著者
浦 和男
出版者
日本笑い学会
雑誌
笑い学研究 (ISSN:21894132)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.59-70, 2016 (Released:2016-12-20)

地域と笑いについて考える場合、江戸・東京、上方・大阪については、これまでに多くの議論がなされてきた。この二都以外でも、京都、名古屋、福岡は、地域の笑いの歴史を比較的容易に遡ることができ、その地域の笑いの文化や伝統が明らかになっている。残念ながら、これらの地域を除けば、地域の笑いについて、とりわけ史的側面が論じられることは極めて少ないのが現状である。日本の笑い=東京の笑いではない。各地域に独自の笑いの歴史がある。笑いが画一化、均質化する現在、地域の笑いの歴史を論じ、「笑いの風土」を明らかにすることは、自己アイデンティティーを再確認するきっかけにもなるはずである。本稿では、比較的史料が発見されている三重を事例に、文字史料を一瞥しながら笑いの歴史を探り、三重の「笑いの風土」の背景を論じる。古くは庶民層のみならず武士層でも笑いが珍重され、「笑門」の土地柄であることが明らかとなる。
著者
香取 久三子
出版者
日本笑い学会
雑誌
笑い学研究 (ISSN:21894132)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.133-140, 2002-07-27 (Released:2017-07-21)

私はこの論文で、江戸東京落語の主人公「八五郎・熊五郎」の名の由来や、キャラクターとしての系譜について考察した。「八五郎・熊五郎」の名が落語の人物の名として定着したのは明治後期だった。ではなぜ、それらの名が落語の人物の名に抜擢されたのか。名に使われる語に注目すると、「八」も「熊」も「五郎」も皆神性を帯びているとされる語である。そういった「神霊に近い」ことを示す名が笑話の主人公につけられるのは、日本宗教が笑いと密接な関係にあり、人々が神仏に親しみを感じていたことが大きな理由であろう。又、「八五郎」という名を持つ実在の人物の中には、身分の高い武士もいた。明治期の庶民は、彼らに対する皮肉の意味で、「八五郎」という名の人物の滑稽な言動を笑ったという説もある。何れにせよ、「八つぁん熊さん」は一般的イメージとは裏腹に複雑な背景を持っており、その「成り立ちの複雑さ」は彼らを息の長いキャラクターにした要因であると思う。
著者
山口 政信 佐野 百合子 浦 和雄
出版者
日本笑い学会
雑誌
笑い学研究
巻号頁・発行日
no.12, pp.133-135, 2005-07-23
被引用文献数
1
著者
小向 敦子
出版者
日本笑い学会
雑誌
笑い学研究
巻号頁・発行日
no.22, pp.103-115, 2015-08-01

「16歳未満者(の鑑賞)は制限されるべき」という意味で、映画のタイトルの横などに"R-16"(restricted under 16)と、表記されているのをご覧になったことがあるだろう。「未満」があるなら「以上」もあるのか。あるいは英語の16(six-teen)と60(sixty)は発音が似ていることから、R-60(還暦未満お断り)もありそうだが、その場合は、どのような内容を指すのだろう、と近頃考えていた。しかしこうして、要旨の文字の半数近くを、今回"R-65(シニア未満お断り)のユーモア"を取り上げた経緯を説明するためだけに、費やしてしまった。このまま終わっては「要旨」の覧に、いやらしく「告知」をしたことにもなりかねない。そうならないために、どうか皆様には、この続きを読み進めて頂きたい。本編では、シニアに特有の笑い(従来の定番)として、容姿・病症・物忘れ。笑うに笑えない笑い(危険ユーモア)として、駄洒落・下ネタ・皮肉。そして注目すべき上昇株として、言い間違い・聞き間違い・書き間違いの笑いについて、紹介しつつ探究している。
著者
浦 和男
出版者
日本笑い学会
雑誌
笑い学研究 (ISSN:21894132)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.60-73, 2014

明治時代に、科学的な「笑い学」が本格的に始まる。文明開化は、「笑い」の研究にも影響した。最初に「滑稽」を扱うのは、自由民権運動の雄弁書の訳者黒岩大と、その影響を受けた真宗の加藤恵証であった。本格的な「笑い学」は、土子金四郎に始まる。実業家の土子は「洒落」を日常言語として分析し、哲学者の井上円了は詩的言語として分析する。発笑理論の嚆矢は、哲学者大西祝による。英文学者で女子教育の先駆者の松浦政泰は、「滑稽」と「笑い」を区別して扱った。哲学者桑木厳翼は、「滑稽」の要素を「詭弁」にあるとして「滑稽の論理」を考えた。二番目の発笑理論は、大西祝の弟子と思われる、哲学者川田繁太郎による。作家夏目漱石は、文学者、作家の立場から「滑稽」の本性を論じた。それぞれ、欧米の理論を利用せず、日本的な「笑い」を踏まえた独自の説を構築している。本稿では、以上の「笑い」論を通時的に考察し、研究黎明期を考証する。
著者
戸板 律子
出版者
日本笑い学会
雑誌
笑い学研究
巻号頁・発行日
no.21, pp.19-31, 2014-08-02

