著者
守 如子
出版者
関西大学社会学部
雑誌
関西大学社会学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Sociology, Kansai University (ISSN:02876817)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.137-158, 2017-10

There are two significant genres of pornographic manga for young female readers in contemporary Japan. One is called "Teens' Love" (or "Ladies' Comics"), and the other is called "Boys' Love". The purpose of this study is to clarify the characteristic traits of female consumers of pornographic manga, focusing on the Seventh National Survey of Sexuality among Young People (2011). These surveys are conducted every six years by the Japanese Association for Sex Education (JASE). The study compares the girls aged 12 to 22 whose source of information about sex was manga with those who cited other sources. The former had a positive image of sex and sexual open-mindedness, and demonstrated more knowledge of sex. Extrapolating from this data, I argue that pornography for young female readers can have a positive effect. 日本には女性向けのポルノコミックがジャンルとして成立している。一つは、「レディコミ」あるいは「TL(ティーンズラブ)」で、もう一つは「BL(ボーイズラブ)」である。そのほかにもさまざまな少女・女性向けコミックのうちに性的表現が広く広がっている。本稿は、少女・女性向けマンガのうちに広がる性的表現の女性読者に着目し、その実態にせまる。具体的には、「第7 回青少年の性全国調査」のデータに基づき、性の情報源がマンガである女子とそうではない女子を比較する。性の情報源がマンガの女子は、セックスに対するポジティブなイメージと、性に対する寛容性をもつと同時に、性知識も高かった。このようなデータを通じて、ポルノグラフィが女性の読者にもつ有用性を明らかにする。
著者
村田 麻里子
出版者
関西大学社会学部
雑誌
関西大学社会学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Sociology, Kansai University (ISSN:02876817)
巻号頁・発行日
vol.47, no.2, pp.19-43, 2016-03

This paper analyses how popular culture is exhibited in museums in Japan. The paper consists of two parts. First, it focuses on sports museums, manga comics museums, and popular music museums in order to describe how these genres are typically displayed. While all three have issues, some similar and some unique to each genre, popular music is the most difficult to adapt to an exhibit. As yet in Japan, there are no popular music museums. However, some exhibitions on popular music are occasionally held. The second part of this paper includes an interview of the producer of the special exhibition "70ʼs Vibration" and will seek to understand what underlying issues are present in the exhibition of popular music.本稿では、ポピュラー文化を扱うミュージアムが、ポピュラー文化をどのように展示しているのか、その展示手法に着目する。スポーツ、マンガ、ポピュラー音楽それぞれの分野に関する展示の特徴と傾向を併置・比較してみると、ポピュラー文化としての共通課題と、そのジャンル特有の課題の双方が浮き彫りになった。また、ポピュラー音楽を展示することの課題と困難は、前者ふたつに比して格段に大きいことがわかった。そこで、本稿の後半では、日本のポピュラー音楽シーンに焦点を当てた「70's バイブレーション!」展の総合プロデューサーへのインタビューを元に、ポピュラー音楽の展示について特化して考える。
著者
森田 雅也
出版者
関西大学社会学部
雑誌
関西大学社会学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Sociology, Kansai University (ISSN:02876817)
巻号頁・発行日
vol.46, no.2, pp.103-111, 2015-03

本研究は、JSPS 科研費(研究課題番号:26380551)の助成を受けたものである。A questionnaire survey was conducted to determine how workers employed under the discretionary working system feel about their work situation, especially in relation to their superiors. The sample comprised 154 respondents; 120 of these were employed under the discretionary working system in thetype of professional work, whereas 34 were employed under the same system in the type of planning work. In this article, the results of this survey will be presented as obtained, without any analytical commentary.裁量労働制適用者154人(専門業務型裁量労働制120人、企画業務型裁量労働制34人)を対象に、裁量労働制適用者として働くことをどう考えているかについて、特に上司の管理のあり方との関係をみるために質問票調査を行った。資料として、単純集計結果等を掲載する。
著者
水野 由多加
出版者
関西大学社会学部
雑誌
関西大学社会学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Sociology, Kansai University (ISSN:02876817)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.61-74, 2018-10

