著者
河本 雄介 中島 直人
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.48, no.3, pp.501-506, 2013-10-25 (Released:2013-10-25)
参考文献数
12
被引用文献数
1

現在既存のストックを有効活用する都市計画が必要視され、建築のリノベーションにはじまり、広場や道路等公共空間の質的向上の動きが広まりつつある。しかし、広場に関してはその利用実態や個々の状況が把握されておらず 、まちづくりにおいて個々の空間に適した活用ができないという問題が指摘されている。これに対し、本研究では都市計画史の観点から都市広場の特徴、特に空間特性と計画理念についてその創出経緯や現代的意義も含めて明らかにした。対象は、戦災復興都市計画事業以降、1969年に都市再開発法が制定され、民間による積極的な都市再開発事業が普及するまでの間の期間を『再開発制度形成期』とし、この期間の都市広場を対象とした。本研究から 1)再開発制度形成期における広場の空間的特徴として、路線型広場、中庭型広場、屋上広場の3つの空間構成に分けられること 2)形成された広場はある程度閉鎖性が確保された空間であること 3)これらの広場はある特定の対象に向けたものではなく、多くの市民や訪問者が訪れることを踏まえた歩車分離計画の中で、歩行者ネットワークにおける拠点として設けられた都市的広場であったこと を明らかにした。
著者
中島 直人
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.42.3, pp.403-408, 2007-10-25 (Released:2017-02-01)
参考文献数
25

本論文は石川栄耀による都市計画の基盤理論の探求の特徴を把握することを目的としている。石川の主著書である『都市計画及び国土計画』は1941年に初版が出版された後、1951年に改定版、1954年に新訂版が出版された。先ず、初版出版に至るまでの過程の分析により、石川が都市計画の基盤理論構築のための都市学の確立を強く望んでいたことが明らかになった。石川は『都市計画及び国土計画』では、独自の基盤理論である「都市構成の理論」で都市計画を体系化してみせたのである。また、2度の改訂内容の分析からは、石川が「生態都市計画」と呼んだ新しい都市計画の姿を目指して、「都市構成の理論」に都市動態の理論を組み込もうとしていたことが明らかになった。こうした都市計画の基盤理論を探求する姿勢は、石川の同時代の誰よりも先進的であり、かつ現代的意義も有している。
著者
西川 亮 中島 直人 中林 浩 西村 幸夫
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.52, no.3, pp.365-372, 2017-10-25 (Released:2017-10-25)
参考文献数
28

本研究は西山夘三の観光計画論を明らかにするものである。具体的には、1) 西山の観光論を西山の意識の変化と共に詳細に捉えること、2) 計画者としての立場から見た西山の計画論を明らかにすること、3) 西山の関わった計画を通じて理論と計画の関係性を見ることである。戦前から西山夘三はレクリエーションの延長として観光に関心を寄せていたが、戦災復興期は、観光施設の建設による観光地整備を考えており、それは建築家としての一面を示すものであった。しかし、戦災復興期から高度経済成長期に移行し国民の消費を促す観光開発による自然破壊が目立つようになると、生活リズムを高めるための観光を主張し、国土スケールで観光資源の保存と開発を両立する計画論を提示するようになっていく。その理論を計画に適用させたのが京都計画や奈良計画等の構想計画であった。西山の、生活リズムを高めるものとして観光を捉える視点は、現代において1)地域が観光客から得る利益だけでなく、観光客が地域から得る利益を考える視点、2) レクリエーションと観光の総合的な空間計画の必要性、3) 適正な観光地創出に行政関与の必要性を提起する。
著者
中島 直人 関谷 進吾
出版者
日本建築学会
雑誌
日本建築学会計画系論文集 (ISSN:13404210)
巻号頁・発行日
vol.81, no.725, pp.1549-1559, 2016
被引用文献数
4

Recently, reinvention of public spaces is receiving academic and practical attentions. The purpose of this paper is to make clear theplanning process of "pedestrian plaza" in Times Square as a result of collaborative efforts by Times Square Alliance, NYC-DOT andother professional organizations. The following four facts are pointed out and discussed as lessons from the process: 1) continuousinitiative by TSA as an area management organization, 2) supports from the professional sector, in particular, non-profitorganizations for remaking the public realm, 3) leaderships by the mayor and the commissioner, 4) connection between localpedestrianization and transformation of the city's structure.
著者
中島 直人
出版者
Architectural Institute of Japan
雑誌
日本建築学会計画系論文集 (ISSN:13404210)
巻号頁・発行日
vol.78, no.688, pp.1301-1310, 2013
被引用文献数
1

Recently, many buildings which were constructed in the first stage of redevelopment project are under consideration of "re-redevelopment", however without evaluation of their historic values. The purpose of this study is to clarify the historic value of the Fujisawa Ekimae Nambu Redevelopment Block. As a result, the following contributions to the development of planning are identified; 1) this project was a part of pioneering city-wide comprehensive survey and master plan, 2) patio style brock was realized by the combination of infrastructure planning and urban design, 3)three jointly-owned buildings were coordinately-constructed under the initiatives of the local government and the owners.
著者
中島 直人
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.46, no.3, pp.283-288, 2011-10-25 (Released:2011-11-01)
参考文献数
15

本研究の目的は、根岸情治の履歴と業績を明らかにすることを通して、「都市計画事業家」の実質的内容について考察を行うことである。根岸は幾つかの区画整理事業の現場を渡り歩きながら、区画整理実務を身につけ、キャリアを形成していったが、その仕事内容は単なる事務仕事に留まらず、各種の折衝、啓蒙宣伝、事業後の宅地の販売促進までを含む広いもので、創造性や根岸の人格が反映されたものであった。池袋駅東口地下街の建設においても、都市計画事業の民間代行による地下街建設という新しい試みに際し、事業の進展に応じて、政治的活動を含む柔軟な活動を展開した。こうした姿から浮かび上がる「都市計画事業家」の存在は、公的セクターによる強力な土地利用規制ではなく、民間の地権者の協同による事業に支えられた我が国の都市計画の特質と深く関係している。
著者
中島 直人 西村 幸夫
出版者
日本建築学会
雑誌
日本建築学会計画系論文集 (ISSN:13404210)
巻号頁・発行日
vol.67, no.557, pp.241-248, 2002
参考文献数
48
被引用文献数
3

In the first half of 1930's, the Society of Civic Art made the epochal proposals to establish the municipal art commission in Tokyo. This paper is to review the process of making the first proposal (1930) and the second proposal (1934). Specifically, this paper is to focus on : 1)contacts with art commissions of cities in the United States and their direct influence, and 2)changes of relation between the Society of Civic Art and Tokyo City Government under the movement, which motivated by Tokyo City Government in this period, for realization of Tokyo metropolitan system.