著者
伊藤 潤
出版者
一般社団法人 芸術工学会
雑誌
芸術工学会誌 (ISSN:13423061)
巻号頁・発行日
vol.74, pp.92-99, 2017 (Released:2018-12-25)

本稿は20 世紀の日本における主要な工業製品の色の変遷についての研究の第一報である。日本の製品色に対する嗜好の特性を示す好例と考えられる「白物家電」と呼ばれる冷蔵庫や洗濯機などの家電製品群を研究対象とし,その成立過程を考察した。 日本の新聞記事ならびに各種辞典の比較調査により,「白物家電」という語は1970 年代後半には新聞記事でも使われる程度に普及したが,元は「白もの」あるいは「白モノ」と綴られていたこと,また英語の“white goods” の訳から生まれた語であることが明らかとなった。 次に,『Oxford English Dictionary』(Oxford University Press)をはじめとする各種英英辞典の比較調査により,家電製品を表す“white goods” は英国語というよりも米国語であることが明らかとなった。 また,Oxford University Press 刊行の『Oxford Dictionary』シリーズのフランス語,ドイツ語,イタリア語,スペイン語辞典の比較により,生活家電各種を“white goods” と表現するのは英語特有の表現であると考えられた。 日本では第二次世界大戦前より家電製品の国産化が始まっていたが,その色彩は必ずしも白くはなかった.第二次世界大戦後「DH 住宅(Dependents Housing)」と呼ばれる連合軍住宅向けの什器として,「白い」製品が大量にGHQ から要求されたが,その中には冷蔵庫や洗濯機等の家電製品も含まれていた。GHQ のデザインブランチの責任者である陸軍少佐クルーゼ(Heeren S. Krusé)は,自身の嗜好よりも入居者となる一般的なアメリカ人の嗜好を優先してデザインを監修していたため,「白い」空間や製品の要求は当時の一般的なアメリカ人の嗜好を反映した結果だと考えられた。GHQからの要求が終了した後,各企業が納入品を民生用に転用した結果,白い家電製品が日本に普及することとなった。 以上より,「白物家電」という語ならびに概念は日本の生活環境の中で自然発生的に成立したものではなく,外来の,特に米国より持ち込まれた概念が元となり成立したものと考えられた。
著者
楊 寧 伊原 久裕
出版者
一般社団法人 芸術工学会
雑誌
芸術工学会誌 (ISSN:13423061)
巻号頁・発行日
vol.69, pp.106-113, 2015 (Released:2018-12-19)

本研究は、日本語と中国語を併記した印刷物において、調和ある組版を実現するために必要な条件として、本文の読みやすさに着目し、両言語にとってそれぞれ読みやすい字間と行間の範囲を探り、その比較を行うことを目的とする。 まず、両言語の組版規則書それぞれ15冊を取り上げ、読みやすいとされる字間、行間の関係について整理した。その結果、中国語と日本語とでは、特に字間の設定に違いがあることがわかった。字間については、日本語ではほとんどがベタ組みを基本としているのに対し、中国語ではベタ組みの組み方以外に字間を若干開けるという考え方も見られた。行間については、半角アキから全角アキまでの範囲でほぼ一致していた。 次に、中国人と日本人それぞれを対象とした中国語と日本語の文字組で、字間と行間をインタラクティブに動かせる統一フォームをウェブ上で作成し、調査を行った。この比較調査から、両言語の読みやすい行間の設定範囲については、3/4アキから全角アキまでの範囲で一致しており、またこの範囲に対してより適していると想定される字間はベタ組みであった。日本語については予想される結果であったが、中国語については、字間を空けるほうが読みやすいとする経験則が必ずしも事実ではないことがあきらかとなった。 以上から、調和のある中国語と日本語を併記するうえで必要な条件としては、組版の読みやすさについては字間をベタ組み、行間を3/4アキから全角アキまでの範囲で適宜調整することで対応可能であることがわかった。また、この結果に基づいて、最後に両国語を併記したレイアウトサンプルを提示した。
