「神がくし」)」については、鼠小僧の神がくしの顚末とその種明かしに一種の爽快さがある。また同じく推理小説に用いられる手法で一人称の語り手である按摩の德の市が最後になってやっと自分の正体を明かす語り方に、作者である三鬼なりの工夫が凝らされて興味深い。そして、何よりもこの小説が芥川龍之介の短編小説「鼠小僧次郎吉」(以下、「次郎吉」)を下敷きにして書かれた可能性があり、その辺りの検証がなされべきであると考えられる。本論は、「神がくし」と「次郎吉」における、とくに「物語行為」を比較検討して、両者の関連を明らかにすることを目的に論考を行ったものである。西東三鬼芥川龍之介短編時代推理小説鼠小僧信頼できない語り手