著者
山中 清次
出版者
佛教大学大学院
雑誌
仏教大学大学院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
no.36, pp.83-98, 2008-03

近世期の町場(都市) に依拠した修験者の研究は、修験道の全体像を捉える上で不可欠である。本稿では、町場の修験を「町修験」と規定して、彼らの姿を再構成しようとするものである。政治・法制史や宗教史学等の成果を取り入れつつも歴史民俗学的な立場に立ち、修験の置かれた社会状況を考慮に入れて、町修験の生活実態や宗教活動からその特性や背景を追及した。都市に生きる民間宗教者の一類としての修験は、地方の百姓から転身したものが多く、弟子入りして修験の職分を身につけ渡世した。その住居生活から見ると「地借」「店借」の修験が圧倒的多数を占める。彼らは市中に雑居し妻帯の家族を持ち、祈祷やト占の活動の僅かな収入で、下層民と同様のその日暮らしていた。そうした生活を支えたのは祈祷師的渡世である。また、町方の信仰全般に関わり、町民の信仰的な要求に応えられる職分と験力を持っていたことによる。修験が町廻りをして祈願祈祷ができたのは、依頼者による選択自由という「帰依次第」の慣行が認知されていたからである。町修験店借修験帰依次第市中雑居
著者
二橋 依里子
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.45, pp.119-134, 2017-03-01

和歌山藩では慶応二年から明治四年にかけて西洋式軍隊導入を目標とした兵制改革が行われた。特に明治二〜四年には、ドイツからお雇い外国人を複数人雇用し、実際に徴兵制が施行されるなど他藩が行った兵制改革と比べると特異性が目立つ。軍隊はプロイセン式に統一され、弾丸や軍服の製造が行われていた。このような和歌山藩の兵制改革は、後の明治陸軍に影響を与えたとされる。本稿では、特に最初のお雇い外国人カール・ケッペン(CarlJosephWilhelmKoppen一八三三〜一九〇七)と、和歌山藩において施行された徴兵制を中心に考察する。その中でも当事者や目撃者である、ケッペンの日記やドイツのヘルタ号乗員の見聞録、村方の記録などを用い、和歌山藩の兵制改革の実態を考察する。和歌山藩兵制改革徴兵制カール・ケッペン
著者
平田 毅
出版者
佛教大学大学院
雑誌
仏教大学大学院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
no.28, pp.191-204, 2000-03

この小論は,カルチュラル・スタディーズにおける文化概念について概観し,その可能性および問題点を批判的に検討しようとするものである。カルチュラル・スタディーズの潮流は,既存の学問(ディシプリン)の伝統的なあり方に対して異議申し立てをしているともいえる。これは,カルチュラル・スタディーズの〈文化〉の捉え方自体が,サブカルチャーや対抗文化へのコミットメントを通じて形成されてきたことに起因するといえる。このカルチュラル・スタディーズの文化概念をS.ホールの主張から「大文字の文化と小文字の文化」のせめぎ合う場としてとらえ,従来の社会学における文化理論の中にも位置付けて,その有効性を論じてみた。反ディシプリン文化の政治学「折衝」コード大文字の文化と小文字の文化
著者
石橋 丈史
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.45, pp.1-18, 2017-03-01

本稿では、『ヨーガ・スートラ』、『ヨーガ・バーシュヤ』と時代的に近く、共通する語も多い『楞伽経』との関係に注目して、その影響関係について、他の瑜伽行派の文献も視野に入れつつ、cittaの定義を中心に考察する。その結果、『ヨーガ・スートラ』と『ヨーガ・バーシュヤ』、『楞伽経』におけるcittaの定義には、共通する部分が多いことを確認でき、三者の間に密接な影響関係があっただろうということが分かった。そうした『ヨーガ・スートラ』との共通部分は、『楞伽経』の原型であり同経の素材集ともされる「偈頌品」中に比較的近い形で見られ、本文中ではそれをさらに発展させていることも分かった。以上から、『楞伽経』を作成した人物は、瑜伽行派の正統派というよりも、むしろヨーガ学派と親密な関係を持った人物であり、『ヨーガ・スートラ』と共有する部分を、唯心思想としてさらに発展させていったのではないかと推測されることが分かった。ヨーガ・スートラヨーガ・バーシュヤ楞伽経
著者
飯田 隆夫
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 = The Bukkyo University Graduate School review. 佛教大学学術委員会, 文学部編集委員会 編 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.41, pp.53-70, 2013-03

