著者
弓山 達也
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.70, no.1, pp.141-162,vii, 1996
著者
四戸 潤弥
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.517-539, 2004-09-30

有賀文八郎は明治維新の数ヶ月前に生まれた。彼は幕藩体制崩壊後の明治に生きる人間として、新しい日本人の教育の基礎を基督教と確信して基督信者となった。その後、インドのボンベイでイスラームの実際を目撃し、後にイスラームに改宗する。イスラームとの出会いから四十年間、一神教の比較研究を行い、三位一体説に疑義を抱き、イスラームが日本に最も適当な宗教であると確信し、六十歳を機に実業界を引退し、イスラーム伝道に余生を捧げた。彼は短期間に信者を獲得したが、同時に彼のイスラーム解説書は日本の他のオリエンタリストのそれと比較して異彩を放っている。それは結果的にイスラーム法学の法判断(フトワ)によって日本の実情に合うイスラームを人々に伝えたからだ。彼は日本のイスラーム法学の先駆として位置づけられる。
著者
丸山 敏秋
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.p139-159, 1981-09
著者
大久保 教宏
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.72, no.3, pp.467-490, 1998-12
著者
山田 政信
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.3, pp.785-806, 2004-12-30 (Released:2017-07-14)

ブラジルではプロテスタンティズムが盛んだが、これはペンテコスタリズムの伸展に他ならない。この動向を探ることは伝統的にカトリックの国であったとされるブラジルの宗教変容を理解するうえで重要だといえる。ユニバーサル教会(Igreja Universal do Reino de Deus)は、一九七七年にリオデジャネイロで創始され、わずかの年限でブラジルのペンテコスタリズムで第三番目の大教団に急成長した。現在では、ラテンアメリカのみならず、多くの国で活動するようになっている。同教団の特徴は、繁栄の神学と悪魔祓いにあり、ネオペンテコスタリズムと呼ばれて従来のペンテコスタリズム教団と区別される。本稿では、同教団の発展要因にかんして、新自由主義経済とマチズム、宣教方法と教え、ブラジルの宗教文化という三つの側面について考察した。そして、宗教教団のグローバル化という現象についてグローカリゼーションの視点で論じるとともに、ネオペンテコスタリズムの可能性と限界を探った。
著者
虫賀 幹華
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.95, no.1, pp.49-73, 2021

<p>北インドのヒンドゥーの聖地ガヤーで行われる祖霊祭では、「男性・女性たちのための十六」という死者の救済のためのマントラが唱えられる。本論文は『ガヤーマーハートミヤ』(十―十一世紀頃)に掲載される同マントラを和訳した上で、これを池上良正が論じるところの「無主/無遮」の両側面を含む無縁供養であるとみて分析するものである。同マントラで供養の対象となるのは、「まつり手がいない(無主)」ことあるいは異常死を理由として葬儀が執行されないことによる苦しむ死者、生前の悪行が原因で生まれ変わり先で苦しむ死者、親族を超えた非常に広範囲の祭主の「縁者」たる死者である。異常死者や転生先で苦しむ死者と祭主との関係性の不問、輪廻思想による時空を超える対象の広がり、言葉を尽くした祭主との関係性の描写といった、このマントラなりの「一切衆生への平等な(無遮)」供養のあり方にも注目する。</p>
著者
鈴木 正崇
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.92, no.2, pp.131-157, 2018

<p>修験道は、江戸時代には民衆の中に神仏混淆の形態で深く定着していたが、新政府による慶應四年(明治元年)のいわゆる神仏判然令以後、急速に崩壊へと向かった。神仏判然令で最も甚大な影響を被ったのは権現に社僧や別当として奉仕してきた修験道であり、その解体は神道国教化を進める新政府から見て必然であった。修験は政府の指令に基づき、寺院として存続する、復飾(還俗)して神主になる、帰農するなどの選択を迫られた。そして、明治五年に出された修験宗廃止令によって天台宗か真言宗への帰属を迫られて事実上、解体された。本稿は明治維新に大変動を被った修験道に関して、神仏判然令の及ぼした影響を修験道の本山と在地修験の双方から広く考察する。在地修験では東北の法印様の歴史的変化を考察し、本山では羽黒、吉野、英彦山の事例を中心に、神と仏の分離の展開を比較検討する。最後に学術用語として神仏習合と神仏分離の概念について再検討する。</p>
著者
佐藤 弘夫
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.81, no.2, pp.211-234, 2007-09-30 (Released:2017-07-14)

今日神仏習合研究が行き詰まっている一つの原因は、「神仏習合」という視座を規定している歴史的な被拘束性に対する無自覚であり、その方法そのものが孕む問題性にあると考えられる。神-仏という二分法を前提とし、両者の習合と離反の距離を測定しようとする従来の神仏習合研究は、日本列島の宗教世界の主人公として超歴史的な実体である「神」と「仏」を想定するが、それはまったくのフィクションであり、「神」「仏」それぞれの概念も両者の区分も時代によって大きな揺らぎがある。そうした問題点を自覚した上で、今後「神仏習合」という研究のあり方を抜本的に再検討していく必要がある。そのための具体的な道筋としては、狭義の「神」「仏」が各時代の宗教世界全体に占める客観的位置を確定することが不可欠であり、その前提として「神」「仏」に留まらない雑多なカミの混在する日本列島の宗教世界を、ありのままの姿においてトータルに把握するための新たな方法の追求がなされなければならない。
著者
市川 裕
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.91, no.2, pp.27-51, 2017-09-30 (Released:2017-12-30)

ユダヤ人は近代西欧の市民権取得時において、既にブルジョア的経済倫理を身に着けた成熟した経済共同体を形成した。マルクスはこのことを平日のユダヤ人の経済観念として理論化した。では、この平日のユダヤ教の経済観念とはどのように形成されたのか。本論は、ラビ・ユダヤ教の啓示法が、時間的聖性を厳守し聖と俗を厳格に分離する宗教共同体を形成していたことが彼らの経済観念をもたらした原因と捉え、ユダヤ教の行為規範であるハラハーがユダヤ人の日常の商業活動に与えた意味を明らかにした。聖書では、利子取得は、弱者に対する強者の不法行為とされたが、ミシュナでは商取引の不正行為の一つと理解された。中世以降ではマイモニデスが無利子の金銭貸与は貧者に対する喜捨より優れた行為とみなし、シュルハン・アルーフでは、ついに同胞でも商行為での金銭貸与は危険負担を伴うがゆえに利子取得は許されるという合理的解釈に至る。これによって二重道徳は解消されたのである。
著者
本多 彩
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.90, no.2, pp.157-182, 2016 (Released:2017-09-15)

日本人移民の仏教徒、日系アメリカ人仏教徒によるアメリカ本土の仏教会を舞台とした、一世紀以上にわたる食の提供と継承と広がりを論じる。浄土真宗は食の厳格な戒律を持たないが初期真宗の史料には精進料理の記述がある。アメリカの浄土真宗では開教当初から食が登場しており食に関わる女性仏教徒や青年仏教徒の活動があった。宗教儀礼後や仏教会活動や移民社会に提供される食、個人のために作られた食があった。人が結びつくところで食の役割は重要である。定期的に開催される仏教会のバザーの中心は食であり仏教会を財政面から支援してきた。バザーでは日系社会や地域社会に対して食が提供され食が地域密着型アメリカ仏教の展開にも一役買っている。さらに仏教会における日系アメリカ人仏教徒の料理は口頭でそして明文化されて継承されてきた。仏教会では、様々な食事が場や食べる人のことを考えて調理、提供され続け、個人や社会をつなぐ力となっている。