著者
富永 一登 川合 康三 釜谷 武志 浅見 洋二 和田 英信 緑川 英樹
出版者
広島大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2011-04-01

『文選』の伝承から見た文学言語の型の形成と継承を追究するための基礎作業として、まず『文選』詩編(12巻分)の訳注作業を完成した。原稿作成は25年度内に完了したので、近々にこれを出版社から刊行し、広く社会に公表する予定である。また、『文選』所収の主な詩人の経歴や作品についてのコメントをまとめた。これも刊行予定の訳書に付載する。更に近年の『文選』研究の整理や唐代宋代の詩人への『文選』の影響についても、学術雑誌などに掲載し、著書としても刊行した。また、台湾大学の柯慶明・蔡瑜の両教授を招聘して『文選』の文学言語の継承に与えた影響について討論を行い、研究成果の国際的交流を行った。
著者
浅見 洋
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.80, no.2, pp.479-504, 2006

石川県能登地区で訪問看護師を対象に、在宅における終末期高齢者が表出した死生観に関する聞き取り調査を実施した。表出された死生観を含む言語はデータとしてコード化し、それらを質的に分析、分類した。分析結果を宗教学的視点から考察した結論として、(1)訪問看護師等の研修に死生観教育を取り入れることの意義、(2)地域における宗教文化の継承が死の準備教育としての機能を担っていること、の二点が示唆された。在宅での終末期療養は、病院・施設とは異なって、日常生活の延長上にある死への過程(生の過程)であり、ほぼ高齢者のそれまでの生活習慣や環境が持続されている。特に、能登のような地域では、伝統的な宗教的伝統や儀礼などを身近に意識しながら、在宅療養者は自然な死への過程を辿っていく。そこでは在宅医療関係者の献身的な努力とともに、現在も伝統的な宗教的・習俗的な死生観が高齢者の望む終末期を演出する一つの装置として機能している。
著者
大永 慶子 浅見 洋
雑誌
石川看護雑誌 = Ishikawa Journal of Nursing (ISSN:13490664)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.83-97, 2018-03

精神科病院で最期を迎える精神疾患患者に対する看取りケアを精神科病院の特性をふまえて明らかにするために,現象学的な質的記述的研究を行った.精神科病院で看取られた患者の受け持ちであった看護師に対し,看取りの経験についてインタビューを行った.その結果看取りの特性として【家族関係の希薄さ】【精神症状の減少】【訴えの曖昧さ】【長期にわたる関わり】【孤立する家族】の5 テーマが導き出され,看取りケアとして【家族の代わりになる】【身体ケアに重点を移す】【身体症状を見極める】【人生の伴走者として関わる】【家族の立場に立つ】の5 テーマが導き出された.さらにこれらの特性とケアのテーマから看取りにおける本質として【家族の代わりに最善の決定をする】【身体の苦痛緩和と安楽を実現する】【曖昧な訴えの本質をつかむ】【人生の最後まで寄り添う】【孤立する家族の苦悩に寄り添う】が導き出された.
著者
浅見 洋
出版者
西田哲学会
雑誌
西田哲学会年報 (ISSN:21881995)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.1-21, 2018 (Released:2020-01-29)

The science of nursing is a practical one. In essence, Nishida’s philosophy could be considered to be the philosophy of religion. Without examination, it does not appear as though there could be a connection between the two. However, end-of-life care in modern nursing science is defined as‘supporting people who are thinking about their inevitable death to enable them to lead the best possible life until they do die’. The basis for this definition is eschatological thought. Furthermore, the final position that Nishida’s philosophy takes is known as‘eschatological thinking Byōjyōtei’. Accordingly, both end-of-life care and Nishida’s philosophy are characterised by eschatological thought. However, their stances on religion are different.
著者
内山 精也 浅見 洋二 池澤 一郎 高橋 幸吉 種村 和史 東 英寿 保苅 佳昭 堀川 貴司 張 宏生 侯 体健 陳 広宏 査 屏球 王 水照 銭 志熙 羅 鷺 卞 東波 朱 剛 張 健
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2011-04-01

13世紀、宋(南宋)から元への交代期に、非士大夫層(江湖)詩人の詩作が一世を風靡した。本研究は、彼らを「中国伝統詩歌の近世化」という観点から照射する、全世界初の試みである。この3ヶ年の研究期間においては、まず対象のディテールを少しでも多くクリアーにし、具体的な問題を一つでも多く発掘することを目標とした。そのために、個別テーマを個人研究の形で進めたほか、毎年、国際シンポジウムを開催し、海外から関連の研究者を招聘し、意見交換する場をもった。また、今年度(2014)中に、勉誠出版の『アジア遊学』の特集号において、一般読者に向けて本研究の意義を発信してゆく予定である。
著者
浅見 洋
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.82, no.2, pp.317-340, 2008-09-30