明治六年七月、権田直助は相模大山阿夫利神社の祠官としたが、神仏分離後の混乱した山内の改革を幾つか行ったが、そのうちの一つが奈良春日大社に伝わる倭舞・巫女舞を富田光美から伝習することであった。その伝習当時の倭舞歌譜が伝存されているが先行研究者はその歌譜と奥書に注目した。富田光美の家系は途絶していてこの歌譜の原本の存在は不明である。明治元年以降、春日社社伝の倭舞・巫女舞は富田光美夫妻によって全国に伝習されたが、先行研究と大山阿夫利神社・金刀比羅宮・春日社の歌譜を比較検討によって大山阿夫利神社の歌譜が原本に近いとの推定が可能である。富田光美は幕末期から明治維新の転換期に神社国家神道化の下、神社に奉納される神楽は富田家が相伝してきた倭舞・巫女舞が古儀に倣う最も相応しいものとして、白川家関東執役古川躬行や明治政府の後ろ盾で全国著名神社に伝習した。その伝習内容と背景を相模大山と関連させ論考をはかる。倭舞歌譜富田光美巫女舞東幸と雅楽制度芸能統制
著者
飯田 隆夫
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.44, pp.35-52, 2016-03-01

論考の目的本稿は、相模国の山岳寺院大山寺の支配にあった御師が、神仏分離直前、国学平田家および神祇伯白川家の関東執役古川将作とどのような関係をもち、行動を選択していたのかを安政六(一八六九)年から慶應三(一八六七)年を対象に考察することをねらいとする。研究の方法分析ツールとして、白川家「門人帳」・平田家「門人帳」と大山寺宮大工、大山寺、平田家等に残された日記類を使用する。分析の結果相模国大山寺は幕府の庇護を受け、文化・文政期、大山信仰は最盛期を迎えた。その信仰を牽引した大山御師は大山寺の強い支配下にあったが、幕末期これら御師の中に不満が蓄積され、慶応三年にはその力関係を逆転させた。本論は、以下のキーワードをもとにその検証を試みるものである。白川家教線拡大復古派国学の波及白川家・平田家重複入門相模大山の安政大火御師の身分的転換
著者
権 東祐
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.37, pp.25-42, 2009-03

『古事記』と『日本書紀』は各々独立している一つの神話テキストであり、『古語拾遺』も『記』『紀』とともに独立している神話テキストであった。そして、スサノヲという神もそれぞれのテキストの性格によって違う神格を持っていることが分った。したがって、この論文では『古語拾遺』を通して、斎部氏の儀式の現場でスサノヲ神がどのような神格として変貌し、悪神になってきたかを考えたものである。古語拾遺スサノヲ変貌斎部氏中臣祓
著者
加藤 弘孝
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.39, pp.1-16, 2011-03

唐代中期の飛錫が著した『念仏三昧宝王論』からは、浄土教、天台宗、禅宗、三階教などの諸思想が重層的に絡み合う特異な思考を見てとることができる。しかし飛錫が主題とした思想、教学は、必ずしも解明されておらず、先だって『宝王論』に見られる諸思想が互いにどのような意図をもって関連付けられたか考察する必要がある。その際、同時代の諸宗及び思想家達の動向を窺うことが最も重要になってくる訳であるが、飛錫の『宝王論』の撰述年代はおろか活動年代に関しても、未だに定説を見ないのが現状である。そこで本稿では『宝王論』の撰述年代及び飛錫の事跡に関する記述を整理し考察していく。飛錫不空『念仏三昧宝王論』安史の乱
著者
安藤 淑子
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.46, pp.1-18, 2018-03-01

古代バラモン思想においてkamaは「欲する」という心の働きを意味し、これが人間の行為の根本的動因と見なされていた。一方、原始仏教におけるkamaはこれとは異なる語義・用法を有していた。すなわち、原始仏教では最古層の経典よりすでにkamaは単なる心の働きではなく、認識と感受によって変貌した外的事物それ自体をも意味していた。言うなれば、「対象」と「心の働き」が一体となった具体的な諸現象を、kamaという語によって指し示していたのである。このような語義の特徴を反映して、原始仏教経典におけるkamaはほとんどの場合複数形で用いられている。原始仏教心の働き対象複数形
著者
西田 晴美
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
no.27, pp.43-54, 1999-03-01

