著者
鈴木 一馨
出版者
駒澤大学
雑誌
駒澤史学 (ISSN:04506928)
巻号頁・発行日
vol.51, pp.69-98, 1998-03
著者
大城 道則 トロイ サグリロ
出版者
駒澤大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2013-04-01

本研究は、古代エジプト史のなかで、特に曖昧な時期である第三中間期の第24王朝の社会状況を古代エジプト王バクエンレンエフ(ボッコリス)に属する数少ない文字史料・考古資料を通して明らかにすることを目指した。研究を進める過程で第三中間期を専門とするスウォンジー大学のサグリロ博士、エジプト探査協会のノウントン博士、ウィルソン博士を日本に招聘し、三度の研究発表会を開催した。今後、彼らと研究代表者が発表した内容をまとめて出版する計画を進めている。その一環として「タルクイニア出土のボッコリス王のファイアンス製壷―紀元前8世紀ににおける古代エジプトと地中海世界―」が『関大西洋史論叢』の最新号に掲載された。
著者
伊藤 隆寿 平井 俊榮
出版者
駒澤大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1996

中国隋代に三論教学を大成した嘉祥大師吉蔵(549-623)には、『法華玄論』『法華義疏』『法華統略』『法華遊意』『法華論疏』の5部の法華関係注釈書がある。これら法華関係注釈書の著述量は、彼の著作全体から見ても大きな割合いを占める。しかし、それらに対する文献学的研究は立ち遅れているのが現状であった。そこで吉蔵の法華経注釈書の定本作成を目的に研究申請した私どもは、今年度次のような研究を行なった。定本作成にあたり、私どもは時代の趨勢を鑑み、これまで活字化されていた吉蔵の法華経注釈書すべて(主として大正蔵経所収の文献)をOCRによってコンピュタ-入力することを企図した。その結果、学内の研究者や多数の大学院生の協力を得て、大部分その作業を終えることができた。これによって、「研究目的」に記した校訂本(定本)のCD-ROM化のための基盤は整えられたといえる。ただ、入力した原文に厳密な校訂を施した定本作成の作業までは終了するに至らなかった。東大寺図書館をはじめ各仏教系大学図書館より校訂に必要な写本や刊本はすでに入手してあるので、今後は精力的に校訂作業を継続する予定である。今年度のわれわれの研究により、博引旁証をもって知られる吉蔵の著作研究において、研究者はその引用経論の検索等に計り知れない便宜が与えられることは疑いなく、その点はあえてここで強調しておきたい。作成する定本は、活字化して公開するのが建前であるが、そのためにはさらに莫大な経費が必要であり、条件が整えば、国内外に向けてインターネット上でテキスト公開することも現在検討中である。
著者
西 修
出版者
駒澤大学
雑誌
政治学論集 (ISSN:02869888)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.83-112, 1976-08-15
著者
西 修
出版者
駒澤大学
雑誌
駒澤大學法學部研究紀要 (ISSN:03899896)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.111-143, 1979-03-30
著者
西 修
出版者
駒澤大学
雑誌
駒澤大學法學部研究紀要 (ISSN:03899896)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.77-101, 1982-03-30
著者
西 修
出版者
駒澤大学
雑誌
政治学論集 (ISSN:02869888)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.132-150, 1977-03-25
著者
西 修
出版者
駒澤大学
雑誌
政治学論集 (ISSN:02869888)
巻号頁・発行日
no.8, pp.p94-105, 1978-06
著者
西 修
出版者
駒澤大学
雑誌
駒澤大學法學部研究紀要 (ISSN:03899896)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.139-176, 1976-03-25
著者
西 修
出版者
駒澤大学
雑誌
政治学論集 (ISSN:02869888)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.138-163, 1978-02-10
著者
西 修
出版者
駒澤大学
雑誌
駒澤大學法學部研究紀要 (ISSN:03899896)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.140-176, 1978-03-30
著者
西 修
出版者
駒澤大学
雑誌
法学論集 (ISSN:04393287)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.157-172, 1978-03-30
著者
坂口 博規
出版者
駒澤大学
雑誌
駒沢短大国文 (ISSN:02866684)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.43-62, 2000-03
著者
金子 昇平
出版者
駒澤大学
雑誌
法学論集 (ISSN:04393287)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.121-143, 1977-12-20
著者
佐々木 真
出版者
駒澤大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

本研究の目的は、スペイン継承戦争中の主要な戦闘の分析を通じて、戦争における作戦指導がどのようになされたのかという点を、とりわけルイ14世と将軍たちが果たした役割を中心に解明することである。この目的達成のために、フランスと日本で関連する史資料を網羅的に調査・収集した。そこから得られた知見は、国王のイニシアチブの重要性と、新貴族(法服貴族)の台頭下で影響力が低下したとされてきた旧貴族(帯剣貴族)が、戦争や政治において重要な役割を果たしたことであった。この知見は、従来の絶対王政像に再修正をもたらすものである。
著者
菅谷 暁
出版者
駒澤大学
雑誌
論集 (ISSN:03899837)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.21-40, 1985-03
著者
清水 善和
出版者
駒澤大学
雑誌
駒澤地理 (ISSN:0454241X)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.17-68, 1994-03
被引用文献数
1