思想史的意義をもつとみなされてきた宗教批判は、宗教そのもの、特定の宗教、ないしはある教派の真理性を否定することによって、真理性をもつと考えられる何ものかを肯定しようとする思想的な試みである。だとすれば、宗教批判は宗教に関する真理問題と関わっていくつかの立場に類型化することが可能だと思われる。本稿では無神論的立場、絶対主義的立場、包括主義的立場からなされた宗教批判として、L・フォイエルバッハの無神論的宗教批判、K・バルトの神学的宗教批判、西田幾多郎の哲学的宗教批判を取り上げ、各々の宗教批判の構造とそれらの関連性に論及する。それによって、フォイエルバッハの宗教批判は人間学の構築、バルトの宗教批判は神学の再興、西田の宗教批判は宗教の説明をめざした肯定的、創造的な作業であったことを明らかにする。
著者
金川 克子 山岸 映子 田村 須賀子 西村 真実子 大木 秀一 杵淵 恵美子 伴 真由美 浅見 洋 曽根 志穂 梅山 直子 高窪 美智子 杉原 敏雄 田中 理 吉村 香代子
出版者
石川県公立大学法人 石川県立看護大学
雑誌
石川看護雑誌 (ISSN:13490664)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.1-9, 2007

石川県立看護大学はJICAの依頼のもとに,タジキスタン共和国の母子保健の向上に資する目的で,2005年から概ね3年間の予定で「母と子の健やか支援プロジェクト」の企画,運営を通して,支援活動に加わることになった.その一環として2005年10月から12月まで,タジキスタンより研修員6人を受け入れ,県内の他機関との協力のもとで,研修を実施した.本旨は研修プログラムの企画,内容,評価等の実施状況と,研修のありかたについての考察についての報告である.研修の目的はわが国における母子保健や公衆衛生活動の現状を理解するのみでなく,研修員がこれらの成果を生かして,自国での母子保健の改善や新しいプログラム開発に向けてのアクションプランを作成し,実践することが課せられている.われわれもその目的に向けての研修のあり方の工夫が必要である.(著者抄録)
著者
大谷 雅夫 川合 康三 宇佐美 文理 大槻 信 伊藤 伸江 森 真理子 齋藤 茂 金光 桂子 緑川 英樹 森 真理子 齋藤 茂 大谷 俊太 深沢 眞二 楊 昆鵬 愛甲 弘志 乾 源俊 浅見 洋二 中本 大 神作 研一 長谷川 千尋 中島 貴奈 日下 幸男 原田 直枝 小山 順子 福井 辰彦 稲垣 裕史 伊崎 孝幸 竹島 一希 中村 健史 好川 聡 橋本 正俊 二宮 美那子 檜垣 泰代 川崎 佐知子 有松 遼一 畑中 さやか 山田 理恵 本多 潤子 大山 和哉
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

室町時代の和漢聯句作品を広く収集し、それらを研究分担者ほか研究会参加者が分担して翻字し、『室町前期和漢聯句資料集』(2008年3月)、『室町後期和漢聯句資料集』(2010年3月)の二冊の資料集を臨川書店より刊行した。また、その中の二つの和漢聯句百韻を研究会において会読した上で、詳細な注釈を作成してそれを『良基・絶海・義満等一座和漢聯句譯注』(臨川書店、2009年3月)および『看聞日記紙背和漢聯句譯注』(臨川書店、2011年2月)として出版した。
著者
村上 哲見 渡辺 武秀 浅見 洋二 熊本 崇 川合 康三
出版者
東北大学
雑誌
一般研究(B)
巻号頁・発行日
1986

中国における文学芸術の最も洗練された部分は, 「文人」と呼ばれる人々によって支えられて来た. 人間類型としての「文人」は, 魏晋の頃に出現し宋代に至って完成したものと考えられる. そこで本研究は, 宋代を中心として, この「文人」なる人間類型の特色を解明し, 更にその現実の姿ならびに文学芸術との関係などを考究すべく計画された.「文人」と並ぶ中国特有の人間類型に「読書人」と「士大夫」がある. 本研究ではこれらを対比しつつ分析することによって, それぞれの特色を明らかにした. まず「読書人」の不可欠の必要条件を考えてみると, (1)儒教の古典に通ずること, (2)文言の韻文および散文が書けること, の二点に帰着する. この点は「文人」も「士大夫」も共通で, つまり「文人」も「士大夫」も「読書人」であることを前提として, 他の要素が加わったものである. 「士大夫」にとって必須のもうひとつの要素は, 国家社会の経営に対する使命感であり, 実践としては官僚となって政治に参与することになる.つぎに「雅俗観」すなわち「雅」と「俗」とを上下に対置して一切の評価の基準とする認識は, 中国の伝統的知識人に普遍的な価値観であるが, それを純粹につか徹底的に追求する精神が, 「文人」なる人間類型の核心である. そこで実践としては, 「読書人」としての必要条件を備えるのは当然のこととして, 書画音楽など, 更に高度な芸術に秀でることになる.「士大夫」と「文人」とは矛盾するものではなく, 双方の要件を兼ね備えた人を「官僚文人」という. 歴史的にみると, 北宋では欧陽修・蘇軾など, すぐれた官僚文人が輩出したが, 南宋になると姜〓・呉文英など, 純粋型の文人が輩出し, これが南宋の文化を特色づけている. またこれらの文人が江南地方と深く結びついていることも見逃せない. 本研究ではそうした具体的な情況についても考察を進めた.