著者
井上 智勝
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.1, pp.71-94, 2004-06-30

吉田家は、神祇官次官の家柄ながら、一五世紀以降幕末まで神道界に大きな勢力を振るった公家である。特に一五世紀後期に出た吉田兼倶は、家説の超然を説く吉田神道を大成し、それに基づく活動を「神祇管領長上」と称して展開した。この称号は、吉田家が、神紙伯(神祇官長官)を凌駕して自らが神道の主宰者たることを誇示するための偽称・僭称であった。しかし兼倶は、一方で旧来の制度である神祇官の復興にも協力していた。かかる吉田家の一見矛盾する行動は、白川家の家職化した伯職への就任が困難な吉田家が、律令官制を相対化しつつ、神祇官という律令官衛を代表しようとする意図の現れであった。その達成は、系図・文書の捏造による「押紙管領長上」の地位創作と、その神祇官内への位置づけによって図られた。吉田家は旧制度・秩序を否定して自家中心の神祇秩序の構築を図ったのではなく、律令制に由来する正当性を取り込むことでそれを目指したのであった。
著者
佐藤 真人
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.81, no.2, pp.359-383, 2007-09-30

神仏隔離の意識ははやく『日本書紀』の中にも認められており律令神祇制度の形成期から神道の独自性を支える要素であったと推測される。神仏習合が頂点に達した称徳朝に道鏡による宇佐八幡宮託宣事件が王権の危機を招いたことにより神仏隔離は一層進展した。天皇および貴族の存立の宗教的根拠である天皇の祭祀の場において仏教に関する事物を接触させることは、仏教的な国王観の受容を許すことになる。そこに神仏隔離の進展の大きな要因があった。さらに九世紀には『貞観式』において、朝廷祭祀、とりわけ天皇祭祀における隔離の制度化が達成された。この段階では平安仏教の発達によって仏教が宮中深く浸透したことや、対外危機に起因する神国思想が作用したと考えられる。平安時代中期以降は、神仏習合の進展にもかかわらず、神仏隔離はさらにその領域を広げていった。後世の展開を見ると神仏隔離は天皇祭祀の領域に限られるものではなく、貴族社会に広く浸透しさらには一般社会にも規範として定着していき今日の神道を形作る大きな要因となった。
著者
内藤 理恵子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.85, no.1, pp.151-173, 2011-06-30 (Released:2017-07-14)

今日、日本の葬送文化はさまざまな変容を遂げている。本論では、特に今日のペット供養を取り上げ、伝統的に行われてきた畜生供養とどのように異なるのかを明らかにする。馬頭観音を本尊とした馬供養のように、ペット供養文化が開花する以前にも、日本では動物に対する供養は行われてきた。伝統的な六道輪廻観において動物は、地獄界・餓鬼界の次に低い畜生界に属していると考えられてきた。畜生供養は、中国撰述の『梵網経』を典拠としているが、それは牛馬猪羊など一切の動物の発菩提心を説いているため、本来は動物の成仏をめざすものである。それに対して、ペットが家族化した現在、多くの場合、飼い主は、個々のペットの他界観に関して小さな物語創作を行い、自らの死後、ペットとの再会を願っている。しかし、これはペットに限った現象ではなく、人間に対する他界観に関しても、死者を祀る側の願望にしたがって、小さな物語創作が行われてきているのが垣間見える。
著者
吉永 進一
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.579-601, 2010-09-30

本論文では近代日本における神智学思想の歴史を明治から戦後の一九六〇年まで追う。最初に、ハネフラーフのエソテリシズム史やオルバニーズのメタフィジカル宗教史を日本の霊性思想史に適応できるか否かを、島薗進の新霊性運動における系譜論的議論と関係させながら論じた上で、構造的、理論的な定義ではなく、試論として歴史的な霊性思想のジャンルと特徴を抽出する。次に霊術や精神療法などの日本の霊性思想と類似したアメリカのメタフィジカル宗教について瞥見した上で、明治、大正期における日本への神智学の流入、ロッジ活動の失敗、出版での流布を紹介する。最後に三浦関造に焦点をしぼり、翻訳家から霊術家、そしてメタフィジカル教師への変貌の跡を追い、戦後の竜王文庫を通じてのアリス・ベイリーやドーリルといった神智学系グルの紹介と終末論的なオブセッションを論じる。
著者
佐々木 中
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.81, no.1, pp.47-68, 2007

