著者
五十嵐 博之
出版者
耳鼻と臨床会
雑誌
耳鼻と臨床 (ISSN:04477227)
巻号頁・発行日
vol.45, no.2, pp.117-120, 1999-03-20 (Released:2013-05-10)
参考文献数
9

人体は刺激因子に対して生物学的に最も合理的かつ合目的な生物学的二進法によって、自動適応機構が構成され、これによって人体の適応は最も都合よく営まれている。自動適応機構は、内分泌系と交感副交感の二神経の拮抗関係による二進法によって調節機構の基幹をなす自律神経とからなる。調節機構における内分泌系と自律神経との関係は不可分の関係にある。自律神経のレベルの変化は、白血球 (顆粒球、リンパ球) の分布を決定しており、逆に感染症は直接いずれかの白血球を活性化し、自律神経のレベルを決定している1), 2), 5)。
著者
李 娥英 冨士田 裕子 五十嵐 博
出版者
植生学会
雑誌
植生学会誌 (ISSN:13422448)
巻号頁・発行日
vol.33, no.2, pp.65-80, 2016 (Released:2016-12-25)
参考文献数
47

湿地生態系における生物多様性は,湿地周辺での農業活動や都市化のような様々な人為攪乱によって脅かされている.湿地の農地開発前後の植物相調査データを比較することにより,湿地の荒廃に伴う植物相の変化の特徴を明らかにすることを本研究の目的とし,北海道南部の静狩湿原で植物相調査を実施し,植物リストを作成した.リストでは,さらに開発以前に実施された植物リストと我々が作成した植物リストに出現する植物種を,湿地性在来植物種/非湿地性在来植物種/湿地性外来植物種/非湿地性外来植物種の4つの属性に区分し,絶滅危惧植物種と準絶滅危惧植物種も区別した.開発以前の植物リストと比較したところ,開発以後の方が維管束植物種の全体種数は増加していた.その内訳をみると,湿地性在来植物種の出現数は減少し,一方,非湿地性在来植物種,湿地性外来植物種,非湿地性外来植物種は増加していた.次に,開発以前の植物リスト,開発以後の残存湿原部植物リスト,湿原周辺部(湿原を道路,排水路,植林地に変えたところ)植物リストごとに,科別,属性別の種数を算出した.開発以後に残存湿原部で顕著に減少したのは,カヤツリグサ科とイグサ科の湿地性在来植物種であった.残存湿原部で多くのカヤツリグサ科とイグサ科の湿地性在来植物種が消失していたことから,これらの植物種は人為撹乱に敏感であり,生態的耐性が低いことが示唆された.一方,湿原周辺部では,キク科,イネ科,バラ科の湿地性在来植物種以外の属性の植物種が多く出現した.特に,湿原周辺部で新たに出現したキク科とイネ科の植物種は,人為撹乱に対して強い耐性を持ち,湿原域へ侵入しやすいことが示唆された.また,湿原面積の減少は希少植物種の消失につながることが示唆された.
著者
高橋 康幸 五十嵐 博 平野 邦弘 河原田 泰尋 五十嵐 均 村瀬 研也 望月 輝一
出版者
公益社団法人 日本放射線技術学会
雑誌
日本放射線技術学会雑誌 (ISSN:03694305)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.335-340, 2007-03-20 (Released:2007-04-05)
参考文献数
9

An amendment concerning the enforcement of the law on the prevention of radiation hazards due to radioisotopes, etc., and the medical service law enforcement regulations were promulgated on June 1, 2005. This amendment concerned international basic safety standards and the sealing of radiation sources. Sealed radiation sources ≤3.7 MBq, which had been excluded from regulation, were newly included as an object of regulation. Investigation of the SPECT system instituted in hospitals indicated that almost all institutions adhere to the new amendment, and the calibration source, the checking source, etc., corresponding to this amendment were maintained appropriately. Any institutions planning to return sealed radioisotopes should refer to this report.
著者
中田 力 西澤 正豊 藤井 幸彦 五十嵐 博中 ヒューバー ビンセント 辻田 実加 鈴木 清隆 柿田 明美
出版者
新潟大学
雑誌
基盤研究(S)
巻号頁・発行日
2009-05-11

