著者
吉成 順
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 = Kunitachi College of Music journal (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.131-137, 2021-03-31

19世紀イギリスのミュージック・ホールをきっかけに「ポピュラー音楽」というカテゴリーが生まれた頃から(吉成 2014)、大衆娯楽としての音楽上演が各地で盛んになり、20世紀のTVショーへと受け継がれていく。だがトーキー映画以前の時代にそれらが舞台上でどんな風に演じられていたか、という具体的な様子は、メディアの限界もあって十分に分かっていない。本稿は、ポール・ホワイトマン楽団で活躍した演奏家ウィリー・ホールによるヴァイオリンの曲弾きや、我が国の少女歌劇における「男役」文化といった20世紀音楽文化の歴史的ルーツが19世紀のミュージック・ホールにまで直接的に遡ることを確認し、音楽上演における身体的・視覚的要素の理解が音楽史や音楽文化の総合的な理解に不可欠であることを示す。
著者
宮入 恭平
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 = Kunitachi College of Music journal (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.115-125, 2022-03-31

シティポップが再評価されている。シティポップとは、1970年代以降の日本のポピュラー音楽を系譜とする音楽ジャンルとして一般的に容認されている。シティポップをめぐっては、これまでに数多くの議論がなされてきた。とは言え、その定義は曖昧で漠然としたものだ。そこには、多かれ少なかれ、恣意的な評価が加味されていることは否めない。シティポップは2000年代になって国内で散見されるようになり、そこで再定義や再解釈がおこなわれるようになった。さらに、2010年代にはインターネットを介して世界的に認知されるようになり、昨今のシティポップ再評価へと結びついたのだ。シティポップは、ある特定の音楽ジャンル概念というよりはむしろ、記号的な意味合いが強い。本稿では、シティポップそのものに関する議論というよりはむしろ、シティポップが再評価される背景に注目しながら、社会・経済・政治との関係を明らかにする。
著者
加藤 一郎
出版者
国立音楽大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2010

本研究はバッハ演奏の際に行われるテンポの微細な変動の基本原理を明らかにし、今後のバッハ演奏への示唆を得ることを目的とした。そのために、主にバッハ当時の演奏理論書やバッハのオリジナル資料を基にテンポの変動と拍との関係、テンポの変動とアーティキュレーションとの関係について検証し、更に20世紀の演奏家によるバッハ演奏のテンポを解析することによって、テンポの変動の多様性や、今後のピアノによるバッハ演奏への応用等について考察した。
著者
伊藤 牧子
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 = Kunitachi College of Music journal (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.1-6, 2021-03-31

ピアノは、日本企業の独特の技術革新による低価格化や、音楽教室などの市場開拓を契機とし、日本国内に広く普及した。国内のピアノの生産台数は1980年をピークに世界第一位となり、その後減少しているものの、今までの総生産台数は約1000万台に達する。その結果、ピアノ演奏技術の習得者が増加し、日本の音楽文化に大きな影響を与えた。しかし、昨今、子どもの成長や進学と共に使われなくなって放置され、楽器としての機能を十分発揮できない「休眠ピアノ」が増えている。本来ピアノは新旧によらず、定期的なメンテナンスによってその能力は引き出され、長期の使用が可能である。よって技術的観点から、休眠ピアノのような古いピアノに修理などのメンテナンスを丁寧に実施し、再利用することを提案する。自然素材で作られたピアノを再利用することは、家庭の歴史を刻むことに加え、環境問題にも有効であり、ピアノ文化を発展させていくことにもつながると考える。
著者
鯨井 正子
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 = Kunitachi College of Music journal (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.183-188, 2021-03-31

本稿は、2019年度音楽教育研究ゼミの3年生が取り組んだ国立音楽大学附属図書館の企画展示「Nコン課題曲のこの10年」に関して、準備から展示、及び展示後の感想に至るまでの記録である。音楽教育研究ゼミは、音楽教育専修の学生に開講されている。4年生での卒業研究を見据え、3年生の授業では、目的と題材を設定し、研究における一連の作業を経験して身につけることを目標に置き、報告文の作成とゼミ内での発表も行う。2019年度はNHK全国学校音楽コンクール(Nコン)を取り上げ、特に最近10年間に出された課題曲に注目し、調査した。その成果を、この年度は図書館に展示した。
著者
横井 雅子
出版者
国立音楽大学
雑誌
音楽研究 : 大学院研究年報 (ISSN:02894807)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.33-40, 2014-03