著者
脇山 真治
出版者
一般社団法人 芸術工学会
雑誌
芸術工学会誌 (ISSN:13423061)
巻号頁・発行日
vol.82, pp.30-37, 2021 (Released:2021-05-01)

展示映像とは見本市や博覧会等のイベント、博物館等の文化施設などに使われる映像の総称である。映画は世界共通の技術仕様があり、その限りでは後年のオリジナル上映も可能である。社会的評価も確立しており、研究対象としても多くの保存資料が活用されている。しかし展示映像には世界標準が存在せず、イベントで使われる一回性の映像という認識が強く、ほとんど保存されることはない。展示映像は映画とほぼ同じような歴史をもち、また同時代の展示手法や表現技術の最先端を擁していながらこれらがなぜ保存されていないのか。その理由を明らかにすることが本研究の目的である。さらに将来的には展示映像のアーカイブの実現へ向けた課題の抽出を遠望して本研究をスタートさせた。 展示映像は映画の発明の直後、1900年のパリ万国博覧会から登場している。映画が登場の当初から今日に至るまで国際的にアーカイブが進んでいるのと対照的に、展示映像はほとんど残されずにきた。それは展示映像が映像と音響だけでなく、スクリーンデザイン、上映空間の形状、特殊効果などのビジュアルデザインの総合として存在しており、そのすべての構成要素を何らかの方法で残さない限り、アーカイブとして完結しないという困難な対象でもある。本研究では日本万国博覧会(1970年:以降日本万博)、国際科学技術博覧会(1985年:以降つくば科学万博)、東京国際フォーラム等で制作された作品の追跡調査から、その理由を明らかにした。その着目点は上映システムが複雑であること、一つの作品の中に複数の素材・仕様が混在していること、保存のための推進組織がないこと、作品ごとに独自のシステムが計画されており標準化したアーカイブシステムが構築できないことなど、8つの側面である。 展示映像は同時代の最も先端的なコンテンツと技術を統合した作品だが、ことに「イベント映像」の側面が強いという特徴から、再演・再現は当初から前提にない。しかしながら、一方では、優れた作品が博覧会の期間を超えて保存され、擬似的な再演でも可能ならば、博覧会に参加できない多くの人々に、作品のコンセプトやメッセージを継続的に配信することができ、何よりも将来の展示映像の研究者、制作者にとって有益な資料となると思われる。
著者
平子 元
出版者
一般社団法人 芸術工学会
雑誌
芸術工学会誌 (ISSN:13423061)
巻号頁・発行日
vol.84, pp.20-27, 2022 (Released:2022-03-31)

本稿は、複雑な操作を伴うタスクをわかりやすく視覚化する試みについて述べる。本研究の目的は、情報機器におけるユーザーインタフェースデザイナー(以降、UIデザイナー)が複雑な操作を伴うタスクを理解しやすくなるための知見を得ることである。タスクの視覚化方法の先行研究より、複雑な操作が伴うタスクを視覚化の対象とした場合2つの課題があると考えた。2つの課題を解決するタスクをわかりやすく視覚化する方法として先行研究の「Operational sequence diagrams」を改良したタスクの視覚化方法を提案した。提案したタスクの視覚化方法を用いて、複雑な操作を伴うタスクである航空管制卓を対象にタスクの視覚化を試みた。試みでは、UIデザイナーにタスクの視覚化をするために観察調査を実施していただき、観察調査で得た情報を基にタスクの視覚化とタスクの分析を実施していただいた。試みより、UIデザイナーにタスクの視覚化に関して所感を得た。所感より、UIデザイナーは複雑な操作を伴うタスクを理解しやすくするために、タスクの前後関係をわかりやすくすることと事後インタビューの内容をタスクと合わせて確認しやすくすること、また、観察調査の段階よりUIデザイナーが参加する必要があるという知見を得ることができた。