海外では先行する事象がありながらも(注1)、日本で、主として公的な施設の「名前」が、契約によって使用権として対価を伴って売買される、いわゆる「ネーミングライツ(命名権)」として認識され実践が伴ったのは、2002年以降ときわめて近年の事象である(水野、2017)。行政学、私法商法実務などでこれに対する整理も試みられているが、本稿は広告研究としてその価値の泉源を確認し、断片的ながらも、その基底的な認識に向かう議論を試みる続編である。
著者
水野 由多加
出版者
関西大学社会学部
雑誌
関西大学社会学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Sociology, Kansai University (ISSN:02876817)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.205-217, 2017-10

海外では先行する事象がありながらも、日本で、主として公的な施設の「名前」が、契約によって使用権として対価を伴って売買される、いわゆる「ネーミングライツ(命名権)」として認識され実践が伴ったのは、2002年ときわめて近年の事象である。行政学、私法商法実務などでこれに対する整理も試みられているが、本稿では広告研究としてその価値の泉源を確認し、断片的ながらも、その基底的な認識に向かう議論を試みる。
著者
小川 博司
出版者
関西大学社会学部
雑誌
関西大学社会学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Sociology, Kansai University (ISSN:02876817)
巻号頁・発行日
vol.47, no.2, pp.1-18, 2016-03

Ever since Theodor W. Adorno radically attacked popular music, popular music researchers have criticized Adorno and attempted to express their own positions. However, just because Adorno attacked popular music, it does not mean he was unable to observe popular music phenomena. Additionally, his observation of popular music phenomena is not necessarily out of date. In this paper, I regard Adorno as an Anti-Nori (Groove) theorist. By discussing Adornoʼs theory of popular music, I would like to derive academic points on Nori (Groove) in contemporary society. This paper is part of a critical review of prior research on "Nori (Groove) and Social Change".アドルノはポビュラー音楽を徹底的に批判したので、後のポピュラー音楽研究者はアドルノをまず批判することで、自らの立場を表明しようとした。しかし、アドルノがポピュラー音楽を批判したからといって、アドルノがポピュラー音楽現象を観察できていなかったわけではない。アドルノのポピュラー音楽現象の観察は必ずしも時代遅れのものではない。本論文では、アドルノを反ノリの理論家として位置づけ、アドルノの議論から、今日的なノリの問題を導き出す。本論文は、筆者のプロジェクト「ノリと社会変動」の、先行研究レビューの一部として位置付けられる。
著者
橋本 理
出版者
関西大学社会学部
雑誌
関西大学社会学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Sociology, Kansai University (ISSN:02876817)
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.25-60, 2016-11

This study focuses on the nature of mutual assistance activities conducted by citizen-led welfare organizations and analyzes the revision of the Long-Term Care Insurance (LTCI) Act. First, it clarifies the features of the concept of a community-based integrated care system through an analysis of a discussion on the social security reforms in Japan. It explains the history of LTCI and provides an overview of the 2015 revision of the LTCI Act. Second, this study presents the state of citizen-led welfare organizations under the revised LTCI. Third, through case studies, it presents the meaning of and problems associated with the mutual assistance activities conducted by citizen-led welfare organizations.本稿は、改正介護保険制度の検討を通じて、市民による助け合い活動の意義を再考する。第1に、介護保険制度において重視されている地域包括ケアシステムという概念の特徴について、近年の社会保障制度に関する論議を検討しながら明らかにする。また、介護保険制度の沿革を概観したうえで、2015年の改正介護保険制度の要点を整理する。第2に、揺れ動く介護保険制度のなかで市民福祉団体がどのような状況におかれているかを述べる。第3に、 2つの事例を紹介することにより、市民福祉団体による助け合い活動の意義や課題を提示する。
著者
清水 和秋
出版者
関西大学社会学部
雑誌
関西大学社会学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Sociology, Kansai University (ISSN:02876817)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.191-211, 2018-03

