著者
山口 二郎 中村 研一 宮脇 淳 宮本 太郎 遠藤 乾 新川 敏光
出版者
北海道大学
雑誌
学術創成研究費
巻号頁・発行日
2002

この研究では、1990年代後半から21世紀にかけて急速に進んだグローバル化による福祉国家の解体現象と、これに対する平等概念を基調とした対抗策について、考察した。まず、21世紀初頭に起こった日本的福祉国家の崩壊現象について、「リスクの社会化、個人化」と「普遍的政策、裁量的政策」という2つの軸を組み合わせることで、体系的な説明のモデルを作った。戦後日本では、補助金、護送船団方式など、裁量的政策によりリスクの社会化が図られており、そのことが結果的に疑似福祉国家的効果をもたらした。しかし、市場原理の浸透や透明性を求める市民社会の要求の中で裁量的政策と不可分に結びついていたリスクの社会化の政策まで否定され、新自由主義的構造改革が優勢となったと説明される。また、西欧において福祉国家のモデルが、90年代から21世紀にかけていかに変容、再生したかを比較の観点から考察し、日本に対する教訓を明らかにした。特に、イギリス、スウェーデンなどにおける社会的包摂(social inclusion)の概念を分析し、グローバル化時代における社会的排除(social exclusion)の弊害を明らかにすると共に、社会的包摂を実現するための政策の枠組みやこれを実施する主体について考察した。さらに、格差社会の到来という現状において、市民が政治や政策に何を期待するかについて、東京と北海道において大規模な意識調査を行なった。その結果、平等や公共サービスに関して、多少の地域差はあるものの、市民は格差の小さい社会を望み、充実した公共サービスを望んでいることが明らかとなった。この知見は、これからの福祉国家再生策の重要な基盤となる。
著者
中村 研一
出版者
日本比較政治学会
雑誌
日本比較政治学会年報 (ISSN:21852626)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.131-152, 2007-06-30 (Released:2010-09-09)
参考文献数
37

テロリズムは暴力の一種であり, 他の暴力と同様, 人々を殺傷し, 関心の焦点となり, 激しい感情を呼び起こす。また政治学の観点からは, テロリズムは, 政治変化を起こそうとする政治的行為であり, 同時に, 政治的なものを攻撃する反政治的手法である。こうしたテロリズムを認識するとき, 攻撃者の政治的狙いと反政治的手法を切り離して論じることに意味はない。そこで小論はつぎの5点を論じる。 (1) テロリズムを定義することの困難さがテロリズムの特質を反映している。 (2) テロリズムを人間類型ないし思想として定義することは不適切であり, それを「見せる効果のための暴力」と定義する。 (3) テロリズムをコントロール不能に導く《文法》として, 「見せる効果の極大化」「 (攻撃者と犠牲者との間の) 意図上の非対称性志向」を取り出す。 (4) テロリズムに伴う反道義的アナキー的行動様式は, 二つの《文法》から導かれる。 (5) 暴力の方向とコミュニケーションの方向を分裂させるテロリズムの特徴が, 見る人々の間に同様の連鎖反応を引き起こすとき, 政治空間が解体する。
著者
中村 研一
出版者
社団法人情報科学技術協会
雑誌
情報の科学と技術 (ISSN:09133801)
巻号頁・発行日
vol.63, no.6, pp.241-250, 2013-06-01

建築家として設計した3つの図書館(フランス国立図書館,慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスメディアセンター,西町インターナショナルスクール八城メディアセンター)での経験から,図書館を設計するプロセスについて主に西町での経験を説明している。どのような図書館を目指すかというヴィジョンを建築家とクライアントが共有するために,図書館建築の歴史を知の体系のメタファーという観点から概観し,マニエリスム期のミケランジェロから現代のコールハースまでの代表的な図書館の特徴を説明して,フランス国立図書館コンペやせんだいメディアテークコンペがその後の図書館建築に与えた影響を考察して,図書館の未来の姿を考察する。
著者
中村 研一 本田 宏 清水 敏行 佐々木 隆生 遠藤 乾 松浦 正孝 川島 真 宮脇 淳
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2002

本研究は、地球市民社会に関する共同研究である。研究の実施過程で、ロンドン大、ケンブリッジ大、ダッカ大、韓国高麗大など各国研究者と研究打合せを実施し、地球市民社会に関する理論枠組をテーマとした研究会を行った。また、地球市民社会研究の基本資料として、市民社会、地球市民社会の二次文献を体系的に収集した。近代史を顧みると、政治的意志を持ち、それを表現する市民/個人、およびそのネットワークと運動体は、国家や地域、そしてそれらの境界を超えた国際的な舞台においても、政治的変革と規範形成の役割を果たしてきた。さらに民主主義が普遍化した今日、市民/個人は、国家や自治体においてのみならず、世界においても、決定的な重要性をもつものである。なぜなら、およそ人間行動に必要とされる統一的な決定や価値配分を正統化しうる主体は、市民あるいは個人の集合としての民衆以外にはないからである。ただし、一九七〇年代頃までは、世界政治は国家政府機構を主体とし、世界経済は営利企業が支配してきた。しかるにこうした趨勢は、二〇世紀末の世界において転換を示し、非国家組織(NGO)および市民運動・社会運動が、政府組織、営利企業に対比し、「第三の力」(アン・フロリーニ)と呼ばれている。さらには、世界政治において、国家アクターからNGOへの「パワーシフトが生じている」(ジェシカ・マシューズ)という大胆な議論まで、現れるにいたった。もはや地球市民社会が無視し得ないことは明瞭である。二一世紀初頭の世界において、市民とその地球的ネットワークが、現実政治のなかでどれほど政治的役割を果たしているのか。また、どれほどの政治的役割を担うことが可能であるのか。さらにどこまで、どのような役割を演じるのが適切なのであろうか。これらの問いに答えることが、本研究の課題となった。また本研究では、韓国、台湾、バングラデシュ、日本など、アジアにおける市民とNGOの考察が、重要な一本の柱となっている。市民という概念が生まれ、また地球市民社会が最初に興隆した西欧と対比して、アジアの政治経済風土においては、市民や個人、そしてNGOの果たす役割は、どこまで類似し、どのように異なっているのであろうか。このような課題に取り組んだ成果の一部である論文と収集資料のリストを報告書にまとめた。