著者
金 鍾其
出版者
一般社団法人 芸術工学会
雑誌
芸術工学会誌 (ISSN:13423061)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.88-95, 2010-09-30 (Released:2017-11-30)

本研究では、チタン金属の発色法である陽極酸法を発展させ、化学酸化法と組み合わせた新しい発色法を試みた。従来の陽極酸化法で発色した色は全般的に鮮やかで原色に近い色が多い。そのため色彩設計上色彩バランスに欠けるきらいがあった。したがって陽極酸化法で発色できる色の数をさらに増やすため、特に様々な中間色を発色できるように試みた。従来の陽極酸化法が赤-緑および黄-青色に関するより鮮やかな原色であるのに比べ、化学酸化法と組み合わせた新しい陽極酸化法では、中間色に近い淡い色味の色彩が得やすい。原色も中間色のどちらも色彩設計上必要であり、陽極酸化法と化学酸化法を組み合わせた新しい発色法は共に必須である。具体的な中間色の発色法として、従来黒色を得るためのみに実施されてきた化学酸化法を発展させ、一旦形成した黒色層を脱色し、引き続いて陽極酸化法を実施することで中間色に近い色相や低明度、低彩度の色が得られた。すなわち黒色を脱色する度合が重要である。また、本研究では目視による色彩判定だけでなく、測色計による定量的な比較を行いプロセスの再現性が容易になった。最後に、マグネットホルダーとしてチタン金属板に従来法と本研究で検討した発色法の両者で試作した例を示した。両者に測色計では計測不可能な色味の違いが存在し、従来法ではギラギラした光沢感が、また後者ではマット面からの反射のくすんだ色調が得られることが判った。
著者
中牟田 麻弥 佐藤 優
出版者
一般社団法人 芸術工学会
雑誌
芸術工学会誌 (ISSN:13423061)
巻号頁・発行日
vol.76, pp.34-41, 2017 (Released:2019-02-01)

屋外広告物による景観の悪化を阻止する方法のひとつとして規制や誘導が進んでいるが、派手に突出する屋外広告物は後を絶たない。さらに、屋外広告物の規制を受けた店舗では、規制対象外ののぼり旗や貼り紙等を大量に掲出するなど新たな課題も生じている。このような状況の要因として、景観を視点とした屋外広告物の表示や色彩、大きさ等の視覚効果による規制や誘導に限界があるのではないか。また、広告主の広告媒体としての屋外広告物に対する認識や景観に対する理解が不足しているのではないかと考えた。 そこで、受け手が期待する受容効果に着目し、広告効果が高い屋外広告物のデザイン要素を明らかにすることで、広告主の自主的な屋外広告物の改善につながるのではないかと仮説をたて、本研究において、見る人が期待する屋外広告物のデザイン要素を明らかにし、広告主にとっての屋外広告物のデザインのあり方をまとめる。 本論文は、見る人が期待する屋外広告物のデザイン要素を明らかにすることを目的としている。研究の方法としては、 屋外広告物を見る人が期待する屋外広告物のデザイン要素の抽出を目的として、SD 法による印象評価を行った。まず、見る人に受け入れられる広告要素を分析し、受け入れられる広告の要素を抽出した。次いで、抽出された要素について、イラストや写真等の絵や文字、色彩、面積量等のデザイン要素を分析し、最終的に調査を通して明らかになった見る人が屋外広告物に期待するデザイン要素の考察を行った。 その結果、見る人は「上品で趣があり、興味を引かれる面白さ=interest」のイメージを持つ広告で、モノトーンや寒色系の落ち着いた色彩、文字は控えめでありながら独自性が高いものを期待していることが分かった。一方、「楽しくユーモアがある面白さ= fun」のイメージを持つ広告で、安全や安心、親しみやすさを伝える緑や、元気さや楽しさを伝えるオレンジ、可愛さを伝える黄色などの明るい色彩を、単色画法に限り使用することは好まれ、立体的な表現や、広告物形態に個性がある広告を期待することが確認できた。反対に、情報過多で一瞬では焦点が定まらない広告や、業態や商品以外を表現した曖昧な絵などの表示は期待していない。店主の絵の掲載は、見る人に不快な印象を与える可能性が高いことが確認できた。
