著者
木戸 彩恵
出版者
京都大学大学院教育学研究科
雑誌
京都大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13452142)
巻号頁・発行日
no.55, pp.365-375, 2009

Makeup behavior is an act to make intentional processing on a body mainly on the face. It is important for self and communication with the other person. Above all, the particularly psychological role is extremely big. In such meaning, makeup behavior is narrative. The aim of this thesis is to review the research of makeup behavior and to find the possibility of future research. Firstly, I reviewed the former makeup researches in the field of psychological study. Second. I discussed the social role of makeup behavior in personal interaction. After that, I pointed out the need for research about how the self and the other are generate the makeup behavior. Therefore I quoted the dialogue theory of Bakhtin and his concept of the "addressee." To understand makeup behavior more deeply, it is important to clarify the interactive relationship between self and -other. It is thought that these concepts help to find the self-other interaction of a particular "addressee" from the view-point of makeup behavior and the psychological transformation that goes with it.
著者
髙谷 掌子
出版者
京都大学大学院教育学研究科
雑誌
京都大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13452142)
巻号頁・発行日
no.66, pp.69-82, 2020-03-26

本稿は、精神科医である木村敏(1931-)による西田哲学の「絶対の他」概念の解釈に注目して、<他者の苦しみに近づきつつ距離をとること>の意味を考察する。木村は、ハイデガーやビンスヴァンガーに影響を受けた現象学的精神病理学から出発しながら、京都学派の思想にも依拠しつつ、「あいだ」をキーワードとする臨床哲学を築いてきた。精神病を患者個人の異常としてではなく、医者と患者双方の「あいだ」に生じる出来事としてとらえる一方で、患者のみを「診断」し「治療」する木村の立場には葛藤が含まれている。この葛藤は、西田幾多郎が「絶対の他」という一語によって、「私と汝」の隔たりと結合を表したことと重ねられ、木村のテクスト中に繰り返し登場する。本稿は、木村の医師論、症状論、治療関係論における「絶対の他」概念の解釈および生命論におけるその乗り越えを検討したうえで、「生きる」という語に集約される関係の重層性を明らかにする。
著者
龍輪 飛鳥
出版者
京都大学大学院教育学研究科
雑誌
京都大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13452142)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.313-324, 2007-03-31

本論文では、幾何図形が動き回るアニメーションの観察者がその図形に対して心的帰属(mental attribution)をするという現象に関連した先行研究を紹介し、この研究に観察者のもつ素朴理論が関連すること、また、心的状態推論が適切にできないといわれる自閉症や神経科学の研究から、帰属過程に関する研究がまだ進行中であることを指摘した。そして、帰属過程の理解が心的状態推論の障害を理解することにつながると考えられ、今後、心の理論だけでなく、素朴心理学も視野に入れた研究を展開していくことの重要性について述べた。
著者
廖 于晴
出版者
京都大学大学院教育学研究科
雑誌
京都大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13452142)
巻号頁・発行日
no.61, pp.383-395, 2015

This paper aims to clarify the changes in ideas on university education in Taiwan through analyzing the reasons why Open University couldn't confer degrees in the 1980s, and the subsequent movement toward the right to confer degrees in 1993, by analyzing the amendment of "University Act" and the enactment of relevant laws' proceedings. The content and purpose of university education have transformed from training professional talents into a variety of talents, which can be seen as a trend of deregulation of criteria of education. In addition to above, in order to contribute to social development, the access to university education has been broadened and the route to adults has been established. Thus university education can be provided to more people. In summary, the criteria of university education has changed from a restrictive view as training professional talents to a non-restrictive one as providing education to more people. Therefore, as long as the university-level knowledge can be conveyed, it can be recognized as university education.
著者
張 潔麗
出版者
京都大学大学院教育学研究科
雑誌
京都大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13452142)
巻号頁・発行日
vol.65, pp.289-301, 2019-03-27

中国では21世紀に入って以来、四年制の高等職業教育及びその提供機関としての応用技術型大学を重視することが、中央政府によって提唱され始めた。同時に、応用技術型大学は新設ではなく、既存の四年制本科大学のうち、地方政府所管の一部本科大学からの転換からなることが提起されている。そこで、管理主体になっている各地方政府はどのような意図で、応用技術型大学への転換をどのように計画し推進しているのかを、教育分野と経済分野の政府文書から考察した。その結果、地方政府は中央政府が提起した方針のもとで、各地の経済発展、産業構造の変化によって生じる質の高い専門技術人材の需要に応えるために、応用技術型大学への転換を推進している。各地方政府が実情に応じて多様な計画を定めている、そこには産業構造や高等教育の規模とその構造が影響を与えていると考えられるのである。
著者
久保田 美法
出版者
京都大学大学院教育学研究科
雑誌
京都大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13452142)
巻号頁・発行日
no.52, pp.226-239, 2006

