著者
木村 裕二
出版者
聖学院大学
雑誌
聖学院大学論叢 = The journal of Seigakuin University (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.30, no.1, pp.83-100, 2017

貸金業者による保証を付した銀行カードローンの貸付けのあり方が問題とされ,銀行業界は自主規制に乗り出した。単に過剰な広告がなされていることが問題なのではない。与信残高の急激な伸長の内部には,実体的な消費需要を伴わない「返済のための借入れ」が多数含まれている。すなわち返済能力を超える過剰な貸付が,多重債務問題を再燃させかねない状況をもたらしている。早急な対応が必要である。
著者
柴田 武男
出版者
聖学院大学
雑誌
聖学院大学論叢 (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.43-50, 2013

貧困問題を論じる上で河上肇の『貧乏物語』は不可欠の文献であるが,解決策を「道徳論で贅沢を止めよ」としていることで批判を浴びた。しかし,彼の「貧乏線」は現在の貧困問題に繋がる業績でもあった。現在の貧困問題は,絶対的貧困ではないが奨学金返済問題にみられるように,本来若者を支援する制度が逆に将来不安を生じさせるという意味で平成の『貧乏物語』となっている。
著者
柴田 武男
出版者
聖学院大学
雑誌
聖学院大学論叢 (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.26, no.2, pp.201-210, 2014

貧困問題を奨学金返済問題から論じると,戦前の奨学金は育英を理念としながらもその実態は戦争遂行のための手段であった。戦後は育英も奨学も理念として無く,日本学生支援機構は修学のための学資金を貸与する金融機関となった。貧困と格差を解消する手段として無償の教育と給付制の奨学金が指摘されるが,教育の機会均等とは何か,なぜ必要なのか,それを未来への投資と経済概念で理解して良いのか疑問である。学ぶこと自体に社会が支える価値がある,という社会認識への根本的変革が必要であり,それなくしては,現代的貧困は理解できない。
著者
小林 茂之
出版者
聖学院大学
雑誌
聖学院大学論叢 (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.21, no.2, pp.237-248, 2009

古代日本語における主要部内在型関係節は,Kuroda(1974)や近藤(1981)によって統語論的観点から研究されてきた。黒田は,「の」が先頭位置を占めることに着目し,制約(the Pivot Initial Constraint) を提案した。これは,Kayne(1994)などの線状性に関する理論にとって興味深い問題であり,竹沢・Whitman(1998)は,Kayne の仮説に従って,日本語のDP 構造を分析している。当研究も,通時統語論的観点からこの仮説を検討する。近藤は,黒田より広い範囲の主要部内在型関係節を3タイプに分類した。本稿は,これらの一つから他の発達を構造の再分析を通した文法化として分析する。音韻的縮約は文法化を示す(Roberts and Roussou 2003)。本稿は,「の」の変化に伴うアクセントの縮約を指摘し,これが「の」の再分析を支持することを論じる。
著者
木村 裕二
出版者
聖学院大学
雑誌
聖学院大学論叢 = The journal of Seigakuin University (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.105-122, 2016

法務省は,2015 年3 月31 日,民法の改正案を国会へ提出した。その中に,次の2 つの規定が含まれている。(1)金銭の授受がなされる前は,借主は諾成的消費貸借契約を解除することできるが,貸主は損害賠償を請求できる。(2)借主は期限前に弁済することができるが,貸主は損害賠償を請求できる。これらの規定は「元本を期限まで利用する債務」「元本返済により失われた将来利息を補償する義務」を借主に負わせるものではないことを,論証する。また,元本返済により失われた将来利息を補償する義務を定めた当事者間の合意の効力を,利息制限法がどのように制限するかを検討する。 The Ministry of Justice submitted a bill to revise the Civil Code to the Diet on March 31, 2015. Two articles are included in this bill: (1) In a consensual contract for a consumption loan, the borrower may cancel the contract before any giving and receiving of money, provided that the lender may claim compensation for damages. (2) In a consumption loan, the borrower may return money prior to expiration of a term, provided the lender may claim compensation for damages. This paper aims to prove that the above-mentioned articles don't provide for either the borrower being able to take advantage of "the debt to use capital until a time limit" or claiming "the duty to compensate for future interest lost by capital return". In addition, this paper examines how the Interest Rate Restriction Act limit affects the agreement between parties which provide for the duty to compensate for future interest lost by capital return.
著者
K.O.アンダスン
出版者
聖学院大学
雑誌
聖学院大学論叢 (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.21, no.2, pp.1-19, 2009-03-31