著者
長野 真紀 齊木 崇人
出版者
一般社団法人 芸術工学会
雑誌
芸術工学会誌 (ISSN:13423061)
巻号頁・発行日
vol.50, pp.96-103, 2009-10-24 (Released:2017-11-30)

本研究は、台湾の山間部に居住する10種族の台湾原住民を対象に、現地調査と日治時期の文献を通して集落移動と立地選定を明らかにし、持続と変容のプロセスを探究することを目的とする。台湾原住民に関する研究は1945年以降困難な状況にあり、そのため約半世紀外部に対して閉ざされてきたが1994年以降、原住民の認定に伴い現地での許可を得た調査が可能になった。固有の文化や習俗を持つ原住民は、現在までの台湾史の視点から見ても非常に重要な課題であると考えられる。新竹縣、苗栗縣、嘉義縣、南投縣、屏東縣、台東縣、花蓮縣に居住する原住民を研究対象に選定し、場所選定とその地理位置及び自然環境からみた特性把握調査として、10民族の概要と訪地した10集落の歴史、立地状況、集落規模、集落移動の時期について現地調査で得られた資料と文献により、その内容を明らかとした。また、日冶時期の台湾地形図と当時の写真から、現在の集落との比較を行い、更に文献から明らかとなった各集落の移動経緯から各族の集落立地の変遷を辿り、移動前・後の集落空間の変容を明らかにした。その結果、各集落の移動要因は災害(1集落)、災害と国民政府時期の還村計画(1集落)、日治時期の番社移住計画(4集落)、生業による焼畑(1集落)、不明(3集落)であることが分かった。対象集落の日治時期以降の集落移動は、災害と還村計画による1集落のみであり、その他の集落はほぼ定住化し、集落形態や規模、立地は約60年間変化することなく現在に至っている。また、原住民集落を立地環境と生業別に、(1)標高500〜1,200mの山腹斜面地・テラス・鞍部に立地する狩猟・採集型、(2)標高500m以下の山裾または平地に立地する農耕・畜産型、(3)標高100m以下の島嶼に立地する半漁半農型、(4)山裾の湖畔に立地する漁業型の4つに分類し、原住民集落を体系的に捉えた。そして、集落移動と立地環境から持続型、変容型、変容持続型、順応型、発展型、融合型の6つに分類し、各集落の環境構築要素を明らかにした。
著者
永野 克己 増成 和敏
出版者
一般社団法人 芸術工学会
雑誌
芸術工学会誌 (ISSN:13423061)
巻号頁・発行日
vol.74, pp.76-83, 2017

1987(昭和62)年に発売された携帯電話初号機は、通話用途中心の機器で重量は約900g である。以降、携帯電話は小型化と多機能化が並行して進む。通話に加え、メール、ウェブ、カメラ、テレビ、電子マネーなど用途が拡大し、ユーザ・インタフェースが変化する。 本研究は、携帯電話のユーザ・インタフェースデザインの変遷を明らかにすることを目的とし、操作キーの変容に着目する。調査対象は1987(昭和62)年から2015(平成27)年に発売された528 機種とする。初号機TZ-802B と2015(平成27)年モデルP-01H を比較し、削除された操作キー(電源キー、リダイヤルキー、音量調節キー、ロックキー)を抽出、その変容を調査した。電源キーは終了キーに統合され電源/ 終了キーとなった。リダイヤルキーは単独キーが削除され、カーソルキーに割り当てられた。音量調節キーとロックキーは削除された。