この論文は国立情報学研究所の学術雑誌公開支援事業により電子化されました。皮膚がそれ自身に接するところ、折り畳まれるところに「魂」があるというのは、たしかにとても魅力的な思考だ。「心」を見えない内面としてとらえたり、その奥底について考え及んだりするより、それを表面の効果として語ることで、「心」は見えるものになる。ひとの顔やふるまいや佇まいを眼にすることで、そのひとが浸されている哀しみを知るのだから。そしてこの合わさわた皮膚のあいだ、折り畳まれた皮膚のあいだから、音が響いてくる。あたりまえのことだが、人間とは音を立てる存在なのだ。(鷲田清一, 2003)
著者
舛本 佳菜江
出版者
京都大学大学院教育学研究科
雑誌
京都大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13452142)
巻号頁・発行日
no.65, pp.303-315, 2019

本研究は、歴史人類学的な手法を用いて、儀礼的行為と教育文化との関係を明らかにする。2013年と2014年の熊本県上天草市松島町における盆儀礼の調査を行った。その調査結果をもとに、盆儀礼における「間」という概念についての考察を行った。盆儀礼においては、墓、赤飯、縁側が、死者と生者との「間」を演出する。こうした「間」において人々が盆儀礼を遂行することによって、生者と死者あるいは生者と生者の間に一年に一度の「縁」が結ばれ、先行世代から次世代へと継承される地域という「間」が生じるのである。
著者
松尾 理也
出版者
京都大学大学院教育学研究科
雑誌
京都大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13452142)
巻号頁・発行日
no.65, pp.275-287, 2019

大正期の新聞の影響力は、読者層の拡大にともなって無視できない社会現象にまで成長したが、新聞の内容が報道重視、速報重視となるとともに、メディア技術の変革の受容が地域によって差があったこともあって、この時期、地域ごとの独自のメディアのありかたが芽生え始めた。関西のメディア風土は、大阪で全国紙への脱皮を遂げつつあった『朝日』『毎日』の二大紙が主導したが、一方で東京の名門紙である『時事新報』が大阪に進出した『大阪時事新報』も経営不振にあえぎながらも独自性を模索していた。大正13年に新聞読者すなわち民衆世論の憤激を招いた米排日移民法をめぐる報道を分析してみると、東京から時間的に一歩遅れ、空間的にも離れているハンデを取り戻すための「まとめ機能」や「わかりやすさ」の重視、取材源との距離よりも読者への密着に重きを置く姿勢などが、必要性に迫られて構築された「関西らしさ」として浮かび上がった。
著者
趙 相宇
出版者
京都大学大学院教育学研究科
雑誌
京都大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13452142)
巻号頁・発行日
no.65, pp.261-273, 2019

本稿は日韓関係が緊密化する1970年代における3・1節の周年報道を対象に、韓国にとって日本が重要な相手になることが対日反感の抑制と助長にどうつながるのかを検討した。先行研究はこの問題について主に韓国社会にとって日本が重要な位置を占めることによる抑制機能に研究関心を払ってきた。これに対して本稿は韓国にとって日本が経済や安保的に重要な存在になっても植民地時代の過去が発掘され続けて来た点に着目し、対日反感の抑制と助長が類似した言説構造の中で形成されてきたことを明らかにした。具体的には(1)1970年代における日韓関係の緊密化に伴い3・1節における「自主性」の再評価の中で対日反感が抑制された点、(2)その「自主性」の再評価が3・1抗日運動の歴史に依拠していたために逆説的に対日反感の助長にもつながった点を明らかにした。この結果は現在における日韓関係の近さと対日反感の共存問題を考える上で重要な示唆を与えよう。
著者
粉川 尚枝
出版者
京都大学大学院教育学研究科
雑誌
京都大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13452142)
巻号頁・発行日
vol.63, pp.41-53, 2017-03-30

