著者
佐藤 彰一
出版者
名古屋大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2017-04-01

タキトゥスが『ゲルマーニア』を著した後1世紀以前の北西ヨーロッパを生活圏とした「ゲルマン人」の実態を探る一環として、彼らの経済生活を解明しようとした。筆者はタキトゥスの前掲書第45章に見える、ゲルマン人の琥珀交易の実態を解明したいと考えた。琥珀は松材に含まれる樹脂が化石化したもので、北海沿岸からバルト海南岸、南東岸、東岸を産地としている。古代の著作家の記述にはシチリア島や地中海北岸のリグリア地方でも産するとあるが、通常琥珀酸10~13%含まれるのに、これらの地域から産するものには琥珀酸の含有が欠けていて、紛い物である。真正の琥珀は「北の黄金」と称され、装飾品、薫香剤として重宝され、現在の中東地域まで「輸出」された。この点は最近シリアで発見された貴族身分の女性の墓から見つかった琥珀ビーズが蛍光スペクトラム分析で、バルト海産の琥珀であることが実証されている。研究は古典古代の著作家の記述の網羅的な調査と、そこから浮かび上がるバルト海地方とギリシアを初めとする東地中海地方との交易のルートの調査を行なった。後者の問題は主に最近の考古学研究の発掘報告書に導かれた。ホメロスも含めて、ホメロス以前の琥珀に関する所見があり、筆者が注目したのは交易ルートのうち、おそらく最も古いと思われるものがバルト海から南ロシアを経て、黒海に至るルートである。それはトロイ戦争が起こったとされる前1200年よりも古い『アルゴナウタイ』の伝承に反映していると思われる。「アルゴナウタイ」の航海者たちが、黒海から現在のアゾフ海に入り、ドン川を遡り、いくつかの河川ルートを使って、バルト海と思しき海に達し、そこから北海に入り、イベリア半島を周航し、「ヘラクレスの柱」すなわちジブラルタル海峡をへて、地中海経由で故郷ギリシアに帰還するのである。北西ヨーロッパと東地中海世界との交易は、想像以上に古い歴史を持っているのである。
著者
佐藤 彰一
出版者
名古屋大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

研究着手の出発点であるトゥールのサン・マルタン修道院長アゲリクスのみならず、12月30日の聖人として5世紀のトゥール司教ペルペトゥスについての記述が含まれていることを明らかにした。中世の聖人祝日暦の系統を大きく二分するものとして、「アドン祝日暦」(860年)と「ウズアルドゥス祝日暦」(865-870年)がある。より広く参照されたウズアルドゥスの聖人祝日暦では、ペルペトゥスは4月8日が祝日とされているから、本写本がアドンの聖人祝日暦の系統に属する蓋然性が極めて高いことが明らかになった。
著者
田口 正樹 佐々木 健 林 信夫 加納 修 大月 康弘 小川 浩三 松本 英実 鈴木 直志 新田 一郎 櫻井 英治 粟辻 悠 西川 洋一 佐藤 公美 小林 繁子 神寳 秀夫 佐藤 雄基 佐藤 彰一 石部 雅亮
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2016-04-01

前近代の西洋と日本について、法律家を中心に、公証人、弁護人、軍人、商人など多様な専門家を取り上げて、専門家と専門知を存立・機能させる環境、専門家と専門知が権力構造において占める位置、専門家間の組織形成とネットワークの広がりといった側面を検討して、専門家と専門知の発展を国制史に組み込んだ。ドイツの研究グループとの学術交流により、専門家に関する文化史的視点を補強して、その意味でも従来の国制史の枠を広げた。
著者
佐藤彰一 松村赳著
出版者
朝日新聞社
巻号頁・発行日
1992
著者
佐藤 彰一
出版者
名古屋大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2011-04-01