本研究は世界の研究者が過去30年間以上失敗し続けてきたリガンド型MRI分子イメージングの開発を行う極めて挑戦的なプロジェクトであった。その宣言通り期間内で不可能と思われていた夢の画像法開発に成功し、研究代表者によりJJ Vicinal Coupling Proton Exchange(JJVCPE)と名付けられた。具体的には、H2O17を用いた水分子と、O17-PiBを用いたアミロイド分子イメージングが施行され、アクアポリン4を介したVirchow-Robin腔の間質流がβ-amyloidのクリアランスに必須でありその機能不全がAlzheimer病の発症機序に強く関連していることを突き止めた。
著者
五十嵐 博和
出版者
北関東医学会
雑誌
北関東医学 (ISSN:00231908)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.99-150, 1968

群馬県一農村における第1次の腰痛アンケート調査によりみいだした腰痛者約600名より腰痛現症・既往の者男女計274名を抽出して, 腰痛による労働日数の損失及び腰痛時における支障の程度を観察し, 腰部X線所見と対比した.これらの結果より腰痛の程度及びそのdisabilityを判定評価した.<BR>1) 腰痛の持続日数は男女とも約5分の4は1週間以内である.1ヵ月以上常時と称するものは男女の約3分の1にみられる.<BR>2) 年間の腰痛日数は通算1週間以内は男女23.0%24.0%で, 4ヵ月以上年間におよぶもの男45.2%, 女35.3%で男に多い.<BR>3) 腰痛に関連した日常生活における支障の程度は年令とともに高度となる傾向がある.腰痛者の60才以上は男の歩行, 女の歩行と草むしりに支障の程度がより高い.一般に疹痛の大なるものほど日常生活におけるdisabjlityは高度である.<BR>4) 腰痛者の約60%は医療をうけていない.そのうち約半数は自宅療法をおこなっているが, 残りの半数は全然放置している.<BR>5) 受診者27A名のX線所見は変形性関節症男55.8%, 女3&2%でもっとも多く, 次いで骨粗癒症男19.2%女265%である.椎間板に異常のあるもの男6.7%, 女7.6%, またX線所見のないものは男17.3%, 女29.4%である.<BR>6) 労働年数が多くなるに従って変形性関節症が高度となるが, 年令因子を除外出来ない.<BR>7) 高令者ほど骨に所見を有するものが多い.男女とも若年者に骨に所見がなくともdjsabilityの高度なものがある.変形性関節症と骨粗霧症の病変度とdisabilityは必ずしも平行しない, 比較的若年に骨粗霧症の所見を有するものはdisabilityは高度になる傾向にある.女の50代は骨の所見の有無にかかわらずdisabiIityは比較的高度である.<BR>8) 一般に骨に所見のある場合の方が障害を訴えるものが多い傾向にある.但し高度の障害のあるものが必ずしも骨の所見の有無とは関係がない.<BR>以上のことより本調査地区における農村住民の腰痛症は日常生活の障害の大きいものに, むしろ骨所見がみられず, 労働過重によっておこるいわゆる腰痛症が多いように考えられ, また労働過重によって骨の老化を早めているようにも推測される.また, 老人へと職域の拡大に伴って, 生理的現象に労働が拍車をかけることにより病変が進行する変形性関節症及び骨粗霧症が多いこと, さらに, 女の50代に腰痛愁訴が少なくない.これらのことより今後さらに労働条件, 食生活心理学上及び社会的機構からも, その要因を追究分析して, これを排除し, 農村の近代化とあいまって農村衛生の保全に尽すべきであろう.<BR>群馬県一農村で昭和39年5月の腰痛調査で発見した腰痛現症者, 既往者約600名より男91名女162名計253名を抽出して, 轡部, 大腿部後面, 足背部のいつれも両側の皮膚温を測定し, また右足関節部までを4℃の水に30秒浸し, 後にその皮膚温が1℃上昇に要する時間を計測して, 腰痛の有無, 冷えの有無との関連において, 以下の2.3の知見をえた.<BR>1 轡部, 大腿部後面, 足背部のいつれも両側皮膚温は50才頃より男女とも年令とともに上昇する傾向にある.<BR>2寒冷負荷に対する回復時間は男女とも年令とともに延長する傾向にある, 男がより著明である.<BR>3腰痛現症者は圧痛点, 筋硬結, 脊椎打痛, ラセーグ等の他覚症状の多いものほど男女とも回復時間は延長する傾向にある.<BR>4自覚的冷えを訴えるものは女の比較的若い年令層に多い.<BR>5 男女とも冷えを訴える群は然らざる群よりも腰痛者が多い.<BR>6 男女とも30才から59才までの冷えを訴える群では, 腰痛者の皮膚温は両側青部で腰痛のないものより0.1℃から0。4℃低下している。<BR>以上のことより群馬県西部における一農村住民の腰痛症には寒冷曝露とは無関係ではなく, 男女とも中年層に寒冷によって腰痛が誘発される傾向が窺われた.また女の50・40代に自覚的冷えの訴えが多い事実より今後女の冷え症及び婦人科的原因による腰痛を疫学的に解明する必要がある.
著者
五十嵐 博
出版者
東海大学海洋学部
雑誌
海-自然と文化 = Journal of the School of Marine Science and Technology : 東海大学紀要海洋学部 (ISSN:13487620)
巻号頁・発行日
vol.6, no.3, pp.39-54, 2008

