著者
中濵 直之 瀬口 翔太 藤本 将徳 有本 久之 伊藤 建夫 藤江 隼平 高柳 敦
出版者
大阪市立自然史博物館
雑誌
大阪市立自然史博物館研究報告 = Bulletin of the Osaka Museum of Natural History
巻号頁・発行日
vol.73, pp.91-105, 2019-03-31

京都府に位置する京都大学芦生研究林は設立以降多くの研究者により利用・調査されているが,ニホンジカによる食害やナラ枯れにより,動植物相は2000年代以降大きく変化している.甲虫類( 鞘翅目) については1970年代にまとまった調査が行われているものの,近年まとまった報告はない.そこで本研究では,2008年から2016年にかけて甲虫相の調査を実施した.その結果,66科496種1,123個体の甲虫が記録され,そのうち7科14種は京都府新記録だった.本調査では,腐朽木に依存する甲虫や地表性甲虫が特に多く得られた.ニホンジカの増加やナラ枯れなどの生態系変化は,現時点では地表や腐朽木を生活場所とする甲虫相には負の影響を与えていないかもしれない.一方で,得られた草本植物食甲虫の数は少数だった.ニホンジカによる生態系被害は特に草本植物で顕著なため,草本植物食甲虫は負の影響を受けている可能性が示唆された.
著者
伊藤 良一 杉谷 政則 稲垣 宏之 瀬戸口 裕子 内田 裕子 伊藤 建比古
出版者
公益社団法人 日本食品科学工学会
雑誌
日本食品科学工学会誌 (ISSN:1341027X)
巻号頁・発行日
vol.60, no.6, pp.278-285, 2013-06-15 (Released:2013-07-31)
参考文献数
14
被引用文献数
1

低タンパク食の継続摂取により,コラーゲン合成が低下し老化状態に類似したモデル動物が得られることが報告されている.今回加齢モデル動物でのコラーゲンペプチドの有効性を検討するために,タンパク含有率6 % の低タンパク飼料を3週間与えたWistar系の雄ラットにホルマリン濾紙法により皮下肉芽組織形成を誘導し,コラーゲンペプチドの経口投与が肉芽組織コラーゲン量の増加に及ぼす影響を検討した.また,他の食品由来ペプチド,タンパクの作用とも比較した.次の結果が得られた.(1)低用量群0.2 g/k体重,中用量群1.0 g/kg体重,高用量群5.0 g/kg体重のコラーゲンペプチドおよび対照群として水を7日間経口投与した.その結果,肉芽組織湿重量の濃度依存的な増加がみられた.また肉芽組織中に含まれるHYP量は肉芽組織湿重量と正の相関(相関係数0.837)を示した.(2)コラーゲン線維を特異的に染色するシリウスレッド染色により組織画像解析を行った.画像デジタル処理により肉芽組織の量,コラーゲン線維の密度,コラーゲン線維の量を求めたところ肉芽組織の量,コラーゲン線維の密度はコラーゲンペプチド摂取によって増加傾向が見られ,同じくコラーゲン線維の量に関しては有意に増加が認められた.(3)コラーゲンペプチド,カゼインペプチド,大豆ペプチド,乳タンパクをタンパク濃度1.0 g/kg体重となるよう経口投与し対照群と比較した.タンパク源投与群全ての群で肉芽組織湿重量の増加が認められた.特に,肩甲骨の肉芽組織湿重量はコラーゲンペプチドおよびカゼインペプチドで有意な上昇がみられた.仙骨両側の肉芽組織湿重量も肩甲骨の肉芽組織と同じくタンパク源投与群全ての群で湿重量の増加傾向が示されたが,有意差はコラーゲンペプチドのみみられた.肉芽組織中の水分含率に差はみられなかった.肉芽組織中に含まれるHYP量については肉芽組織湿重量と同様の傾向を示し,コラーゲンペプチド摂取によるHYP量増加が有意差をもって確認された.その他のタンパク源についても増加が示されたが,対照群と比較して有意な差ではなかった.これらの結果より,加齢モデルラットにおけるコラーゲンペプチドの経口投与は肉芽組織でコラーゲン量を濃度依存的に増加することが示された.また,ペプチド,タンパクの投与は種類に関わらず肉芽組織湿重量を増加させたが,本実験においてHYP量の増加とあわせて有意差が認められたのはコラーゲンペプチドのみで,組織コラーゲン量の増加におけるコラーゲンペプチドの優位性が示唆された.