本稿は平成23〜25年度科学研究費補助金(基盤研究B)による研究プロジェクト「ドイツ・フォークトラントにおける楽器製造の歴史と現状に見る伝統継承と地域再生」に基づき、ドイツ・フォークトラント地方と隣接して楽器製造により16世紀から知られてきたチェコ・西ボヘミア地方の楽器産業の様相を検討したものである。ドイツのフォークトラント地方では大小の楽器会社・工房がそれぞれの特色を生かしながら現在も地域内の市町村の主要産業を形作ると同時に、楽器製造の技術の継承を体系的に行い、また公立、私立の楽器博物館・コレクションの存在や楽器演奏のコンクール、フェスティヴァルなどによって観光化が図られている。一方のチェコ・西ボヘミアの現状については近年の報告が限定的であったため、3年間にわたって現地調査を重ねた。調査の視点は以下の通りである。 / (1)調査地における現在の楽器製造の状況把握 / (2)楽器製作の技術の伝承の様子の確認(特に体系的教育) / (3)調査地の楽器製造史に関する当該地の認識 / (4)楽器製造に関わるイヴェントの有無、地域振興への寄与という点からの観察 / 調査地はクラスリツェ、ルビ、およびヘプの3か所である。管楽器を中心に製造するクラスリツェでは大手メーカー以外には楽器製造を手掛ける個人の工房はなく、また楽器製造の技術の伝承を体系的に行う教育機関が閉鎖され、市が所有していた楽器コレクションも非公開の状態で保存されるなど、「楽器の町」と呼ばれてきた存在感にも陰りが感じられる。ルビは一貫して弦楽器製造で知られてきた町で、民営となった旧国営会社と後発の民営会社の他、複数の個人工房が活動しており、ある程度の活気が感じられるが、8年前より当地にあった楽器製作を教える専門学校が20km離れたヘプに移転し、楽器作りの技術の伝承に関わる状況は楽観視できない。なお、楽器の品評会は依然としてこの町で行われており、また専門学校にあった楽器コレクションも旧国営企業のショールームで公開されており、その点ではクラスリツェよりは好ましい環境が残っていると判断できる。チェコの楽器産業は国内経済が好景気と見なされていた2000年代半ばにも売上高、雇用者数、輸出状況のいずれにおいても下降傾向にあり、とりわけ生産高においては2000年代後半には劇的に減少している。この背景には東アジア諸国の安価な楽器が世界市場を席巻していることが挙げられるだろう。ドイツ側でも決して楽観できる状況ではないが、「楽器製造の地域」という特徴を生かした活性化の試みが見られる。楽器産業が依然として町の主たる産業である西ボヘミアの楽器作りの町でも、こうした特徴を活用した仕組みを作ることによって現状にいくらかでも変化をもたらすことが必要なのではないかと結論づけた。
著者
佐藤 真一
出版者
国立音楽大学
雑誌
国立音楽大学研究紀要 (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.168-162, 2006

ハイデルベルク大学教授時代に、近代歴史学の方法が伝統的な神学にもたらす帰結について考察を深めたトレルチ(一八六五-一九二三)は、第一次世界大戦のさなかの一九一五年以降ベルリン大学において歴史哲学を講じ、「われわれの思考の根本的な歴史化」の問題に取り組むことになった。その際、「近代歴史学の父」といわれるレーオポルト・フォン・ランケ(一七九五-一八八六)の歴史学をどのように捉えていたのだろうか。本稿では、一九一〇年代に相次いで出版された史学史の著作との関連も視野に入れながら、一般的な通念とは異なりランケのヘーゲルとの近さを強調するトレルチ独自のランケ観を考察する。
著者
江崎 公子
出版者
国立音楽大学
雑誌
音楽研究 (ISSN:02894807)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.1-14, 2010-03

