- 著者
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本田 宏
- 出版者
- 環境社会学会
- 雑誌
- 環境社会学研究
- 巻号頁・発行日
- no.8, pp.105-119, 2002-10-31
本稿では,ドイツの原子力政治過程の諸段階を再構成し,運動の挑戦と脱原子力政策とを結ぶ政治過程の軌跡と力学を検討する。主な分析枠組みとなるのは,特定政策領域を長期的な時間枠で包括的に再構成し,そこでの政策転換の契機を捉えるのに有効な,アドヴォカシー連合論である。結論として,ドイツでは1975年のヴィール原発予定地占拠を機に反原発の社会的連合の全国的形成が始まった。その過程で開放的な政治制度の効果が表面化し,また当時の連邦政府与党,社会民主党(SPD)の一部が原子力批判派に加わり,原発発注を凍結に導いた。しかし第二次石油危機後,原子力推進派は巻き返しに転じ,一時的な原発認可再開に成功した。これに対し,脱原子力の連合は対案形成活動,緑の党の結成,さらに緑の党とSPDの連合政治を通じて対抗力を養った。加えて,活発な抗議運動の存在や,原発事故のような促進的事件の頻発により,保守政権下でも原子力推進政策はむしろ緩慢な縮小過程をたどったと言える。