- 著者
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根本 裕史
- 出版者
- 日本印度学仏教学会
- 雑誌
- 印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
- 巻号頁・発行日
- vol.56, no.3, pp.1168-1172, 2008-03-25
本稿は,ツォンカパ・ロサンタクパが中観帰謬派の時間論をどのように再解釈し,そこにいかなる独自性を見出そうとしたかを考察するものである.彼によると,帰謬派は未来,現在,過去の三つの時間をいずれも実在と見なしている.つまり,彼の理解する帰謬派説では,現在のみならず未来(事物の未生起状態)と過去(事物の消滅状態)もまた,原因によって生み出され,かつ,自身の結果を生み出しつつ消滅するというのである.こうした考えは毘婆沙師の三世実有説を連想させるものであるが,ツォンカパによると帰謬派の時間論は三世実有説とは相容れないものである.なぜなら,毘婆沙師は事物が三つの時間を通じて同一性を保ちつつ存続することを主張するのに対し,帰謬派は経量部等と同じ過未無体の立場を取っており,事物は現在にのみ存在すると主張するからである.さらにまた,未来と過去を実在と見なす帰謬派説は,それらを非実在と見なす経量部,唯識派,自立派の説と対照をなすものである.ツォンカパによれば後者の三学派は,事物が未だ生起していない時と既に消滅した時にいかなる実在も見出されないことを根拠に,未来と過去は非実在であると結論する.一方,「自性によって成立した物」を全く認めない帰謬派の立場においては,未来や過去として特徴づけられる実在が探し求められなくとも,それらを実在であると見なすことができる.すなわち,事物の未生起状態と消滅状態はいずれも原因によってもたらされるものであるゆえに,それらは実在に他ならないと結論されるのである.こうしたツォンカパの説明が如実に示すのは,一切法無自性の立場に立つ帰謬派だからこそ,未来と過去を実在と捉えることができるのだという事柄である.