著者
中谷 貴壽 宇佐美 真一 伊藤 建夫
出版者
日本鱗翅学会
雑誌
蝶と蛾 (ISSN:00240974)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.25-36, 2012-03-23
被引用文献数
1

バルカン半島は,イベリア半島,イタリア半島と共に氷河時代には,南方系生物にとってレフュジアとして機能していたため,ヨーロッパ産生物多様性のホットスポットとして知られる.バルカン半島とは一般にドナウ川より南を指す.西側にはDinaric Alpsが北西から南東方向に連なり,最高峰はProkletije(2,692m)でヨーロッパで五指に入る大山脈である.その南端では東西に連なるBalkan Mts(最高峰はBetov, 2,376m)と,南北に連なるPindos Mts(最高峰はKatafidi, 2,393m)に分かれる.蝶類はブルガリア214種,ギリシア232種に達し,地域の面積からすると蝶類の種数でも多様性が高いことが伺われる.サンプルとして,ブルガリアの北部(West and Central Balkan Mts)および南部(Rodopi, Pirin, Rila Mts)で採集したErebia属10種65個体,およびスイス,イタリアなど中欧,および中央アジア産の10種11個体を用いた.ミトコンドリアの遺伝子領域としては,種内変異の解析によく使われるND5の一部(432bp)とCO1領域の一部(510bp),合計942bpを使用し,得られた塩基配列を比較してハプロタイプを決定した. ブルガリア国内産と中欧産個体群間の遺伝距離にみられるパターン ブルガリア国内におけるハプロタイプの分化と中欧産との遺伝距離を比較すると,3つのパターンに分類することができる. (1)遺伝距離がほぼ地理的距離に比例しているパターン 近隣個体群間では遺伝的交流が認められるが,近距離の個体群間では認められない,いわゆる距離による隔離機構(島モデル)が働いていると想定されるパターンである.このグループに属する種としては,E.aethiops,E.euryale,E.medusaがある.いずれも針葉樹林帯の草原に生息する広域分布種で,その生態的特性からも推定されるパターンであって,氷河期に分布が分断されたものが,温暖期における森林帯の拡大に伴って分布を広げたと推定される. (2)個体群間の地理的距離とは相関のない遺伝距離が認められるパターン 過去に複数のレフュジアに生殖隔離されることで固定された複数の系統が,その後に分布を拡大して混生地を生じたり,あるいは地理的に至近距離で対峙している分布型であり,何らかの系統地理的要因のあることが示唆される.E.oeme,E.ligeaが属する.E.ligeaは前のグループに属するE.aethiops,E.euryaleと類似の環境に生息し,しばしばこれらの種と同所的に見られる場合が多いにもかかわらず,ブルガリア北部のバルカン山脈産と南部の山系産の個体群間の遺伝距離はきわめて大きい.さらにバルカン山脈産のハプロタイプはスイス産個体群と,またブルガリア南部山系産個体群は地理的に遠く離れた中央アジア(モンゴル)産の個体群と遺伝的に極めて近縁であることが判明した.E.ligeaはヨーロッパからユーラシア大陸の中緯度地域に沿ってロシア極東,日本列島にまで広域分布する種であるが,東西2系統に分断された個体群が,その後に分布を拡大しバルカン半島の中部で両系統が対峙していると想定される.今後大陸各地においてサンプル地点を増やすことで系統地理的な全貌を解明する必要がある.E.oemeはヨーロッパ地域特産で,中欧のアルプスでは針葉樹林内の草原に生息し分布は局限されるのに対して,ブルガリアでは森林限界より上の草原にも広く分布し個体数も多い.西はピレネー山脈から東はカルパチア山脈・バルカン半島に分布し,いくつかの亜種またはフォームに区分される.バルカン半島産は東オーストリア産と共に大型で,斑紋がよく発達する特徴を持ち亜種spodiaとされるが,北部ブルガリア産と南部ブルガリア産個体群の間の遺伝距離は大きく,遺伝距離と形態的特徴の類似性には相関性がない.両者の個体群は,その遺伝距離の大きさからみると最終氷河期以前からの別々のレフュジアに隔離分布していたことが示唆される. (3)中欧産個体群との遺伝的距離が大きいパターン 中欧産個体群との遺伝距離が大きいグループである.最終氷期よりも前に分布が分断され,その後の寒冷期にも遺伝的交流がないまま現在に至っていると想定される.E.pandrose,E.alberganusが属する.E.pandroseは森林限界付近の草原に生息するが,E.alberganusはさらに低標高の針葉樹林内の草原にも生息する.スイスでは高山草原でも草丈の高い草原にのみ見られ,食草が限定されているのかもしれない.このような離散的分布域をもつ北方系蝶類の一部の種は,最終氷期よりも前に分布が分断され,その後の寒冷期にも分布を拡大することができなかったと推定される. バルカン半島固有種 バルカン半島にはE.rhodopensis,E.orientalis,E.melasの固有種が知られているが,これらの内E.rhodopensis,E.orientalisについて解析できた.バルカン半島が主たる分布地のE.ottomanaもこのグループに属するものとして扱う.E.rhodopensisは中欧に分布するE.aetheopellaと近縁であり,森林限界付近の灌木帯に分布の中心があり,Bezbog Chalet(Pirin Mts)やGrqnchar Chalet(Rila Mts)では標高2650m以上の岩礫帯でもみられた.調査した範囲では遺伝的変異は認められなかった.E.ottomanaは中欧で多様な種分化を遂げたtyndarusグループに属し,フランス南東部とイタリア北部にも分布するが,バルカン半島が主たる分布域である.広域分布型のハプロタイプが北部バルカン山脈と南部Rila山系から見出され,同じ型はモンテネグロ産個体群からも検出された.ネットワーク樹に示すように,この広域分布型ハプロタイプを中心にして,1塩基置換のハプロタイプがRodopi Mtsに,2塩基置換のタイプがPirin Mtsと中欧(イタリア,Monte Baldo)に分布するスター型の構造を示す.本種はtyndarusグループの中では近東に分布するE.iranica,E.graucasicaと共に古い系統に属する種であって,バルカン半島から中欧(イタリア北部,フランス南東部)へ進出したものであろう.E.orientalisはRila Mtsのみから得られたため,ブルガリア南北の個体群間の比較はできなかった. 遺伝的分化の歴史 日本産高山蝶の各種については,筆者らによる大陸産の同種と遺伝的差異を比較検討した研究,および日本列島内でのハプロタイプを解析した研究がある.