詩人デーヴィッド・タッカー(David Tucker)は,ニュージャージー州のピューリッツァー賞を受賞したこともある朝刊紙『スター・レッジャー紙』に勤務する記者でもある。彼が詩人として発表した最初の詩集Late for Work には,「とりとめのない空想」や「夢想」,「無為の楽しみ」を主題とした複数の詩が収録されている。この詩集は,詩人フィリップ・レヴィン(Philip Levine)によって2005年度のキャサリン・ベイクレス・ネイソン詩作賞(the 2005 Katharine Bakeless Nason Prize for Poetry)の受賞作品に選ばれ,同賞はミドルベリー・カレッジ(Middlebury College)およびブレッド・ローフ作家会議(Bread Loaf Writers' Conference)によって授与された。本稿は,同詩集に収められた45編の詩の中から8作品を取り上げ,タッカーの詩における主題としての「静寂」と「静穏への細心の注意」に焦点をあて検討することを目的としている。そのうえで,「愛」,「死」,「家族」,「神」,その他多様な主題を扱うタッカーの詩について,新たな研究と解釈の視点と方法を提示する。
著者
松本 祐子
出版者
聖学院大学
雑誌
聖学院大学論叢 (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.11, no.4, pp.133-143, 1999-03-25

Ursula Le Guin's The Tombs of Atuan is full of sexual imagery. The half-ring hidden in Tenar's dark underground world like an enormous womb is connected with the other half brought from the outside by Ged, which suggests fertilization. The romance between Ged and Tenar, however, does not follow as expected. Since the Tombs of Atuan is one volume of the series whose hero is Ged, Tenar, as a minor character, seems to be left alone and driven away from the stage at the end of the story so that Ged may continue his heroic adventure. It is never the weakness of women, however, that Le Guin lays emphasis on. The extraordinary power which fills the underground world of "Nameless Ones" symbolizes the unlimited energy of the nameless women oppressed for generations. Tenar, who combines directly opposed images of "a captured lady" and "the monster Minotaur", has acquired authority by accepting the conventional system, but her way of life is thoroughly passive. Tenar, as Arha, "the Eaten One", is robbed of her true name and personality and forced to be ignorant in exchange for false authority; then her oppressed curiosity is released by Ged and, with this as a trigger, Arha's identity collapses and that of Tenar's is restored instead. Tenar is charmed with Ged's magic power which is obtained by knowing the true nature of things, but in Tehanu, the last volume of "The Earthsea Quartet", the fact is shown that the magi's power obtained by neglecting their own sex is not the one Tenar should aim for. Le Guin attempts to give a new definition of power, describing an ordinary woman who struggles to be a perfect woman and have power and responsibility at the same time. The Tombs of Atuan is the story of beginning in which Tenar begins to walk in order to get power as a woman by leaving another self who was the innocent and ignorant "vessel of evil".
著者
鈴木 真実哉
出版者
聖学院大学
雑誌
聖学院大学論叢 (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.20, no.2, pp.39-58, 2008-03-31

In practice and theory, French mercantilism had its own uniqueness which was different from one in any other European country. It has been altering with various prime ministers in France and their policies. Especially, Richelieu and Colbert mared French mercantilism.
著者
高橋 義文
出版者
聖学院大学
雑誌
聖学院大学総合研究所紀要 (ISSN:09178856)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.200-222, 2010-09-30
著者
田澤 薫
出版者
聖学院大学
雑誌
聖学院大学論叢 (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.15-28, 2013

保育所制度の変革が進んでいる。改革をめぐり措置制度と保育の公的責任の関連が論点の一つであるが,児童福祉法制定前後の経緯を繙くと,保育所保育が措置制度と結びついたのはSCAPIN775への対策に過ぎず,また保育所運営への公金支出が必ずしも保育の公的責任を意味したわけではないことが明らかになった。この点を踏まえれば,変革への賛否両論が保育所利用方法のシステム論に偏ることは本質を欠く。一方で保育の内容については,児童福祉法制定当初から「託児」ではない「保育」の模索が始まり今日までに相応の充実を見ている。保育責任をシステム論からではなく,乳幼児に対する保育内容保障の点からこそ論じる視点が求められる。
著者
豊川 慎
出版者
聖学院大学
巻号頁・発行日
2011