さまざまな宗教現象において、「享楽」と呼ぶべき何かがあると考えうる時点は少なくない。宗教の享楽とは何か。この問いに答えるための予備考察として、ジャック・ラカンの晩年に見られる「享楽の類型学」と呼びうる部分を簡潔に整理し、享楽の定義から始めて「絶対的享楽」「二つのファルス的享楽」および「対象aの剰余享楽」という、いくつかの享楽の類型を提示する。そして、それらの概念が明らかに「宗教的」なものと関係があり、宗教現象分析のための概念として使用可能であることを指摘する。また、彼が最後に提出した「大他者の享楽=女性の享楽」が、他の享楽を「超過する」ものであるばかりか、神秘家の伝統に関わるものとして、精神分析自体の「歴史的限界」を露わにすることを呈示する。
著者
近藤 光博
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.73, no.1, pp.101-123, 1999-06
著者
和田 有希子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.77, no.3, pp.629-653, 2003

これまで鎌倉時代の臨済禅は「兼修禅」と「純粋禅」という枠組みで捉えられるのが一般的であった。この枠組みは、「純粋禅」を、禅の清規を導入し、従来の顕密諸宗から完全に距離を取った存在と見、一方の「兼修禅」を、顕密諸宗を併習する禅として明確に区別するものであった。しかしこうした枠組みは、当該期臨済禅とは何かということや、臨済禅の中世思想世界における意義を埋没させてしまう。そこで本稿では、この枠組みを一度措き、当該期臨済禅僧の交流の実態を踏まえた上で、「兼修禅」・「純粋禅」に分類されてきた円爾弁円と蘭渓道隆による『坐禅論』の内容を比較検討した。その結果、当該期臨済禅僧には「兼修禅」「純粋禅」の区分を超えた密接な交流があったこと、また円爾・蘭渓の思想に共通性の高い構造があることを確認した。このことは、「兼修禅」「純粋禅」の区分を前提とする前に、宋代臨済禅に由来する両者の臨済禅僧としての共通性とその内実に、より着目すべきことを示唆している。
著者
渡辺 和子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.86, no.2, pp.447-472, 2012-09-30 (Released:2017-07-14)

「ノアの洪水」の記事はメソポタミアの洪水神話と同系であることが広く知られているが、多神教的背景をもつものとは内容も文脈もおのずと異なる。また「多神教的」、「一神教的」背景の具体的内容も検討を要する。『ギルガメシュ叙事詩』(標準版)第一一書板にある洪水神話は、ウータ・ナピシュティの口からギルガメシュに語られる。神々の会議で最高神エンリルが洪水を決定し、他の神々にはそれを人間に漏らさないことを誓わせる。しかし知恵の神エアはウータ。ナピシュティに暗に伝えて船を造らせて生命の種を救う。洪水後に最高神はその暴挙をエアに責められて悔い改め、ウータ・ナピシュティに永遠の命を与える。洪水の顛末を語り終えたウータ・ナピシュティは、「今」では永遠の命を与えるために神々の会議を招集するものはいないと宣言する。他方聖書では、神は人間を創造したことを後悔して洪水を起こすが、ノアに船を作らせて生命の種を救う。洪水後も責められることはなく、ノアと契約を結んで再び洪水を起こさないと誓い、ノアには長寿を与える。
著者
佐藤 弘夫
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.86, no.2, pp.323-346, 2012

自然に関する科学的な知識を欠いていた前近代社会では、世界の他の地域と同様、列島の人々は不可避の災禍を超越的存在(カミ)の仕業と結びつけ、その出現の必然性を了解しようとした。古代社会では、自然災害はカミが人間に与えるメッセージ(崇り)と解釈された。仏教が受容され世界についての体系的な解釈が定着する中世社会になると、災害についても、その発生を治罰と救済の因果律のなかで説明しようとする傾向が強くなった。根源的存在のリアリティが衰退し、死者を彼岸の仏による救済システムに委ねることができなくなった近世では、災禍を天災として忍受する一方、不遇な死者を祖霊に上昇させるための長期にわたる儀礼や習俗が創出された。「近代化」のプロセスは、生者とカミ・死者が共存する伝統世界から後者を閉め出すとともに、特権的存在である人間を主人公とした社会の再構築にほかならなかった。東日本大震災は、そうした近代の異貌性を浮かび上がらせ、私たちの立ち位置と進路を再考させる契機となるものだった。
著者
堀井 聡江
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.90, no.2, pp.131-155, 2016 (Released:2017-09-15)