本州は最終氷期には大陸や北海道と陸続きにならなかったため,本州に遺存分布する高山蝶は最終氷期より前の寒冷期に大陸から渡来したものと考えられる.したがって本州の例と比較することで,バルカン半島での生殖隔離が始まった年代を推定することができる.分布した遺伝領域ND5とCO1の塩基置換数をまとめるとTable2のようになる.中欧とブルガリア産個体群間の塩基置換数は,分布が離散的なE.pandroseとE.alberganusは4〜6である(Table 2a).一方本州産高山蝶のクモマツマキチョウ,ミヤマモンキチョウ,タカネキマダラセセリは,大陸産と本州産個体群の塩基置換数が5〜7である(Table 2b).これらのデータから,離散分布型のErebia属蝶類が中欧とブルガリア間で生殖隔離した時期は,最終氷期より前の寒冷期であると示唆される.すなわちヨーロッパとアジア東部において,ほぼ同時期に北方系蝶類の個体群が隔離分布するような気候環境であったことが示唆される.またこれらの種の中欧とバルカン半島の個体群が,最終氷期を通じて遺伝的交流がなかったことは,寒冷期とはいえ北方系蝶類のすべてが分布域を拡大できたわけではないことを示唆している.同じくTable 2aによると,中欧とブルガリア産個体群間の塩基置換数は,広域分布型のErebia aethiops,E.euryale,E.medusaでは1〜2であり,最終氷期以降も遺伝的交流があったことが示唆される.またブルガリアの南北個体群間では,広域分布型のErebia aethiops,E.euryale,E.medusa,およびバルカン半島が発祥の地と推定されるE.ottomana,バルカン半島固有種のE.rhodopensisにおいては,E.aethiops以外は広域分布型のハプロタイプが南北の山域に共通して生息しており,ごく最近まで遺伝的交流のあったことが示唆される.バルカン半島で系統分岐の推定されたE.ligeaは系統地理的に極めて興味深い事象であって,今後さらにサンプリング地点を増やして,主要な分布域をカバーする集団の遺伝的構造を明らかにする必要がある.
著者
伊藤 建一
出版者
日本シミュレーション学会
雑誌
日本シミュレーション学会論文誌 (ISSN:18835031)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.1-10, 2021 (Released:2021-01-29)
参考文献数
18

This study evaluated the signal transmission characteristics, the electromagnetic field distributions in and around the human body, and the biosafety criteria of magnetically coupled intra-body communication through computer simulation. The analyzed magnetic couplings were a normal inductive coupling (non-resonant coupling) and two types of resonant couplings. The target evaluation regions were the forearm and upper body, and we analyzed up to an inter-coil distance of 100 cm, which is considered to be the assumed human body communication range. The results of the frequency characteristics of the signal path loss, which were the same as before, revealed that the amount of signal loss for the inductive coupling was minimized between 2 and 3 MHz at each coil distance; one of the resonant couplings could improve the signal path loss by approximately 20 dB at a resonant frequency of 2 MHz. Furthermore, when the signal voltage was 1 V, the electric field strength in the body was smaller than the general environmental limit value by more than two orders of magnitude. The local specific absorption rate was smaller by approximately four orders of magnitude; thus, it was concluded that the magnetic field method is very safe for the living body.
著者
中谷 貴壽 宇佐美 真一 伊藤 建夫
出版者
日本鱗翅学会
雑誌
蝶と蛾 (ISSN:00240974)
巻号頁・発行日
vol.58, no.4, pp.387-404, 2007
参考文献数
57
被引用文献数
2

日本列島産ベニヒカゲの種内系統関係を調べるため,aethiopsグループの主要な地理的変異と,外群としてErebia属および近縁属合計6種を用いて分子系統解析を行った.種ランクについては系統樹(近隣結合法と最大節約法による解析では亜種ランクまでのトポロジーは同じため近隣結合法による樹形をFig. 2に示す),地域集団ランクについてはネットワーク樹(統計的節約法)によって解析した. 大陸産近縁種を含む系統関係 種ランクでは,共通祖先種からscoparia, alcnena, neriene, aethiops, niphonicaがほぼ同時期に分岐している事が示唆され,いずれも高いブートストラップ値で支持される.Scopariaとniphonicaが分割されている点を除けば,従来の形質に基づく亜種レベルまでの分類が分子系統的にも支持される.Fig. 2に示すように,scopariaとniphonicaは分布域が地理的に近接しているものの,種ランクの分化が進んでいる事が示唆される.Erebia vidleriはカナダBritish ColumbiaからアメリカWyomingにかけて局地的に分布する種で,E. niphonicaと似ているとの指摘がある.Warren (1936)は1種で1グループとしaethiopsグループの隣に置いている.