著者
山本 玄珠 長峰 崇 北垣 俊明 海野 友紀
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科学 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.58, no.6, pp.375-388, 2004
参考文献数
32

筆者らは,青森県尾太鉱山跡地坑道内において,廃水性マンガン団塊を発見した.本マンガン団塊は,15年以内で形成されたものである.粗粒から中礫サイズのこのマンガン団塊は,ブドウ状表面構造を有すマンガンクラスとともに産出するが,それらは微生物のマットと思われる物質が広く発達している中に認められる.いくつかのマンガン団塊のコアや表面には微生物と思われる物質が含まれていた.今回発見されたマンガン団塊は全て球状を呈し、層構造を有すが,それらは深海のマンガン団塊の形状(Meylan 1974)で示すとs-m[SDP]sまたはs-m[SDP]s+rに分類される.本マンガン団塊が微生物的物質と共に存在することから,本マンガン団塊の形成には,微生物的物質が関係していると考えられる.
著者
平松 良浩
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科學 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.61, no.4, pp.243-253, 2007-07-25
被引用文献数
1

2007年3月25日に発生した能登半島地震(M6.9)は能登地方で起こった初めてのM7クラスの地震であり,石川県での地震観測史上初めて震度6強という強い地震動が観測された.震源の深さは11kmであり,地震発生層の深部から破壊が始まっている.この地震の断層面は北東-南西方向に走向をもつ南東傾斜の面であり,震源メカニズムは右横ずれ成分を伴う逆断層である.震源断層は海域と陸域に渡っており,海域には震源断層に対応する活断層の存在が報告されているが,陸域には対応する活断層は存在しない.最大余震(M5.3)は余震域の北東端と南西端で発生しており,余震の時空間分布やメカニズム解から判断すると,これらの最大余震が起こった領域は本震を起こした領域とは異なるセグメントである可能性が考えられる.
著者
石原 寿
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科學 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
no.70, pp.1-14, 1964-01-25

丹沢山塊は主として中央部の石英閃緑岩休とそれをとりまく緑色凝灰岩の厚さ約10,000mにおよぶ中新統からなる。この中新統は丹沢層群と愛川群に大別される。丹沢層群の岩相は比較的塩基性からより酸性の火山活動への推移を示し,層厚は,中心部できわめて厚く,南・北へむかっていちぢるしくうすくなる傾向を示し,地向斜堆積層の性格をよくあらわしている。この中心部に石英閃緑岩の貫入をうけている。この層群にみられる東西性の褶曲構造は,石英閃緑岩体の形態とよく調和しており,造山時深成岩活動を表現している。またこの層群にみられる東西性の断層は地向斜の沈降期のものと上昇期のものにわけられる。愛川層群の岩相は塩基性・中性の火山活動をあらわしており,層厚は,調査地において,北にうすく南にあつい傾向を示し,山塊の縁辺部に発達している。丹沢層群にみられるような東西性の褶曲構造や断層構造はみとめられない。丹沢山塊の中新統にみられる造山運動の経緯は,丹沢層群堆積の中央部沈降の時期から石英閃緑岩体の貫入をともなう中央部上昇の時期にうつり,それとともに沈降の中心は縁辺部にうつって,愛川層群の堆積をもたらしている。この沈降地域の移動は,丹沢層群の下部から上部への層厚の変化,中・下部が火山岩類からなり,上部に泥岩・砂岩・礫岩をともなうという岩相変化,丹沢層群の中・下部に脈岩をともない上部には欠けていること,愛川層群中・下部が火山岩類堆積物であり,脈岩をともなっていること,つまり火山活動の中心部が移動していること等で論理づけられる。愛川層群堆積後,山塊全域の上昇があり,その後,小仏層群が山塊に衝上し,藤ノ木一愛川断層を形成している。
著者
高 存栄 応用地質研究会内モンゴル地下水調査班
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科學 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.53, no.6, pp.434-451, 1999-11-25
被引用文献数
10

内モンゴル河套平野の地下水ヒ素汚染地区は主として,平野の中部と西部に拡がる.ヒ素汚染のひどい地区は第四紀以来の断層運動に関連して形成された旧河道に沿って分布している.筆者らは数回のフイールド調査とヒ素含有量の分析によって,ヒ素がどこから供給され,どのようにして堆積物中および地下水中に集積したのかを調べた.本論は水文地球化学と地質学の立場から,ヒ素の移動・集積・再移動のメカニズム及び地質学的な背景について考察した.本研究によって,内モンゴル河套平野における地下水ヒ素汚染は,(1)自然の地質学と水文地球化学的プロセスによってもたらされたものと,(2)人為的な活動(かん漑用水の利用)の影響,この二つの原因を主として,進行したと判断される.汚染地区においては深度40m以浅に存在している粘土やシルト質粘土層などが高濃度のヒ素を含み,現在の地下水ヒ素汚染の主な原因層であると判断された.地層中へのヒ素の集積は,酸化・生物・コロイド作用によるものである.そのヒ素の供給源はおもに狼山山地にあるヒ素を含む硫化鉄鉱床・火成岩・変成岩などの風化・浸食産物であると推定される.ヒ素が地層から地下水へ溶出する原因は,多量のかん漑用水の浸透による地下の酸化還元電位および酸性・アルカリ性の条件変化にあると考えられる.
著者
柴田 松太郎
出版者
地学団体研究会
雑誌
地学教育と科学運動 (ISSN:03893766)
巻号頁・発行日
no.41, pp.43-48, 2002-11-05
被引用文献数
3
著者
児玉 一八
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科學 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.61, no.4, pp.301-308, 2007-07-25
参考文献数
25
被引用文献数
1