因子分析の理論は、最尤法と漸近的方法のような数理統計学的理論を組み込んだ形で発展してきた。しかしながら、因子分析研究の手順にはまだ誤用がみられる。いくつかの研究において、天井効果や床効果を示す項目を削除して因子分析が行われている。因子分析に必要なサンプル数は明確ではない。因子の数を決定するためにKaiser-Guttman 基準は使うことはできない。そして、この目的でScree Graph とParallel Analysis を使用している研究は数多くあるが、そのための決定的な方法はない。Varimax のような直交回転は最終的な解と考えることはできない。しかしながら、Geomin は単純構造だけでなくより複雑な因子の布置に対しても優れた回転方法と考えられている。因子回転問題を考慮した単純構造とbifactor 構造について議論した。因子分析の使い方には多くのartifacts があるが、この問題は、Mplus やR Package などのSEMプログラムによって組み込まれた複数集団の同時分析によって因子的不変性を検証することによって対処することができる。
著者
雪村 まゆみ
出版者
関西大学社会学部
雑誌
関西大学社会学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Sociology, Kansai University (ISSN:02876817)
巻号頁・発行日
vol.51, no.2, pp.1-15, 2020-03

近代国家成立とともに、各国の文化的生産物は、文化財として国内法あるいは慣習によって保護されてきた。本稿では、世界遺産条約といった国際的な文化財保護制度の枠組みが浸透するなかで、それらがいかに変化するのか、また、新たな批准国の参画は、世界遺産条約にいかなるインパクトをもたらすのか、という問題について考察することを目的とする。そのために、まず、2節では、日本が世界遺産条約に批准するプロセスについて、国会議事録等を資料として考察する。次に、3項では、日本が世界遺産条約に批准してすぐに開催された「木造建築」のオーセンティシティを議論する「奈良会議」に至る経緯と、そこで議論された文化財のオーセンティシティの解釈について考察する。また、4項では広島の原爆ドームが世界遺産に登録されるプロセスを分析し、日本国内の文化財保護行政の変更点を示す。さいごに第5項では旧閑谷学校の世界遺産登録運動のプロセスを分析することで、戦略的に文化財のカテゴリー変更が推し進められる実態を明らかにする。以上のことより、国際的な文化財保護の制度化は、他者の文化との交流を促すため、不可避的に各文化の価値基準の変化を引き起こすことが明らかとなった。本稿は、2018年度-2019年度科学研究費助成事業・研究活動スタート支援「世界遺産制度が地域の文化財保護におよぼす影響」(研究代表者:雪村まゆみ、課題番号 : 19K20933)による研究成果の一部である。
著者
溝口 佑爾
出版者
関西大学社会学部
雑誌
関西大学社会学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Sociology, Kansai University (ISSN:02876817)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.141-160, 2018-03

本稿では、嘘つきのパラドクスを巡る「リベンジ嘘つきのパラドクス」の議論を踏まえ、「リベンジOG」という補助線を取り出すことでOG 問題と嘘つきのパラドクスの対応関係を指摘する。この対応関係を踏まえることでOG問題を巡る議論の地平を捉えなおすことができる。
著者
小笠原 盛浩 川島 浩誉 藤代 裕之
出版者
関西大学社会学部
雑誌
関西大学社会学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Sociology, Kansai University (ISSN:02876817)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.121-140, 2018-03

本研究では東日本大震災時のコスモ石油流言の発生・発展・消滅段階で、NHKなどのマスメディア報道がTwitter 上の災害流言の抑制にどの程度効果があったかを定性的に分析した。著者らは東日本大震災発生から1週間の約18万ツイートのデータから、流言に関する特徴的なツイートを目視で抽出して流言の文脈を解釈した。分析結果によれば、マスメディア報道は発生・発展段階では流言抑制に効果がなかったが、消滅段階ではある程度の効果があったと考えられる。災害時の事実ではないTwitter 流言を抑制するには、流言の発展段階でマスメディアが流言を特定し、人々が状況理解のために求めている情報を的確に発信することが有効と考えられる。This study examined the effectiveness of mass media reporting in controlling the spread of the Cosmo Oil Rumor on Twitter; at birth, adventures, and death stages, during the 2011 Great East Japan Earthquake. Authors manually extracted characteristic tweets and analyzed these texts, from over 180 thousand tweet data for the first week in the disaster. The result suggests that mass media reporting did not contribute to control the rumor at the birth and the development stages, and was effective to some extent at death stage. Mass media reporting will be effective to control false rumor via Twitter during disasters, when it provides right information which people need for understanding their environment at the developemnt stage.
著者
黒田 勇
出版者
関西大学社会学部
雑誌
関西大学社会学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Sociology, Kansai University (ISSN:02876817)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.161-190, 2018-03