ジョイスは言葉の魔術師であったといわれている。彼は言葉による美の創造を希求し,言葉の持つ可能性を信じて,それを引き出すことに成功した。本稿で取り上げるのは,実験小説『ユリシーズ』の以前に書かれた,まだ若干写実主義の香りが残る『若き日の芸術家の肖像』である。ジョイスの芸術的目的である美の創造がこの作品でどのように成就したのか,その文体的特徴を究明していく。そしてこの作品から取り入れられた「意識の流れ」の手法が文体に及ぼした影響も合わせて考察する。多様な文体意識の流れ文体の音楽性
著者
白石 哲郎
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要 社会学研究科篇 (ISSN:18834000)
巻号頁・発行日
no.39, pp.1-18, 2011-03

本稿の目的は,文化記号論のパラダイムを消費現象の分析に応用したことで知られるジャン・ボードリヤールの学説に準拠しながら,後期資本主義が開花させた記号消費社会の特性を体系的に把握することにある。論考のなかで着目したのが,消費者が物の記号性を背後から規定するコードに絡めとられてしまうという逆説的な事態である。文化記号論後期資本主義記号消費社会コード
著者
森村 優太
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 = The Bukkyo University Graduate School review. 佛教大学学術委員会, 文学部編集委員会 編 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.43, pp.135-150, 2015-03

「デンドロカカリヤ」は、一九四九年八月、雑誌「表現」に掲載された、安部が最初に執筆した変形譚である。この物語は「コモン君がデンドロカカリヤになった話」と、ストーリーテラーの役割を担う《ぼく》が説明するように、四回の植物への変形を終えて、《コモン君》という主人公が植物園へ収容されるまでの経緯をまとめた話である。この作品以降、安部は同様の変形譚で様々な賞を受賞し文壇で評価を得た。本作品において先行研究では、主人公である《コモン君》や、《ぼく》などが罹っている植物病や植物への変形についての考察が多く行われてきた。本稿でも同様に植物への変形にどのような意図があったのかを考察する。特に、「デンドロカカリヤ」に登場する人物像、戦後日本の状況に焦点を絞った。本稿は登場人物の様々な言動や性格とGHQ占領下における検閲制度などの視点から植物病の正体を解明できないかと試みたものである。安部公房デンドロカカリヤ変形譚戦後文学検閲
著者
呉 世榮
出版者
佛教大学大学院
雑誌
仏教大学大学院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
no.33, pp.223-236, 2005-03

本稿では、1973年「福祉元年」体制のもとでの老人医療無料化制度の形成過程と、制度の実施が国民医療費に与えた影響を考察した。その結果、老人医療無料化制度の実施は、経済・社会的要因というよりは政治的要因によって強いられたものであったことが明らかになった。また、老人医療無料化制度は、国民医療費増加の根本的及び構造的原因を提供し、1980年代入ってから始まった強力な医療費抑制政策の契機となった。福祉元年老人医療無料化国民医療費福祉元年
著者
山口 瑞穂
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 社会学研究科篇 = The Bukkyo University Graduate School review. 佛教大学学術委員会, 社会学部編集委員会 編 (ISSN:18834000)
巻号頁・発行日
no.42, pp.19-36, 2014-03

「キリスト教系新宗教」という従来のカテゴリーには,アメリカ由来のエホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会),韓国由来の統一教会(世界基督教統一神霊協会)など,外来の新宗教の他,キリスト教を源泉とする日本出自の宗教運動(土着的なキリスト教)も分類されている。前者の運動には,発祥国にある本部等との関係という局面があり,この特徴は「キリスト教系新宗教」という定義では説明され得ない。本部との関係性を主題化するにあたり,外国由来のキリスト教系新宗教を新たに「キリスト教系外来新宗教」として分節する。エホバの証人の事例をみると,本部との関係性が日本での展開過程全体に強く影響している運動もあることがわかる。海外の本部組織との関係性を記述する方法として,「本部志向」という視座を設定し,「キリスト教系外来新宗教」の差異や同質性を検討する方法について問題提起する。キリスト教系新宗教キリスト教系外来新宗教本部志向エホバの証人
著者
坂田 雅和
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 = The Bukkyo University Graduate School review. 佛教大学学術委員会, 文学部編集委員会 編 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.43, pp.109-118, 2015-03

アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway)の短編"Cat in the Rain"(1924)には、これまでにまだ解き明かされていない謎が散見される。先行論文においていくつかの謎は検討されているが、こと猫の特定化においては決定的な解釈はいまだ出されていない。本論ではこの猫の特定化は猫を表現する不安定さ、そして猫に隠されたものがあるがゆえ謎のままで漂うものなのか、あるいは作者ヘミングウェイによる、短編であるがゆえの作成手法であるのか、精査して検証する。併せて作品の中の妻の心の変化、妻を表す表現の数々、そして、この作品の書かれた1920年代という時代的背景と、その時代を生きた作者の軌跡をたどることにより、作者がこの作品に埋め込んだもの、そして内包されているものを猫の同定化と併せて子細に迫ってみる。猫の特定化内包不安定さ
著者
椙原 俊彰
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 = The Bukkyo University Graduate School review. 佛教大学学術委員会, 文学部編集委員会 編 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.42, pp.1-18, 2014-03