夢は心的現象として,フロイトの「夢解釈」で心理療法場面に導入されて以降,諸学派で主要な技法とされてきた。本論文では,諸学派の夢理論を比較検討し,夢に現れるものとして何が想定され,どのように心理療法に役立てられてきたのかを考察し,夢を治療的に扱うために役立つ視点を得ることを目的とした。フロイトと諸学派の夢理論は,夢に隠された内容を解釈から探り,分析の情報源とする立場と,夢をそのままの形で捉え,夢見手の夢の中での体験を重視する立場とに大別された。心理療法家たちの夢分析の実践に基づく知見からは,夢が夢見手に視覚的に呈示され,感覚的に体験されることの持つ治療的側面や,心理療法過程で夢が分析と相互に影響し合いながら変容し,心理療法の展開に繋がることが示された。また,「夢を見る能力」,クライエントが夢に圧倒される危険についても諸学派で言及され,これは現在の心理療法にも通じる示唆と思われる。Dreams were introduced as a psychic phenomenon by Freud in “Traumdeutung.” Since then, several schools of clinical psychology have attached importance to dreams. To approach dreams therapeutically, this paper compares the theories of several schools regarding dreams: i.e., what dreams are thought to show or how dreams have been used in psychotherapy. The theories about dreams of Freud and other schools were divided into two groups—one explores the meaning hidden in dreams by interpretation to use it as source of information for analysis, and the other attaches importance to the dreamers’ experience in dreams. Regardless of school, the psychotherapists’ knowledge based on practice of dream analysis indicated that dreamers are shown their dreams visually and experience dreams with their sensory images, which has a therapeutic aspect, and that dreams and analysis mutually influence each other, and as dreams change they develop psychotherapy. In addition, “the ability to dream” and the danger that dreams can overwhelm clients are also mentioned in several schools, which has implications for current psychotherapy.
著者
森 亘
出版者
京都大学大学院教育学研究科
雑誌
京都大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13452142)
巻号頁・発行日
vol.64, pp.71-83, 2018-03-30

本稿は二つの目的を持っている。一つ目は、ある転倒の後に私たちの世界を位置づけること、およびこの移行過程について論ずることである。本稿ではこの転倒を超越した世界の当たり前化と呼ぶ。二つ目は、神的なものや聖なるものを別の世界にイメージするプラトン以後の哲学者たちを、この転倒の後に位置づけることである。主要な論点は、「事物性(超越性)--内奥性」の運動を生きていた内奥秩序から、内奥性の放棄と人間中心主義の起源でもある超越した世界の当たり前化を導いた現実秩序への移行を捉えることである。この点は、原始的な意味での供犠を有していた社会から軍事秩序(帝国)への移行とも表現されうる。この転換点以後神的なものは、超越や理性の価値とのみ結びつくことになる。哲学史を視野におさめながら、原理的には軍事秩序と結びついて誕生したこの道徳を乗り越えていく準備作業を行うこともまた、本稿の目的である。
著者
濱(山﨑) 貴子
出版者
京都大学大学院教育学研究科
雑誌
京都大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13452142)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.531-543, 2011-04-25

This paper intends to clarify the means of having a job for women in pre-World War II Japan. I investigated articles about consultations for personal problems in the women’ s section of the Yomiuri Shimbun Newspaper, and there I examined the struggles of working women. As a result of my analysis, the following four findings were obtained. First, struggles of working women concentrated love and marriage more dominantly than other job categories. Second, working women relatively went well in love but they were opposed or prevented by their and their lover’s families or relatives when they faced with marriages. Third, it would appear that the reason they tend to fall into such a situation was that they and their lovers met at workplace but they tend to have different educational background. And fourth, the root cause that struggles of working women concentrate love and marriage more dominantly than other job categories were that many working women, especially women who worked as clerical job and service job were put the situation which they were hard to avoid thinking of marriages as goal of employment period because they faced with retirement young age system and the severe employment situation such as low wages.
著者
田中 崇恵
出版者
京都大学大学院教育学研究科
雑誌
京都大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13452142)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.221-231, 2012-04-27

This paper aims to discuss illness from the viewpoint "Otherness" and "Identity" through an overview of the literature and a case study. Illness is often thought of as a bad thing and meaningless. In addition, the act of diagnosis emphasizes the otherness of the illness. On the other hand, the illness is thought to have a deep relation with the person who has the illness, and it therefore has an important meaning. In addition, it was shown that illness becomes a part of a person's identity, or essence of identity. Illness is thoght to wave between "Otherness" and "identity", and it brings transcendence and transformation to the person who has illness. In the case study, the dynamics of the opposite elements "Otherness" and Identity and the aspect of the transcendence that it brings were demonstrated by the client’s dream and the progress of the case. It is important that the psychotherapists support advancement to the road of transcendence and the transformation of the clients without stopping the dynamics of illness.
著者
趙 卿我
出版者
京都大学大学院教育学研究科
雑誌
京都大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13452142)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.83-99, 2012-04-27

This paper examines the background against which performance assessment (a new educational assessment for achievement tests) is currently being implemented in Korea. As a result, the following issues were clarified. Performance assessment within achievement tests emphasizes "high academic achievement" in terms of developing procedural (process and methodological) knowledge and problem-solving skills in actual situations (real-life and highly authentic situations). It aims to increase diversity and originality in individual thought with the advent of knowledge and information age of the 21st century. This new assessment concept is closely linked to the concept of "problem-solving skills" defined by PISA. Therefore, it can be assumed to have achieved a high level in the OECD international academic assessment. The significance of performance assessment has been recognized to an extent in terms of dealing with "guarantee of academic standards, " which the new era requires. However, although "achievement tests" have been treated in policies as a resource to "raise the academic ability of children and students who lack in basic academic abilities, " there are still many issues remaining before they can take hold in Korea.
著者
大澤 尚也
出版者
京都大学大学院教育学研究科
雑誌
京都大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13452142)
巻号頁・発行日
no.65, pp.165-177, 2019-03-27