東京五輪開催後の1966年は、メディアスポーツビジネスの拡大やスポーツ観戦文化の普及などが重なり合い、アマチュア至上主義への疑いが生まれた年である。そうした転換期に初の「プロ」サッカーチームとしてスターリング・アルビオンが来日した。 本稿においては、スターリング・アルビオンの来日の前提となる日本のサッカー文化発展の経過を簡単に振り返り、1966年の「英国プロ・チーム初の来日」報道と、それに関わる議論を、新聞報道を中心に明らかにする。それに加えて、スターリング・アルビオン側からの「極東遠征」意味付け資料を提示したい。This essay is to describe on the first contact to the world's professional football of Japan's football regarding "professional -amateur problem" which was very controversial among sport society in Japan. In 1966, the Stirling Albion, the Scottish "semi-"professional football club, as the first British professional club to visit Japan, traveled to Japan to play two matches against Japan's team, while Japanese media and public welcomed them enthusiastically. It was just one month before their arrival that the matches were allowed to play because Japan Amateur Sports Association had strictly maintained to apply the rule of amateurism to its sports societies. The essay follows how the Japan's media made reportages on their visit and what implication the Albion gave to their own visit.
著者
山本 雄二
出版者
関西大学社会学部
雑誌
関西大学社会学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Sociology, Kansai University (ISSN:02876817)
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.61-89, 2016-11

本稿は2013年度・関西大学研修員制度による研究成果の一部である。G.H.ミードの考えは多くの場合、誤解され、変形された上で日本のアカデミズムに受容されてきた。どのように変形されてきたのかを、ミードのオリジナルテクストの語用論的分析によって明らかにし、またどのように理解されるべきかもまた示した。同時に、テクストの日本語への翻訳そのものが無理解と通俗的発想とによってすでに変形されているかについても実例を示しながら明らかにした。This study focuses on the concept of the "generalized other", which was introduced by George Herbert Mead. Although this concept is recognized as being important to the theory of the self, it is often explained based on misunderstanding of itself in Japan. "Generalized other" has been thought as taken by an individual person by mean of generalizing particular attitudes of other members: however Mead's text indicates that it is taken by each individual through one's direct experience of a social act with other members who have attitudes of their society as a whole. The author examines the characters of this misunderstanding by verifying Mead"s text and, at the same time, indicates that it is inevitably accompanied with the ignorance of the fact that the experience of taking the "generalized other" is a physical experience, as well.G. H. ミードのgeneralized otherの概念は自我論にとっては欠かせない概念であるにもかかわらず、わが国の社会学関係の事典や研究苦には誤解に甚づく説明と思われる記述がすくなくない。本稿はこの誤解の性格をミードのMind, Self. & Societyにおけるgeneralized otherの語用論的分析から明らかにする。さらにこの誤解と同じ前提、すなわち「一般化された他者」とは複数の他者が私に向ける態度や期待を一般化したものであるとの前提が翻訳晋にもまた共有されていることを示す。以上の分析を通して新たに明らかになったのは、通俗的な説明においては「一般化された他者」の態度を個人が取り入れる契機となる社会的行為の身体性もまた同時に無視されているということである。
著者
村田 麻里子
出版者
関西大学社会学部
雑誌
関西大学社会学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Sociology, Kansai University (ISSN:02876817)
巻号頁・発行日
vol.47, no.2, pp.19-43, 2016-03