『雲介子関通全集』が昭和十二年に完成されて以降、江戸中期の高僧である捨世派関通の研究は飛躍的に拡大、発展を遂げた。全集は多くの研究者たちに支持され、関通研究における原典の役割を担ってきた。しかし、本全集は全集とはいいながら未収録の著作などもあり、またその底本についても十分に吟味されていない点もある。本論では、資料の成立背景やテキストの比較検証等から浮き彫りとなった本全集における問題点を指摘し、『雲介子関通全集』の再評価を試みるものである。関通雲介子関通全集捨世派山下現有
著者
堀岡 喜美子
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.153-169, 2017-03-01

中世祇園社片羽屋神子については脇田晴子氏により一定明らかにされている。すなわち宮籠、片羽屋(座・衆)とも称され祇園社に下級の役人として神楽や夫役に奉じた男女混合の組織であった。しかしながら、なぜ宮籠組織が片羽屋や片羽屋神子と称されるのかは判然とせず、男神子の職掌についても不明な点が多い。また、丹生谷哲一氏は職掌より宮籠・片羽屋神子は散所非人と位置付けている。本稿はこうした片羽屋神子に関する研究の到達と課題を踏まえ、祇園社関係文書を再考することにより神子組織編制の過程、および職掌について検証した。この結果、「神子」号は宮籠組織が自ら獲得したと思われ、また宮籠・片羽屋神子は散所非人ではないが、下級の呪術的芸能者集団(1)と位置付けられることが明らかになった。祇園社宮籠片羽屋神子散所非人呪術的芸能者
著者
坂本 卓也
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.55-71, 2018-03-01

幕末期以降日本に導入された蒸気船について、その心臓部である蒸気機関の運転と修理・建造技術の国内化過程の検討を行った。分析の時期は幕末から明治期とし、国内における技術導入の牽引役となった幕府海軍と日本海軍を主な分析対象とした。幕末期の運転技術について、長崎海軍伝習所や軍艦操練所などで技術伝習が行われるが、実地訓練の不足などにより、その技術には大きな不安を抱えたままであった。また修理・建造技術についても、長崎と横浜の両製鉄所において外国人の技術伝習が行われるが、彼らの指導下から脱することはできなかった。明治期以降には、イギリス海軍機関士の体系的な教育や遠洋航海により運転技術の向上が見られ、明治二〇年(一八八七)には国内化を達成している。修理・建造技術についても横須賀造船所におけるフランス人技術者による指導や、留学生の派遣による技術向上により、明治四〇年頃までには国内化を達成している。幕末明治蒸気船蒸気機関運用
著者
伊佐 迪子
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.87-103, 2016-03-01

兼実家の姫君は入内し中宮へと上った。兼実家では中宮を支える為に、父親の兼実と母親役の讃岐が中宮御方へ常に候して扶持する。母儀は雑用や病気の世話などには携わらない。中宮の毎日は順調に推移する事である。中宮は里心を起しては大炊亭へ退居を望むので、その間は狭小では居住者側が身を竦めての毎日なのである。従って兼実家の様相は一変した。良經は後鳥羽天皇の文人上首に認められ、能保卿女を娶り、一条亭に居所を構え幸先のよい出立であった。兼実は所労に悩み、灸冶に頼り、内裏から助けを求め、讃岐に頼り切っている。中宮良經文人御不豫法皇
著者
大窪 善人
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 社会学研究科篇 (ISSN:18834000)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.1-14, 2016-03-01

本稿は、1983年に西ドイツで行われた核ミサイル配備に反対する市民的不服従にたいするハーバーマスの議論についての考察である。ハーバーマスは市民的不服従を、米国の成熟した政治文化と政治・法理論を媒介として、民主的法治国家の成熟をはかるテストケースに位置づける。その際に重要な位置づけをもつのは「合法性と正統性」の概念である。この概念対は、国法学者シュミットの政治・法理論において重要な意味をもっている。本稿では両者の議論の特徴を対比することを通じて、ハーバーマスの市民的不服従論の正統化根拠が、法治国家における法と道徳の補完関係、そして、可謬主義的な政治文化に求めることができるということを明らかにする。市民的不服従正統性と合法性道徳原理と民主主義原理決断主義対可謬主義