本研究は、近代日本の始まりの時点で、「音楽」がどのように認識されていたかについて、小中村清矩著『歌舞音楽略史』と『古事類苑 楽舞部』に着目し分析するものである。『古事類苑』は明治12(1880)年3月8日に当時の文部省編輯局長であった西村茂樹の建議によって、前近代の日本の文化を集大成した百科事典である。『古事類苑』編纂初期の責任者が小中村清矩(文政4(1822)年12月江戸~明治28年10月東京)である。そして同書建議の翌年、明治13年7月に執筆したのが『歌舞音楽略史』(明治21年2月刊)であった。小中村の『歌舞音楽略史』の特徴は各芸の起源と沿革とをあわせて考える点である。各芸・ジャンルを連続体とみなしながら、項目にそって各種文献から用例を列記することで、連続する動態として一定の概念を示している。また文献と共に類語も呈示されることで、用語の広まりや普及あるいは廃れる用語の現象をも推測できるものであった。この考え方は、重層化しつつ連続している前近代の音楽に対して、一連のジャンルの同種群を想定し、音楽における体系化の形成を試みていたといえる。記述は、自分の解釈を極力抑え、言辞の研究を通じて歴史的事実や知識を示していた。一方『古事類苑』は各芸・ジャンルが完全に独立した状態にわけられ、事項により資料が配列された歴史全書であった。しかし、ジャンルわけされてしまっているため、沿革や類種といった展開してゆく部分については分かりづらい。しかし、『古事類苑』は当時「大義名分論」とよばれた部立てという構造化を意図したものであった。文化全体の序列・類型化によって小項目を説明し、再び全体の構造を示すという類書の方法である。小中村が『歌舞音楽略史』で複数の枝分かれを含めて音楽を考察した視点と、文化全体の類型化のなかで音楽を考察した『古事類苑 楽舞部』ではデータ構造の考え方が大きく違っていた。しかし両書に共通して指摘できることは三点あった。まず記述方法の姿勢である。入門書や芸談ではなく、対象となる芸・ジャンルが存在したその時代の文学等を含んだ幅広い文献を求め、そこから抽出された「事実」から考察を出発し、さらに後世に書かれたもので検討する小中村の考証の仕方は、両書の基本であった。次に歌舞あるいは楽舞という書名からも、現代の「音楽music」より広範囲を対象とし、舞や芝居も含めた総合的領域を考察の対象としていたことがわかる。そして、両書の構造化の在り方は異なるものの一連の歌舞・音楽全体を対象として何らかの構造性をあたえるという発想は、近世には見られなかった視点ではなかろうか。しかし、小中村が文献実証主義を貫こうとしたにもかかわらず、文化の序列化はその後加速される。この傾向は音楽だけではなく、近代日本の社会の方向性でもあったと考えられる。
著者
松村 洋一郎
出版者
国立音楽大学
雑誌
国立音楽大学研究紀要 (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.50, pp.219-228, 2015

本稿は、明治・大正期の音楽誌以外の雑誌に掲載された、作曲家の伝記情報を扱った記事に関する調査の中間報告である。音楽誌以外を扱う理由としては、当時、それぞれの分野の雑誌はあまり個別化されていなかったこと、また、ほかの人文系の分野に比べて、音楽雑誌の成立、確立が遅かったこともあり、音楽誌以外の雑誌に音楽関係の話題が掲載される場合が多かったことが挙げられる。そして、広い影響力を持った一部の作曲家を理解するには、こうした多義的な視点を持つことが求められよう。本稿の内容としては、記事一覧を作成し、そこから読み取れるいくつかの点を指摘する。たとえば、ヴァーグナーに関する記事の多さや、作曲家の作品ではなく人となりに注目が集まる傾向などである。これらは、文学誌等を材料にすでに指摘がなされているものだが、本稿では、美術誌や、少年誌、婦人誌など、これまでとは異なった材料から裏付けることが出来た。
著者
松野 茂
出版者
国立音楽大学
雑誌
国立音楽大学研究紀要 (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
no.11, pp.p89-100, 1977
著者
宮入 恭平
出版者
国立音楽大学
雑誌
国立音楽大学研究紀要 (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.115-126, 2011

ポピュラー音楽は、音楽産業という文化産業がつくりだす商品として消費されている。しかし、2011年3月11日に発生した東日本大震災は、日本のポピュラー音楽シーンにさまざまな影響をもたらすことになった。平穏な日常生活のなかでは自明のものだったポピュラー音楽シーンにおける規範-音楽産業がつくりだす商品としてのポピュラー音楽の消費-は、3.11によって改めて問い直されることになったのだ。3.11が発生してから半年が経過したポピュラー音楽シーンは、3.11以前と比べて、何かが変わったのだろうか?あるいは、何も変わっていないのだろうか?本稿では、時間の経過-3.11以前、3.11発生直後、そして3.11以降-とともに変化を見せてきた日本のポピュラー音楽シーンについて検証しながら、自明のものとなっていたポピュラー音楽シーンの規範について考察する。
著者
大塚 直
出版者
国立音楽大学
雑誌
国立音楽大学研究紀要 (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.1-12, 2008

演劇とは何か。この問題をめぐって様々なアプローチが考えられるだろう。だが本稿では、少なくとも伝統的な西洋の戯曲を参照するかぎり、演劇が常に王の退位など法的権力の失効する「例外状態」を扱いながら、そこに正義を洞察するメディアとして機能してきたことに着目する。演劇は、その意味では政治学者カール・シュミットの唱えた「例外状態」説における法の問題と通底する問題性を持っている。このような視座は、とくに旧東ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトとその後継者ハイナー・ミュラーの〈教育劇〉において考察されてきた。では彼らは、極限状況における「正義」の問題をどのように演劇テクストに結実させたのか。さらに、彼らの仕事を嚆矢として出現した新しい現代劇の傾向を「ポストドラマ演劇」と定式化する演劇学者H.-Th. レーマンは、今日の演劇形態のいかなる点に正義/正当性(Gerechtigkeit)を見出しているのか。これらの問題を整理することで、現代における演劇の可能性を捉え直してみたい。
著者
水谷 彰良
出版者
国立音楽大学
雑誌
音楽研究 (ISSN:02894807)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.59-74, 2010-03

