- 著者
-
伊藤 肇
- 出版者
- 公益社団法人 日本薬学会
- 雑誌
- ファルマシア (ISSN:00148601)
- 巻号頁・発行日
- vol.51, no.12, pp.1128-1132, 2015 (Released:2018-08-26)
- 参考文献数
- 8
光学活性化合物の合成は,医薬分野で特に重要である.光学活性化合物の分子構造には不斉(キラリティー)があり,鏡面に映ったもの同士のように,一対の鏡像異性体(エナンチオマー)が存在する.キラリティを持つ化合物の2つのエナンチオマーが等量混合したものがラセミ体,片方のみからなるものが純粋な光学活性化合物である.2つのエナンチオマー同士は,その性質の多くが同一である.融点,沸点に加えて,通常のカラムクロマトグラフィーによる分離特性も同じである.また,分子の熱力学的な生成エネルギーが同一であるため,通常の手法で合成した場合には,2つのエナンチオマーの完全な等量混合物,すなわちラセミ体が得られるのが普通である.ラセミ体に含まれる2つのエナンチオマーは,通常の分離条件(蒸留や普通の再結晶,カラムクロマトグラフィーなど)で分離できないため,片方のエナンチオマーのみを入手することは簡単ではない.しかし一方でキラルな構造を持つ化合物が,生体物質(タンパク質や核酸など)に出会った時,2つのエナンチオマーは異なる挙動を示す.これは生体がキラルな構造体から構成されているからであるが,このことはしばしば深刻な問題を引き起こす.例えば有名なサリドマイドのケースでは,サリドマイドのR体は催眠鎮静作用を持つが,そのエナンチオマーであるS体は強力な催奇性を持つ.キラリティを持つ医薬品の場合,どちらか片方のエナンチオマーをうまく合成することがしばしば必要であることは広く認識されている.創薬の現場では,特にコストの問題から,最終的な構造にできるだけキラリティが組み込まれないように工夫するというが,いつも避けられるとは限らない.したがって光学活性化合物を効率よく合成することは,常に必要とされている重要なテーマである.近年では,極めて多くの種類の不斉合成反応について研究が積み重ねられている.本稿では,私達が数年前に出会った,非常に珍しい不斉合成反応「直接エナンチオ収束反応」について述べたい.