その生息地は針葉樹林縁の明るい草原であり(Fig. 5d), aethiops (Fig. 5a), neriene (Fig. 5b), niphonicaの生息環境とよく似ている.しかし分子系統的にはaethiopsグループとは遠い位置にある事が示唆された.亜種ランクでの分岐に関しては,E. aethiopsではCaucasus集団(ssp. melusina)の分岐が深く,その他のスイス(ssp. aethiops)・Middle Ural (ssp. goltzi)・Sayan (ssp. rubrina)の集団はあまり分化していない.E. nerieneではAmur地域集団(ssp. alethiops)とSayan・モンゴル集団(ssp. neriene)に分岐している.日本列島産ベニヒカゲ集団については,Sakhalinから2種,北海道から24種,本州から26種のハプロタイプを検出した.ネットワーク樹(Nakatani et al., 2007)によると北海道で3系統,本州で2系統が認められた.北海道産集団(Fig. 3a)は,西部系統が稚内付近から日本海岸沿いに渡島半島まで分布し,中部Sakhalin,利尻・礼文両島の集団も含まれる.広域分布のハプロタイプHA000から狭分布型の多くのハプロタイプが派生している.東部系統はオホーツク海沿岸から道央・日高山脈まで広い範囲に分布する.日高山脈北部に狭分布型のハプロタイプが産する他は,すべてハプロタイプHD000であり遺伝的に均一な集団である.北部系統はネットワーク樹では北部系統に結合されるが,他の系統とは遺伝的距解か離れており,北部の狭い範囲に分布している.本州産集団(Fig. 3b)では,北部系統が東北地方から上越山系の東半分と赤石山脈に分布する.また南部系統は上越山系の西半分と赤石山脈以外の中部山岳に広く分布する.Sakhalin集団では,南部Sakhalin, Yuzhno-Sakhalinsk産は北海道北端の稚内市周辺に限って分布するものと同じハプロタイプであり,また中部Sakhalin, Khrebtovyi Riv. 産は利尻島,礼文島に分布するハプロタイプに近縁なタイプであった.Sakhalinと北海道を分ける宗谷海峡の水深は約60mであり,最終氷河期の約1.1万年前以降に海峡が形成されたとされる(大嶋, 1990, 2000).Sakhalin南部集団は北海道北端集団と遺伝子的に同じ集団であることが確認され,またSakhalin中部の集団も利尻・礼文など北海道北部集団と近縁であることが遺伝子的に確認された.すなわち,宗谷海峡が形成されるまではSakhalinと北海道のベニヒカゲ集団の間には遺伝的交流があったことが裏付けられた.一方利尻島と礼文島を北海道本島と分ける利尻水道の水深は海図によると約80-85mであって,宗谷海峡よりも古い時代から海峡となっていた可能性がある.北海道本島の集団と比較して,利尻・礼文集団の方が,Sakhalin南部産の集団より分子系統的に分岐が古いという結果と整合性がある.大陸とSakhalinを分ける間宮海峡の水深は宗谷海峡よりもさらに浅く,海峡の形成は約4,000年前以降とされる(大嶋,2000).朝日らの調査(朝日ほか,1999;朝日・小原,2004)によるとSakhalinにおけるベニビカゲの分布は北緯51-52°より北では生息が確認されておらず,永久凍土が存在するほど寒冷な気候には適応できないものと推測される.陸化されていてもその環境がベニヒカゲの生息に適さないものであれば往来は不可能である.現在よりも寒冷な氷河期には間宮海峡は陸化していたものの,ベニヒカゲが大陸との間を行き来できる環境ではなく,Sakhalin・北海遠のベニヒカゲ集団は最終氷河期に大陸との間を往来することはなかったと考えられる.これはSakhalin・北海道集団が対岸のAmur地域のnerieneとされる集団とは分子系統的に非常に離れた存在であるという解析結果から示唆される. Aethiopsグループの系統地理 Aethiopsグループの生息環境をみると,aethiops (Fig. 5a), neriene (Fig. 5b), scoparia (竹内, 2003), niphonica (中谷・北川2000;中谷・細谷,2003)は,いずれも針葉樹林内やその林縁の明るい草原が主な生息環境となっている.またalcmenaの生息環境は渡辺(1993;私信)によると,中国甘粛省夏河(Xiahe, Gansu, China)では乾燥した潅木帯(Fig. 5c)である.Aethiopsグループの生息環境と現在の分布域(Fig. 1)からみると,共通祖先種はBaikal湖付近の針葉樹林と草原がモザイク状に拡がる地域を中心に分有していたと推定される.そして環境の悪化(温暖化または乾燥化)によっていくつかの集団に隔離分布したもののうち,東部の分布近縁部にあたるSakhalin・北海道付近でsconariaが分岐し,近縁部南部の中国で乾燥地に適応したalcmenほが分岐した.またSayan・Baikal地域の北部でnerieneが分岐した.Niphonicaは大陸の東南方で分岐した可能性が考えられる.これらの分岐年代はほぼ同時期とみられる.その後の環境改善(寒冷化または湿潤化)期にaethiopsはBaikal, Sayanから西へCaucasus, Uralを経てヨーロッパまで分布を拡大し,niphonicaは日本列島へ進出した.NerieneとaethiopsはSayan, Altaiでも分布を拡大し,Baikal地域からSayanにかけて混生状態を生じた.中国東北部から朝鮮半島北部に分布する集団は現在nerieneとされるが,朝鮮半島北部の集団は本州産niphonicaと同じとする見解(川副・若林,1976)や,移行型がみられるとの指摘(江崎・白水,1951)もあり,今後の調査が期待される.すでに述べたようにaethiopsグループの内,alcmenaを除くタクサはいずれも針葉樹林の林縁を主な生息域としており,乾燥が強い広大な草原には生息していない.このような生態から推定すると,ヨーロッパにおけるErebia epiphron (Schmitt et al., 2006)と同じように,分布を分断され孤立化した集団の隔離は,間氷期の温暖期だけではなく氷河期の乾燥が強い環境下でも起こっていた可能性が考えられる.分岐の年代推定はErebia属全体の進化プロセスの中で検討していく必要がある.