これらの変化はP-01H で起きたのではなく、TZ-802B からP-01H に至る過程で起きた。音量調節キー削除を除き、いずれも標準的なユーザ・インタフェースとなりP-01H に至ることが確認できた。電源/ 終了キーの初出は1996(平成8)年で、2001(平成13)年以降はノキア端末を除き全機種電源/ 終了キーとなる。要因は、待受時間増加に伴う電源キー操作頻度の低下による電源キー削減と、誤操作時のリスク軽減の観点からの終了キー統合であると推測する。リダイヤルキーのカーソルキー割当の初出は1997(平成9)年で、2009 年以降は全機種カーソルキー割当となる。要因は、リダイヤル機能と対称的な着信履歴機能の追加に伴い、両機能の操作キーを対称的に配置し、かつワンタッチアクセス可能となる要件を満たすため、カーソルキー割当となったと推測する。ロックキー削除の初出は1989(平成元)年で、以降、二つ折り型やフリップ型など誤操作が起きにくい形状の端末においてロックキーが非搭載となる。また、音量調節キーに関しては通話中の音量調節操作のユーザビリティの観点から搭載も継続しており、P-01H における音量調節キー非搭載は標準的なUI ではないと推測する。
著者
竹下 秋雄
出版者
一般社団法人 芸術工学会
雑誌
芸術工学会誌 (ISSN:13423061)
巻号頁・発行日
vol.80, pp.25-31, 2020

雅楽は、中国から朝鮮半島経由で日本に伝来し、宮廷音楽として根付いた日本の伝統音楽である。雅楽の旋律は多数の旋律型の組み合わせで構成されているが、先行研究における旋律型は雅楽すべての旋律の中のごく一部を示しているに過ぎず、すべての旋律の中での旋律型の位置付けを示す必要がある。 雅楽の旋律型は仮名譜を通じて楽譜中に読み取ることができる。しかし雅楽の楽譜は奏法譜であること、「塩梅」が楽譜上に記述がないことから、その読解は非経験者には困難である。読解は経験的に行われており明文化されたルールがないため、雅楽習得の敷居を高くしてしまっている。 そこで、本研究の目的は、雅楽の標準的楽譜でありもっとも広く普及している楽譜である『明治撰定譜』から雅楽の主旋律を担当する楽器「篳篥」の旋律型を抽出すること、とりわけ、これまで経験的無自覚に行われてきた旋律型の認識を統計手法を以って行うこととした。 まず、『明治撰定譜・篳篥譜』全72曲をデータ化し、その内68曲を分析対象とした。データ化の際にセルという形式を筆者が策定した。セルとはパターンの最小単位であり「仮名譜」における唱歌の大きい仮名ひとつを中心にした唱歌の仮名、運指などの楽譜データの複合体である。 次に、データ化した楽曲群を「六調子」を基に分析対象群と背景群に分けた。 次に、『明治撰定譜』に存在するすべてのセルタイプを抽出し、1~8セルタイプによるパターンを総当たりで生成した。次に、生成したパターンそれぞれについて統計的評価尺度であるFスコアを求め、パターンの特徴性を数値化した。次に、Fスコアの高い順に各「調子」ごとの特徴的パターンを抽出した。最後に、抽出したパターンと演奏音源を照合することで、各「調子」ごとの特徴的な旋律型を抽出した。演奏音源は宮内庁式部職楽部、東京楽所、天理大学雅楽部のものを使用した。 本稿では代表的なパターンと対応する旋律型について、出現頻度や前後の文脈を示すことで、「篳篥」の特徴的な旋律型を可視化し、雅楽の旋律の中での旋律型の位置付けを示した。また、既往研究で挙げられなかった旋律型を得ることができた。
著者
楊 寧 伊原 久裕
出版者
一般社団法人 芸術工学会
雑誌
芸術工学会誌 (ISSN:13423061)
巻号頁・発行日
vol.66, pp.76-83, 2014 (Released:2018-12-04)