This paper analyses how popular culture is exhibited in museums in Japan. The paper consists of two parts. First, it focuses on sports museums, manga comics museums, and popular music museums in order to describe how these genres are typically displayed. While all three have issues, some similar and some unique to each genre, popular music is the most difficult to adapt to an exhibit. As yet in Japan, there are no popular music museums. However, some exhibitions on popular music are occasionally held. The second part of this paper includes an interview of the producer of the special exhibition "70ʼs Vibration" and will seek to understand what underlying issues are present in the exhibition of popular music.本稿では、ポピュラー文化を扱うミュージアムが、ポピュラー文化をどのように展示しているのか、その展示手法に着目する。スポーツ、マンガ、ポピュラー音楽それぞれの分野に関する展示の特徴と傾向を併置・比較してみると、ポピュラー文化としての共通課題と、そのジャンル特有の課題の双方が浮き彫りになった。また、ポピュラー音楽を展示することの課題と困難は、前者ふたつに比して格段に大きいことがわかった。そこで、本稿の後半では、日本のポピュラー音楽シーンに焦点を当てた「70's バイブレーション!」展の総合プロデューサーへのインタビューを元に、ポピュラー音楽の展示について特化して考える。
著者
斉藤 了文
出版者
関西大学社会学部
雑誌
関西大学社会学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Sociology, Kansai University (ISSN:02876817)
巻号頁・発行日
vol.47, no.2, pp.61-118, 2016-03

'Safety' is a charming concept. First, we conduct some useful thought experiments concerning safety. Second, scientific method is considered as a measure for securing safety. And we test the limit of scientific method. Finally, we grasp the meaning of the experiments and the limitation. The points are artifacts and agent.安全というのは、割と奇妙な概念である。この感覚を明らかにするために、まず安全を個人の命や生活を守ることだと、大くくりしたうえで違和感を取り出していきたい。第1節で安全に関わる思考実験をしてみる。そこでは、座敷牢、万里の長城、斜め横断、抜け道、アポロ13、高速道路、太陽という例を取り上げる。これらの例を使って、違和感を具体的に取り出し、さらに考察するべきポイントを探っていく。第2節では、安全確保のための方策の基本として、科学の方法と工学の方法というやり方を取り上げる。リスク削減のための、監視とコントロールというのが基本的な方法である。ただ、面白いことにこのような方法を使っても、リスクが完全になくなると考える人はまずいない。第3節では、第1節で例示した安全のパラドックスが生じてきたその根拠を掘り下げて、哲学的な論点を取り出すことにする。まず、私が背景として持っているリスクの歴史についての理解を提示(3.1)し、行為者と被害者の非対称性について(3.2)考察し、法人は自然人のようには統合された人格ではありえないということに関わる問題を考えていく(3.3)。その上で、人工物というものが、安全についての理解に、さらには現代の社会に与えている意義を提示しようとした(3.4)。
著者
斉藤 了文
出版者
関西大学社会学部
雑誌
関西大学社会学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Sociology, Kansai University (ISSN:02876817)
巻号頁・発行日
vol.47, no.2, pp.61-118, 2016-03

安全というのは、割と奇妙な概念である。この感覚を明らかにするために、まず安全を個人の命や生活を守ることだと、大くくりしたうえで違和感を取り出していきたい。第1節で安全に関わる思考実験をしてみる。そこでは、座敷牢、万里の長城、斜め横断、抜け道、アポロ13、高速道路、太陽という例を取り上げる。これらの例を使って、違和感を具体的に取り出し、さらに考察するべきポイントを探っていく。第2節では、安全確保のための方策の基本として、科学の方法と工学の方法というやり方を取り上げる。リスク削減のための、監視とコントロールというのが基本的な方法である。ただ、面白いことにこのような方法を使っても、リスクが完全になくなると考える人はまずいない。第3節では、第1節で例示した安全のパラドックスが生じてきたその根拠を掘り下げて、哲学的な論点を取り出すことにする。まず、私が背景として持っているリスクの歴史についての理解を提示(3.1)し、行為者と被害者の非対称性について(3.2)考察し、法人は自然人のようには統合された人格ではありえないということに関わる問題を考えていく(3.3)。その上で、人工物というものが、安全についての理解に、さらには現代の社会に与えている意義を提示しようとした(3.4)。