イスラームにおける酒の禁止は日本においてもよく知られている。事実、何らかのイスラーム化政策を必要とする現代のムスリム国家にとっては、酒の禁止は最もわかりやすくかつ簡単な方法である。しかし、逆に言えば多くのムスリム国家では酒が消費されており、製造や輸出がさかんな国まである。それはイスラームの戒律が守られていないというより、シャリーア(イスラーム法)自体が不統一だからである。本稿では次のことを明らかにする。イスラームの聖典クルアーンはワインの飲用のみを禁ずるが、その沿革および禁止の性質は不明確である。酒の禁止は、そこにイスラームの理想を求めた伝承主義運動の影響を通じてイスラーム法学の多数説となったが、ワイン以外の酒は酩酊しない限度で飲用を認めるハナフィー派の学説もシャリーアを構成していた。また、いずれの立場も飲酒罪に法定の処罰を科すことに対して現代のイスラーム主義者ほど積極的とはいえない。
著者
島田 裕巳
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.82, no.2, pp.293-316, 2008

近代の社会に入って、新宗教が登場して以降、そうした教団は、さまざまな角度から批判を受けてきた。この論文では、新宗教の先駆的な形態である天理教からはじめて、戦後に巨大教団に発展した創価学会、そして無差別テロを実行するまでにいたったオウム真理教をとりあげ、それぞれの教団がどのような形で批判を受けてきたのかを見ていく。天理教の場合には、神懸かりする教祖を盲信する淫祠邪教の集団として批判され、批判の主体はメディアと既成教団だった。創価学会に対しては、最初既成仏教教団が批判を展開したが、政界進出後は左翼の政治勢力からも批判を受け、言論出版妨害事件以降になると、メディアが創価学会批判の中心になった。オウム真理教に対しては、最初からメディアが批判的で、一時は好意的に扱われた時期もあった。近年では、オウム真理教の場合に見られるように、メディアが新宗教批判の主体で、そこには社会の新宗教観が反映されている。
著者
江島 尚俊
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.92, no.3, pp.1-24, 2018 (Released:2019-03-30)

本稿は、明治三〇年代から大正初期にかけて行われた行財政改革に焦点をあてて、大正二年六月に文部省が宗教局を所管する、言い換えれば、文部省が宗教行政を制度的に掌握するまでの経緯を明らかにしている。まずは、明治三五年七月に当時の法制局長官奥田義人によって第一次桂内閣に提出された『奥田案』が黙殺されたことで、文部官僚による宗教行政所管構想が一旦は挫折したことを明らかにした。次に、第二次西園寺内閣時の内相原敬が実行した内務省改革と内務省主導の地方行政改革が、従来の神社行政・宗教行政に大きな変化をもたらし、その結果、文部官僚らの所管構想は更に後退したことを指摘した。そして最後に、第一次山本権兵衛内閣時の内相原と文相奥田による協働の結果、大正二年六月に内務省から文部省へ宗教局が正式に移管され、明治三〇年頃からの文部省の宿願がようやく結実したことを論じた。

14 0 0 0 OA 平田神学の遺産

著者
三ツ松 誠
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.92, no.2, pp.183-205, 2018-09-30 (Released:2018-12-30)

平田国学が明治維新に与えた影響の如何という古典的な問いにつき、現在の研究状況をサーベイする。要点を三点にまとめると以下の通り。第一点。戦後の平田国学研究には、戦時下の顕彰運動の反動で、ナショナリスティックな側面を取り上げることを回避して、霊的世界の探究者としての篤胤に注目する傾向があった。しかし政治運動に関わった人々の主体形成に篤胤国学が影響したことは否定しがたい。第二点。近年の国立歴史民俗博物館における平田篤胤関係資料の調査の進展によって、篤胤やその家族、門人たちに関する豊饒な研究素材が学界に提供され、大きく研究水準が引き上げられた。古い議論にはそのままでは通用しない部分が生じている。第三点。明治初年における平田国学の挫折、という通俗的理解には注意すべきである。津和野派や薩摩派の国学者も篤胤から影響を受けているのだから、平田直門の失脚だけでは維新政権での篤胤学の影響力の消滅は意味しない。