(1)小笠原諸島母島列島の主要5属島を対象に調査区(姪島:7ヵ所,妹島:8ヵ所,姉島:7ヵ所,平島:6ヵ所,向島:7ヵ所)を設け,100本法による植生調査を行った。これに母島本島南部丘陵地の既存の10調査区のデータをくわえて,属島部の植物相と植生の特徴について解析した。(2)属島部に記録のある高等植物は158種であり,母島本島の約2分の1,個々の属島では3分の1以下でしかない。母島本島中央部で優勢な湿性高木林や湿性型媛低木林の主要構成種や稀産随伴種を欠いていること,母島本島の二次林の優占種ムニンヒメツバキがないこと,ラン類やシダ植物が質・量ともに貧弱であること,帰化雑草類や帰化樹種の侵入が限られていることなどが特徴として挙げられる。(3)一方で,母島列島の乾性低木林にのみ現れる列島固有種ハハジマトベラは平島以外の各属島に分布し,同じくムニンクロキは小笠原群島中で向島だけにしか生育していない。また,現在野生化ヤギがいないために,父島列島ではほとんど壊滅状態のオオハマギキョウが各属島で群落を形成している。(4)属島部の自然植生を海岸植生(テリハボク・モモタマナ林,クサトベラ群落)と乾性低木林(シマシャリンバイ型低木林,シマイスノキ型低木林,タチテンノウメ型矮低木林)に区分し,シマシャリンバイ型低木林はさらに優占樹種の違いにより10の優勢林(シマシャリンバイ優勢林,アカテツ優勢林,アデク優勢林,モンテンボク優勢林,ムニンアオガンピ優勢林,ヤロード優勢林,オガサワラビロウ優勢林,テリハボク優勢林,オオバシロテツ優勢林,タコノキ優勢林)に細区分した。二次植生としてはリュウキュウマツ・モクマオウ林,アオノリュウゼツラン・サイザルアサ群落,オガサワラススキ・ハチジョウススキ群落の3型を区分した。以上の植生区分に従い,各島の植生図を作成した。(5)各島の植生の特徴は次の通り。姪島:低標高で丘陵状の地形のため全体に乾燥しており,シマシャリンバイ型低木林が広がる。岩場にはタチテンノウメ型矮低木林があり,アオノリュウゼツラン群落が目立つ。戦前の耕作地の周囲にはテリハボク防風林が残る。妹島:属島の中ではもっとも標高が高く,山頂付近には時々雲霧がかかる。シマシャリンバイ型低木林が広がり,岩場にはタチテンノウメ型綾低木林が現れる。主稜線部にはシマイスノキ型低木林も点在する。林床のシマオオタニワタリが目立つ。姉島:全体に平坦な島で,北端には海岸林がある。やや湿性な沢沿いの平坦地にはリュウキュウマツ・モクマオウ林が成立し,尾根筋の岩場にはサイザルアサ群落が目立つ。南部丘陵地にはシマシャリンバイ型低木林が分布する。平島:低平な小島で,テリハボク・モモタマナ海岸林(戦前の植林を含む)とモクマオウ林が広く分布している。シマシャリンバイ型低木林はわずかで,属島部で唯一のアカギ植栽樹がある。向島:属島部最大の島であり,上部丘陵地をハハジマトベラやムニンクロキのあるシマシャリンバイ型低木林が覆う。オガサワラビロウが目立ち,ノヤシの個体も多い。二次植生としてモクマオウ林が見られる。(6)母島本島南部丘陵地と属島部の植生は,その組成・構造からみて共通の乾性低木林(とくにシマシャリンバイ型低木林とシマイスノキ型低木林)で特徴づけられる。両地域は最終氷河期の海水面低下時(100m以上)には地続きであったと考えられ,その植生は一体のものとしてとらえることができる。(7)属島部のシマイスノキ型低木林は,過去により広い分布をもち組成も多様であったが,その後の長期的な乾燥傾向(数万年〜数十万年オーダー)のなかで衰退し,より耐乾性のあるシマシャリンバイ型低木林に置き替わりつつあることを論じた。(8)戦前の人為の影響として,農耕地の開拓や家畜の放牧,野生化家畜類による食害,軍隊の活動などが知られているが,いずれも一時的なものであった。戦後は無人島となって人為の影響から解放されたので,属島部の乾性低木林は本来の姿に近い状態をとどめている。また,ここは小笠原諸島全体の植生の成立過程を考える上でも重要な内容を含んでいるので,このまま人手を加えず自然の推移にまかせるのが望ましい。