国際交流の盛んな現代において、多言語タイポグラフィの必要性が増しているが、複数の言語が併存する印刷紙面では、それぞれの言語の特性を理解しつつ調和を図ることが重要なデザイン課題となる。本研究では特に中国語と日本語の調和のとれたタイポグラフィのあり方を探る。日本語と中国語は、漢字という共通した文字言語を持っていることから、その組み合わせは容易なようだが、実際にはそれぞれ独自の組版ルールを有し、書体デザインも同じものはほとんどない。したがって、両国語の文字の組版ルールの比較検討によって共通化できる組版の範囲をあきらかにし、書体についても調和すると判断可能な書体の対照関係を求め、その根拠を示す必要がある。本研究では、このうち書体―本文用の標準的な書体―に着目し、中国語と日本語フォントの調和のとれた対照関係を探るために、共通文字種の漢字のみに着目し、日本語、中国語それぞれの書体デザインを同一基準で評価する方法を探った。終端処理など中国語と日本語の漢字には、細部の処理に違いがあるが、本研究では、予備調査での観察結果に基づいて、計量可能な属性である字幅と字高、字面率、フトコロ率を取り上げ、計測を行うことで、類似性を評価することにした。 書体は、中国語では宋体と方黒体、日本語ではそれに対応する明朝体と角ゴシック体から選び、計測結果をクラスター分析したところ、宋体と明朝体、方黒体と角ゴシック体それぞれを大きく3つのグループに分類でき、それぞれ字幅と字面率の数値が小さい特徴のグループ(A)、字幅と字面率の数値が中間的なグループ(B)、字幅と字高、字面率の数値が大きなグループ(C)の3つとなった。同じグループの書体では属性データが近似しており、類似性の高い書体デザインと判断できることから、これらの組み合わせが調和ある混植の条件となると仮定できた。実施した検証実験においてもグループ同士の照応性は比較的高かった。 以上から、本研究で提案する書体の類似性評価は中国語と日本語の調和ある混植を容易に実現する方法として有効であることがわかった。
著者
脇山 真治
出版者
一般社団法人 芸術工学会
雑誌
芸術工学会誌 (ISSN:13423061)
巻号頁・発行日
vol.64, pp.27-34, 2014 (Released:2018-12-03)

スプリット・スクリーンとはひとつの画面を任意に分割して、複数の映像を組み込んだもので、映画表現の様式のひとつとして考案された。これはマルチ映像の一種でありながらマルチ映像史の中での位置づけは明確でない。本研究は一般的には映画表現のひとつとして認知されているスプリット・スクリーンがどのような系譜をたどってきたか明らかにすることを目的とした。これをとおしてマルチ映像史の一端を整理することができると考える。 このテーマに関する先行研究や調査資料はほとんど存在せず、スプリット・スクリーンを使った作品リストもない。したがって現在入手可能な映画作品を視聴することをとおして史的整理を行った。 スプリット・スクリーンの原初的形態は特撮映画の嚆矢とされるメリエス映画に見ることができる。合成技術も未熟な時期にすでに複数の映像を1画面に焼き込む表現が試みられている。その後はトーキーが登場するまではサイレント映画の表現の試行と拡張としてつかわれてきた。『ナポレオン』(1927)はサイレント末期の「トリプル・エクラン=3面マルチスクリーン」映画として知られるが、ここにもスプリット・スクリーンは使われている。 第二次世界大戦後に開催された万国博覧会は映像展示が主流となる。この状況は劇場映画にも影響を与えた。1960年から1980年代の映画は万国博覧会のマルチ映像の隆盛と呼応するようにスプリット・スクリーンが活用される。『華麗なる賭け』(1968)、『絞殺魔』(1968)などは代表例である。この時期のブライアン・デ・パルマ監督作品の多くにスプリット・スクリーンが挿入される。 1990年代には映画のデジタル化がはじまる。この時期から再びスプリット・スクリーンをつかった映画が増える。画面の分割と複数の素材の取り込みなどの作業はデジタル化によって容易にかつ映像の精度を落とすことなく可能になった。2000年代に入ってからのスプリット・スクリーンはこのデジタル技術が大きく影響していると思われる。この表現を取り入れた作品数も映画発明からの100年間を上回る勢いである。 本研究では、スプリット・スクリーンはサイレント期、万博の映像展示併走期、デジタル期と大きくは3つの時代区分ができることを示した。