ユーモア・シャンソンの歴史に大きな足跡を残した男声カルテット、レ・フレール・ジャック。歌にマイムを取り入れた表現を編み出し、高い完成度に到達した名人芸の笑いについて、36年間の芸歴の精髄といえる引退公演の演目から論じる。まず第1章でグループの経歴をみてから、第2章では引退公演の28曲を紹介しつつ、笑いだけではないテーマ、芝居・マイム・舞踏に渡る表現手法の幅広さを概観する。第3章では彼らの「笑い」を歌詞・マイム・音楽について順次検証する。まず歌詞に予め含まれている笑いについて整理する。次にマイムと音楽それぞれについて、歌詞で準備された笑いにどのように関与しているのか、また歌詞には書かれていない笑いがどのように付加されているのかを例示していく。それらをとおしてレ・フレール・ジャックだけが成し得た「名人芸」の核心を明らかにする。

1 0 0 0 OA 笑いと看護

著者
小林 廣美
出版者
日本笑い学会
雑誌
笑い学研究
巻号頁・発行日
no.20, pp.62-69, 2013-08-31

看護師の「笑い」の効用は、「患者さんを主役」にし、「あなたを受け入れます」につながる。つまり、「患者さんの主体性の発揮」と「その人が持っている可能性の発揮」につながる。患者さんの治癒過程の中で、患者さんの一番身近にいる「キーパーソン」である看護師が笑顔で対応するということで、他部門や保健・医療・福祉との人的環境の中で連携がスムーズになり、健康上の問題の解決につながりやすい。また、病気のために基本的ニーズが満たされなくなった時の援助は笑顔の看護師さんだと安心して頼むことができる。看護師は「笑い」の効用を認識し、看護の場面において、患者さんが笑える場の環境づくりも重要である。生命を脅かされている場面、苦痛が生じている場面、日常生活が自分でできない悲しさなど、患者さんが体験する場面を共有し、共に乗り越えていくその先には、患者さんの笑顔が見えるっその笑顔に会いたくて日々看護している。
著者
松村 雅史 辻村 肇
出版者
日本笑い学会
雑誌
笑い学研究
巻号頁・発行日
no.20, pp.55-61, 2013-08-31

本研究の目的は、能動的な笑いにより、介入前・後の嚥下時間間隔を評価することである。本研究では、先行研究で開発した嚥下回数自動検出システムを用いることにより無意識・無拘束にて、嚥下音を検出し嚥下時間間隔を計測した。対象者は、介護老人保健施設の入所者28名である。その結果、能動的な笑いにより、介入前より介入後の嚥下時間間隔が減少し、有意差が認められた。笑いの介入により嚥下機能が向上したことが示唆された。また、笑いの介入の実施後の感想から、「ぜひ行いたい」、「また行いたい」と回答した対象者が全体の約90%を占め、笑いの介入をまた体験したいという人が多いことが認められた。以上より、能動的な笑いにより、嚥下機能向上に効果的であったことが示唆された。
著者
浦 和男
出版者
日本笑い学会
雑誌
笑い学研究
巻号頁・発行日
no.20, pp.3-16, 2013-08-31

明治になり、日本に近代の文学が確立する時期に、文壇でいろいろな論争が起こった。そのひとつに、「滑稽文学の不在」論争がある。20年代末、「太陽」の編集をしていた若き高山樗牛が、すでに文豪として高名な坪内逍遥のエッセーに対して、そのユーモア観を批難し論争が始まる。その論争は、「ユーモアとは何か」から「滑稽文学の不在」論争となり、やがて「文学における滑稽の不在」が問われ、それが「笑わない国民」という点にまで達した。執拗な樗牛の批判に逍遥は無視を決めていたが、最後には樗牛は「笑殺」、逍遥は「笑倒」という語を使うまでになった。一年ほどで二人の論争は鎮まるが、論争は飛び火し、地方紙でも「滑稽の不在」に関する記事が掲載され、明治末年まで「笑いのない文学」が論じられた。本稿では、「日本人はユーモアがない、笑わない」という問題の起源ともなる、この論争を考証し、近代ユーモア史の一面を明らかにする。