著者
南部 松夫 伊藤 建三
出版者
東北大學選鉱製錬研究所
雑誌
東北大學選鑛製錬研究所彙報 = Bulletin of the Research Institute of Mineral Dressing and Metallurgy, Tohoku University (ISSN:0040876X)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.1-8, 1960-08-25

The crystallization process of poorly crystallized ferric oxide formed by the dehydration of three α-type limonites obtained from different localities was studied by means of X-ray powder method. The results are as follows : 1) α-type limonite changes into a mixture of poorly crystallized hematite and amorphous ferric oxide by its thermal decomposition in the temperature range 390-405℃. These two heated products arise from crystalline goethite and amorphous ferric oxide hydrate contained respectively in original limonite. 2) Variations in the degree of crystallization of hematite changed from limonite by heating depend on the difference in the crystallinity of original goethite. 3) At low temperature from 350 to 550℃, the transformation of amorphous ferric oxide into hematite crystallite is predominent, compared with the growth of hematite crystallite. 4) The hematite crystallite formed at low temperature has a tendency of the two dimensional lattice up to about 750℃, and then grows gradually with rising temperature. 5) The crystallization process of poorly crystallized hematite and amorphous ferric oxide formed by thermal dehydration of α-type limonite may be shown as follows : [numerical formula]
著者
北原 曜 伊藤 建夫
出版者
日本鱗翅学会
雑誌
蝶と蛾 (ISSN:00240974)
巻号頁・発行日
vol.66, no.3, pp.83-89, 2015

Genetic analysis of female Argynnis (Fabriciana) adippe pallescens specimens (n=8) collected in Nagano Prefecture revealed two distinct haplotypes. Adult butterflies obtained from the fertilized eggs deposited by the females of both haplotypes were used in cage pairing experiments. While the morphological differentiation is small between two haplotypes, the shape of the dorsal lines of the mature larvae, the background color and mottled markings on the underside of the hindwings of the adults can be used for species identification. No copulation was observed between individuals of the two haplotypes in the cage pairing experiment, suggesting the existence of premating isolation between the two haplotypes.
著者
中谷 貴壽 宇佐美 真一 伊藤 建夫
出版者
日本鱗翅学会
雑誌
蝶と蛾 (ISSN:00240974)
巻号頁・発行日
vol.63, no.4, pp.204-216, 2012
参考文献数
30

日本列島は氷河期には大陸と繋がっていた時代があり,その期間には大陸起源の北方系生物は分布を拡大し,間氷期にはこれらの生物は大陸へ避難し,あるいは一部の個体群を除いて絶滅したと考えられてきた.しかし,筆者らの高山蝶に関する研究によると,ベニヒカゲは古い時代の氷河期に渡来し,間氷期にも日本列島の高山帯で複数の個体群が生き残り,互いに生殖隔離された結果列島内で複数の系統に分化した後に,次の氷河期に分布を拡大するというサイクルを繰り返してきたことが明らかになった(複数レフュジア・モデル).これはヨツバシオガマ他数種の高山植物で明らかにされたシナリオ,初めの氷河期に大陸から渡来した系統が間氷期に本州中部山岳で生き残り,次の氷河期に新たに侵入した系統が東北地方以北に分布するという時間差侵入仮説(単一レフュジア・モデル)とは異なる.本研究ではサハリンを含む日本列島から17のハプロタイプを見出した.複数地域または複数サンプルから検出された系統的意義を有するハプロタイプは,本州では飛騨山脈北部・白山,飛騨山脈南部,八ヶ岳,木曽山脈,赤石山脈の5系統に,また北海道では大雪山の高標高部と山麓の低標高部の2系統に分かれている(利尻島高山帯にも孤立した個体群が分布するが未検).