男性性と女性性とを共に備えることを示す「心理的両性具有」の研究は, 個人の性の多様性が可視化されてきた現代において, 個人の生き方の理解に重要な概念となりうる。ユング心理学においては(1)男性性と女性性が個人内で区別され, (2)社会的期待によって男性性もしくは女性性の抑圧が生じるが, (3)性別に拘らずに「自分らしい」特性を受け入れるという3つの段階を含んだ形で心理的両性具有を理解することが重視されてきた。一方実証研究では, 男性性・女性性に関する内的準拠枠の個人差が捨象され, 単に広汎に男性性・女性性を有することとして心理的両性具有を扱うことで, 仮説と異なる結果が示されたことで、研究自体が下火となった。男性性・女性性を対立的に捉えうるが, 男性性・女性性両方を持つことも可能である, というある種逆説を含みながら心理的両性具有を測定できる方法を確立させていくことが, 今後の心理的両性具有研究における課題であると考えられる。
著者
上田 勝久
出版者
京都大学大学院教育学研究科
雑誌
京都大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13452142)
巻号頁・発行日
vol.63, pp.117-129, 2017-03-30

本研究はスキゾイド的なクライエントとの精神分析的心理療法における行き詰まりと治療機序について実証的に探索したものである。15名の事例報告者から得られた言語データを修正版グラウンデッドセオリーアプローチによって分析し,6つのカテゴリーと25の概念が生成された。そして,その結果をもとに臨床プロセスが明らかにした。そのなかでセラピストが介入すべきか介入を控えるべきかというジレンマにもとづく「交流をめぐるアンビヴァレンス」を抱えることの重要性が示され,それは受身性と能動性を共存させる治療姿勢であることが明確にされた。そして,最後に精神分析的心理療法がパーソナリティのタイプに関わらず,すべてに共通する治療機序を備えているのか,あるいは特にスキゾイド的なクライエントに治療的反応を示しやすいのかという二種の新たな問いが生成された。This article empirically clarifies impasse and therapeutic mechanisms in psychoanalytical psychotherapy with schizoid personality patients. The language data of 15 case reports were analyzed by the Modified Grounded Theory Approach. The results yielded six categories and 25 concepts. The author clarified the clinical process of the psychoanalytical psychotherapy with schizoid personality patients. The analysis indicated the importance of holding “ambivalence on communication” based on the dilemma of whether the therapist should intervene or refrain from intervention. It was demonstrated that the therapeutic attitude allows the coexistence of passivity and activity. Finally, And, questions were raised regarding whether psychoanalytical psychotherapy provides a therapeutic mechanism common to all despite personality type or it is easy to show the therapeutic reaction to schizoid personality patients in particular.
著者
TOPACOGLU HASAN
出版者
京都大学大学院教育学研究科
雑誌
京都大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13452142)
巻号頁・発行日
no.63, pp.367-378, 2017

本研究では、戦後日本の記憶研究とそれに対する日本の歴史学者の記憶意識について明らかにした。具体的には、まず記憶研究の先行研究を紹介し、それと本研究で扱う明治百年祭というメディア・イベントの関係を述べた。日本における記憶研究は「戦争・占領」の記憶に関するものに集中しており、他の集合的記憶についての分析が手薄である。続いて、明治百年祭を分析することで、日本社会には戦争以外の記憶も存在していることが確認し、しかもそれは国全体に同様なものではなく、地域やマイノリティーなどによって異なることが明らかにした。さらに、現在の記憶研究が戦争を中心に行われているにもかかわらず、当時の歴史学者には、社会の異なる記憶の意識があったことが明治百年祭に対する歴史学者の反応から確認できたのである。This study was performed to analyze the characteristics of memory studies in postwar Japan and discuss the awareness of this issue among Japanese Historians. We first introduce early studies about memory and then discuss the relationship between memory studies and media events in Japan, using the Meiji Centennial event as an example. We argue that memory studies in postwar Japan have been mostly about World War II and the bad experiences Japan faced after losing the war. However, this study suggests that Japan has more to offer to the field of memory studies than simply bad memories of a war, but this has not yet been studied in sufficient depth. We also stress that the memory of a specific event, in this case the Meiji Centennial, can show different characteristics depending on social class, gender, region, etc. Moreover, we suggest that Japanese Historians were already conscious about such memory differences in the 1960s and they pointed it out through the Meiji Centennial event, not quiet explicitly but implicitly. Finally, we suggest that it is possible to explore Postwar Japan's various memories by examining its largescale national events.