著者
シンジルト
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.76, no.4, pp.439-462, 2012-03-31 (Released:2017-04-17)
被引用文献数
1

他のチベット仏教系の牧畜地域と同様に、河南蒙旗でも、ある家畜個体を屠らず売らず、その命を自由にするツェタル実践がみられる。ツェタル実践の動機は多様であるが、そのほとんどは、牧畜民と家畜個体との間に共有される日常的な喜怒哀楽に基づく経験である。家畜の種を問わず、原理的にあらゆる個体がツェタルの対象になりうる。この実践は、仏教の教義に基づく放生や功徳を目的としたものだとする説明もありえよう。だが河南蒙旗におけるツェタル実践をみる限りこうした説明に還元できない、特定の個人と特定の家畜との特定の出来事を契機に結ばれる固有の関係が確認される。こうした関係は、ツェタル家畜の個体を人と神の関係を表す象徴的存在だとする見方、個体を分類体系の種的範疇の延長や限界だとする見方では、捉えきれない。むしろ、人間個人と家畜個体との固有の関係が、ツェタル実践のそのものであると捉えるべきである。一方で、ツェタル家畜は、そうした関係のインデクスとして働き、自らの外見や経験をもって、自分と特定の人間との関係を結ぶ当事者となり、個体性を獲得する。他方、人間がツェタルに選ばれる家畜に言及する際に用いる有力な表現の一つは、絶対的幸運を意味するヤンである。ツェタルすることで、人間も家畜もヤンを高めることができるという。これがツェタル実践の論理となる。ヤンは、人間や家畜に限らず万物の中に遍在し、一般性をもつ。他方、ヤンは種の範疇を素通りし、万物の個体の中へ内在して、具体性ももつ。ヤンの具体性が人間と家畜の固有の関係の反映であり、ヤンの一般性はそうした固有の関係を屠らず売らないという行為と結合させ、ツェタルという名の実践を形成維持していく。この実践において、人間と家畜の固有の関係がヤンによって形象化されると同時に、ヤンの循環によって、家畜同士、人間と家畜の間に連続性が打ちたてられる。

5 0 0 0 OA 共生の実際

著者
シンジルト
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.81, no.3, pp.466-484, 2016 (Released:2018-02-23)
参考文献数
43

中国西部の内モンゴル自治区アラシャ地域では、モンゴル族と漢族は大きな葛藤もなく共に暮らし、一種の民族共生を実現している。それが可能になった理由としてまず考えられるのが、乾親という擬制親族関係である。アラシャの乾親関係は民族内部だけではなく、異なる民族間で結ばれることが期待される。多くの研究者は、民族間の乾親は民族境界を消失させ、民族共存を可能にする制度だと理解する。だが、その内部を吟味すると、民族間の乾親関係の締結はむしろ民族境界の存在を前提とし、締結によって民族境界が強化されることに気づく。 乾親は、血縁関係のない他親族集団に子どもを帰属させれば、自親族集団に降りかかった不幸から子どもが守られるという論理に基づく実践である。乾親実践において、血縁は自他集団を境界づけており、血縁を基盤におく境界を越えること、積極的な自己の他者化が重要視されている。自己の他者化は民族間の乾親でもみられた。漢人にとって、モンゴル人は自分と血縁関係がなく、文化的にも接点がない。その他者性故に、モンゴル人は漢人から乾親になることが期待される。しかし、他者性を欲する乾親実践には、民族境界の消失を前提とする民族の共生は期待できない。 民族の共生を考える上で重要なのは、モンゴル人にとって乾親は必ずしも魅力的ではないものの、それでも乾親関係の締結を望む漢人の要請を断れず受け入れる点である。彼らの認識では、万物に絶対的な幸運であるケシゲは遍在しながら増減もする。ケシゲを増やすべく、他者に対する否定的な言動は「エブグイ(不和)」と理解されやすい。エブグイを回避すべく、他者の要請をなるべく拒絶しないように配慮する。配慮の結果、漢人側の要請を受け入れる。この配慮は彼らの論理の産物だが、その論理に必ずしも共感しない漢人からは、「寛容」だと評価される。この寛容さこそ、乾親関係を超えたところに、共生という効果を生み出す。これが一地域社会における共生の実際である。
著者
シンジルト
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

毎年夏至の日に、中国南西部の広西チワン自治区玉林市において開かれる犬肉祭は、しばしば動物(犬)の生きる権利(狗権)を優先すべきか、それとも人間の動物の肉を食する権利(人権)を優先すべきかをめぐる議論の絶好の材料として位置付けられてきた。そこで、犬や犬肉そして犬肉祭は、副次的なものあるいは一種の結果としてしか理解されてこなかった。本発表では、犬肉や犬肉祭を主役に位置付け、ほかならぬ犬という非人間との関係において、人間の本来あるべき姿をめぐる議論が、いかに、俎上に載せられているかを、民族誌的な情報をもとに考察していきたい。
著者
シンジルト シンジルト
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

多民族多宗教が共在する中国西部牧畜地域には多様な屠畜規範があったが、こうした「在来の屠畜規範」を凌ぐものとして、今、動物福祉という思想に基づく「新しい屠畜規範」が導入されている。「新しい屠畜規範」の導入が、「人と動物」及び「人と人」の関係の在り方に何をもたらそうとしているのか。動物福祉という思想が誕生した政治的歴史的な背景、西部牧畜地域のおかれた社会的文化的な状況を射程にいれながら考察したい。
著者
シンジルト
出版者
熊本大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

新疆モンゴル牧畜地域には、特定の家畜を売らず屠らずその命を自由にするセテルという慣習がある。セテル家畜の扱い方に関する人々の解釈はその世代や地域によって異なるが、全体としてはセテルを行うのがよいとされる。動植物を含む万物の中に幸運を意味するケシゲという存在があり、セテルを行えばケシゲが集まるという認識こそ、彼らの自然認識の基礎を成す。この認識の特徴は幸福を追求することにある。そこで、幸福は人間だけでは達成しえないことが分かる。
著者
山根 聡 長縄 宣博 王 柯 岡 奈津子 古谷 大輔 山口 昭彦 大石 高志 シンジルト 吉村 貴之 小松 久恵
出版者
大阪大学
雑誌
新学術領域研究(研究領域提案型)
巻号頁・発行日
2008

本研究課題では、地域大国の比較研究を中心軸に捉えつつ、異なるディシプリンながらも、地域大国の周縁的存在を研究する点で一致する研究者によって、地域大国のマイノリティとしてのムスリム、移住者、特定の一族など、周縁に置かれるがゆえに中心(大国)を意識する事例を取り上げた。この中で国際シンポジウム主催を1回、共催を2回行った。また国際会議を3回、研究会を25回以上開催し、この期間内に発表した論文も60点を超えた。2013年度には成果を公刊する予定であり、異なる地域を研究対象とする研究者の交流が、研究分野での未開拓分野を明らかにし、今後の研究の深化に大きく貢献することができた。