サハリン,北海道,本州の個体群は,過去の異所的分断により分断分布を成している事が明らかである.本州では飛騨山脈で複数のハプロタイプが混生しており,複数のイベントによって現在の分布が形成されたと考えられるので,NCPAにより過去の分布変遷史を推定した結果,5つのクレードで統計的に有意なイベントが推定された.それによると,クモマベニヒカゲの中部山岳地域における分布の変遷は,分断と拡散の繰り返しであることが示唆された.日本列島における分布変遷 日本列島へ進出したクモマベニヒカゲの個体群は,サハリン・北海道・本州の現在の分布域を包含する地域に分布を広げた.その後の温暖期にサハリン,北海道,本州のレフュジアに分断され,それぞれが別々の系統に分化した.次の温暖期に,本州の中部山岳地域では飛騨山脈北部系統,同南部系統,赤石山脈・木曽山脈系統の3系統に分断された.続く氷河期に分布を拡大し,飛騨山脈の北部系統と南部系統は,後立山連峰の針ノ木岳付近(以後針ノ木ギャップと呼ぶ)で混生地帯を形成した.さらにその後の温暖期に現在見るような離散分布が形成された.ベニヒカゲとの比較による系統地理的な特徴 広域に分布するハプロタイプの系統関係を概観すると,両種ともに飛騨山脈と赤石山脈産のハプロタイプの間に大きな遺伝的差異のあることが示される.初期の単一な遺伝的組成をもつ集団が,その後の温暖期に分布を縮小する過程で飛騨山脈と赤石山脈に分布する二つの個体群に分断された結果,二つの系統に分岐したことを示唆している.飛騨山脈と赤石山脈のレフュジアに源を発する2系統の遺伝的距離は,ベニヒカゲとクモマベニヒカゲとの間で差異があり,分岐年代には若干の差があったと考えられる.またベニヒカゲとクモマベニヒカゲ共に,赤石山脈の系統は,飛騨山脈系統の北部集団とより近縁である事は,その後の気候変動に適応して分布を拡大したルートが両種で類似している可能性を示唆している.飛騨山脈では,ベニヒカゲは単一のハプロタイプが産するが,クモマベニヒカゲでは針ノ木ギャップで混生地を挟んで南北2系統に分かれており,両系統の間に2塩基の差が認められる点が大きく異なる.白山山系は飛騨山脈とは地理的に非常に離れているがベニヒカゲ,クモマベニヒカゲ(クモマベニは飛騨山脈の北部系統)共に同じハプロタイプが分布しており,二つの山系の個体群間ではきわめて最近まで遺伝的交流のあったことが示唆される.八ヶ岳では,ベニヒカゲは飛騨山脈と同一のハプロタイプが,またクモマベニヒカゲは飛騨山脈の南部系統と1塩基差の近縁なハプロタイプが見出され,両地域の個体群の近縁性が示唆される.これに対して木曽山脈では,ベニヒカゲは飛騨山脈と共通のハプロタイプが見出されるのに対して,クモマベニヒカゲでは赤石山脈と近縁であり,木曽山脈の個体群の分布変遷は両種の間で異なっていた可能性が示唆される.一方サハリンと北海道の個体群に関しては,ベニヒカゲは共通のハプロタイプが分布するなど,最近まで遺伝的交流があったことが示唆されるが,クモマベニヒカゲの個体群は遺伝的に非常に異なっており,古くから生殖隔離が続いていることが示唆された.ベニヒカゲとクモマベニヒカゲは同じ属に含まれる近縁種であり,また生息環境も似ているが,いくつかの地域では異なる分布変遷史をたどったようだ.このように種によって生殖隔離の始まった時期や場所が異なる事例はヨーロッパでも知られている.Erebia medusaはヨーロッパでは針葉樹林内の草原を主たる生息地としているが,ルーマニアとブルガリアの28集団について調べた研究によると,ドナウ河を挟んで南北2系統に分断されており,最終氷期にそれぞれの集団が分布を拡大したもののドナウ河を越えて遺伝的交流が成されることはなかったとしている.一方E.medusaと同様に針葉樹林内の草原を主たる生息地として広域分布するErebia euryaleでは,ルーマニア産とブルガリア産は遺伝的によく似ており,最終氷期以降にドナウ河を越えて遺伝的交流があったとする研究がある.このように大陸内でしかも生息環境が類似した種でも,第四紀の氷河サイクルに対する適応は種によって異なる事例があるように,日本列島内における第四紀の気候変動に対する高山蝶の適応は,種特異的ないろいろなパターンが存在することが強く示唆される.針ノ木ギャップの生態的意義 すでに述べたように,飛騨山脈におけるクモマベニヒカゲのハプロタイプは,鹿島槍ヶ岳から烏帽子岳に至る針ノ木ギャップで2系統の混生地帯が見られる.タカネヒカゲは標高約2,700m以上の岩礫帯からハイマツ帯にかけての高山帯にのみ生息する真性高山蝶で,針ノ木ギャップ付近では爺ヶ岳から烏帽子岳の間で分布を欠いており,雪倉岳から鹿島槍ヶ岳・布引山にかけて分布する北部系統と,烏帽子岳以南に分布する南部系統に分岐している.一方,ベニヒカゲは針ノ木ギャップを含む飛騨山脈全域に単一の系統が分布する.針ノ木ギャップ付近におけるこれら3種の高山蝶の分布状況は,種の標高に対する適応の度合いを反映したものとなっている.針ノ木ギャップ付近の地形および植生をみると,全体に標高が約2500-2600mと低いために尾根の多くが樹林帯で覆われており,冬季季節風の風上に当たる尾根の西側では樹林が尾根まで迫り,風下側の東側は雪崩によって削られた急峻な崩落地形となり,あるいは両側の切り立った狭い尾根が断続的に見られる.急峻な崩落地にはイネ科やカヤツリグサ科の遷移途上の草地すら見られない.蓮華岳の頂上付近にのみ広い緩傾斜の砂礫帯があり,コマクサが大群落を形成するがハイマツはあまり生えていない.このような植生が,イネ科やカヤツリグサ科植物を食草とする高山蝶たち(タカネヒカゲ,クモマベニヒカゲ,ベニヒカゲ)の分布を規制しているものと考えられる.針ノ木ギャップ付近におけるタカネヒカゲの不連続分布の原因を約10万年前の立山噴火による噴出物の堆積に求める説もあるが,3種の高山蝶にみられる分布パターンは,それぞれの種が持つ高度適応力の強さを反映しており,生態的要因がより強く働いた結果であると考えられる.従来は日本列島の生物相形成に関して,大陸からの複数回の進出によって氷河サイクルに適応したとする事例(単一レフュジア・モデル)が指摘されるケースが多かった.しかし筆者らによるベニヒカゲやタカネヒカゲ,さらには今回報告したクモマベニヒカゲの研究で示唆されるように,高山性生物の種によっては古くから日本列島に侵出し,日本列島内で氷河サイクルを通じて分布の分断・拡張を繰返してきたケース(複数レフュジア・モデル)が少なくないことが伺われる.