本稿は, メルヴィルの第3作『マーディ』の構成, プロット, および登場人物たちを分析し, 作品に宿されている寓意的・象徴的意味を解明しようとするものである.プロットは神秘的で謎めいており, この寓意ロマンスに隠れた意味があることを暗示している.プロットの本流で発生する3つの出来事, すなわち主人公と純真無垢なイラーの出会い, イラーの失踪, そしてイラーを再発見し取り戻すための長旅が, 作品構成の言わば竜骨を形成している.失われた純潔と純真無垢の探求はマーディ中で行われるが徒労に終わり, マーディは罪悪多き現実の人間世界の縮図となっている.登場人物たちはメルヴィルの代理人もしくは分身として見て取ることができる.主人公のタジはメルヴィルの本能を, ババランジャは理性を代弁し, 復讐者たちは罪の意識を, ホーシャの使者たちは性の誘惑を意味している.イラーは純真無垢,善,理想の象徴で, ホーシャは罪の歓び, 悪, 人間の現実を象徴している.
著者
五十嵐 博
出版者
東海大学海洋学部
雑誌
東海大学紀要. 海洋学部 (ISSN:13487620)
巻号頁・発行日
vol.10, no.3, pp.21-30, 2013-03-10

Melville molded three layers of meanings embedded in the Memnon Stone, which is shaped like a huge egg or an eye or a petrified whale. The first and natural implication of the stone is a headstone of innocence symbolizing the dead, innocent soul of Pierre. Secondly, it is a metaphor of "EI," the pamphlet's title, whose intrinsic and core meaning is "If." The third connotation insinuatingly chiseled in is Solomon's and Melville's view of life and the world, "All is vanity."Melville described in Pierre "the problems of the human heart in conflict with itself" as Faulkner phrased, but Melville's depictions of those problems were artistic byproducts of his pursuit of Gorgonian jealousy lurking at the bottom of the human heart.メルヴィルは, 巨大な卵もしくは目, あるいは石化した鯨のような形をしたメムノンの石に3重の意味を注入した. 第1の, そして自然な意味は, イノセンスの墓石であり, それは死せるピエールの純真な魂を象徴している. 第2に, この石はパンフレットのタイトル"EI"のメタフォーであり, その本質的,核心的意味は"If"である. そして, 巧妙に刻み込まれた第3の含意は, 「すべて空なり」というソロモンおよびメルヴィルの人生観と世界観である.メルヴィルは, フォークナーの言う「葛藤する人間の心の諸問題」を『ピエール』に描出したが, それらの描出は, 彼が人間の心の奥底に潜むゴルゴンのごとき嫉妬心を追究する過程での芸術的副産物であった.
著者
五十嵐 博
出版者
東海大学
雑誌
東海大学紀要. 海洋学部 (ISSN:13487620)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.23-34, 2009-03-31