2007年能登半島地震により,石川県内では輪島市,七尾市,志賀町,穴水町などで1人が亡くなり, 318人が重軽傷を負った.強い揺れで多くの家屋が倒壊した地域では,医療機関でも断水や医療機器の損壊,建物への亀裂や損傷など多岐にわたる被害が出た.断水のために透析ができなくなり,金沢市などの医療機関が患者を受け入れた.地震直後から,火傷や打撲などで被災者が医療機関を受診する一方で,地域の医師をはじめ多くの医療労働者が避難所を巡回するなどして,被災者の健康管理のために尽力した.石川県内外から被災地に駆けつけた多くの支援医療チームも,被災地での医療活動とともに,ニーズの聞き取りなど多様な活動を行った.自宅の倒壊や落石の危険などで,ピーク時には2637人が47ヶ所の避難所で生活したが,プライバシーが確保されないことや,ノロウイルス感染による胃腸炎などの感染性疾患の発生など,さまざまな問題が発生した.避難所では,洋式トイレが設置されていないことなど,高齢者や障害者にとって改善が急務となる課題も少なくなかった.輪島市では,ピーク時には百人近くの小中学生が自宅以外での生活を余儀なくされ,地震の前とは著しく異なる症状が確認された.心的外傷後ストレス障害(PTSD)の発症も危惧され,長期にわたるフォローが必要となっている.地震に対する対応は,被害に対する緊急対策から震災前の生活に戻るため復旧に移ってきている.今回の地震で大きな被害をうけた地域は,過疎や地場産業の衰退などで多大な困難をかかえた地域である.地震に伴う被害は,こうした地域によりいっそうの苦労を強いるものにほかならない.これからの長い復旧・復興の道のりの中では,仮設住居や住宅再建,営業の再開などの多くの苦難が待ち受けている.被災者の方々の苦しみをできるだけ低減するために,医療分野でも社会的な仕組みづくりをはじめ,長期的な復興支援をすすめていく必要があると考える.
著者
下総台地研究グループ
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科学 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.53, no.5, pp.359-373, 1999-09-25 (Released:2017-07-14)

東京低地の北東部に位置する坂川低地では,縄文海進によって古奥東京湾の溺れ谷の1つである古流山湾が成立し,その周辺部に典型的な砂嘴・波食棚が発達する.古流山湾において,湾口部の砂嘴構成層や湾内の沖積層中に,標高+2.5mの侵食面が確認された.^<14>C年代および珪藻化石・貝化石の解析から,完新世後半の海面変動には,この侵食面の形成期(縄文中期の海退期)をはさんで2つの高海面期が見い出され,それぞれ古い方から第1高海面期(約5,800y.B.P.),第2高海面期(約4,000y.B.P.)とした.ボーリング資料の解析から,下総台地の縁辺には下総層群の団結泥岩からなる標高0〜+3mの埋没平坦面が広く分布することが示された.この埋没平坦面は,第1高海面期から形成が始まった波食棚で,湾内に分布するものは縄文中期まで,湾外のものは第2高海面期までその形成が続いた.一方,湾口部の砂嘴は,その内部構造や貝化石の解析から,第2高海面期に南東へ向かう沿岸流によって成長を始め,約600年で湾口を封鎖したことがわかった.
著者
羽島 謙三
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科學 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.26, no.2, pp.85-88, 1972-03-25

1971年11月11日,川崎市生田緑地内で行なわれたローム丘陵地崩壊実験では,予期しない15人の犠牲者をだす事故となった.これについては一般ジャーナリズムは別としても,"そくほう"234号,"国土と教育"11号で詳細に紹介・報告された.これらに対して若干屋上屋を架する感じはするが,地質の面について多少の資料と観点を補う意味でのべておきたい.本稿は主として事故直後の観察によるもので,観察・資料の面で制約があり,細部の点で正確を期しがたかった面はあるが,現在,総理府委嘱の調査委員会によって調査が進められているので,それが公表された段階においてより明らかにされるであろう.
著者
松岡 喜久次 桑原 希世子
出版者
地学団体研究会
雑誌
地球科学 (ISSN:03666611)
巻号頁・発行日
vol.75, no.2, pp.119-124, 2021-04-25 (Released:2021-06-30)
参考文献数
28

The Capitanian (Permian) radiolarians were found from a siliceous tuff block within volcaniclastic rocks in the Sumaizuku Unit of the Northern Chichibu Belt in the Kanto Mountains. The Sumaizuku Unit is composed of chaotic rocks consisting of exotic blocks of chert and mafic rocks in Jurassic clastic matrix. The rocks of studied area consist of limestone-basalt conglomerate, lime-sandstone, volcaniclastic rocks and chert. The volcaniclastic rocks are composed of clasts of basalt lava and volcanic glass accompanied with clasts of limestone, siliceous tuff and fragment of plagioclase. The clasts of siliceous tuff containing radiolarian tests are angular pebble to boulder. The siliceous tuff is regarded as blocks which were mixed in volcaniclastic rocks by slumping. We consider that the volcaniclastic rocks deposited immediately after Capitanian age, and this deposition formed on the lower flank of a seamount.