著者
中谷 貴壽 宇佐美 真一 伊藤 建夫
出版者
THE LEPIDOPTEROLOGICAL SOCIETY OF JAPAN
雑誌
蝶と蛾 (ISSN:00240974)
巻号頁・発行日
vol.63, no.4, pp.204-216, 2012-12-28 (Released:2017-08-10)
参考文献数
30

日本列島は氷河期には大陸と繋がっていた時代があり,その期間には大陸起源の北方系生物は分布を拡大し,間氷期にはこれらの生物は大陸へ避難し,あるいは一部の個体群を除いて絶滅したと考えられてきた.しかし,筆者らの高山蝶に関する研究によると,ベニヒカゲは古い時代の氷河期に渡来し,間氷期にも日本列島の高山帯で複数の個体群が生き残り,互いに生殖隔離された結果列島内で複数の系統に分化した後に,次の氷河期に分布を拡大するというサイクルを繰り返してきたことが明らかになった(複数レフュジア・モデル).これはヨツバシオガマ他数種の高山植物で明らかにされたシナリオ,初めの氷河期に大陸から渡来した系統が間氷期に本州中部山岳で生き残り,次の氷河期に新たに侵入した系統が東北地方以北に分布するという時間差侵入仮説(単一レフュジア・モデル)とは異なる.本研究ではサハリンを含む日本列島から17のハプロタイプを見出した.複数地域または複数サンプルから検出された系統的意義を有するハプロタイプは,本州では飛騨山脈北部・白山,飛騨山脈南部,八ヶ岳,木曽山脈,赤石山脈の5系統に,また北海道では大雪山の高標高部と山麓の低標高部の2系統に分かれている(利尻島高山帯にも孤立した個体群が分布するが未検).サハリン,北海道,本州の個体群は,過去の異所的分断により分断分布を成している事が明らかである.本州では飛騨山脈で複数のハプロタイプが混生しており,複数のイベントによって現在の分布が形成されたと考えられるので,NCPAにより過去の分布変遷史を推定した結果,5つのクレードで統計的に有意なイベントが推定された.それによると,クモマベニヒカゲの中部山岳地域における分布の変遷は,分断と拡散の繰り返しであることが示唆された.日本列島における分布変遷 日本列島へ進出したクモマベニヒカゲの個体群は,サハリン・北海道・本州の現在の分布域を包含する地域に分布を広げた.その後の温暖期にサハリン,北海道,本州のレフュジアに分断され,それぞれが別々の系統に分化した.次の温暖期に,本州の中部山岳地域では飛騨山脈北部系統,同南部系統,赤石山脈・木曽山脈系統の3系統に分断された.続く氷河期に分布を拡大し,飛騨山脈の北部系統と南部系統は,後立山連峰の針ノ木岳付近(以後針ノ木ギャップと呼ぶ)で混生地帯を形成した.さらにその後の温暖期に現在見るような離散分布が形成された.ベニヒカゲとの比較による系統地理的な特徴 広域に分布するハプロタイプの系統関係を概観すると,両種ともに飛騨山脈と赤石山脈産のハプロタイプの間に大きな遺伝的差異のあることが示される.初期の単一な遺伝的組成をもつ集団が,その後の温暖期に分布を縮小する過程で飛騨山脈と赤石山脈に分布する二つの個体群に分断された結果,二つの系統に分岐したことを示唆している.飛騨山脈と赤石山脈のレフュジアに源を発する2系統の遺伝的距離は,ベニヒカゲとクモマベニヒカゲとの間で差異があり,分岐年代には若干の差があったと考えられる.またベニヒカゲとクモマベニヒカゲ共に,赤石山脈の系統は,飛騨山脈系統の北部集団とより近縁である事は,その後の気候変動に適応して分布を拡大したルートが両種で類似している可能性を示唆している.飛騨山脈では,ベニヒカゲは単一のハプロタイプが産するが,クモマベニヒカゲでは針ノ木ギャップで混生地を挟んで南北2系統に分かれており,両系統の間に2塩基の差が認められる点が大きく異なる.白山山系は飛騨山脈とは地理的に非常に離れているがベニヒカゲ,クモマベニヒカゲ(クモマベニは飛騨山脈の北部系統)共に同じハプロタイプが分布しており,二つの山系の個体群間ではきわめて最近まで遺伝的交流のあったことが示唆される.八ヶ岳では,ベニヒカゲは飛騨山脈と同一のハプロタイプが,またクモマベニヒカゲは飛騨山脈の南部系統と1塩基差の近縁なハプロタイプが見出され,両地域の個体群の近縁性が示唆される.これに対して木曽山脈では,ベニヒカゲは飛騨山脈と共通のハプロタイプが見出されるのに対して,クモマベニヒカゲでは赤石山脈と近縁であり,木曽山脈の個体群の分布変遷は両種の間で異なっていた可能性が示唆される.一方サハリンと北海道の個体群に関しては,ベニヒカゲは共通のハプロタイプが分布するなど,最近まで遺伝的交流があったことが示唆されるが,クモマベニヒカゲの個体群は遺伝的に非常に異なっており,古くから生殖隔離が続いていることが示唆された.ベニヒカゲとクモマベニヒカゲは同じ属に含まれる近縁種であり,また生息環境も似ているが,いくつかの地域では異なる分布変遷史をたどったようだ.このように種によって生殖隔離の始まった時期や場所が異なる事例はヨーロッパでも知られている.Erebia medusaはヨーロッパでは針葉樹林内の草原を主たる生息地としているが,ルーマニアとブルガリアの28集団について調べた研究によると,ドナウ河を挟んで南北2系統に分断されており,最終氷期にそれぞれの集団が分布を拡大したもののドナウ河を越えて遺伝的交流が成されることはなかったとしている.一方E.medusaと同様に針葉樹林内の草原を主たる生息地として広域分布するErebia euryaleでは,ルーマニア産とブルガリア産は遺伝的によく似ており,最終氷期以降にドナウ河を越えて遺伝的交流があったとする研究がある.