著者
松田 昌子
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.101-117, 2017-03-01

針祭りまたは針供養とは、古い針や折れた針を二月あるいは十二月八日に豆腐や蒟蒻に刺して感謝の気持ちをささげ、あるいは供養を行う行事をいう。先行研究により、針供養の行事全体についてはある程度の考察が重ねられてきたが、年中行事として針が特別視されることや、蒟蒻や豆腐に針を刺して地中に埋める習俗についての研究は十分ではない。そこで針供養と関連する事象についての関係を資料から考究し、針供養の事象について明らかにすることを試みた。すると、まず日本海側の特徴的な気候から、針と河豚が関連して嘘と針に関する伝承が生まれ、誓文払と結びつき文学作品に反映されるほどに民間に広まっていたことが分かった。次に針の形状から想起される一つ目の山の神や、疱瘡神の喩えと考えられる豆腐小僧との関連も推察された。最後は、行事の主役となる針について、針塚に埋めることと修験道の呪術との関わりを検討した。針供養蒟蒻誓文払豆腐疱瘡神
著者
新矢 昌昭
出版者
佛教大学大学院
雑誌
仏教大学大学院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
no.28, pp.165-180, 2000-03

「経済的個人主義」「宗教的個人主義」を二つの柱とする近代個人主義は,近代化によって非西洋の社会にもたらされることになった。しかし,その場合の多くは,経済的個人主義という自己充足的な個人であり,宗教的個人主義の非西洋社会での確立は非常に困難をともなうものであった。その困難を体言している人物の一人として夏目漱石を取り上げてみる。彼は,自己の「個人主義」を「淋しい」ものとして位置付けている。この「淋しさ」を論及することによって,非西洋社会における個人主義の確立の困難さを示せると思われる。夏目漱石個人主義「淋しさ」「自然」
著者
北野 元生
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.207-222, 2017-03-01

俳人西東三鬼(以下、三鬼)のほぼ五千五百字からなる短編時代推理小説であり、湯治場の盲人の按摩の一人語りから成り立っている「《まげものスリラー》鼠小僧神がくし―按摩徳の市の話―(以下、「神がくし」)」については、鼠小僧の神がくしの顚末とその種明かしに一種の爽快さがある。また同じく推理小説に用いられる手法で一人称の語り手である按摩の德の市が最後になってやっと自分の正体を明かす語り方に、作者である三鬼なりの工夫が凝らされて興味深い。そして、何よりもこの小説が芥川龍之介の短編小説「鼠小僧次郎吉」(以下、「次郎吉」)を下敷きにして書かれた可能性があり、その辺りの検証がなされべきであると考えられる。本論は、「神がくし」と「次郎吉」における、とくに「物語行為」を比較検討して、両者の関連を明らかにすることを目的に論考を行ったものである。西東三鬼芥川龍之介短編時代推理小説鼠小僧信頼できない語り手
著者
近藤 伸介
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.35-48, 2017-03-01

唯識において他者という存在は、アーラヤ識を基盤とする識=表象として自己と同程度の実在性を持つ。唯識における自己と他者は、共に識として存在し、同じく識である環境世界=器世間を共有し、互いに影響を与え合いつつ共存している。よって唯識とは、自分の心しか存在しないという独我論ではなく、自己も他者も器世間も他ならぬ識としてのみ存在するという唯心論である。本稿は、『阿毘達磨大毘婆沙論』及び『大乗阿毘達磨集論』における「共業」から始め、『摂大乗論』における「共相の種子」、『唯識二十論』に見られる有情どうしの交流と辿りながら、唯識における「他者」について考察し、有部の「共業」が唯識の「共相の種子」へと移行したこと、また有部において心の外にあった器世間が唯識において心の中へ取り込まれたこと、さらに有情どうしの交流が物質的身体による交流から、識と識との交流へと変化したことを明らかにする。共業共相器世間唯心論独我論
著者
淺井 良亮
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.17-34, 2016-03-01

本稿は、近世京都に於ける大名家の拠点・御用・縁家について、佛教大学図書館所蔵「新発田藩京都留守居役寺田家文書」を活用することで、それぞれの実相を検討するものである。この作業を通じて、近世京都で展開された公武関係について、理解を深める一助となることを目指す。検討の結果、次のことが明らかとなった。拠点をめぐっては、一般的な「京都藩邸」という画一的印象に対し、多種多様な様相の存在を指摘し、三つの類型を提示した。御用については、主に公家への使者勤や彼らに関する情報収集などが期待されたことを明らかにし、公武関係の中で極めて重要な位置を占めていたことを指摘した。縁家とは、婚姻関係で結ばれた姻族を指し、さらには姻族を通じて広がる血族の人びとをも含めることを究明した。京都留守居藩邸京都御用縁家新発田藩
著者
諸岡 哲也
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.159-165, 2016-03-01

鏡花文学には仏教的なものが基底に存在しているが、泉鏡花と仏教の関係については重要な要素であると考えられるが、これまであまり深く論じられることがなかった。『五大力』にも、題名からうかがえるように、仏教的な要素が見られる。そこで本稿では、仏教的視点から作品を読み解くことで、『五大力』は毘沙門天と不動明王によって登場人物が救済される物語として解釈できることを示し、ひいては鏡花の仏教観の一端を明らかにする。泉鏡花五大力仏教毘沙門天不動明王
著者
渡邊 浩史
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.103-111, 2003-03-01 (Released:2008-08-14)

現在までこの「道化の華」の冒頭に用いられた「ここを過ぎて悲しみの市。」という一節は、ダンテの『神曲』からの引用であり、その翻訳としては、笠原伸生氏によっ提言された森鷗外訳『即興詩人』「神曲、吾友なる貴公子」の一節、「こゝすぎてうれへの市に」であると言われてきた。しかし、検討の結果、実はその翻訳は別にあるのではないか、という可能性が出てきた。小稿はその翻訳として、上田敏訳のテクストにあるものを一番大きな可能性とし、そこに書かれた「こゝすぎてかなしみの都へ」と「われすぎて愁の市へ」という訳稿を太宰が「道化の華」の冒頭に用いる際、一部改変し使用していたのだ、ということを提唱するものである。 翻訳 森鷗外 上田敏 ダンテ『神曲』
著者
友江 祥子
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 社会学研究科篇 (ISSN:18834000)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.37-54, 2011-03-01 (Released:2011-05-11)

仮説を,大阪で派遣看護婦として働いていた20代女性の日記から検証する。すると見えてくることがある。それは女性の印象が「のんき」であるということだ。昭和16年当時は日中戦争のただ中であり,日本は完全な戦時下という状況であった。それにもかかわらず日記の中の日常は,現代の我々に伝えられる「戦争」というイメージからはほど遠い。不穏な社会情勢よりも女性にとって大切なことは,自分個人の将来,とりわけ婚約者との将来だった。このような点からも,女性の日常はまだ平穏であったと思われる。しかし戦時下であったことは事実であり,日記中には「戦争をすることへの躊躇」を感じさせない勇ましい文章が並ぶ。この女性は,こうしたアンビヴァレントな意識をもち,戦時下独特の不穏な空気のなか,平穏な生活を送っていたのである。 昭和16年 戦時下 日記 看護婦 日常生活