この研究は、西洋中世初期における最重要の歴史的存在であったフランク国家がいかにして形成されたかを、西ローマ帝国が体現した後期古代から、初期中世の時代相への移行についての新たな理解を基軸に据えて考察し直したものである。新しい論点として浮上したのは、西暦394年のアルボガストのクーデタの挫折により、フランク人首長層がローマ帝国内で30年間にわたって成し遂げた栄達の時代が終わり、以後約半世紀にわたって断片的な動静しか伝来しておらず、この50年間のフランク史の解明が、この主題にとって決定的に重要であるという点である。これまで注目を集めてこなかった、フン族とフランク人との関係史を深めるのも重要である。
著者
佐藤 彰一
出版者
名古屋大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2000

本研究の目的はこの時代の行政文書の使用態様を明らかにすることにより、いかに文書に依存するところ大きかったかを実証的に明らかにし、その国家性の根拠のひとつを明示することであった。西ローマ帝国消滅後の西欧で、豊富な伝来史料を有するのはイタリアであり、東ゴート期、ランゴバルド期を通して、文書による統治実践は基本的に維持された。だが微視的に見ると、そこには文字記録作成とそれらの保存管理への親妥の変動もあった。7世紀初めには行政文書作成の退潮が見て取れるが、それはN・エヴェレットの研究によれば、美文への嗜好の弱化が根底の原因として挙げられる。セナトール貴族の文字文化の審美的探究が、実は最も日常的で、凡庸な記録形態である行政実務文書が日々生産される現実を下支えしていたとするその所説は、ランゴバルド王国だけでなく文字文化一般の理解にとっても、非常に示唆的である。西ゴート国家は、行政文書を一点も残していない。この事実は長く西ゴート国家が行政文書を作成する伝統を持たなかったのがその理由と考えられたが、1967年にマドリッド国立文書館で偶然西ゴート国王文書の断片と思しき数点の羊皮紙が発見された。僅かの断片的記録しか伝来していない理由として、人為的かつ体系的破壊が想定されている。西ゴート国家に独自な文書形態として、地中から出土する粘板岩に刻まれたいわゆるスレート文書がある。これは西ゴート国家における公文書の存在形態と、密接な関係が考えられる。重要なのは西ゴート国家においても統治実践面で、文字記録が用いられていたことが確実と思われる。アングロ・サクソン七王国の一つであるマーシア国家で作成された「トライバル・ハイデジ(TH)」は、国家的賦課をになう地域とその負担量を一覧にした記録である。現存の三写本は全て後代の写しであり、原本は存在していない。またこの種の記録は孤立したものではあり得ないが、周辺的文書は一切現存していない。THがその最終帰結であるところの、個別税査定に始まる一連の文書作成プロセスをが解明するのが今後の課題である。現時点ではこの文書に内在する情報の性格に依りながら、論理的想定として、この時代のイングランドに紛れもなく実務的文字記録作成の慣行が実在した事実を確認することで満足しなければならない。
著者
佐藤 彰一
出版者
名古屋大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1992

本研究の課題は、約20年前に「発見」されたメロヴィング末期の7世紀末にフランスのトゥールのサン=マルタン修道院で作成された所謂「会計文書」を可能な限り多角的に解析し、史料的にきわめて限られているこの時期の西欧における社会構造を明らかにし、また農業生産の具体的な水準などを確定することであった。作業の手続きとして、まず第一にこの文書の書冊学的、古書体学的分析を行い、これがおそらくはローマ後期の租税関係文書の系譜を引く、トゥールの市政文書に由来するものであろうという仮説を提示した。第二に、「文書」に記載されている地名の比定を行った。これはフランス国土地理院から発行されている地誌図ならびに18世紀に作成された「カッシ-ニの地図」を用いた。続いて農民一人ひとりが納付している穀物貢租の種類と量から、その生産量を割り出し、更に貢租と翌年の種播き用の種籾などを控除した消費可能な穀物の扶養力を、カロリー計算とパンによる摂取形態とで総合的に判断すると1世帯当たりの家族成員が約4人で平均値であったことが知られる。農民の家族形態は、明らかに核家族形態が中心であった。第四に、穀物の栽培形式と生産量から、三圃農法の実践如何の点を検討し、トゥール地方では夏穀の大麦が播種期を徐々に繰り下げる形で春穀に転化し、三年輪作システムが中規模経営の農民層から始められたらしいことが窺われる。