要旨(指導教員・大木英夫教授)
著者
村松 晋 ムラマツ ススム
出版者
聖学院大学
雑誌
聖学院大学論叢 (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.25, no.2, pp.182-161, 2013

本稿の対象は、昭和戦前期にカトリック思想家として存在感を放った吉満義彦である。その思想の構造と特質に関しては二〇一一年度に著した論考と、本年度末に公刊される新稿で明らかにした。本稿はそれらの考察を承け、吉満の思想の展開過程を扱ったものである。具体的には吉満の時代認識と、その認識に基づく〈実践〉のありようを解析した。前者については、「生命への渇望」をめぐる実存への理解、時代を席巻する「二十世紀の神話」への内在的批判、ならびにキリスト教信仰に根ざす同時代把握を指摘し、後者については、吉満の宗教的〈実践〉が持ち得た思想的かつ社会的な射程を説いた。
著者
若松 昭子
出版者
聖学院大学
雑誌
聖学院大学論叢 (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.26, no.2, pp.173-188, 2014

本研究では,ボーモン夫人の「美女と野獣」に描かれた読書の姿を通して,18世紀フランスの読書観の輪郭を探った。その結果,以下の事柄が明らかになった。ボーモン夫人は子どもたちに向けて創った教訓的物語のなかに,単純だが強力な読書啓発のメッセージを込めた。「美女と野獣」はその代表例であった。一方,彼女は書物を自分の体面保持に利用する人々や,有害な読書習慣が身に付いた小説読者を風刺的に描いた。それらの表現の中に,読書の理想形を子どもたちに示そうとしたボーモン夫人の意図を読み取ることができた。それは,新しい教育を模索する同時代の人々の読書観を代弁し牽引したものと思われる。
著者
山田 麻有美
出版者
聖学院大学
雑誌
聖学院大学論叢 (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.209-222, 2006-03-27

In the beginning of the 1900s, the Psychodrama, a sort of psychotherapeutic method for groups, was invented by J.L.Moreno. He was very charismatic and powerful. He trained his follower's. They performed the Psychodrama world-wide. Through they developed their own techniques and schools, they made little theoretical development. The Person-Centred Psychodrama is one of these schools of psychodrama. It is used mainly in the UK and has been gaining acceptance. The purpose of this essay is to point out differences between the Person-Centred Psychodrama and the Classical Psychodrama through a comparison of their techniques.
著者
若松 昭子
出版者
聖学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2004

アメリカの図書館学者ピアス・バトラーについての研究は、従来、シカゴ大学時代の彼の著作を中心に考察されてきた。本研究では、バトラーの書誌学者としての実践にも注目しその意義を考慮しつつ、彼の図書館学をメディア論の観点から再考した。バトラー図書館学の具体的・実証的な裏づけのために、シカゴ・ニューベリー図書館において彼が構築したインクナブラコレクションを分析した。その結果、バトラーが収集した当該館のインクナブラは、15世紀ヨーロッパにおける印刷術の出現と普及、ならびに近代的書物の形成過程を示す代表例であったことがわかった。即ち、バトラーは、15世紀後半のヨーロッパの様々な印刷所の代表的図書を集めるとともに、活字体の変遷を示す様々な活字の実例、あるいは標題紙、ページ付け、目次、索引などの印刷本特有の機能の発展段階を示す実例などを優先的に収集し、体系的コレクションを構築した。また、バトラーは印刷術発明と普及の影響を、書物形態の変化という分析書誌学的な興味からばかりではなく、多様な思想の表現、近代科学の発展、学術出版の広がり、著作者の権利意識の高揚、母国語出版物の普及による言語の標準化、等々の社会的・文化的な変化としてより広範な視野から捉えようとしたことがわかった。バトラーの図書館学の基礎にあるこの書物観は、20世紀後半のメディア論、つまり印刷術発明の社会的・文化的な影響を人間精神や社会構造の変化として解明しようとする視点と共通する。バトラーによる書物の社会史的な論考は、今日の研究と較べると論証性や実証性に不十分さが見られるものの、書物を社会史との関わりで捉え、印刷術の発明をメディアコミュニケーション革命として位置づけようとした今日のメディア研究と同様の視座を持つ、先駆的存在と位置づけることができる。