Mardi is an allegory, the main theme of which is a real world named Mardi where sins and evils abound. Taji, the protagonist and his companions try to seek out ideal innocence, happiness, and peace, only to be disillusioned and repelled by many a wrong and vice they encounter throughout Mardi.The most repulsive is gloomy Maramma, which represents domineering ecclesiastical system and whose institutional religion Taji and others reject. Babbalanja, speaking for Melville's rational judgment based on his acquired wisdom, decides to stay in Serenia where Christian love and faith are practiced "without priests and temples," and concludes his voyage there, whereas Taji, who stands for Melville's instinct, turns his back on Mardi and pursues lost innocence into the outer seas while being pursued by avengers who incarnate Melville's sense of guiltTaji's final behavior in the last chapter implies the downright refusal and denial of the human world and its reality that include existing Christendom and Christian faith.『マーディ』は寓意物語で, そのメイン・テーマはマーディと名づけられた現実世界であり, そこには罪と悪がはびこっている.主人公のタジと彼の仲間たちは理想のイノセンスと幸福, 平安を探し求めるが, マーディ内のいたるところで目にする数々の不正と悪徳に幻滅させられる.最も嫌悪すべきは陰鬱なマラマ島で, 人々を強圧的に支配しているキリスト教体制の寓喩であるこの島の制度化された宗教をタジ一行は拒絶する.後天的知恵に基づくメルヴィルの理性的判断を代弁するババランジャは,「聖職者や礼拝堂なしで」キリストの愛と信が実践されているセレニア島にとどまることにし,そこで彼は航海を終える.メルヴィルの本能を代弁するタジは, マーディに背を向け, 失われしイノセンスを追い求めて外海に出るが, 同時に, メルヴィル自身の罪の意識の化身である復讐者に追われる.最終章でのタジの最終行動は, キリスト教界とキリスト信仰を含めた人間世界の現実に対する全面的拒否と否定を含意している.
著者
五十嵐 博
出版者
東海大学海洋学部
雑誌
東海大学紀要. 海洋学部 (ISSN:13487620)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.19-26, 2013-07-31

Melville's short fiction Happy Failure and The Fiddler clandestinely hold his cynical reaction to the critical damnation his 7th novel Pierre incurred. The "woeful box" in Happy Failure that contains the innovative apparatus which looks like "Anacondas and Adders" is suggestive of Pierre, and the story of The Fiddler starts from the moment the narrator's poem was damned like Pierre was.The theme and conclusion of Happy Failure are linked with those of The Fiddler and their common keywords are "fame" and "happiness." In Happy Failure "my uncle" worked for "fame" and "glory" to no purpose and in The Fiddler the narrator sought "immortal fame" in vain. They both realize in the end what they should go for is "happiness" among the mass of common people. The author's message for readers, lurking between the lines, is that naively speaking "happiness" lies in their being standard and commonplace or cynically speaking you have to be average and mediocre with no "fame" in order to be happy. This implicit message makes up the core and bottom line of both stories and is illustrated by the ways "my uncle" in Happy Failure and Hautboy in The Fiddler are.メルヴィルの短編『幸福な失敗』と『フィドル弾き』は彼の長編第7作『ピエール』が受けた酷評に対する作者のシニカルな反応を行間に潜めている.『幸福な失敗』の「アナコンダと毒蛇」に喩えられる革新的装置の入っている「悲しみにみちた箱」は『ピエール』を暗示する.『フィドル弾き』のストーリーは,「私」の詩が,『ピエール』へのそれを想起させる酷評を受けた時点から始まる.これら2つの短編のテーマと結論は連動しており,「名声」と「幸福」が共通のキーワードになっている.『幸福な失敗』では「私のおじさん」が「名声」と「栄光」を求めて失敗し,『フィドル弾き』では「私」が「不滅の名声」を求めて得られず,両者とも最終的に,求めるべきは凡俗の中の「幸福」であるという認識に到達する.作品にすり込まれている作者のメッセージは,人並みこそ「幸福」という素朴な認識,言い換えれば,「幸福」であるためには「名声」なき凡庸な人間でなければならないというシニカルな認識で,これが両作品の中核と結論を形成しており,『幸福な失敗』の「私のおじさん」と『フィドル弾き』のオウボイの存在の仕方は,この認識を例証している.