ソルフェッジョsolfeggioと呼ばれる歌唱練習曲は、17世紀末〜18世紀初頭のイタリア(とりわけナポリの音楽院教育)において確立をみたが、教師が個々の弟子のために作曲して与える教材のため、未出版のまま長く埋もれていた。その意義がフランスで認知され、イタリア語のsolfeggoに由来するsolfegeがフランス語の語彙として初めて登場したのは1769年であった。その3年後の1772年にパリで出版されたのが、世界初の系統的ソルフェッジョ集『イタリアのソルフェージュSolfeges d'Italie』である。編者ルヴェスクとベシュはルイ15世時代のフランス王室聖歌隊の歌唱指導者で、pages de la musiqueと呼ばれる少年聖歌隊員の教材として、これを編纂出版した。『イタリアのソルフェージュ』は前記二人の編者が、レーオ、ドゥランテ、ポルポラ、スカルラッティ、ハッセなどナポリ派の重要作曲家・声楽教師のソルフェッジョを蒐集し、これを教育目的に則して分類配列し、低音部に和声を表す数字を付して刊行したもので、母音歌唱による歌の学習システムを初めてフランスに導入したという点でも画期的意義を備えていた。同書はパリ音楽院において1822年まで教材として推奨され、10種を超える異版も世に出たが、その真価は19世紀半ばに忘れられ、現在も研究対象とされず、再出版も行われていない。本稿は研究的視点から『イタリアのソルフェージュ』の初版(1772年)に遡り、その構成と内容を明らかにするとともに、第二版(1778年)との比較を通じて第二版が初版の単なる再刷ではなく、構成の変更、楽曲の追加と差し替えを施し、新たな彫版者が285頁分の原版を作成したことを確認した。筆者が独自に作成し、典拠と注釈付きで付録とした14種(異版を含め18点)の刊本リストも、『イタリアのソルフェージュ』が高く評価され、広く流布したことの証となる。同書は卓越したカストラート歌手を輩出したイタリアのソルフェッジョ教育の最重要資料(楽譜素材)であり、その存在と意義を再確認することは、19世紀初頭に活性化する組織的な音楽院教育の方法論と歌唱教材の変遷を理解する上でも不可欠である。
著者
宮入 恭平
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 = Kunitachi College of Music journal (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.52, pp.163-172, 2018-03-31

興隆するライブ・エンタテインメント市場の一翼を担っているライブハウスは、ライブハウス概念の一側面といえるだろう 。その一方で、ライブハウスが広く認知されはじめたのは、ビジネス化にともなうシステム化が確立した1980年代半ばだった。そして、この時期のシステム化したライブハウスは、ライブハウス概念のもうひとつの側面としてとらえることができるだろう。本稿では、多様化する日本のライブハウスの現状を検討したうえで、ライブハウス概念の再考を試みる。まず、ライブハウスに関するデータを更新したうえで、ライブハウスを取り巻く現状を確認する。そして、物議をかもすことになったブログの記事から、既存のライブハウスに対する認識を読み解く作業を試みる。そのうえで、システム化したライブハウスの特徴でもあるノルマ制度に注目しながら、現状のライブハウスに対する認識について検討する。そこから、ライブハウス概念が明らかになる。
著者
宮入 恭平
出版者
国立音楽大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.117-127, 2012

2011年3月11日に発生した東日本大震災によって引き起こされた東京電力の福島第一原子力発電所事故は、日本国内における原子力エネルギー政策を根本から問い直す契機になった。3.11が発生してから時間の経過とともに、「絆」や「がんばろう!日本」といった言説は希薄になった。その一方で、TwitterやFacebookといったソーシャルメディアを中心に叫ばれてきた反原発の声は、テレビや新聞といったマスメディアからも聞かれるようになった。チャリティに偏向していたポピュラー音楽シーンにも、反原発を掲げる政治性に注目する動きが見られるようになった。 第二次世界大戦後の日本では、商品としてのポピュラー音楽に偏向するあまり、音楽の政治性が可視化されづらい状況にあった。しかし、ポスト3.11の原発問題によって、音楽と政治の関係は無視できないものになっている。本稿では、日本のポピュラー音楽シーンにおける反原発運動を検証しながら、音楽の存在意義について考える。