このように大陸内でしかも生息環境が類似した種でも,第四紀の氷河サイクルに対する適応は種によって異なる事例があるように,日本列島内における第四紀の気候変動に対する高山蝶の適応は,種特異的ないろいろなパターンが存在することが強く示唆される.針ノ木ギャップの生態的意義 すでに述べたように,飛騨山脈におけるクモマベニヒカゲのハプロタイプは,鹿島槍ヶ岳から烏帽子岳に至る針ノ木ギャップで2系統の混生地帯が見られる.タカネヒカゲは標高約2,700m以上の岩礫帯からハイマツ帯にかけての高山帯にのみ生息する真性高山蝶で,針ノ木ギャップ付近では爺ヶ岳から烏帽子岳の間で分布を欠いており,雪倉岳から鹿島槍ヶ岳・布引山にかけて分布する北部系統と,烏帽子岳以南に分布する南部系統に分岐している.一方,ベニヒカゲは針ノ木ギャップを含む飛騨山脈全域に単一の系統が分布する.針ノ木ギャップ付近におけるこれら3種の高山蝶の分布状況は,種の標高に対する適応の度合いを反映したものとなっている.針ノ木ギャップ付近の地形および植生をみると,全体に標高が約2500-2600mと低いために尾根の多くが樹林帯で覆われており,冬季季節風の風上に当たる尾根の西側では樹林が尾根まで迫り,風下側の東側は雪崩によって削られた急峻な崩落地形となり,あるいは両側の切り立った狭い尾根が断続的に見られる.急峻な崩落地にはイネ科やカヤツリグサ科の遷移途上の草地すら見られない.蓮華岳の頂上付近にのみ広い緩傾斜の砂礫帯があり,コマクサが大群落を形成するがハイマツはあまり生えていない.このような植生が,イネ科やカヤツリグサ科植物を食草とする高山蝶たち(タカネヒカゲ,クモマベニヒカゲ,ベニヒカゲ)の分布を規制しているものと考えられる.針ノ木ギャップ付近におけるタカネヒカゲの不連続分布の原因を約10万年前の立山噴火による噴出物の堆積に求める説もあるが,3種の高山蝶にみられる分布パターンは,それぞれの種が持つ高度適応力の強さを反映しており,生態的要因がより強く働いた結果であると考えられる.従来は日本列島の生物相形成に関して,大陸からの複数回の進出によって氷河サイクルに適応したとする事例(単一レフュジア・モデル)が指摘されるケースが多かった.しかし筆者らによるベニヒカゲやタカネヒカゲ,さらには今回報告したクモマベニヒカゲの研究で示唆されるように,高山性生物の種によっては古くから日本列島に侵出し,日本列島内で氷河サイクルを通じて分布の分断・拡張を繰返してきたケース(複数レフュジア・モデル)が少なくないことが伺われる.
著者
早川 美波 林 秀剛 岸元 良輔 伊藤 建夫 東城 幸治
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement 第29回日本霊長類学会・日本哺乳類学会2013年度合同大会
巻号頁・発行日
pp.245, 2013 (Released:2014-02-14)

ツキノワグマ Ursus thibetanusは,アジア広域に生息する中型のクマで,日本には,固有亜種,ニホンツキノワグマ Ursus thibetanus japonicusが,本州と四国に生息している.中でも,本研究の対象地域である長野県は,日本アルプスを含む中部山岳域に囲まれていること,長野県におけるツキノワグマの推定生息数が約 3600頭 (長野県 2011年) であることからも重要な生息地の 1つであると考えられる.一方,長野県には独立した山塊がいくつかあり,盆地には都市が広がっているため,ツキノワグマの生息地が必ずしも連続しているとは言えず,また,山塊間の移動の程度や遺伝的多様性の評価などの研究が十分行われていないことから,一概にも安定した個体群が維持されているとは言えない.本研究では,2006年から 2012年に捕獲されたツキノワグマ約 200個体を用いて,mtDNA制御領域 626-bp及び,核 DNA MHC クラスター Ⅱベータ遺伝子 2領域 270-bpを解析し,長野県ツキノワグマ個体群における遺伝的構造の究明を行った.  mtDNA制御領域の解析では,12のハプロタイプを検出した.ハプロタイプの地理的分布から,長野県の北部と南部では解析した個体から検出されるハプロタイプが異なったため,長野県の北部と中南部間での遺伝子流動,すなわちツキノワグマの移動分散が起きていない,あるいは非常にまれであることが示唆された.
著者
山本 修吾 林 豊彦 中山 貞夫 伊藤 建一 鈴木 禎宏 古賀 良生 宮川 道夫
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会技術研究報告. MBE, MEとバイオサイバネティックス
巻号頁・発行日
vol.96, no.257, pp.101-108, 1996-09-25
被引用文献数
14

本論文は, 人工膝関節置換術(total knee arthroplasy, TKA)により人工膝関節に置換した膝関節運動の術中測定について述べたものである. この測定のために, 術中計測に必要な滅菌, 操作性, 精度の諸条件を考慮し, 著者らは高分解能リニアCCDカメラを用いた光3次元測定装置を開発した. 二つの人工関節コンポーネントに各4個, 計8個のLEDを取り付け, その3次元位置を左右3台, 計6台のCCDカメラを用いてサンプリング周波数100Hzで測定する. カメラキャリブレーションの後, 精度評価実験を行った結果, LED位置の測定誤差は0.24mm以内, 空間分解能は0.06mmであることが明らかとなった. また切断肢を用いた予備実験から, 本システムは術中測定に必要とされる操作性と精度を十分に備えていることが判った.