著者
安田 光男 木村 博昭
出版者
一般社団法人 芸術工学会
雑誌
芸術工学会誌 (ISSN:13423061)
巻号頁・発行日
vol.77, pp.126-133, 2018 (Released:2019-02-01)

古代ローマ住宅はペリスタイルと呼ばれる中庭が紀元前2世紀ごろから富裕層を中心とする住宅の平面計画に導入され始め、ドムス住宅が形成された。ポンペイのメナンドロスの家もそういったドムス住宅の一つであるが、ペリスタイルを構成する列柱は等ピッチで整然と並ぶイメージとは異なり、一見ランダムに配置されているように見える。本論考では、メナンドロスの家をケーススタディとして、R.リングらの復元図から3Dモデルを作成し、検証・考察を通して、ペリスタイルの柱配置によって、どのような視覚的効果を用いて空間演出を行おうとしていたかを明らかにすることを目的とする。古代ローマ住宅には二つの軸線が存在することが、一般的に知られている。ファウセス(玄関)からペリスタイルへの視覚軸、もう一つはトリクリニウムからペリスタイルへの視覚軸である。メナンドロスの家においても、この二つの軸線に対応するペリスタイルの柱間の間隔は他の柱間より広げられており、軸線が強調されている。ファウセス(玄関)からペリスタイルを見る視覚軸はペリスタイル列柱の柱芯間隔について手前を広く、奥を狭くすることで、初源的な遠近法の効果で実際の距離よりも長く見えるように設えられていると考えられる。その視覚軸の終点に位置するオエクス前の列柱の中心と視覚軸にはズレが生じており、そのズレの要因は対称性と列柱の連続性の双方を維持するということを意図したためと考えられる。また、トリクリニウムからペリスタイルへの視覚軸について、ペリスタイルの東側から西側に向けて柱芯間隔を徐々に減じさせて、初源的な遠近法の効果で庭をより大きくみせるような空間演出を行っていると推測できる。ペリスタイル列柱の配置は主に北側及び東側に存在する饗宴用の部屋から庭へ向かう視線のためのウィンドーフレームとしての機能が色濃く、ペリスタイル西側及び南側の列柱に、その視線の先にある背景としての役割を担わせることで、劇場の舞台装置のような空間演出を行っていたと考えることができる。メナンドロスの家のペリスタイルの列柱は構造的な機能を超えて、柱芯間隔の巧みな操作や初源的な遠近法を用いた視覚操作を通して、空間演出に利用されていたことがわかった。
著者
清野 則正
出版者
一般社団法人 芸術工学会
雑誌
芸術工学会誌 (ISSN:13423061)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.117-124, 2011

現代の舞台芸術では、様々なジャンル、多様な芸術表現が存在しており、その公演実施環境や舞台制作についての研究は、アートマネジメント等の分野で進められている。本研究では、舞台芸術の制作を「コトのデザイン」である「アートプロデュース」という観点から論を進める。アートプロデュースを検討するファクターとして、第1に文化政策、第2に文化施設、第3にそれらによって制作される作品としての公演を取り上げた。時代と場所の考察射程については、社会と舞台芸術の間にアートマネジメントという概念が浸透した1つの到達点として1990年代を、象徴的劇場組織として92年に開館した愛知芸術文化センターを取り上げた。文化政策については全国的な舞台芸術関連のキー概念に沿って、戦後から90年代までの変遷を追った。これを受け、愛知芸術文化センター(以下「芸文」)と愛知県の文化政策の関係を考察した。「芸文」は愛知県民の芸術文化の必要性に応える県の中枢的文化拠点であり、新たな複合性を有している。文化施設としての「芸文」は、本格的なオペラを上演できる大ホールから、フォーラムと呼ばれるオープンスペースまでの空間特性を有している。「芸文」は「複合性」を特徴とする。「芸文」の複合性は、事業と施設を有機的に結合させるため、自主制作の機能を有する制作組織としての愛知県文化情報センター(以下「文情」)によって実現された。ここで単一構造の芸術文化施設には困難な新しい形の総合的な芸術文化活動が展開されている。「芸文」は新しい運営システムとして、「文情」と愛知県文化振興事業団(以下「事業団」)の二面性を持つ。各々のオープニング企画・公演を、本論ではアートプロデュースの観点から考察した。その結果、「文情」の制作プロセスは、シンポジウムと公演をつなぐ統一テーマに基づくアートプロデュースを特徴とし、「事業団」の制作プロセスは、芸術文化拠点として、古典的芸術ジャンルに準ずる公演を地域に浸透させるアートプロデュースを特徴とする。これらの「芸文」のアートプロデュースの二面性は、多様な芸術を社会に位置づけ、新しい文化環境を地域に創出したといえる。
著者
大串 誠寿
出版者
一般社団法人 芸術工学会
雑誌
芸術工学会誌 (ISSN:13423061)
巻号頁・発行日
vol.63, pp.99-106, 2013

新聞グラフィックスの外観を成立させる要因を理解する上で、その発達過程を知ることは有益である。本論では明治初期の和装新聞である『筑紫新聞』の検証を行う。同紙は九州地方ブロック紙『西日本新聞』の始祖であり、新聞グラフィックスの原初的形態の一典型と捉え得る。『筑紫新聞』は西南戦争に伴う報道新聞として、1877(明治10)年3月から9月までの間に総計31500部が発行され、福岡を中心に東京、京都、大坂でも販売された。しかし、その制作手法を記した資料はなく、版式は明確でない。筆者はこれを明らかにすることを目的として文献調査を行い、さらに芸術工学会誌・第61号掲載論文「明治初期・和装新聞に於ける版式判定」に於いて示した判定法を実施した。研究は以下の順序で行った。(1)文献調査による『筑紫新聞』第壱號の周辺概況確認、(2)同紙の精査・分析。出現文字の集計とサンプル文字選定、(3)写真撮影による同紙の紙面サンプル採取、(4)サンプル文字に対する輪郭線照合による版式判定実施 その結果、(1)で発行地・福岡の近郊都市・久留米に於いて1873(明治6)年に活版印刷が実施されたことを示した。また福岡は全国11位の人口規模を持つ地方中核都市であったが、各都市の新聞発行開始年の早さを比べると全国26大都市中22位となり、福岡の『筑紫新聞』は比較的後発であったことを示した。さらに記述内容と発行日の関係から、編集・制作・印刷の工程を1~2日で行い得る速報性に対応していたことを確認した。その結果、『筑紫新聞』は鋳造活字版で印刷された蓋然性が高いと判断された。(2)で同紙を精査し、総文字数3009個を確認した。同じ字形の繰り返し出現数を文字体系別に比較すると、平仮名・変体仮名が平均12.77個と最多であり、字形照合を行う対象として適することを確認した。同文字体系の中で最多出現文字である「変体仮名・能(の)」をサンプルに選定し、(3)で画像データとして取得した。(4)で版式判定を実施した。第2丁の「能(の)」24個のうち4個を印刷不良のため除外し、残る20個をサンプルとした。これらは字形の異なる「A・多数型グループ」と「B・大型グループ」に大別された。「B・大型グループ」2個をサンプル数不足から判断保留とし、「A・多数型グループ」内の類型のひとつである「a4・起筆部変形型」1個を、原因不明の変形から判断保留とした。残る「A・多数型グループ」の17個について字形の相違は見出されず、従ってこれらは全て鋳造活字と判断された。これに(1)の結果を勘案すると、『筑紫新聞』第壱號・第2丁に出現する「変体仮名・能(の)」が鋳造活字で印刷されたことは確実であると結論された。